第一話
いったいこの世界はどうなっているんだ──
黒板の前に立ち、これからお世話になるクラスを見渡しながら、一霧アツキは思わず固まって、そんなことを心中で呟いた。
転校生として新しい学園に入る。──ということは、確かに緊張することだし、黒板の前で固まったとしても、それは自然というものだろう。
自然で、至極当然なことなのであるが。
しかし、アツキの目の前に広がる光景はあまりにも不自然過ぎた。
不自然──というよりは異質というべきか。
おそらく九月の上旬。
青桜学園と呼ばれる高校の一年四組で。
新しいクラスメイトが、転校生であるアツキを興味津々に──きらきらと目を輝かせて見ている。そこまではいい。何も問題などありはしない。
問題は──
「…………」
この一年四組のクラスメイトが、全て『女子』ということだ。
しかも、それはこのクラスに限ったことではない。この学園に限ったことでもない。
この世界全体の話だ。
要するに。
この世界に生きる阿月以外の人間は、全て『女性』しかいないのだ。
女性しかいない世界。
それ故に、転校生でもあり、『男子』であるアツキは興味の対象として見られているわけであったのだった。
そして、今はアツキの自己紹介の時間。
数秒前に既に、このクラスの担任の先生である二階堂には自己紹介をしてください──と言われているのだが……
──えーっと……
アツキの一挙一動に過剰に反応しているクラスメイトが、醸し出す得も知れない圧迫した空気に、アツキは一言も喋れずにいた。
冷や汗が背筋を伝って流れ、握り締めた拳は手汗を掻く。
過剰表現ではなく、クラスメイトほぼ全員の視線がアツキに照射されている。
じろじろと無遠慮に、視線がアツキの身体を這い寄るのを、アツキは身を竦ませながら耐え凌ぐ。
本心を言えば、今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。でも、そんなことをすればこの学園では──いや、この世界で生きていくことはできない。
アツキはこの世界の常識から知識から──何もかも知らないのだから。
だからこそ、この自己紹介くらいはしっかりとして、クラスに溶け込まないといけないのだ。
「────」
意を決して、前を見つめる。
口を小さく開く。
軽く空気を肺に取り込みながら、アツキはこうなってしまった経緯を脳内に思い描いた。
なんでこんなところにいるんだっけ──?
柔らかい風が頬を撫でた。
アツキの聴覚に、さらさらとした──おそらくカーテンが揺れる──音が触れる。
暖かい日差しが、夢と現実にあるアツキの意識を両者の間で彷徨わせて、浮遊した意識のまま、アツキは微かに瞼を開いた。
白い天井。数多の調度品。
それらが、アツキの視界に映る。ぼんやりとした意識の中、アツキは瞼を閉じようとして──
違和感を覚えた。
はっきりしない意識で、もう一度、今視界に映ったものを思い返す。
──おかしい。
白い天井はいい。だが、問題は数多の調度品だ。アツキは高校に通うのに、狭い学生寮で一人暮らしをしながら通っていたため、それほど多くの調度品はそもそも部屋に入らないし、持っていない。
浮遊した意識が仮想の重力に引きずられるようにして、明瞭になってくる。
瞼を大きく開いて、
「……ここはどこだ?」
思わず呟いた。
身体を起こして、アツキがいる部屋を見回す。
アツキが寝ていたソファに、木で精巧につくられた様々な調度品。大きい長机にはたくさんの紙束や大量の古そうな本が置かれ、山積みになっている。
この部屋にあるもの──いや、この部屋そのものが、アツキには全く見覚えがないものだった。
調度品も、部屋の形も、部屋に取り付けられた窓から覗く光景さえも知らない。
「…………痛っ」
頭を動かすと、ずきりと鈍痛がはしった。頭を触ってみても外傷はないようだった。だが、痛みだけが頭に残って気持ち悪い。
「ここはどこだ……?」
手がかりを探すように、再度部屋を見回しながら、アツキは呟いた。
何もかも見覚えがない。
自分でも知らない間に、こんなところに来ていたのだろうか──と、記憶の糸を手繰り寄せながら、アツキは自分の脳内を探った。
次々と情報が浮かび上がる。
名前──一霧阿月。性別──男。年齢──十六歳。自分が住んでいた街──神宮市。通っていた高校の名前……
そして──
──炎……
それが、記憶を掘り返したアツキの脳内に出てくる最後のイメージ。
炎。火事。人々の叫び。『生』への諦観。『死』に迫る感覚。
大切な人を助けるために、アツキ自身が炎に向かって走っていく光景。
だが──それ以上は思い出せない。
それ以上記憶を探ろうとすると、まるで邪魔するかのように鈍痛が頭にはしるのだ。思い返すことができるのは、アツキ──すなわち、一霧阿月の個人情報とちょっとした経歴だろうか。
たったそれだけしか思い出せない。
「…………」
自分の存在が希薄に思えたアツキは、無意識の内に右腕を身体に回して、ギュッと包み込んだ。
こうなってしまった原因として、真っ先に脳裏に浮かぶのは記憶喪失だろうか。
それなら、アツキがこうして知らないソファの上で寝て、知らない場所にいる理由も全て説明ができる。
が、どうもそんな気はしない。何かもっと別の理由が……
──と。
「あら、ようやく起きましたのね?」
嬉しそうな声が、アツキの聴覚に触れた。
アツキが声がした方向に振り返ると、そこには一人の少女が偉そうに腕を組み、アツキを見下ろしながら立っていた。
歳は、アツキとそれ程変わらないだろう。神が創ったような造形の相貌に、一点の曇りもない金髪がアツキの網膜に刻み込まれる。年相応の容貌──が、そこに映る瞳の輝きはアツキよりも遥かに大人びたものに感じられた。
少女はアツキの表情を伺うように数秒間見つめた後、どこか悲しげな表情を浮かべた。──が、それも一瞬のことで、すぐさま消し去ると言う。
「しばらく目を覚まさなかったから、てっきり死んだのかと思いましたわ。もっとも、その身体があるのだから、そんなことが起こるはずもないのは一目瞭然ですけど」
言いながら、その少女はどこから二つのカップを取り出すと、近くの机の上に置いてあったティーポットから、紅茶を優雅な仕草で注いだ。そのままアツキの目の前の机に一つ置くと、自分は反対側のソファにちょこんと座って、もう一方のカップに口をつける。
「身体は大丈夫かしら?」
「はぁ……一応……」
反射的に返す。
そして、その少女の視線に促されるままに、アツキもカップに口をつけて喉の奥に流し込んだ。随分食事を取っていなかったのか、キュッと胃が縮む。
アツキは紅茶をゆっくり飲み干すとカップを机の上に置いて口火を切った。
「それで……えっとー、君はいったい誰なんだ?」
「私? 私はこの楽園世界最高峰の学園──青桜学園の学園長を務める不時唯奈ですわ」
「しとき、さん?」
「そうよ。さん、づけは正直好かないから、付けないでくれるかしら。もしくは、唯奈、でも良いわ」
「……不時でお願いします」
流石に、初対面の少女を名前で呼ぶ勇気は持ち合わせていない。
それにしても、目の前の不時唯奈と名乗る少女はアツキとそれ程歳が変わらないように見えるのに、学園長を務めているとは余程優秀なのだろうか。
アツキの返答に、唯奈は微かに残念そうな表情を浮かべた後、アツキの方へ案じるような視線を向ける。
「……それで記憶などに不都合はないかしら? 一霧阿月君」
「えっ──?」
思わず、息を呑み込む。
背筋に寒気がはしる。
何故そんなことを訊ねるのか気になるが、それよりも──
「……どうして、俺の名前を知っているんだ?」
そう──それだ。
この少女との会話では、一度も自分の名前を口にした覚えはない。
それなのにどうして──
が、何でもないように、唯奈はアツキの疑問に答えた。
「寝言で口走っていたからですわ。後、火事が何とかって、とも言っていましたわね」
「……そうなのか」
アツキは安堵したように声を漏らした。
別に名前を知られているからといって、特に何かあるわけではないが──正直、一方的に自分の情報を知られているのは気持ち悪い。
寝言で自分の名前を言う──そんなことは考えにくいが、初対面のこの少女が知っているということは、実際に口走ったのだろう。
それに、まだ気になることはある。
「この学園って、どういう意味だ? ここって学園なのか?」
「そうよ。阿月君が学園の前に倒れていたところを、私が保護してあげたのよ」
「……学園の前に倒れていた?」
唯奈がいきなり名前で呼んだことは取り敢えず置いておくとして。
訝しげな表情を浮かべて、アツキはその少女に確認するように言った。
アツキが最後に覚えているのは、火事に向かって、命を顧みることなく突っ込んで行ったということなのだ。大切な人を助けるという思いと『生』への諦観は、今もぼんやりと魂に刻まれている。
だから間違っても──アツキが学園の前に行ったはずもないのだ。
しかし、唯奈は小さく首を縦に振った。
「そう。阿月君は学園の前に倒れていた──それが、どうかしたのかしら?」
「……でも、そんなのおかしい……」
ずきり、と頭が痛む。
「──俺は確かに火事の中にいたんだ」
「火事?」
唯奈が可愛らしく小首を傾げる。
「ああ、俺が覚えている最後の記憶が火事の中なんだ」
「そうなの……でも、この世界で最後に火事が起こったのはおよそ三年前──火事が最近起こったことは一度もないわ」
唯奈は淡々とただ真実を告げるように言った。
「何か、勘違いしているのじゃないかしら? 阿月君」
「いや、でも勘違いなんか……確かに火事が──」
「だから、そういうことではなくて」
アツキの言葉を遮って、唯奈は告げる。
「火事が起こったことが勘違いとか、そういうレベルでの勘違いではなくて……阿月君がいた世界では火事が起こった。でも、今私たちがいる世界では火事は起こっていない──つまり、これは何を示すかわかるかしら?」
「……そんなことわかんねーよ」
「あら、意外と簡単よ。現実とは、あなたが思っている以上にシンプルなのだから。要するに、ね」
唯奈は言う。
「──ここはもうあなたがいた世界ではない、という意味よ」
おそらく、きょとんとしていただろう。
それくらい突拍子もなく、何の脈絡もなかったのだから。
この世界では三年前から火事が起こっていない。
でも、アツキは火事の現場に遭遇した。
なら、それは何を示すか。
アツキが火事に遭遇した世界──つまりは、アツキが幼少から十七年間過ごしてきた世界と今、唯奈とアツキがいた世界が違う、ということ。
まったく別物。
異世界。
つまり、アツキは──俗物的な言い方をすれば──異世界トリップをしたことになる。
「──そんな馬鹿な」
アツキは無意識の内にそう言っていた。
今、アツキがいる場所は異世界である。
確かに、そうであれば色々と納得もできる。火事のことも──唯奈が嘘を言っていなければだが──成り立ってしまうし、アツキ自身もあの時にそんなことを願っていた。──別の場所で生きたい、と。
もちろん、アツキにそれを否定することはできない。
でも──同時に、肯定もすることはできないのだ。
ここが異世界であるなど。
異世界トリップをしてしまったなど。
肯定できるはずもない。
「そんなこと信じられるわけないだろ。だいたい、何も証拠なんてあるわけないのに──」
「証拠ならありますわよ」
と、再びアツキの台詞を遮って唯奈はそう言った。
「この楽園世界で阿月君はイレギュラーな存在で、いるはずがない存在なのだから──阿月君の存在自体が証拠ですわね」
「……どういう意味だ。俺みたいな存在がこの世界にいるはずがないって……俺はそんな何か大仰な存在ではないし、正直俺が持っている肩書なんて男子高校生ぐらいだぜ」
「それこそが証拠ですわね」
唯奈は、ビッと人差し指を伸ばしてアツキを指す。
「……高校生ってところが?」
「違うわ。『男子』って、ところ。もっと言うなら、『男』もですわね。……この楽園世界には、女性しか存在しませんのよ」
「──なっ! 女性しかいない?」
驚愕の声を漏らして繰り返すアツキに、唯奈は首肯する。
「その通りよ。この世界には『女性』しかいない──阿月君のような……『男性』と呼ばれる種は三百年以上前に絶滅したと言われているの」
「へぇー」
アツキは感嘆の声を漏らした。
何故アツキが異世界から来たと、唯奈が断定できたのかと思っていたが──なるほど、この世界に『女性』しかいないのであれば、それは至極簡単で明快だろう。
「……でも、どうして絶滅なんてしたんだ?」
「それを説明するには、まずこの楽園世界の歴史から話さないといけませんわね」
アツキの疑問に。
そう言って、唯奈は既に冷めてしまったカップに口をつけた。
「……この楽園世界はおよそ千五百年前に神によって創られ、あなた達の世界からおよそ一万人ほどが楽園世界に移住したと言われていますの」
「神?」
「ええ……だけど、その神の名前も今となってはわからないわ。あなたの世界から、十万の人々が移住をしてきた理由も、古文書には載っていないのですわ」
唯奈がカップを置いて、アツキを見る。
「私たちは、最初にこの世界に降り立った人々を──つまりは、向こうの世界から来た人たちを『原初』と呼んでいるの……そして、ここまでは前置き。本番はここからですわ。……『男性』が絶滅した理由──それは、あまりにも男性が弱かったから、そう言われていますのよ」
「男性が弱かった?」
訝しげな表情を浮かべるアツキに、唯奈は首肯する。
「あなた達の世界では、男性の方が女性より強かったようだけど、この楽園世界ではそれは違うということよ」
言って、唯奈は不意に立ち上がると、右腕を肩の高さまで持ち上げて右に振った。
瞬間。
唯奈の右手を包み込むように、どこからか真紅の光の粒子が収束すると、炎となって爆散した。
いや──違う。
爆発はしているが、炎は周囲に飛び散っていない。右手に纏うようにその場に留まっている。
「この力は神力と呼ばれ、私たちの身体の中に眠っているのよ。そして、男性では使えなかったようですわ」
アツキが目の前で起こった現象に絶句して眺める横で。
右手に纏った炎を何でもないように、手を軽く振って消すと、唯奈はソファに座った。
確かにあんな力を女性が使えるのなら、女性に比べて男性は遥かに弱いだろう。
膂力なんかよりも遥かに強いのは一目瞭然だ。
だが──それだけでは、男性が絶滅する理由にはならない。
アツキは、おそるおそる──やや躊躇いながらも、そのことを口にした。
「男性より女性が強いのはわかったが……でも、それだけじゃ絶滅しないだろう? ほら……子供とか繁殖のことだってあるし……」
「それなら、他に理由があるのよ」
アツキの曖昧な態度を吹き飛ばすように、唯奈は凛とした声を発した。
「一つは、この楽園世界には倒しても倒しても現れる《外敵》がいるから。だから、弱い種は自然と淘汰された──とされていますわ。そして、二つ目の理由は、この楽園世界には『死』が存在しないから、ね」
「『死』が存在しない?」
「そう……ここで誤解されると困るのは、『死』は迎えるけど、正確な意味での『死』ではない──ということですわ」
「どういう意味なんだ?」
唯奈の説明がよくわからなかったアツキは、首を捻る。
それに、唯奈は丁寧に答えた。
「そうね……まず、あなたは『死』とはいったいどういうモノと思っているのかしら?」
「心臓が止まった状態のことだろう?」
「それはそうだけど……それは生物学的な話でしょう。私が言っているのはそうじゃなくて──『死』とは、魂が身体から抜けて消滅したときのことですわ。でも、この楽園世界にはそれがないの」
「……じゃあ、いったいどうなるんだ?」
「心臓が止まった瞬間、その場から死体は消え、楽園世界に幾つかある《教会》で、特定の日にちに、六歳の姿で復活するのですわ。──ただし、魂と死体は別の新しい人間のモノに成り替わり、生きるための最低限の知識は持った状態で」
「それって……普通の『死』と何が違うんだ?」
死体が消えて、魂と身体が他の新しい人間のモノに成り替わる。──結局、これではアツキの世界の『死』とそれほど変わらない。
死んでしまえばその人間が消えてしまう、という点では変わらないだから。
…………いや。
決定的に違うことがあった。
「──楽園世界の人数は変わらないのか」
死んだ人間が《教会》と呼ばれるところで──魂と身体は違うが──生き返る。
要するに六歳の状態で転生。
ということは、この世界の人数は常に一定数であるはずだ。
絶対的に変わることない。
アツキが導き出した答えに、唯奈は微笑んだ。
「そうですわね。転生を繰り返す内に、弱い種である『男性』は徐々にその数を減らして──千年前についにその姿を消したのよ……だいたい、この楽園世界に男性がいない理由はわかったかしら?」
「ああ、わかったけど……」
歯切れが悪いアツキに、唯奈は年相応に可愛らしく小首を傾げた。
「どうしたの?」
「結局、どうして俺がここにいるのか……異世界トリップをしたのか説明できないだろう? ──というか、わからなくなってきたし」
「それは……私にもわからないわ。正直、今でも戸惑っているし……あなたは、この学園の外に倒れていたのだから……でも、私にもわかることが一つだけあるわ」
「なんだ?」
「確実に、あなたは元の世界に戻ることはできないわね」
「──えっ?」
目を見開いて、思わず声を漏らす。
「……何でそんなことがわかるんだ?」
「向こう側の世界から、この楽園世界に来る人間──『原初』にはある共通点があるのよ──向こうの世界では『死』を迎えたという」
「なっ──!!」
確かに思い当たる節は幾つもある。
炎に囲まれて逃げ場のない状況で崩れ落ちる記憶。生への強い諦観のイメージ。死へ近づいてく感覚。──どれもが、アツキを死へと追いやったことを如実に示している。
「じゃあ、俺は……元の世界では死んだことになっているのか?」
「そういうことになりますわね」
「それなら、俺は……」
いったいどうやって生きていけば良いのだろうか。
元の世界に居場所はもうない。そして、当然のごとくこの世界にも居場所はない。
アツキが存在してもよい場所はもうどこにも──
「この学園に入りなさい」
アツキの心情を読み取ったかのように、唯奈は言った。
「この青桜学園に入って、この楽園世界のことを学びなさい。学んで、この楽園世界で生きなさい。きっとあなたなら出来るし、この楽園世界のことを好きになるわ」
「…………」
確かに──それしか方法はないのかもしれない。
向こうの世界で死んでしまったアツキは、この世界で生きるしかないのだし、異世界の学園にも興味はある。
それに、死んでしまっても生きている──ということは十分に喜ばしいことなのだろう。
「そうだな……わかったよ」
アツキの返答に、唯奈は笑って返した。
「それじゃあ決まりですわね。早速、転入の手続きをするわ」
そういう経緯があって──
今に至るわけだった。
が、
──すっかり忘れていた。
クラスの状況をすっかり失念していたアツキは、視界に映る女子だけの光景にこっそり嘆息した。
女性しかいない世界なのだから、クラスに女子しかいないことなど、少し考えればわかることなのだ。
アツキ自身が女性を嫌いなわけではない。断然、好きに決まっている。──が、それでも限度というものがあって、流石に女子だけのクラスというのは、主に精神的に参ってしまう。
予期されるこれからのことに、半ば諦めを感じながらもアツキは自己紹介をしようと口を開いて──
クラスの隅に座っている一人の女子の姿が視界に映った。
整った顔立ち。この女子だけの集団の中でも一際美貌を放っている。──が、アツキが注目した理由はそこだけではない。
その女子はこちらを向いていないのだ。
もちろん、アツキにそんな自負があるわけではないが──今、この場ではアツキという『男子』という存在は異常なほどの興味に成り得るのだ。
それなのに、その女子は興味がないように──実際、表情はよく見えないのでわからないが──窓の外を眺めている。
──と、そのとき。
その女子の視線が不意にこちらに向けられた。
二人の視線が交錯する。
思わず息を呑んで見惚れてしまうほど、その少女は美しかった。──いや、そんな陳腐な言葉では表現するには足りないだろう。男であれば誰しもが釘付けになってしまいそうな相貌に、小動物のような瞳。唯奈と比べても何の遜色もないほどの美少女だ。
──が、それも一瞬のことで、その少女はふいっと顔を逸らしてしまう。
「…………ツキ、一霧アツキ!」
「あっ、は、はい!」
突然、横から声をかけられたアツキはびっくりして大声を発した。その反応に、クラスのあちこちからクスクスという笑い声があがる。
どうやら今の声は、このクラスの担任の先生である二階堂が、ぼうーと一点を凝視したままのアツキを見かねて、発したものらしい。気が付くと、二階堂の顔が傍にあった。
そのまま、二階堂は、おそるおそるアツキの顔色を窺うように、アツキの顔を覗き込む。
「ん? どうしたんだ? 具合でも悪いのか? 保健室に行った方が良いのか?」
「いやいや、大丈夫ですから! 何ともないですから!」
顔を近づけながら、次々とまくし立てる二階堂に、アツキはやや上体を仰け反りながらも制止をかける。
「そうか……本当に大丈夫か?」
「はい、大丈夫です……」
アツキの必死の声に、二階堂は何故か残念そうな表情を浮かべると、アツキの傍から離れた。
「なら、自己紹介を早くしろ」
「はい……」
二階堂の声で、再びクラス中の視線がアツキに集中する。
それに、心なしか、さっきよりも注目度が上がっているような気がする。
最初からこれだ。果たして、本当に上手くやっていけるのだろうか──と、アツキは不安を募らせながら、これからの学園生活に思いを馳せて、自己紹介をするために再度口を開いた。
アツキの自己紹介の時間が終わり、女子の止まることのない集中的な質問攻めと、今度は必死にアピールする女子の自己紹介──を何とか切り抜けたアツキは、三時間ほど経ってようやく座ることができた。
それでも、二階堂先生が無理矢理打ち切って終わったのだ。
授業が始まった今でも、席に着いたアツキを遠目から眺めているものは多々いる。
そして、アツキの席はこのクラスの端から二番目──先程の窓の外を頑なに眺めていた少女の隣だった。
アツキが横に座った今でも、少女は窓の外を見続けてこちらを一度たりとも見ようとはしない。
「……あの、これからよろしくな」
一応、声をかけてみるが、これも黙殺。
微かに頭を下げたようにも見えたが、おそらく見間違いだろう。
諦めて、逆側の席を向いてみると、今度は対照的に、にっこりと笑顔を浮かべた──おそらく、二閃真癒と名乗っていた──少女が座っていた。
見るだけで元気になってしまいそうな可愛らしい顔に、ふんわりとした柔らかいオーラを纏っている。
「あの……よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
今度は無視されなかったことに、アツキは内心で安堵しながら返す。
すると、真癒はおずおずと口火をきった。
「あの……一霧君?」
「えっと、なに?」
「一霧君ってまだこの学園のこととか、この楽園の世界のこととか知りませんよね」
「ああ、そうだけど」
アツキが異世界から来た──ということは秘匿にはしていない。隠したところで、原初と男の関係性に自然と気づいてしまうからだ。それに、隠すメリットもそれほどあるわけではない。
アツキの声に、真癒は顔を綻ばした。
「そうですよね。な、なら、一霧君さえ良かったらですけど……私が校舎とか、この青桜学園のことを教えても良いですか?」
「ああ、俺にとっては有難いけど……迷惑じゃないか?」
「全然そんなことありません! それに、ほ、ほら、私委員長ですし」
真癒はパッと笑顔を輝かせた後、弁解するように言う。
しかし──この申し出は正直有難い。
この世界のことはもちろん――この学園のことすら、右も左もわからないアツキにとっては、真癒の申し出がとても魅力的に思えた。
「じゃあ、よろしく」
「はい! お願いしますね!」
実際にお願いするのはアツキなのだが──そう言って、真癒は満面の笑みを浮かべた。