猿
三日月が登り始める真夜中頃、留置所の地下牢でくつろいでいる”猿”は既に手錠を鍵を解いていた。
彼の身につけていた道具や隠しナイフはメラニアに根こそぎ奪われていたが、口の中に隠した針金だけは彼女も気が付かなかった。警備がいないうちに口から針金を地面に吐き出し、拾って手錠を解錠するまで1分もかからなかった。彼はひとまず手錠をそのまま身につけ大人しくし、隙に乗じて逃げ去る算段だった。彼とは別室に移された仲間達も同じく針金を隠し持っているので、助けに向かう必要もない。なんらかの合図を用意し、合流地点を彼らにだけ分かるやり方で伝え、逃げ去るつもりでいた。いつも通り華麗に逃げ出せるはずだった。隣の牢で誰かが事切れる小さな断末魔が聞こえるまでは。
まず隣の牢が開けられ、1人目が何も分からずに喉を切られ、漏れ出る隙間風のような小さな悲鳴が猿の耳に聞こえた。
間違いなく猿の仲間たちが収容されていた牢から聞こえた。
次は自分だ。彼の直感はそのように訴えかけた。
猿は迷う暇なく手錠を投げ捨て鉄格子から腕を伸ばし、牢の鍵に針金を差し込み急いで解錠しようと試みた。
大声を出そうとして警備の注意を引こうとしたが、その暇すら許されず、口元を抑えられ腹を抉られたような2人目の声、続いてやっと状況を理解し、掠れ声で許しを乞うもその甲斐虚しく丁寧に胸を刺し貫かれたような3人目の声。
彼の仲間が全員始末されたと同時に、解錠に成功した。彼は隣室の暗殺者に脱走がばれることなどお構いなしに乱雑に扉を開け、出口に全速力で走り出した。
正面にロザンが見えたが、勢いを緩めることなく走る。
止まれ、と大声で叫ぶのが聞こえたが、無視して振り向くと、廊下に点々と灯る蝋燭の火が、幽霊を照らし出すように暗殺者の姿を朧げに映し出していた。黒ずくめの衣装のせいで輪郭が定かではないが、猛禽類の嘴のような形をした独特な帽子を目深に被っていた。
「後ろの奴に言え!」
そう叫びながら加速し、ロザンに突進する。ロザンは剣を抜き、上段に構えた。狭い廊下に置いて効果的なこの構えを前にしても、猿は足を緩めない。彼の間合いに入る寸前、猿はいざという時の為に口に戻しておいた針金を勢いよく吹き出す。か細い蝋燭しか灯りがない留置所の廊下において、この薄い一線にロザンが気づくはずもなかった。針金は彼の右目に刺さり、猿の卑劣な目潰しをくらった彼は闇雲に剣を振り下ろす。タイミングのずれた斬撃は猿の頬をかすめたが、悲鳴を上げさせるまでには至らなかった。猿はそのまま横を素通りし、目の前にある階段へ向かった。
幸いにも真夜中だったからか、地下の見張はロザン1人だけだったようだ。階段を登った先にも警備が2人背中を向けていたので、猿は警備の片方から胸元の短剣をぶん取り、腰にぶら下げた長剣に手をかけられる前に柄で殴り飛ばした後にもう片方の頭を空いた手で掴み、壁に叩きつけることで事なきを得た。
入り口以外に外へ出る道を探している最中、階段の向こうからロザンの呻き声が聞こえ、それに続くように警鐘の音が響き始めた。猿はすぐさま窓から外に飛び出し、夜の闇に紛れた。
シャムランとメラニアがその報せを聞いたのは朝起きてすぐだった。シャムランの足がなぜかメラニアの首に絡まっていたせいで最悪の目覚めに辟易していたが、そんな気分も猿の脱走を聞いてすぐに消え去った。2人が居間に行くとリゲントがその報せを話した。
「昨日の夜中、留置所の地下に何者かが侵入し、盗賊3人を殺害して残った1人は逃走したようだ。その際ロザンが盗賊に右目をやられ、侵入者に気絶させられたようだ」
話を聞かされたシャムランはへぇ〜と井戸端会議を聞くような態度だったが、メラニアは困惑して手を顎に当てて考え込んでいた。
「現在、脱走した盗賊と暗殺者の行方は不明らしい。昨日駆り出されて巡回も増やしたが、両方とも見つからなかったらしい。」
「なぜたかが盗賊を始末しようとしたのですか?なんらかの口封じとか・・・」
「それもまだ分からん。ロザンによれば、暗殺者は鍔の尖った帽子を被っていたらしいが、それしか情報がない。過去にもそんな風変わりな様の盗賊を狙う暗殺者なんてそうそういないからな、足を掴むのに苦労しているらしい。私は今日このことについて会議があるから見送るのは無理だ、許してくれ」
「いえ、それよりも気をつけてください、父様」
「ありがとな、メラニア」
そう言ってリゲントは屋敷を後にした。彼が去った後、2人はすぐに先日のことが頭によぎった。猛禽類のような帽子、4人組を探している、証拠としてはいささか弱いが、あの通行人のことを思い出さずにはいられなかった。2人は目を合わせ、どうやらお互い同じことを考えているらしいと察し合った。
「・・・あの人だよね?」
「・・・あの人ですね」
「・・・どうする?」
「どうするって・・・もうこれは私たちには関係のない話ですよ」
「いやでもさ、アタシたち2人とも知っちゃってるんだよ?」
「だからって私たちの手に負える話ではありませんよ、盗賊と暗殺者ですよ?あの時なんとかなったのは本当にたまたまなんですから」
「いやでもさー・・・」
と言いつつ、シャムランの狙いはお尋ね者探しなどではなかった。海に行くという本来の目的を達するべく、なんとか理屈をこねて海に誘導できないかと考えていた。キンブルグから海までの距離はオイストゥイーからキンブルグまでの距離とあまり変わらないのですぐに行ける。しかし先日の盗賊の件もあるからきっとメラニアは治安を考慮して、もう帰ろうとするだろう。とりあえず彼女は先日考えた行き当たりばったりの案を試してみることにした。
「ま、いいや!とりあえず頼まれた物を買いに行こ!この間行った商店街ってきっと魔術系のお店とかあるでしょ?」
「あると思います。帰りの分のご飯も買っておきましょう」
「いいね!アタシ昨日見つけたパン屋さん寄ってみたいな」
シャムランは昨夜から警備を務めていた人達にぺこりと頭を下げ挨拶をし、メラニアの屋敷を後にした。




