北日本物産録設定集
大峰型戦艦:常備排水量10520t、全長110m、最大幅21.3m、喫水7.8m、レシプロ機関2基2軸、最大速力19kt、航続距離10kt/5230海里、乗員620名、10吋連装砲2基4門、12糎単装砲10基10門、3吋単装砲10基10門、45糎水中魚雷発射管4基4門、魚雷4本、装甲舷側280粍、甲板60粍、主砲塔150粍、司令塔305粍。大峰、三峰、大沼、耶馬の四隻が建造された(建造された四隻の内、大沼、耶馬は、当初装甲巡洋艦として建造される予定だったのを艦種変更したものである)。日本海軍初の戦艦(10~12吋クラスの砲を備えた装甲艦は何隻かあったが、戦艦と言いえる艦はこのクラスが初だった)であった。
富士型戦艦:常備排水量16400t、全長143.3m、最大幅23.81m、喫水8.2m、レシプロ機関2基2軸、最大速力20kt、航続距離10kt/10000海里、乗員864名、12吋連装砲2基4門、10吋単装砲4基4門、6吋単装砲12基12門、3吋単装砲12基12門、45糎水中魚雷発射管4基4門、魚雷4本、装甲舷側230粍、甲板70粍、主砲塔230粍、司令塔230粍のスペックである。富士、八島、敷島、朝日、初瀬、三笠、香取、鹿島の八隻が建造された。
薩摩型戦艦:常備排水量19370t、全長147m、最大幅25.4m、喫水7.4m、タービン機関2基2軸、最大速力20kt、航続距離18kt/2700海里、乗員944名、12吋連装砲4基8門、6吋単装砲8基8門、8糎単装高角砲2基2門、45糎水中魚雷発射管4基4門、魚雷4本、装甲舷側230粍、甲板60粍、主砲塔230粍、司令塔155粍のスペックである。薩摩、安芸、河内、摂津の四隻が建造された。
金剛型巡洋戦艦:常備排水量36800t(大改装後)、全長203m、最大幅31.9m、喫水9.8m、タービン機関4基4軸、最大速力28kt(大改装後)、航続距離12kt/7400海里、乗員1360名、15吋連装砲4基8門、5吋連装高角砲8基16門、カタパルト2基、水上偵察機4機、装甲舷側330粍、甲板127粍、主砲塔330粍、司令塔280粍のスペックである。金剛、比叡、榛名、霧島の四隻が建造された。
扶桑型戦艦:常備排水量39250t(大改装後)、全長214m、最大幅31.8m、喫水9.9m、タービン機関4基4軸、最大速力27kt(大改装後)、航続距離12kt/7400海里、乗員1320名、15吋連装砲5基10門、5吋連装高角砲8基16門、カタパルト2基、水上偵察機4機、装甲舷側330粍、甲板130粍、主砲塔330粍、司令塔280粍のスペックである。扶桑、山城の二隻が建造された。
平戸型軽巡洋艦:常備排水量8710t、全長184m、最大幅18.5m、喫水5.2m、タービン機関4基4軸、最大速力35kt、航続距離10kt/10000海里、乗員765名、6吋連装砲5基10門、5吋連装高角砲2基4門、61糎四連装魚雷発射管2基8門、魚雷8本、爆雷機雷投下軌条4条、爆雷60個、機雷60個、カタパルト1基、水上偵察機1機、装甲舷側76粍、甲板38粍、主砲塔20粍、司令塔88粍というスペックであり、平戸、天龍、龍田、球磨、多摩、北上、大井、木曽の八隻が建造された。なお一番艦は、筑摩型防護巡洋艦の三番艦として計画されていた艦を軽巡洋艦に設計変更したものである。
鳳翔(空母):常備排水量10950t、全長170m、最大幅19m(飛行甲板縦169m×幅22.7m)、喫水5.6m、タービン機関2基2軸、最大速力25kt、航続距離14kt/10000海里、乗員560名、搭載機18機、昇降機2基、カタパルト1基、12糎単装高角砲4基4門のスペックである。
龍驤(空母):常備排水量12140t、全長180m、最大幅20.32m(飛行甲板縦158.6m×幅23m)、喫水6m、タービン機関2基2軸、最大速力29kt、航続距離14kt/10000海里、乗員916名、搭載機36機、昇降機2基、カタパルト1基、5吋連装高角砲4基8門、舷側装甲46粍、甲板装甲15粍のスペックである。
蒼龍(空母):常備排水量19900t、全長228m、最大幅22m(飛行甲板縦217m×幅27m)、喫水8.2m、タービン機関4基4軸、最大速力34kt、航続距離18kt/8000海里、乗員1561名、搭載機65機、昇降機3基、カタパルト2基、5吋連装高角砲6基12門、舷側装甲100粍、甲板装甲25粍のスペックである。
飛龍(空母):常備排水量19900t、全長228m、最大幅22m(飛行甲板縦217m×幅27m)、喫水8.2m、タービン機関4基4軸、最大速力34kt、航続距離18kt/8000海里、乗員1561名、搭載機65機、昇降機3基、カタパルト2基、5吋連装高角砲6基12門、舷側装甲100粍、甲板装甲25粍のスペックである。艦橋が蒼龍とは逆に左舷側にある。
祥鳳型空母:常備排水量15500t、全長212m(飛行甲板縦215m×幅23m)、水線幅21.4m、喫水6.4m、タービン機関2基2軸、最大速力28kt、航続距離7000海里/18kt、乗員1015名、航続距離7000海里/18kt、艦上機27機、昇降機2基、カタパルト1基、4吋連装高角砲2基4門、装甲舷側50粍、甲板25粍のスペックである。祥鳳、瑞鳳、龍鳳、千歳、千代田、鈴谷、熊野、大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹の十二隻が建造された。
妙高型重巡洋艦:常備排水量17020t、全長215m、最大幅21m、喫水6.7m、最大速力32kt、航続力6000海里/14kt、乗員1065名、8吋連装砲6基12門、5吋連装高角砲6基12門、水上偵察機6機、カタパルト2基、装甲舷側140粍、甲板60粍、主砲塔60粍(バーベット部は25粍)、司令塔80粍というスペックであり、妙高、那智、足柄、羽黒、高雄、愛宕、摩耶、鳥海の八隻が建造された。
最上型軽巡洋艦:常備排水量17370t、全長215m、全幅21m、喫水6.7m、最大速力32kt、航続力6000海里/14kt、乗員1065名、6吋三連装砲6基18門、5吋連装高角砲6基12門、61糎五連装魚雷発射管4基20門、魚雷20本、水上偵察機6機、カタパルト2基、装甲舷側140粍、甲板60粍、主砲塔60粍(バーベット部は25粍)、司令塔80粍というスペックであった。最上、三隈、利根、筑摩の四隻が建造された。
阿賀野型軽巡洋艦:常備排水量7940t、全長175m、最大幅15.2m、喫水5.7m、タービン機関4基4軸、最大速力35kt、航続距離18kt/6000海里、乗員746名、5吋連装高角砲5基10門、61糎四連装魚雷発射管2基8門、魚雷8本、カタパルト1基、水上偵察機2機、装甲舷側60粍、甲板25粍、主砲塔25粍、司令塔30粍のスペックである。阿賀野、能代、矢矧、酒匂の四隻が建造された。搭載の5吋連装高角砲には、一式十二糎七高角砲を装甲砲塔としたものを採用した。
大和型戦艦:常備排水量68200t、全長263.4m、最大幅39m、喫水10.4m、タービン機関4基4軸、最大速力28kt、航続距離16kt/7200海里、乗員2500名、46糎三連装砲3基9門、6吋三連装砲2基6門、5吋連装高角砲10基20門、カタパルト2基、水上機7機(水上偵察機3機、水上観測機4機)、装甲舷側410粍、甲板230粍、主砲塔650粍、司令塔500粍のスペックである。大和、武蔵の二隻が建造された。
大鳳(空母):常備排水量34900t、全長265m、最大幅34m(飛行甲板縦262m×幅30m)、喫水10m、タービン機関4基4軸、最大速力33kt、18kt/10000海里、乗員2250名、搭載機61機、昇降機3基、カタパルト2基、4吋連装高角砲8基16門、舷側装甲120粍、甲板装甲100粍のスペックである。第二次世界大戦後、飛行甲板をアングルドデッキ式へ改めた。
信濃(空母):常備排水量68560t、全長266m、最大幅39m(飛行甲板縦256m×幅40m)、喫水10.4m、タービン機関4基4軸、最大速力28kt、航続距離16kt/7200海里、乗員3015名、搭載機80機、昇降機3基、カタパルト2基、5吋連装高角砲8基16門、舷側装甲270粍、甲板装甲95粍のスペックである。信濃、三河の二隻が建造された。第二次世界大戦後、飛行甲板をアングルドデッキ式に改造した。当初大和型戦艦の三番艦として建造されていたが、起工後少しして空母として建造されることに変更された。
浅間丸級貨客船:21650t、最大速力21kt、船客定員1670名(一等340名、二等400名、三等930名)の貨客船。浅間丸、龍田丸の二隻が建造された。香港~上海~長崎~神戸~横浜~ホノルル~サンフランシスコ~ロサンゼルス線へ就役した。日本郵船所属。
鎌倉丸級貨客船:23980t、最大速力20kt、船客定員1740名(一等360名、二等420名、三等960名)の貨客船。鎌倉丸、宗像丸の二隻が建造された。香港~上海~長崎~神戸~横浜~ホノルル~サンフランシスコ~ロサンゼルス線に就役した。浅間丸級貨客船の準同型船だが、機関出力が強化されたため、エンジンが4基から2基へ減り、スクリュー数も4軸から2軸に減った。煙突数も2本から1本に減っている。宗像丸は現在博物館船となっている。日本郵船所属。
上川丸級貨客船:9870t、最大速力17kt、船客定員740名(一等80名、二等120名、三等540名)の砕氷貨客船。大阪商船所属。上川丸、留萌丸、根室丸、釧路丸、天塩丸、後志丸、大泊丸、豊原丸の八隻が建造された。高雄~那覇~門司~神戸~大阪~四日市~名古屋~清水~横浜~室蘭~柏原~網茶~蘭港~須阿戸~須家具亜~瑠派斗~七芋~幡香波線に就役。一・二等の公室や船室は、日本風の装飾となっていた。
九八式重装甲車:九八式重装甲車は、1938年に採用された重装甲車(実質的には軽突撃砲である)。重装甲車とされたのは、捜索連隊などに配備し易くするためだったと言われている。密閉式戦闘室を採用し、重量10t、全長5.1m。全幅2.3m、全高1.85m、乗員3名(車長兼装填手、操縦手、砲手兼無線手)、ディーゼルエンジン120馬力、装甲厚前面30粍(傾斜装甲となっている)、側背面15粍、天板5粍、底面5粍、防盾25粍、最高速度40キロ、行動距離120キロ、砲身長55口径の57粍砲1門、7.7粍機関銃1丁、砲弾30発、機関銃弾600発を装備した。
捜索連隊の標準編成(1941年頃):砲戦車中隊一個、重装甲車中隊2個、機動歩兵中隊2個、自動二輪車小隊、通信小隊、整備小隊で編成。
百式砲戦車:百式砲戦車とは、1940年に採用された砲戦車(実質的には突撃砲である)。密閉式戦闘室を採用し、重量19.5t、全長6m、全幅2.9m、全高2.1m、乗員4名(車長兼装填手、操縦手、砲手、無線手)、ディーゼルエンジン220馬力、装甲厚前面45粍(傾斜装甲となっている)、側背面25粍、天板15粍、底面10粍、防盾60粍、最高速度36キロ、行動距離145キロ、砲身長18口径の100粍砲1門、7.7粍機関銃1丁を装備し、100粍砲弾を30発、7.7粍機関銃弾を840発搭載していた。成形炸薬弾を用いることにより、対戦車戦闘にも充分使用可能であった。
東名高速道路・名神高速道路・首都高速道路・名阪国道:まず首都高速道路の一部である首都高速1号羽田線芝浦~羽田間が1940年に開通した。1938年には、名神高速道路の建設が開始されており、1942年に一部が、1944年に全線が開通した。1943年からは、東名高速道路の建設が開始され、1948年にその一部が、1949年に全線が開通した。1949年には、名阪国道も開通した。これ以降、各地で徐々に高速道路の建設が進められた。
日本の高速鉄道:1940年に東海道新幹線の建設が始まり、徐々に建設が進み、1946年に、東京~新大阪間が開通した。当初の最高速度は200キロだったが、現在は東海道区間の場合、最高速度285キロまで高速化された。他の区間ではもっと早い場合もある。これ以降、徐々に高速鉄道の建設が進んだ。2025年現在では一部区間でリニア式の新幹線も運行されている。
国鉄の郵便・荷物輸送:1948年に日本国有鉄道にて、発送元までトラックで集荷して駅まで運び、そこから配達先近くの駅まで鉄道の荷物列車で輸送、そこからトラックで受取先まで配送するという鉄道宅配便、少量だが高速輸送する必要のある貨物を、発送元までトラックで集荷して駅まで運び、そこから配達先近くの駅まで鉄道の荷物列車で輸送、そこからトラックで受取先まで配送する鉄道急送便が登場し、成功したことにより、荷物列車が現在も存続すると共に、一部の急行・準急・快速・普通列車が荷物車及び郵便車を併結した客車列車として運行されている。鉄道宅配便及び鉄道急送便の開始前、国鉄直営のトラックによる集荷・配送が、一般のトラック運送を行う会社の経営を悪影響を及ぼすとして反対論があったが、地方のローカル線、特に赤字のローカル線の運営に対する一助になるという意見が出て、特例として認可されることになった。なお準急は、最初期は無料の速達列車だったが、1926年から準急料金が設定された。しかし、1968年に準急料金が廃止され、無料の速達列車の中で最優等の列車となった。新幹線にも荷物室を設けた車両が存在し、速達郵便や重要書類、高級食品、宝飾品、貴金属などが運ばれている。辺境では、郵便バスとも連帯輸送を行っている。
郵便バス:主に辺境部(特に北海自治道、琉球自治国、高山自治国)で運行される乗客の他に、郵便・荷物・貨物を混載するバス。徳川吉宗期に、江戸~京都間に馬車が通れる道が整備され、郵便と旅客を乗せる駅馬車(当初は、ロシアより導入されたタランタスと呼ばれる四輪馬車を三頭立てで引く形式のものが採用された)として運行が開始されたのを嚆矢とする。
日本軍の制服:陸軍では、夏冬共にカーキがかった緑色の開襟ネクタイ式の軍服が用いられている。但し、一番上のボタンを締めることにより、折襟としても使用可能になっている。襟章、それに将校には袖章があるため、通常礼装の場合を除き、肩章は用いない。海軍の場合、冬服は、紺色のブレザーにネクタイという軍服、夏服は、白色のブレザーにネクタイという軍服が用いられている。もっとも従来の詰襟軍服も、黒色の冬服・白色の夏服共に海上勤務服という形で用いられている。さらに高級将校の場合、フロックコートに蝶ネクタイという軍服が用いられている場合もある(フロックコートタイプの制服にも、冬用の黒いものと夏用の白いものがある)。冬服には袖章があるが、夏服にはないため、ショルダーノッチタイプの肩章を用いる。なお詰襟タイプの制服も、黒い冬服、白い夏服共に、海上勤務服として用いられている。空軍は、夏冬ともに、空色の開襟ネクタイ式の軍服が用いられている。肩章は、通常時ショルダーボード、通常礼装時は、ショルダーノッチを用いる。
華族制度:19世紀に大名や旗本などの領地を収公した際、その代わりに爵位(上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、準男爵となる)を与えた。後には、公家や特別な勲功を立てた者などにも授与された。世襲ではあるが、基本的には称号のみで、21世紀現在は特別な特権はない。
日本海軍の海兵隊に関して:日本海軍の海兵隊は、徳川綱吉時代に設立された。大湊に緊急展開用の海兵隊一個師団が駐屯している。二個歩兵大隊及び一個連隊砲大隊、一個戦闘工兵中隊、衛生隊、輜重隊からなる海兵連隊が四個連隊、海兵空挺大隊、戦車大隊、砲兵連隊、工兵大隊、通信隊、輜重隊、野戦病院、海上輸送隊、兵器勤務隊などで編成されている。さらに各地の海軍基地に、基地を警備する警備隊が存在している。
日本空軍空挺部隊に関して:一個空挺師団からなり、エアボーンを担当する空挺連隊(空挺大隊2個、2個中隊編成の砲兵大隊、整備隊、落下傘整備隊、衛生隊、輜重隊、通信隊、工兵隊で編成)二個、ヘリボーンを担当する空中騎兵連隊(空中騎兵大隊2個、2個中隊編成の砲兵大隊、整備隊、落下傘整備隊、衛生隊、輜重隊、通信隊、工兵隊、ヘリコプター大隊2個で編成)一個及び迫撃砲連隊、工兵大隊、輜重兵大隊、装甲車隊、教育隊、通信隊、野戦病院、兵器勤務隊が附属している。空挺部隊が空軍所属になったのは、空軍が海軍の海兵隊のような直轄で運用できる地上戦部隊を欲したためである。
日本陸軍山岳旅団に関して:一個山岳旅団よりなり、山岳歩兵大隊四個、山砲兵大隊、工兵大隊、輜重大隊、通信隊、野戦病院が附属している。
鳳仙花ミサイル:短距離弾道ミサイルで最大射程800キロ、ペイロードは最大2トン。
茉莉花ミサイル:中距離弾道ミサイル。最大射程3000キロ、ペイロードは最大1.5トン。
葵花ミサイル:長距離弾道ミサイル。最大射程10000キロ、ペイロードは最大1トン。
日本の核武装に関して:水爆・原爆を各々数十発程持っている。
徳川幕府:17世紀、キリスト教を禁教としなかったため、朱印船貿易が続き、結果として鎖国せず、また海外への進出もある程度行って一定の成功を収めたことにより、史実の幕末における武威の凋落がなかったため、19世紀には、大規模な幕政改革へ成功すると共に、最終的に征夷大将軍の地位は存続させつつ、幕府から政府へと改称した。その後の二度の世界大戦も無事乗り切ったこともあり、現代まで幕府が事実上存続している。
日本の宇宙開発・各種技術開発状況:日本の宇宙開発の状況であるが、2025年頃には、地球軌道に研究施設や実験工場、宇宙ホテル、宇宙望遠鏡、宇宙ステーションなどを備えた軌道ステーション(人口は数百人程度)「三河軌道ステーション」がある。使い捨て式だがローコストで大重量の貨物(低軌道なら千トン程度まで可能)や人員の打ち上げが可能なロケットや有人の月ロケットが開発されている。宇宙船による月や火星への有人往復飛行に成功している。2030年頃になると、月面に十人前後の人員から成る宇宙基地が建設された。海洋工学も発展しており、海底鉱山の開発や海底油田、海底ガス田の開発なども行われている。土木工事用や医療用にパワードスーツも用いられている。小型衛星打ち上げ用ロケットも盛んに運用されている。軍事的には、正規空母や弾道ミサイル(日本の主な弾道ミサイルとしては、短距離弾道ミサイルで最大射程800キロ、ペイロードは最大2トンの鳳仙花ミサイル、中距離弾道ミサイルで最大射程3000キロ、ペイロードは最大1.5トンの茉莉花ミサイル、長距離弾道ミサイルで最大射程10000キロ、ペイロードは最大1トンの葵花ミサイルがを保有している。他に巡航ミサイルも持ち、原爆を二百発ほど、水爆を百発ほど保有している。民間航空機の開発も進め、最高速度520キロ、航続距離1720キロ、全長22.5m、全幅20m、全高7m、貨物6㎥、乗員3名、乗客30名(エコノミークラス30名)の双発ターボプロップ式旅客機のYS15、最高速度870キロ、航続距離2545キロ、全長39m、全幅26.1m、全高7.5m、貨物19㎥、乗員4名、乗客90名(ビジネスクラス18名・エコノミークラス72名)の双発ターボファン式旅客機のYS16、最高速度860キロ、航続距離3050キロ、全長26.8m、全幅21.2m、全高6.3m、貨物12.5㎥、乗員3名。乗客50名(エコノミークラス50名)の双発ターボファン式旅客機のYS17、最高速度870キロ、航続距離5420キロ、全長38m、全幅35.2m、全高11.5m、貨物30㎥、乗員5名、乗客120名(ビジネスクラス24名・エコノミークラス96名)の双発ターボファン式旅客機のYS18、最高速度427キロ、航続距離1034キロ、全長16.6m、全幅17m、全高4.9m、貨物5㎥、乗員2名、乗客14名(エコノミークラス14名)の双発ターボプロップ式旅客機のYS19、最高速度820キロ、航続距離6010キロ、全長45m、全幅35m、全高11.8m、貨物50㎥、乗員8名、乗客180名(ビジネスクラス24名・プレミアムエコノミークラス36名・エコノミークラス120名)の双発ターボファン式旅客機のYS20、最高速度945キロ、航続距離10520キロ、全長30m、全幅29m、全高7.9m、乗員2名、乗客14名、荷物室4㎥の双発ターボファン式ビジネスジェットであるHJB201、最高速度839キロ、航続距離5460キロ、全長20m、全幅20.5m、全高6.5m、乗客9名、荷物室4㎥の双発ターボファン式ビジネスジェットであるHJB101、最高速度308キロ、航続距離1230キロ、全長17m、ローター直径13.9m、全高5m、乗員2名、乗客13名(乗客の代わりに貨物の積載も可能)の各種輸送・送迎・救命・救急・捜索救難用のYH101ヘリコプター、最高速度293キロ、航続距離1800キロ、全長20m、ローター直径16.4m、全高5.2m、乗員4名、乗客10名(乗客の代わりに貨物の積載や12.7粍機銃2丁・7.7粍機銃2丁・ロケット弾8発装備も可能)の各種輸送・対地攻撃用のYH102ヘリコプター、最高速度298キロ、航続距離2200キロ、全長30m、ローター直径16m、全高5.7m、乗員4名、乗客40名(乗客の代わりに貨物の積載も可能)の各種輸送・対潜・観測用のYH103双発ヘリコプターなどを開発し、国内外へかなりの数を販売している。