9話 マナはマスターを守る
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! エリクシールを手に入れた? 最下層で? そ、そんな馬鹿な事あるわけないっ! エリクシールなんて1年に1回ドロップすれば良い方の伝説的万能薬じゃないっ! このダンジョンでじゃないわっ! 世界全体での話よ? そんなわけないっ!」
ギャーギャーと音波鶏のように喚き散らす稲美。その喚く声は辺りへと広がり、人々は騒然となる。
「おいおい、まじかよ。エリクシールを手に入れたのか?」
「もう使っちまったのか。大金持ちになるチャンスだったのに」
「だがソロでここの最下層をクリアするなんてAランチでも無理だぞ?」
「お昼ご飯と混じってるぞ。Aランクだろ。にしても信じられねぇな」
人々が口々に話し合うのを耳にして、ふむとマナは考え込む。
(ふむ……エリクシールを捨てていることを不審に思ったけど、他の方法で回復したことを知られたくなかったのか。なるほどね。そして、エリクシールはこの世界では貴重と。あれは欠陥品だから、俺の世界でははるか昔にゴミになったんだけどね。それにしても、この子、なかなかの策士じゃん。だけどそこまでして回復魔法を隠したい意味とは━━━)
喚き散らす稲美という人間モドキを無視して、マナは推論を組み立てていく。最近は脳筋的な戦闘しかしてこなかったが、謎を用いて戦いを求めてくる魔物もいるので、マナはそこそこ頭が回る。
マナが考え込む間も、人間モドキはヒートアップしていく。もはやその顔は憤怒で真っ赤になり、顔は歪み人間よりも鬼に見える。
「嘘よっ! うそうそ! あんた、そこら辺で拾った空き瓶をエリクシールと言ってるだけでしょ? はっ、みっともない。そこまでして自身の傷跡を隠したいわけ? この口裂け女がっ、それ幻魔法でしょ?」
「そう思いたいなら、それで結構です。私の傷跡は幻で隠している。そういうことで良いです、それじゃ私は帰るので、そこをどいてください」
強気の様子を見せて、鍵音が稲美の横を通り過ぎようとする。だが、その声音は憎しみが混ざっていても、恐怖が混じっていることに俺は気づいていた。か弱いチワワみたいな子なので虚勢を張っているんだろうな。
「待ちなさいよっ! その空き瓶を寄越しなさいっ、いつっ!?」
「そこまでです。マスターを傷つけることは許しません」
激昂して鍵音の肩を掴もうとする稲美の腕を掴み、マナは姿を現すのだった。
タイミングバッチリだよね。映画とか小説でもこういうタイミングで姿を現すのが正しいらしいしな。
「な、なんなのあんたっ? ど、どこから出てきたの? それに……痴女ね! なにその格好!」
「? 痴女? 服は着ておりますよ?」
突然現れたマナに驚きながらも罵ってくる稲美に感心するけど……どっか変かな? おへそ丸出しのピッチリの肌に張り付いているレオタードを着ている。扇情的ではあるが、痴女ではないよね? 普通だよね? 仲間の中には葉っぱしかつけてない人もいるよ。アダムと名乗っているけど変態とも言われてるやつ。
周囲の人々がマナを見てきて、ある者は鼻息荒く凝視して、ある者は顔を真っ赤にして目を逸らす者もいる。そんなに変かな?
「痴女でしょう。美、美人の癖に痴女とか! ちょっと腕を離しなさいよ。痛いじゃないっ。なに、この馬鹿力は!」
「はい」
「んべっ」
懸命に掴まれた腕を外そうとするので、離してあげると、後ろにひっくり返って、さらには勢い余って後ろ回転をして、地面に顔をぶつけた。なかなかの芸人ぶりである。拍手をしてあげよう。パチパチパチパチ。
「ふ、ふざけるんじゃないわよっ、あんたなに?」
顔が土まみれになり鼻血を垂らして稲美が憎々しげに顔を歪める。なんだろう、ここまで同族を憎む人間って、生まれて初めて見るよ。
「ふ、ふふふふんんん、けほっけほっ、この子は私のものです!」
「え? あんた、この痴女に手を出したわけ?」
「ち、違いますっ! この子は召喚獣です。貴女が私を転移罠に押し出して、最下層に転移しました。そこで手に入れた召喚獣でしっ!」
稲美の言葉に顔を真っ赤にして噛み噛みながらも頑張って胸を張る鍵音。弱気を隠すための虚勢のように見えるけど、頑張ったね。頭を撫でてあげようかな。
「召喚獣? 人型の? どこからどう見ても人間じゃない。しかも最下層で手に入れた? 嘘ばっかりつくんじゃないわよっ!」
「嘘じゃありません。その証拠にスリーヘッドオーガはマナ1人で倒しましたし、魔石もこーんなに手に入れました」
ちゃっかりと魔石は回収していた鍵音が小袋から大量の魔石を見せつける。じゃらりと音を立てて陽射しを受けて光る魔石は魔力を感じさせていた。魔物の力を底上げする動力源にして、エネルギーとして活用できるアイテム。それが魔石だ。予想通りこの世界でも活用しているらしい。
「本来はパーティーで分配するはずでしたが、私はソロなので、独り占めです。ではソロの私は疲れたので帰ります。さようなら稲美さん」
「っ! それでお金を払ったのね、この性悪口裂け女! 化け物だったくせに、許さないわよ。こいつに身の程を教えてあげないとねっ、佐藤、田中!」
「おおっ! 独り占めさせるかよっ!」
「何発か殴ってやれば素直になるだろっ!」
稲美の言葉に頷くと、後ろにいたパーティーが動き出す。
「召喚獣ってなら、殴っても傷害罪にはならねーよなっ! その整った顔をボコボコにしてやるぜ!」
『強拳』
金属製の籠手を装備している男がニヤケ顔で拳を魔力を込めて殴りかかってくる。どうやらこいつは格闘家らしい。
「ぶっ飛べや!」
「その程度で人を飛ばせますか? サンドバックも揺らせそうにありませんが」
迫る拳に合わせて構えを取ると、相手の拳がもっとも効果を発揮するインパクト寸前で拳を繰り出して、ぶつけ合う。生身ではあり得ない金属音と火花が散ると押し負けたのは男の方だった。
「ぐ! ぐわぁぁっ! 俺の俺の武技が!」
弾き返されて仰け反る男が痛みで苦しみ悲鳴をあげる。腕を押さえて呻く男の籠手がマナの繰り出した拳とぶつかった箇所からヒビが入っていき、砕けていく。
「や、やろう! 手加減しねーぞっ!」
『流し斬り』
ぽけっと立つマナに、今度は大剣使いが滑るように懐に入ってくると、横薙ぎに剣を振り抜き、通り過ぎてゆく。
「とった!」
「えぇ、貰いました」
大剣使いが勝ち誇るので、涼しい顔で手にある大剣の先端を見せつける。マナは剣が交差した時に、大剣を掴み、一瞬で折り取っていた。
「この剣、お返ししますね」
「げへっ、な、流し斬りが入ったはずなのに」
折り取った剣を投げつけて、顔にぶつけてやる。傷つけないように、刃が当たらないようにする優しいマナさんだ。
ズズンと倒れる男を見て、あっさりと倒されたことに恐怖の顔となっている後ろの少女たちが身構える。1人は弓使いのようで、顔を恐怖で引き攣らせながらも躊躇いなく矢を番える。
「ひいっ、こ、これならどうっ!」
『二本矢』
放った矢が二本に分裂して迫ってくる。マナはその様子を見て、腕を泳ぐように流麗に回すとあっさりと掴み取り、体を回転させて、後ろにいる鍵音へ投擲する。
対象は鍵音ではない。その前にあるなにもない空間だ。いや、なにもないように見えるだけだ。
「ギャッ!」
二本の矢が空中でなにかにぶつかり、少女の悲鳴が響く。そして、空間から滲み出るように稲美の姿が現れて両手に刺さった矢により苦痛の顔となり、手に持っていた短剣を落とす。
「仲間には私と戦えと命じながら、自身は姿隠しを使いマスターを狙うとは。すっからかんの頭だと思ってましたが、多少は頭が回ったんですね」
稲美はシーフ系統のスキルを持っているのだろう。召喚主を密かに倒そうとするとは戦闘はそこそこ慣れているようだな。少し予想外だったよ。
「あぁぁぁ、あ、あたしの手がぁぁぁ! 痛い、痛いよぉっ!」
矢で貫かれて、ドクドクと血が流れる己の手のひらを見て、稲美は力なく膝をつき泣き喚く。前言撤回、この程度で戦意をなくすなんて戦闘に全然慣れてないや。ただ意地が悪いだけなのだろう。
泣き喚く稲美に興味をなくし、残りのメンバーへと顔を向ける。最後の1人は杖を持ち、震えながら詠唱をしていた。
「て、敵を捕縛せよ、動きを止めよっ!」
『拘束』
必死な様子で杖を掲げる少女が魔法を発動させる。光で作られた鎖が飛び出すと、蛇が頭をもたげて襲いかかるように空中を舞い、マナへと向かってくる。
「最後まで戦う気概は買いますが、構成が甘すぎます。拘束系統にとって魔法構成が甘いのは致命的です。なぜならば」
湾曲しながらマナを絡め取ろうとする光の鎖の先端を掴み取ると、大きく振り被る。光の鎖は空へと舞い上がり、その光景を見て魔法使いの少女は啞然と口を開いていた。
「こうやって、敵に奪われてしまうからです」
「いやっ!」
「ま、まった」
唖然とする魔法使いの少女へと光の鎖をしならせて向かわせて、隣に立つ弓使いと共に雁字搦めにするのであった。
パーティーをあっさりと倒すと、マナは肩を竦めて周囲を見渡す。
「さて、これで全員でしょうか? 私と戦いたいという方にはバトル売り出し中と値札をつけて差し上げますよ?」
シンと静まり返り、戦闘があまりにも簡単に終わったことに、皆が息を呑み、マナから目を逸らす。どうやらバトルのおかわりはなさそうだ。
「ふふふんんん、み、見ましたか? マナはソロモン72柱の一柱である大悪魔フラウロスなんですっ。人間では敵わないレベルにいいいるのでふ! これにここれたら、もうちょっかいはださないでくださいゲホゲホ」
過呼吸で倒れるんじゃないかと思うほどに興奮して鍵音が得意げに胸を張る。その言葉は静まり返る広間に広がり、皆は驚愕と不信の表情でざわざわと話し始める。
「大悪魔だって? ソロモンの悪魔なんていたのか?」
「まじかよ。そうすると大変な話だぞ。それに人間そっくりの人型の召喚獣なんて初めて見るぞ」
「しかし、そんなに強くは見えないぞ? 本当に大悪魔なのか?」
とんでもない話だとヒソヒソと話す人々。その様子を見て、鍵音は慌てていた。
「あ、言っちゃった。か、隠しておくはずだったのに。ドドドドどうしよ」
知らないよ。マスターにお任せします。なにせ召喚獣は人権ないからね。
呆れる俺の目を気にする余裕もなく慌てる鍵音にスーツ姿の男が近づいてくる。
「申し訳ありません。ハンターギルドの監視員である藤原と申します。エリクシールの入手経緯とその召喚獣についてお聞きしたいことがあるので、ハンターギルドにてお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
丁寧な物腰だけど、やけに目つきが鋭い男を前に縮こまると力なく鍵音は頷くのであった。
ふむ、ハンターギルドねぇ。この世界の情報が手に入れば良いんだけどな。