真実なんていくらでも作れるとあなたはおっしゃったけど、その通りですね
「まさか婚約している身で堂々と浮気とはな……お前との婚約を破棄する!」
夜会にて、私は婚約者である伯爵令息イリシオン・ブレイグ様からこう宣言された。
理由は私の目の前に投げ捨てられた新聞記事だ。
王都で流布されている新聞の一つ『ノジール紙』の記事。そこにはこう書かれていた。
『ポリーネ嬢、婚約者がありながら浮気! ホテルからハンサムとご登場!』
イリシオン様は私を冷たく睨みつける。
「信じたくなかったから、一応俺としてもノジール紙の記者に聞いてみたが、間違いないと言われた。お前がホテルから男と出てきた。これは真実なんだな?」
私は認めるしかない。
「は、はい……。ですが、これは……!」
「全くとんだ恥をかかせてくれた。おかげで俺は“婚約者に浮気されるほど魅力のない男”にされてしまった」
「違うんです! この件は……!」
「もういい! 言い訳は聞きたくない! ……だが、安心しろ。本来なら莫大な慰謝料を要求するところだが、俺にそのつもりはない。なぜなら――」
イリシオン様が左手を横に伸ばすと、そこに一人の令嬢が姿を現した。
桃色のドレスを着て、長いチョコレート色の髪をかき上げつつ、イリシオン様にべったりとくっつく。
「子爵家令嬢のレリカ・ファネシュ。彼女が俺を慰めてくれてね。おかげで俺の心は癒された。だから、お前のことはもういい」
レリカはこう言う。
「だって、浮気されてしまったイリシオン様があまりに不憫だったから……」
「嬉しいよ、レリカ」
二人はまるで長年恋人だったかのような濃密な振る舞いをする。
「というわけだ。お前との仲は今日までだ」
まるで汚物でも見るかのような目だった。
もはやなんの抗弁も意味はないと分かり、私はうなずく。
「……はい」
イリシオン様は顎に手を当て――
「ああ、そうそう。お前は“音魔法”の使い手だったな?」
「ええ、そうですけど……」
「最後に、俺たちのこれからの幸せを祝福するつもりで、祝いの曲でも流してくれないか?」
私の力を使えばそれも可能だろう。だけど、とてもそんな気分にはなれず、私はうつむく。
すると、イリシオン様が私に近づいてきた。オールバックの髪に塗られたオイルの匂いが鼻につく。
そして――
「いいことを教えてやろう。真実なんてもんはいくらでも作れるんだよ」
ぼそりとこう言われた。
この時の私には意味が分からず、ただ逃げるようにその場から立ち去るしかなかった。
***
大スキャンダルを起こした私は、当然家族から非難される。
「せっかくいい縁談に恵まれたと思ったのに浮気とは、何を考えている……! 王城でも広まってしまってるぞ!」
「あなたはオーソン家の恥さらしよ! 魔法まで習わせてあげたのに!」
父も母も私をひどく罵った。
悲しかったけど、無理もない。なにしろ私は世間的には「浮気をして婚約破棄された女」なのだから。擁護できる点がどこにもない。
なぜこんなことになってしまったのか――
あの日、私は王都内の通りを歩いていた。
イリシオン様との交際も順調で、気分は浮かれていた。
すると、前から苦しそうに胸を押さえる若い男性が歩いてきた。よろよろと、私に向かってくる。
私は心配して駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
「馬車を呼び止めて、どこか診療所に……」
「いえ、あの建物に入って頂ければ大丈夫です」
男性が指差した方向には、建物があった。
何の建物かは分からなかったけど、私は言う通りにする。
建物に入ると、男の人は「ありがとうございました。おかげで治りました」となぜかすぐに回復して、私を連れて外に出る。
そこに、あの男がいたの。
「おやおや……貴族のお嬢様がこんなところで平民と浮気とは」
「……え?」
猫背で、やけに鼻の長い男だった。
「子爵家のご令嬢がこんなところに入り浸っているとはねえ……」
「こんなところ?」
入り口を見ると、看板が立てかけてあった。さっきまではなかったはずなのに……。
看板にはこう書かれていた。
いかにも煽情的な文字で『愛の理想郷』と――
これだけで、ここがどういう建物なのか、私にも分かる。
「違うわ! 私はこの人を助けようと……!」
私の横にいる男の人が笑う。
「ええ、本当に助けられました。この方とのひと時は楽しかった……」
「何を言ってるの!? 私は……!」
鼻の長い男は、手を叩き、下卑た笑みを浮かべる。
「決まりだ! 大スクープだ! こりゃあいい記事が書ける!」
私は自分がどういう状況に置かれているかも分からず、パニックになってしまう。
気づくと、私が介抱した男も、鼻の長い男も、どこかに消えていた。
程なくして、私が浮気をしたという記事が王都で広まり――私は婚約破棄されてしまう。鼻の長い男は記者だったんだ。
頭の冷えた今なら分かる。これらは仕組まれたものだと。
だけど、なんのためにこんなことをしたのかがさっぱり分からない。
介抱した男の人が、私に個人的な恨みがあったのだろうか。
それとも鼻の長い男が、新聞の売上を伸ばすために仕組んだのだろうか。
前者は心当たりがないし、後者は私の記事にそこまでの価値があるのだろうかと思ってしまう。推測しようがなかった。
ただひとつ確実なことは、貴族令嬢としての私の人生は終わった、ということだった。
***
私の次の住居は王都郊外にある一軒家だった。
ほとぼりが冷めるまでという名目で、私は家を追い出されてしまった。
周囲はよく言えば自然豊か、悪く言えば木や草しかない荒れ地。
使用人はつけられず、一人暮らし。だけど、生活に必要なものは一通り揃っており、せめてもの温情が窺える。
幸いなことに、私は自分のことは自分でするタイプだったから、炊事洗濯なんかは苦にならなかった。
それにこんな環境だと、私の音魔法は役に立った。
そう、“魔法”――
簡単に説明すると、魔法を会得すれば体内に宿る魔力というエネルギーを駆使し、さまざまな術を繰り出すことができる。
自由度は高く、努力次第では独自の術を生み出すことも可能。
そして、貴族は魔法を習うことができる。だけど習得は大変だし、習う人は意外と多くない。そんなものを習う暇が合ったら、少しでも勉学や武芸に励む方が有意義だと考える人が多いからだ。何年もかけて魔法で物をスパスパと斬れるようになるくらいなら、その間剣で素振りでもしていた方がいいといえば分かりやすいかも。実際、魔法を身につけた貴族は大成することが少ないというジンクスもある。
私も昔から好きだった音楽を魔法に取り入れようと頑張っているのだけど、結局できることは音を鳴らしたり、知っている曲を流したり、音に関する魔道具を作れたり――その程度のもの。
貴族からすれば、音楽を流したければ楽団でも雇えばいいという話だ。
はっきりいって大道芸の域を出ず、私の音魔法も社交の世界で役に立ったことは殆どなかった。
だけど、今の環境だと――
「野犬が来てる……大きな音で追い払おう」
爆発のような音を立てると、犬は悲鳴を上げて逃げていく。
他にも――
「さあ、鳥たちおいで」
私は指先から、鳥の鳴き声のような音を鳴らす。
すると、鳥たちが近くに寄ってくる。
私のことを気に入ってくれたようで、小さな物を運ぶなど、ちょっとしたお手伝いも頼めるようになった。
こんな具合に結構役に立ってくれた。
それに、私が作った魔道具にこんなものがある。
紫色の石で、これに魔力を込めると、そこから虫の音が流れてくる。
これは“吸音石”といって、近くの音を吸って、石の中に記憶する。それを好きなタイミングで流せるというもの。私は近くの草むらにこの石をしばらく放置して、虫の音を吸わせたのだ。
石から流れてくる虫のオーケストラはとても綺麗で、私はうっとりした。
貴族社会からは転落したけど、とりあえず生活は何とかなっている。
だけど、やはり寂しい。どうにか返り咲きたい。そんな未練が残っているのも事実だった。
***
私が郊外での一軒家暮らしを始めてから、半年ほど経ったある日。
昼下がり、ノックの音がした。
私は橙色のセミロングの髪をたなびかせ、エプロンドレス姿でドアに向かう。
「はーい」
出ると、そこには私と同い年ぐらいの青年がいた。
金髪でワインレッドの瞳、ハンチング帽を被って、白いシャツに赤いベストをつけている。人懐っこそうな笑顔を浮かべている。
「こんにちはー!」
「どなた?」
「僕、『ブラーシュ紙』の記者、ベルって言います!」
「ベル……さん」
『ブラーシュ紙』といえば、確か貴族が経営してるという王国一の新聞社。
新聞記者にいい思い出がない私は早くも嫌な予感がする。
それは早くも的中する。
「ポリーネさんを取材させてもらえないかな、と思いまして」
「取材?」
「ええ、浮気して婚約破棄された令嬢が、何を思い、今どんな生活をしているのかをね」
トラウマを抉られ、私は顔をしかめた。
「帰って下さい」
「お時間は取らせませんってぇ」
「お引き取り下さい!」
私は強めに言った。
すると――
「せっかくここまで来たのに……せめてお茶ぐらい出してくれても……」
しおらしい顔つきになり、うつむく。
こんな顔をされると私も弱い。ついドアを開いてしまう。
「ちょっとだけですよ」
「どうも~!」
上手く乗せられた気もするけど、私はベルを中に入れてしまった。
一応、万が一襲われたら、鼓膜を破る勢いの音を出してやると覚悟を決めて。
ハーブティーを出し、テーブルで向かい合って、取材を受けることに。
ベルは一口飲むと、大きく目を見開く。
「おおっ、こりゃ美味い!」
「そうですか?」
「ええ、ここまでのお茶を出せる人はそう多くありませんよ」
「ありがとうございます」
「ところで、このハーブはどこで?」
「自宅で栽培したものでして、今はこれを売って生計を立てています」
「へえ、それはすごい! どうやって育てたんです?」
「植物にいいという音楽を聞かせて……」
なんだか話がどんどん脱線していく。私はたまらず指摘する。
「あの、ベルさん……取材は?」
「ん! ああ、すみませんね。じゃあ取材させて頂きます」
ベルは思い出したように手帳とペンを取り出す。他人事ながらこの人大丈夫なのかな、と心配になった。
「まずは、あなたの婚約者だった貴族のイリシオン・ブレイグについてなのですが、どんな人でした?」
「とてもいい方でしたよ」
「いい方?」
「ええ、家格が下の私にも優しく接してくれて……あの人とは幸せになれると思いました。だけど、あの事件でダメになってしまいました」
「なるほど、なるほど……」
こんな調子で取材は進んでいく。
いよいよ核心を突く部分に入っていく。
「あなたは若い男と、恋人同士が行くようなホテルから出てくるところを、記者に見られてしまったんですよね?」
「ええ……」
「その時のことを詳しくお聞かせ願えませんか?」
「……」
久しぶりにあの時のことを思い出そうとする。
忘れようとしていたけど、今でも昨日のことのように思い出せる。なにしろ私の人生が一変した日なのだから。
すると、目から――
「あ、ごめんなさい……」
一筋の涙がこぼれた。
あの事件で胸に生まれた戸惑い、驚き、悔しさ、絶望がまとめて心に溢れ、私の涙腺を刺激してしまった。
こんなところを記者に見られたら格好のネタだわ、と私はこらえようとする。
だけど、ベルはハンカチを差し出してきた。
その所作はあまりにも素早く、優しく、優雅だった。ちょっと呆気に取られてしまう。
「泣いてもいいんですよ。あなたはそれだけの目にあったのだから。どうか我慢なされぬよう」
「は、はい……」
ベルのハンカチは絹でできており、とても柔らかで、私は気持ちよく涙を流すことができた。
ようやく落ち着くことができたので、私は改めてベルに向き直る。しかし、ベルは手帳を閉じる。
「今日はこのあたりにしておきましょうか」
「え、でも……」
「さっきのことは話したくなったら話して下さい」
「は、はい……」
「また来ますよ」
ベルが椅子から立ち上がる。
「お待ちしています」
自然と言葉が出ていた。
不思議なことに、「また来る」という言葉に「また来てくれるんだ」と感じている自分がいた。
ベルに対して、最初感じた“軽薄な男”という印象はすっかり消え去っていた。
***
それから、新聞記者ベルは頻繁に私の家に来てくれるようになった。
「“音魔法”というものを研究してらっしゃるんですか」
「ええ、音については色々できるんです。音を出したり、音楽を流したり……」
「実際にやってもらってもいいですか?」
「もちろんです」
まず、手から鳥の鳴き声を出す。
これで今では本格的に鳥とコミュニケーションできるようになった。
「本物の鳥の鳴き声と遜色ありませんね……」
「今度は曲を流しますね」
掌から流行りの曲を流す。
「こんなことができても、何の役にも立ちませんけどね」
「卑下することはありません。とても素晴らしい能力ですよ!」
「ありがとうございます」
せっかくなので、“吸音石”も披露してみたい。
「これ……私が作った魔道具です」
「綺麗ですが、ただの石に見えますね」
「音を吸って、それを好きな時に流せる石です。これには私が吸わせた虫のオーケストラが入っています。聴いてもらえますか?」
「ええ」
さっそく虫の音を聴かせる。
ベルは目を閉じて耳をすませる。
私にとっては自然が奏でる美しいオーケストラなのだけど、ベルには退屈かもしれないと不安になる。
ところが――
「素晴らしい音色だ……」
ベルは指でリズムを取る。
「このリズム、どこかで……そうだ、メレーニの組曲を彷彿とさせる……。自然の虫の音が、そのような音楽を生み出すとは、なんという奇跡……」
この人、音楽にも相当造詣が深い。
一見ただの若い新聞記者だけど、その仮面をめくると、恐ろしく深遠なものが隠されているような気がした。
「ありがとうございます! 夢中になって聴いちゃいましたよ!」
無邪気に笑うベルを見て、私は彼がますます分からなくなった。
***
私が家でバイオリンを弾いていると、ベルがやってきた。
「おや、バイオリンを弾いていたんですか」
「ええ、自分でも楽器に触れた方が、音魔法の精度もよくなるので」
「なるほど、僕にも弾かせてもらっていいですか?」
「どうぞ」
新聞記者の人にバイオリンを扱えるかな、と思ったけど、すぐにそれが杞憂だったと分かる。
「すごい……!」
ベルの演奏は完璧といってよかった。
幼い頃から本格的にバイオリンを習っていたかのような繊細さと緻密さだ。
「ありがとうございます」
ハンチング帽を取り、にっこり笑うベルからは、やはり深い教養を感じ取ることができた。
***
昼すぎの時間帯、ベルが遊びに来ていた。
いつものようにハーブティーを振る舞い、雑談をし、カードゲームに興じる。
とても気持ちのいい午後で、まさしくいい機会だと思った。
「ベルさん」
「ん?」
「取材をして下さい」
「取材? なんのこと?」
「なんのことって、あなたは新聞記者でしょ」
「ああ、そうでしたね。アハハ……」
この人、自分の目的を忘れてたのだろうか。私も釣られて笑ってしまうが、真顔に戻す。
「婚約破棄の真実について、全てお話しします」
「聞かせて下さい」
私は全てを話した。
以前はふと一場面が頭をよぎるだけで嗚咽がしたけど、この時は平気だった。きっとベルとの日々が私の心を癒してくれたのだろう。おかげでより正確に状況を思い出すことができた。
「……なるほど」
「信じて……くれますか?」
今まで私の話をきちんと聞いてくれる人はいなかった。婚約者も、肉親も、世間も、ポリーネは浮気がバレたから言い逃れしようとしている、と決めつけた。
だけど、ベルは力強くこう言った。
「信じますよ」
「ありがとう……!」
救われた。
報われた。
私は今この時のために生きてきたんだ。そんな気持ちになれた。
だけどこんな私とは裏腹に、ベルは眉間にしわを寄せている。
「ダメだな……冷静でいられない」
「ベルさん?」
「僕は怒っている」
思いもよらない言葉を紡ぐ。
「だ、誰に?」
「誰にだろうね……。強いて言うなら、あなたをこんな状況に追い詰めた全てに対して、だろうか」
「ベルさん……」
ベルが私に向き直る。目つきも、鼻筋も、唇も、真剣な表情だ。
「ここからは記者としてではなく、一人の男として話をしたい。よろしいだろうか」
「は、はい」
ベルの口調――いや、雰囲気が変わった。でも、私はそれを受け入れる。
私も彼がただの新聞記者じゃないことは分かってる。だからさほど意外には感じなかった。
「話を戻そう。まずは、誰がなんのために君を嵌めたか、だ」
「それは私も考えました。だけど、誰が黒幕か分からないんですよね……」
ベルはやや言いにくそうに言った。
「おそらく、君の婚約者だったイリシオンだろう」
「ええっ!?」
なぜイリシオン様が――
「実は今、君の浮気記事を書いた『ノジール紙』が、貴族のスキャンダルを次々記事にしている。浮気や不倫をした、賄賂を受け取った、市民に暴言を吐いた……さまざまだ。いずれも証拠や証人があり、やられた側はバッシングを避けられない状態だ。一度こういう事態になると、どんなに抗弁しても汚名は残ってしまう」
「そんなことが……」
郊外に住んでいる私には知りようもない。
「その裏で、ある貴族が力を付け始めている。イリシオンとレリカだ。このところ社交界で急速にその存在感を増しているんだ」
ベルは続ける。
「おそらくあの二人は『ノジール紙』と組んで、貴族のスキャンダルを次々作り出している。君がやられたように、事実無根のものが殆どだろう」
「なぜそんなことを……」
「社交界でのし上がるためだろうね。のし上がるには、自分が努力して上に上がるより、上から引きずり下ろした方が手っ取り早い。『ノジール紙』としても売上を伸ばすことができる。彼らの利害が一致して手を組んだんだ」
「そんな……」
「そして、残酷なことだが、イリシオンは自分のそのやり方が上手くいくか、まず君で試したんだろう」
「え……?」
突然、私が出てきた。
「ようするに、君との婚約そのものが、最初から破棄するためのものだった」
――確かに、そう考えればしっくりくる。
新聞社と組んで社交界でのし上がりたいと考えたイリシオン様はまずリハーサルをしようと思ったんだ。
私と婚約し、しばらく交際した後、スキャンダルをでっち上げ、転落させる。
リハーサルが上手くいったので、イリシオン様は本当に愛していたレリカを傍に置き、本格的な活動を開始した。
『いいことを教えてやろう。真実なんてもんはいくらでも作れるんだよ』
あれはそういうことだったんだ……。
イリシオン様たちが作った真実で、私は浮気女の汚名を着せられた。
もはや貴族社会から転落するだけの私に、これからも自分は真実を作り続けてのし上がる、と崖から蹴り落とすようにささやいた。
私はため息をつく。
「バカですね、私……。そんな裏があるとは知らず、婚約で舞い上がって、まんまと罠にかかって、今の今まで彼が黒幕とも気づかなかったんですから……。本当に……どうしようもない女ですね……」
私が目を細めると――
「そんなことはない」
「ベルさん」
「君は素晴らしい女性だ。どうしようもないのは、君を嵌めた連中だ。僕が断言する」
「……はい!」
全ての真相を知って私の心は締めつけられるように痛んだけど、ベルの言葉がそれを優しく包み込んでくれた。おかげで痛みが和らいでいく。
ベルが私の目をじっと見る。
「提案がある。イリシオンにやり返してみないか」
「……!」
私は息を呑んだ。
「これは『ノジール紙』に掲載されていたんだが、今度あの二人は大々的に婚約発表をする。数々の貴族にダメージを与えた今、結婚して注目を集め、さらに影響力を拡大するつもりだろう」
私を嵌めた男が、別の女性と婚約し、幸せになろうとしている。それもただの幸せじゃない。大勢を不幸に追い落とした上での幸せだ。結婚後はますます勢いづくだろう。
私もこれを見過ごせるほどお人好しではない。
「だけどどうやって……」
「君の力があればなんとかなる」
「私の……?」
ベルはゆっくりとうなずいた。
***
数日後、私は王都中心部に来ていた。
ある建物を見据える。
扉は固く閉ざされているが、換気口などは存在する。
目的ははっきりしている。やることもはっきりしている。
私は自身の音魔法で手なずけた鳥を数羽、ここに連れてきていた。
音で、手なずけた鳥に言う。
『これをあの中にそっと置いてきて』
鳥たちは私の命令を忠実に守ってくれた。ありがとうね。
これで準備は整った。
あとはイリシオン様の婚約発表の会を待つばかりだ。
***
婚約発表の場は王都の大きなホールで行われる。
私は青いイブニングドレス姿で紛れ込む。
若い有力貴族に注目する大勢の貴族や記者が来ており、噂話が聞こえる。
「いよいよあのお二人が婚約か」
「近頃、急速に力を付けてきてるからな。今や上流貴族も飲み込む勢いだ」
「あの二人が結婚したら、社交界が大きく変わるぞ……」
ええ、今日で大きく社交界は変わる。それは間違いない。
私はそう思いつつ、ドレスのポケットに忍ばせた物を指で撫でた。
まもなく、司会者が会場中に呼びかける。
「それでは皆様、今日の主役のご登場です!」
歓声が上がる。
ホールの壇上にイリシオン様とレリカが現れた。
久しぶりにイリシオン様の顔を見た。
不思議と、怒りや憎しみ、悲しみといった感情は湧かなかった。
今私にあるのは、自分がやるべきことをきちんとやるのみ、という使命感だけだった。
イリシオン様がレリカの手を取り、堂々と叫ぶ。
「わたくしイリシオン・ブレイグとレリカ・ファネシュは、今ここに婚約したことを宣言いたします!」
今まさに二人は幸せの絶頂のはず。ここだ。ここしかない。
私は音魔法を操り、曲をかけた。
この王国に住む者なら誰もが知ってる祝福の音楽だ。
イリシオン様が戸惑いを見せる。
「なんだこれは……!? こんなの予定にないぞ!」
私はゆっくりと壇上にいる二人に近づいた。
「お久しぶりです」
カーテシーも披露する。
イリシオン様とレリカの顔が引きつる。
「お前は……ポリーネ! 何しに来た!」
「そうよ! あなたは家から追放されたって聞いたわ!」
私はにっこりと笑む。
「もちろん、祝福に来たんですよ。このように祝いの曲までかけてね」
「……!」
私は曲を止める。
イリシオン様は顎を上げ、私を見下す。
「お前はかつて俺を裏切った。そんな身分でよくここに来れたな。どれだけ面の皮が厚いんだ」
「たっぷり泣いたので、おかげで皮がぶ厚くなったみたいです」
私の返しにイリシオン様は舌打ちする。
「それより聞いて欲しいものがありまして」
「なんだ? また何かの曲か?」
「いいえ……曲ではありません。“声”です」
「声?」
私は忍ばせていた“吸音石”を取り出し、魔力を込めた。
私の魔力に呼応し、石はその効力を発揮する。
『次は誰にする?』
『そうねえ……ジーベル家のスキアーニなんてどう?』
『そうだな……奴は慈善事業をよくやってるそうだから、慈善事業の裏で数々の違法な商売をしてる……なんてシナリオにしよう』
『シチュエーションさえ作れれば、どんなスキャンダルも作れちゃうものね』
『その通り。いかに貴族といえど、一度燃え上がったスキャンダルを消すのは容易ではないからな。情報を制する者が、社交界を制するのさ』
イリシオン様とレリカの声が会場に響き渡る。
「なんだこれは!?」
「なによこれ!」
その後も二人が『ノジール紙』と組んで、数々の悪だくみをしている旨の会話が披露されていく。
『ウソ記事に踊らされる貴族も、民衆も、みんなバカばかりだ!』
『罠にかかった獲物を見るのは楽しいわよね』
『王族や上流貴族もスキャンダルで潰せば、いずれはこの国を牛耳れるかもしれないぞ……』
イリシオン様は血相を変えて、壇上から下りてきた。レリカもそれに続く。
「やめろぉぉぉぉぉ!!! いったい、なんなんだ、この声は!?」
「石に吸わせたんです」
「石?」
「これは音を吸う石でして、例えば草むらに置けば虫の音を吸い、その虫の音をいつでも楽しめます。私は『ブラーシュ紙』の協力であなた方の密会場所を突き止めました。その後、私は音魔法で鳥に頼んで、あなた方の部屋にこの石を置いたんです」
「なんだとォ……!」
周囲はざわついている。それはそうだ。
婚約発表したばかりの新進気鋭の貴族二人が、近頃世間を騒がせる数々のスキャンダル記事――その捏造の首謀者だったのだから。
だけど、これだけで観念するほどイリシオン様も潔くはない。
「……で、でっち上げだ!」
私を指差す。
「こいつは音の魔法を使える……それで俺たちの声を作って、こんな音声を捏造したんだ!」
「そうよ! そうに決まってるわ! 今のは全て罠よ! 汚い真似をするわね!」
どの口が言っているのかと思うが、全て想定内だ。
私が冷ややかに二人の糾弾を聞いていると、凛とした声が到着した。
「それはどうかな」
壇上の近くにあったドアが開き、三人の男が入ってきた。
一人はかつて私の浮気相手とされた若い男。もう一人は『ノジール紙』の鼻の長い記者。
そして最後は、ベルだった。
ベルは藍色の礼服を着こなし、髪も整え、いつもとは別人のような空気を纏っていた。
「彼らを捕まえたら、全部白状してくれたよ。そこのイリシオンとレリカと組んで、数々のスキャンダルを捏造したって」
イリシオン様が顔を真っ赤にする。
「……ッ! 誰だお前は! それもこれも全部捏造だ! 俺はそいつらなんか知らない!」
だが、鼻の長い男が言う。
「イリシオン様……やめた方がいい。この方は、このお方は……」
「……?」
「僕はベルタージュ・ウェルハイト。若輩ながら今は『ブラーシュ紙』の社長も務めている」
ウェルハイト家といえば王家ともゆかりの深い公爵家。
『ブラーシュ紙』は王国一の新聞社。
ベルの正体がそんな大物だったなんて。私もこの時知った。
「近頃、『ノジール紙』がやけに貴族に関するスクープを掲載するようになった。その裏には君たちがいることも分かった。だが、どうしても君らが黒幕だという確証を得ることができなかった。その最後のピースを埋めてくれたのが、そこに立つポリーネだ」
ベル――ベルタージュ様が私を掌で指す。
「もっとも……君らにはまだ手もある。ポリーネの石から出た声も、この二人も自分たちとは何も関係ない、と言い張ることもできる。だが、果たしてこの場でそれが通るだろうか?」
周囲の貴族たちは二人を睨みつけている。
当然である。スキャンダル記事の被害者には彼らの親族や友人もいただろうし、これから彼らが狙われる恐れだってある。
全員の目が許せない。こいつらを放っておけない。と言っている。
「どっ……どうするのよ、イリシオン様!」
「うっ、うるさい! お前が何とかしろ!」
「何言ってるのよ、全部あんたのせいじゃない!」
「違うっ! 俺は何も知らない……悪くないッ!」
見苦しく喧嘩をする二人。
私はイリシオン様に近づき、声をかけた。
「あの時、“真実なんていくらでも作れる”とあなたはおっしゃったけど、その通りですね」
「……!」
「もっともあなたが作った真実は質の悪いまがい物だらけ。私たちが作った真実は私とベルタージュ様で協力して闇から引きずり出した、紛れもない本物ですけど」
「ぐ、ぐぐぐ……!」
「最後に――あなた方に相応しい曲をプレゼントします」
私は魔法で曲をかけた。王国の人間なら誰もが知る――
「こ、これは……鎮魂歌!?」
婚約破棄した時、私に「曲でも流してくれ」と言った彼らに対する、せめてもの意趣返しだ。
「あ……ああ……」
「いやぁぁぁ……」
鎮魂歌を聴き、二人は揃って膝から崩れ落ちた。
こうして私を始め、彼らのスキャンダル捏造に苦しんだ貴族たちは名誉を回復することができた。
私もまた、実家に戻ることができた。
家族には思うところはあったけど、当時の状況を考えると私への仕打ちも仕方ないことだと思う。きちんと謝罪はしてもらえたし、ひとまずは許してあげた。
私が音魔法で悲しげな曲をかけると、まだ私はあの時のことを忘れていないのかと、青ざめるのがなんだか面白いしね。
その後のイリシオン様とレリカは、かつての私のように家から追放され、王都から逃亡したという。
彼らに名誉を傷つけられたある貴族によって凄腕の刺客を放たれ、その手にかかったという噂も流れた。
しかし、こればかりはもう真実が明るみに出ることはないでしょうね。
彼らと組んだ『ノジール紙』も、記事の信頼性をなくし、程なくして倒産。自分たちに都合のいい真実を作り出そうとした代償はやはり大きかった。
***
さて、私とベルタージュ様はというと――
「最初は……イリシオンの悪事を暴くヒントを掴むために君に近づいたんだ」
公爵家の嫡子で新聞社を取り仕切るベルタージュ様からすれば、『ノジール紙』のスクープ連発を放ってはおけなかったのだろう。このままでは社交界も、民の風紀も乱れてしまうと。
だから、最初の被害者であろう私に、記者を装って接触した。
「だけど何度も君のところに通ううち、いつの間にか君に会うために通うようになっている自分に気づいてしまった」
「ベルタージュ様……」
私もそうだ。最初はデリカシーのない記者だと思ったけど、ベルとしての彼が来てくれたことで、私の心の傷は大いに癒えた。いつしか、ベルが来てくれるのが楽しみにさえなっていた。
この出会いがなければ、たとえ名誉を回復できたとしても、私はきっと暗い人生を歩んでいただろう。
「私もです。私もあなたと過ごす時間がなによりの幸福になっていました」
「……ありがとう」
私たちは見つめ合う。そして――
「僕と婚約を交わして欲しい」
「はい、喜んで」
ベルタージュ様が右手を差し出し、私はその手を取った。
私たちは愛し合っている――これもまた真実。
音魔法は使っていないのに、私の中で祝福の曲が流れてくれた。
数日後、私たちの婚約が各紙の一面で大きく報じられたことは言うまでもない。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




