8話 マナはダンジョンから脱出する。
鍵音がいそいそと警戒心なく帰還陣に乗る。まるで慣れたアトラクションの乗り物に乗るかのようなその姿にマナは内心呆れてしまう。
「マナ、早く早く! 帰還陣はそんなに長くは稼働しないらしいから急いで乗らなきゃいけないです」
ブンブンと手を振るその無邪気な様子に苦笑を禁じ得ないマナだが、ニコニコと微笑みは崩さない。
(空間転移系統は一番罠を仕掛けやすいのに……しかもここは敵の拠点で、クラッキングして稼働させたのではなく、拠点が自動起動させた転移陣なのに、よくもまぁ警戒心ゼロで乗れるもんだ。石の中に転移させられて対消滅させられたらどうするんだよ)
やれやれと内心では思いながら、俺も帰還陣に踏み入る。無警戒なのではない。既に対処済みだからだ。
(まぁ、ここのダンジョンは全て俺の管理下に収めてるから大丈夫だけとさ)
ちらりと後ろを見て、脈動するダンジョンコアへと薄笑いを向ける。魔物が古代に使用したアイテムなだけあって、セキュリティガバガバだった。きっと他者にクラッキングされるとは夢にも思わないから、バージョンアップを考えていないのだ。既に魔物の魔導技術を超えている俺たちの相手にはならない。
(魔力で疑似肉体を構成できない雑魚魔物の魂を回収し、本物の肉体を培養しダンジョンに配置するシステムか。俺の世界なら足止めにもならないけど、この世界では役に立っているようだな)
この世界の人類は、きっと魔物の素材とか魔石を資源として活用してるのだろう。しかも、ダンジョンコアからランダムプレゼントを貰えるおまけ付き。どう見てもアトラクションである。毒入りとも知らずに。
(けれども、人類はなにも思わないんだろうなぁ。帰還陣まで発生して至れり尽くせりなのに自然現象だとても思ってるんだろう。そんなわけないのにね。まぁ、俺の世界もそうだったから、この世界の人類を愚かだとは思えないけどさ)
このダンジョンというのは世界にとって存在自体が危険極まりない物だ。だが、魔物から手に入る利益を前に目が眩んでるのだろう。
(ま、もうこのダンジョンでは、魔物はリポップしないけどね。ダンジョンコアに保管されている魂は全部食べたし。システムの設定も変えたから、これから倒される魔物の魂も俺のところに来るはずだ)
『多数の魂を摂取した結果、0.5%の魂力の適応上昇しました』
脳内に構成してある支援用のサブブレインからの報告にフフッと嗤う。微々たるものだけど、それでもパワーアップするのは嬉しいものだ。
「ほら、は、はやく、はやく~」
「分かりました、マスター」
(さて、この世界はどんなものなのか、ワクワクするね! 念の為に『姿隠し』を使用して脱出するか)
俺は用心深いのだ。鍵音のみしか認識できないように幻を自身にかけると、鍵音のあとに続く。
そうして、マナは鍵音と共に帰還陣にてダンジョンを脱出するのであった。
◇
ダンジョンの外。帰還陣にて転移して空間が入れ替わったことをマナは確認し……言葉を失う。
「き、綺麗です。こんなに綺麗な世界があるんですね」
その言葉は心の底からの本心からだ。心が痛い。どんな痛みよりも痛い。
なぜならばそこにはかつての地球にあった自然があったからだ。小さな森の中に人々が大勢いて賑わっていた。
太陽の陽射しは気持ち良く、その光は肉体に必要なエネルギーを与えてくれる。マナの世界のようにもはや紫外線を防ぐオゾン層もなく、生身で一瞬でも曝されれば、死んでしまう危険な光ではない。
仮想現実でしか見たことのない樹木が聳えたち、サラサラと木の葉の葉擦れ音が耳に入り、緑の匂いが鼻をくすぐり、呼吸ができる。穏やかなるそよ風が肌を優しく撫でて、知らず笑みが浮かぶ。空気はほとんど存在しなく、生命の存在しないマナの世界とは違う。
ここにはかつては持っていたもの、今のマナたちが喪った物が存在していた。動植物の数え切れない魂の存在が感じられて、その存在の発する力に癒される。
「ま、マナ! どこか、どど、どどどこか怪我してるのですか? いたい? いたい?」
どもりながら顔を覗き込む心配顔の鍵音に、なにを言ってるんだろうと思ったが、その理由はすぐに分かった。
マナの瞳から涙が流れて、頬を伝わっていく。この美しい光景を前に知らず涙が流れたらしい。
(泣くなんて何十年ぶりだろう。こんな世界が本当にあるだなんてな……仮想現実で見たことはあるけどピンと来なかった。なぜならば魂がない偽りの映像だったから。でも、この世界には魂がある。生命が存在してる。感動したよ)
頬を伝わる涙を人差し指で掬い上げると、フフッと優しく微笑む。
「大丈夫です、マスター。ようやくダンジョンから出られて、疲れから眠くなっただけですので」
なぜかマナの顔を凝視して、顔を真っ赤にしていた鍵音がロックでも聴くかのようにヘッドバンキングするかのように激しく頭を振る。
「そ、そっか。そそうだよね。うん、私も疲れちゃいました。どこかで休憩を」
「あぁ~! ようやく出てきたのぉ? まったく迷子になってまで私たちに苦労をかけないでくれる、口裂け女さん?」
鍵音の言葉を遮り、甲高い声で少女が口を挟んできた。そちらを見てみると、ぞろぞろと少年少女たちが連れ立って歩いてきた。
革鎧に槍や剣、ローブ姿に杖を持つ者もいる。魔物と戦う兵士たちなのだろう。その姿はどの世界でも変わらないらしい。
だが、その集団は鍵音を心配する様子ではなく、ニヤニヤと嘲笑う人を見下した悪意のある表情だった。
「……どうも稲美さん。幸運もあって、なんとか脱出することができました。ええ、本当に苦労して死ぬかと思いました」
先程まではアワアワと慌てて小リスのような鍵音が、サッと手で顔を覆い、暗い重苦しい表情へと変えると顔を俯ける。その様子を見て、稲美と呼ばれた少女はケラケラと笑い、周りも同調して笑う。
「ぷっ、転移罠に引っ掛かるなんて間抜けなんだから。一階層で死にそうなんて大袈裟じゃない?」
「そうだよな、小学生だって遠足気分で帰ってこれるんだぜ?」
「駄目よ、そうしたらこの子はハンターなのに、小学生以下ということになるじゃない」
「おい、本当のことを言ってやるなよ。ただでさえ、口裂け女は普通の仕事にはつけないんだからよ。ハンター業で生きていくしかないんだから可哀想だろ」
少年少女たちは鍵音を馬鹿にして大笑いをする。周りには他にも多くの人々がいるがその様子を見て止める者もいない。それどころか、薄笑いで楽しんでいる者たちもいた。
その様子を見て、俺はショックを受けていた。ぽかんと口を開けて、先程の感動とは違う大きな衝撃を受けていた。
なぜならば、古代の映像とかでしか見たことのない光景だったからだ。仲間の皆とこんなのは話を面白くするためのフィクションだろと笑いながら話していた光景だった。
━━━そこには悪意があった。俺たちの世界にも悪意はあるが悪戯のような軽いものだ。しかし、彼ら彼女らは人を甚振ることを本当に楽しげにやっている。
(まさか悪意を持つ人類がいるなんて……悪意を持ち、人を甚振ることを良しとするとはな。魔物だけだと思ってたよ。本当に存在したのか)
魔物たちは生存者を装ったり、味方に化けて、俺たちを滅ぼすために悪意のある攻撃を仕掛けてくる。しかし、人類はそのような悪意を同族に向けることはなく、常に助け合って暮らしているのだ。お互いに悪意をぶつけ合うなどフィクションでしかない。そう教わってきた。
そのはずなのに、目の前の者たちはフィクションのはずの悪意を味方であるはずの人類に向けている。信じられないと衝撃を受けて、案山子のように棒立ちとなっているマナを他所に、会話を続けている。
「ともかくー、私たちの狩りを邪魔したんだから、ばいしょーきん? っていうの? え~と、私たち5人いるから1人三万円として、15万円払えよ?」
「ぷっ、かわいそう〜。でも俺らも苦学生だから、悪いね? きっちりと払ってくれよ?」
「そうそう。体で支払ってくれても良いけど、その時は紙袋を被ってくれよ? 萎えちゃうからさ」
「趣味ワルー! でも、その案良いかも。ギャハハッ」
口々に言い募り馬鹿笑いする奴らにムカムカする。そうか、俺たちの世界と差異があると解析結果にはあったけど、ここらへんが違うのか。
━━━こいつらは魔物たちと同じだ。人類ではない。
よし殺そう。このような者たちが人類にいて良いはずがない。一太刀で殺し魂すらも転生できないように滅しよう。
腕に魔力を込めて、一振りするだけだ。簡単な話である。マナはその瞳に殺意を乗せて、一歩前に出ようとして━━━鍵音が片腕を上げて制止してきた。
「待ってマナ。私に任せてください」
その瞳にも悪意が垣間見えて、内心嘆息してしまう。少し動揺していたみたいだ。この世界にはこの世界のルールがある。それを見極めないといけない。
「15万円で良いんですね? それで、私との繋がりは断つということで?」
俯いたまま鍵音が言うと、稲美たちは少し驚いた顔をするが、嫌味のある醜悪な笑みとなる。
「ええ、良いわよ。貴女との繋がりは絶ってあげるわ。今回のパーティーに貴女はいなかった、そう履歴に残してあげる。そうすれば足を引っ張った経歴がなくなるもんね? また、パーティーに入れる可能性があるもんね? 一階層で転移罠に引っかかった間抜けって事実も無くなるもんね」
周りの人々に聞こえるように、わざと大きな声で叫ぶ稲美に、鍵音はコクリと頷くと懐から板を取り出してポチポチと押していく。
「振り込みました。これで今回のパーティーから削除してください」
「ププッ、本当に支払ったよ、こいつ。オッケー、パーティーから削除。ポンポンと。はい、これであんたは最初からうちらのパーティーにはいなかった。私たちが優しくて良かったねぇ? 一階層で転移罠に引っ掛かる間抜けだって、そんな事実はあんたが金を支払って揉み消せたよ!」
板を操作すると、わざと大声で叫ぶ稲美。どう考えても、この噂は広がるだろう。しかも金で揉み消したこともその噂に加わる。その意図通りにヒソヒソと話す周りの人たちの姿がある。
だが、鍵音は板を見て、満足そうに息をつくと、顔を口元を覆っていた手を外す。
「良かったです。これでこのダンジョンで手に入れた物は全て私のものとなりました。この点だけが気掛かりだったんです」
ニヤリと笑う鍵音が顔を上げると、稲美たちはぎょっとした表情となり、震えた指を鍵音に向ける。
「あ! あんた、その顔! 治ってる!? なんで?」
欠けた鼻も抉れた唇もない。元の美しい顔へと戻った鍵音の姿が稲美たちの目の前にあった。
「ダンジョンボスを倒して『エリクシール』を手に入れたからです。まぁ、もう使ってしまって、空ですけど」
空壜を見せて、驚愕する稲美たちへと鍵音は勝ち誇った顔で告げるのであった。