7話 鍵音はダンジョンから脱出する
「では、ただのオーガを退治しますね、マスター」
「た、ただのじゃないです。マナがただのオーガにしたんです……聞いてます?」
鍵音のツッコミを無視すると、トンと足を踏むと、散歩にでも向かうようななんともない表情でマナはスリーヘッドオーガへと駆け出す。その無駄のないフォームで、髪を靡かせながら走る姿は、ただ走っているだけなのに目を引く。
「ぅ、ウォォォォォ」
本来は3つの頭を持つオーガは、既に右半身を潰されて、2つの頭も潰されて死ぬ寸前であった。だが、ボスとしての意地があるのだろうか、弱々しくも咆哮し、左腕に持つ丸太のように太い棍棒を振り上げる。その左腕を魔力が覆い脈動するように波打ち始める。
その様子から鍵音はスリーヘッドオーガがなにをしようとするのかを悟る。
「! マナ、気を付けてください。スリーヘッドオーガは範囲攻撃を」
鍵音の忠告が終わる前にスリーヘッドオーガが棍棒を地面に叩きつける。
『地裂衝撃』
棍棒を叩きつけた箇所から黒い波紋が地面に広がっていき、地面がマナを目掛けて扇状にめくれ上がっていく。鋭い岩の槍が地面から突き刺すように天へと昇っていき、マナを串刺しにしようと迫ってくる。
『地裂衝撃』は強力な範囲攻撃だ。地面から突き出てくる無数の岩の槍は、容赦なく範囲にいる敵を串刺しにしてしまう。防ぐには範囲から逃れるか、一旦防御障壁を張って防ぐしかない。
だが、マナは足を止めることなく、防御障壁を張ることもなく、薄ら笑いを見せて余裕の態度であった。
「その魔法構成は弱く不完全すぎます。所詮はオーガですね。私が本当の魔法を見せてあげます」
そして、軽くジャンプすると右足を強く地面に振り下ろす。今度はマナの足元から純白の光が波紋となって、しかしスリーヘッドオーガのように扇状ではなく、スリーヘッドオーガ自身を狙うように直線上に伸びていく。スリーヘッドオーガの放った『地裂衝撃』の槍を粉砕しながら。
『衝撃』
「グ! グオッ!?」
純白のエネルギーは、自身の必殺魔法をあっさりと打ち破られて動揺するスリーヘッドに命中すると、その身体をズタズタに切り裂く。鮮血が舞い、スリーヘッドオーガは血だらけとなる━━が足を踏ん張ると倒れることはなく、駆けてくるマナへと棍棒を振り上げて迎え撃つ。
「素晴らしい耐久力です。ボスとしての意地ですか? ━━それとも自身は不滅だと思っていたりするので死んでも構わないと思ってます?」
マナは小さく呟くと、邪悪なる笑みを見せるが、その笑みは後方にいる鍵音には見られなかった。
「ルグォォォ!」
左腕のみとなったスリーヘッドオーガは筋肉を膨張させて、マナへと駆けると棍棒を振り下ろす。ゴウッと突風が巻き起こり、一流の戦士でもまともに受ければ致命傷となる一撃だ。
しかし、マナはタンッと軽く横にずれると手をそっと差し出す。そして、振り下ろされる棍棒に横から手を添えると、猫の手を作り掴む。
「にゃ~ん」
ただ軽く掴んだだけのように鍵音には見えた。それなのに、丸太のように太い棍棒は輪切りとなって、バラバラと散らばっていった。そのまま、マナは棍棒を支点にくるくると回って、棍棒から腕へと手を添えていく。マナが手を添えた箇所は次々と輪切りとなって、地面へと落ちていき、スリーヘッドオーガが振り下ろす時には、左腕もバラバラとなっていた。
「す、凄いです。圧倒的すぎる……内包する魔力はスリーヘッドオーガの方が断然上なのに!」
鍵音は何もできなかった。全力で支援をして、一緒に戦おうと思っていた自分が恥ずかしい。マナのあまりにも精緻な技はスリーヘッドオーガの雑な技とは比べ物にならなかった。
「ウウウウ」
遂に両腕が無くなったスリーヘッドオーガはのけ反り、恐怖で顔を青褪めさせていた。もはやボスとしての威厳も力も無い。
「どうやらあなたでは私の相手にはならなかったようですね」
仰け反るスリーヘッドオーガの前でマナは右腕を大きく振り被る。猫の手にしていた4本の指先から、光で作られた爪が伸びていき、人の背丈ほどの長さに変わる。
「さようなら、え、い、え、ん、に」
『光輝猫爪』
「にゃにゃーん」
振り下ろされた爪は空間を引き裂く光の爪痕をスリーヘッドオーガへと残す。4本の純白の爪はどこまでも伸びていき、金属塊よりも硬いと言われるスリーヘッドオーガの頑丈な身体をまるで紙のように引き裂いて、綺麗に輪切りにするとその命を断つのであった。
スリーヘッドオーガ。南千住ダンジョンの主。Cランクなら36人はいないと勝てないとされる魔物は、マナとの戦いにてろくに抵抗もできずに一分もかからずに倒されてしまうのであった。
「マスター、ご命令通りに致しました。まるで案山子のような敵であったので少しがっかりでした」
「き、ききりがいのある案山子だったんですよね?」
返り血を浴びて血だらけのマナの微笑みは酷薄な冷たき微笑であって、禁断の果実のように甘く美しく魅了されるものだった。見てはいけないものを見たかのように、鍵音は背筋を冷たくするが、気の所為だと思うことにする。
なにしろ大悪魔なんだから、先入観からそんな気持ちが湧いたんだと思う。
本屋鍵音。彼女は今での人生にて虐めにあっていたため、都合の悪いことや嫌なことは忘れたり気の所為だと現実逃避する癖があるのだった。
◇
ダンジョンをたった二人で、いえ、私はほとんど役に立たなかったので、実質マナだけでクリアするという快挙をあげた。
「こちらがダンジョンコアなのでしょうか?」
「うん、それがここのダンジョンの核。あ、破壊したら駄目です。えっと、ダンジョンが崩壊してしまうので、禁止されてるんです」
マナの問いかけに鍵音は答える。大樹を切り抜いた大部屋の奥、スリーヘッドオーガの死骸が復活とかしたら怖いと臆病な気持ちになり遠回りにして鍵音は辿り着いた。
奥の壁面にダンジョンコアはあった。鉱物であるはずなのに、生物に見える。まるで虫の卵のように見えるひょうたん型のダンジョンコアが張り付いている。ドクンドクンと脈動していて、正直気持ち悪い。
「うん、は、初めて見ますが、資料と同じなのでダンジョンコアに間違いありません」
「それでは破壊したほうがよろしいのではないでしょうか? 話を聞くに危険な場所だと判断します」
コテリと小首を傾げるマナの姿はとても可愛らしい。思わず写真を撮りたくなってしまいます。
ダンジョンからは魔物が現れる。そして魔物が増えすぎると外に出てきて暴走を引き起こすのだ。その際の被害は死者も出るし建物も破壊されるので悪夢のようだ。
だから、マナの考えは通常なら正しい。でも、ここは違うのです。
「えっと、ここは階層ごとに敵のレベルが違って、下級ランクから上級ランクのハンター全てが稼げる珍しい場所なんです。しかも内部は広大な土地ですし。えぇと、それで魔物を適切に間引きして管理してるから、ダンジョンコアを破壊しちゃいけないんですよ。こういう利益率の高いダンジョンは管理ダンジョンと呼ばれています」
この『南千住ダンジョン』は多大な利益を上げている。関東でも1、2の管理ダンジョンなのです。
「はっ、敵の思惑が……いえ、マスター分かりました。なるほど、破壊してはいけないのですね。では、どうやってこのダンジョンから脱出するのですか?」
なぜか一瞬軽蔑の瞳になった気がしたけど、思わず目をこすって見直すとニコニコと天使のスマイルだった。さっきのは気の所為だったんだろう。
「あ、それは簡単です。ボスを倒してからダンジョンコアに触れるとランダムでアイテムが一つ出てきて、その後に外へと転移できる帰還陣が現れるんです。それがあれば脱出できます。あ、ダンジョンボスは1週間に1回ポップするの。ボスを倒さないとダンジョンコアに触れてもアイテムは手に入らないんです。よく考えられてますよね?」
「それはそれは……まるでアトラクションですね。感心してしまいます」
「えへへ、そうですよね。私もそう思います」
不思議な魔法のアイテム。それがダンジョンコアなんです。ポリポリと頭をかいて、私もダンジョンって不思議だなぁと思う。
「分かりました。では、マスターは念の為にお下がりを。私が触れてみます」
「あー、うん、私も触ってみたいですけど……マナがボスを倒したんですしね。どうぞ、触ってみて。なにか良い物が出ると良いですね」
「……ランダムでアイテムが出てくるとのことですが、マスターはなにが欲しいですか?」
「うんと、え~と、どうしよう、いや、狙って出るわけではないですけど、……そうだ、エリクシール。体の欠損も治す神秘の回復薬!」
マナの問いかけに、迷ったけどエリクシールと答える。理由は簡単だ。
(よくよく考えると、私の傷跡が治っているのはまずいよ。ご、誤魔化す方法、誤魔化す方法を考えないと)
脱出した後の面倒ごとを考えると青ざめてしまう。傷跡が綺麗さっぱり治るのはまずいんです。
「では触れます」
アワアワと慌てる私を他所に、マナは躊躇いなくダンジョンコアに手を添える。と、触れたからコンピューター回路のようにダンジョンコアに光の線が広がっていき、それでも止まらずに部屋全体が光の回路で光る。
「わぁ、綺麗……。ダンジョンコアに触れるとこうなるんですね」
危険なるダンジョンをクリアした最後のご褒美なのかな。私たちを照らす光に私は圧倒されてしまう。
鍵音は知らなかった、通常はダンジョンコアに触れてもこんな現象は起きないということに。本来はダンジョンコアが仄かに光り、アイテムが生み出されるだけなのだ。この光の回路はまるでダンジョンを侵食するかのようだったが、初めてダンジョンコアを見る鍵音は気にすることはなかった。
「はい、マスター。これがエリクシールですか?」
「へ? ええぇぇぇぇ!」
ウンウンと迷う鍵音に高級な香水瓶の入れ物に見える水晶の小瓶がマナから手渡された。
万能の回復薬『エリクシール』だった。傷跡を治したくて、何度も写真で見たことのある物と同じだった。
「え!? なんで? 私は今日は幸運の日? 一生の幸運使ってないかな?」
「喜んで貰えて幸いです。マスター、帰還陣も発生しました。さぁ、ダンジョンから脱出しましょう」
「うん! えっと、うぅ~ん、もったいないけどエリクシールの中身を捨ててと」
数億円、いや数十億円はするエリクシールだけど断腸の思いで中身を捨てる。あれほど欲しかったものを捨てることに涙を禁じ得ないけど、これは必要なことなんです。
広間の中心に発生した魔法陣を前に、マナがエリクシールなどなんともないという風に自然なる笑みで告げてきて、私もコクコクと頷くと魔法陣へと足を踏み入れるのであった。
(今日が私の逆転の日! まさかこんな日が来るとは思わなかったです!)
ウキウキと弾む心を胸に、今日から始まる逆転劇を予想して。
◇
━━━だから私は知らなかった。今日を最後に『南千住ダンジョン』は魔物がポップすることはなくなり、ダンジョンボスも発生しなくなったことを。一ヶ月後に『南千住ダンジョン』が力尽きたかのように自然に崩壊することを。
そして、今日を境に世界は変わってしまったことを。
異変を感じたダンジョンが頻繁に魔物を外に排出し始めて、しかも強い魔物が多くなることを。
どの国にも所属しない、何者かの組織が暗躍することを。
世界が不穏と混沌に覆われることを。
本屋鍵音は少しも考えなかった。彼女にとっては、偶然最下層に落ちて、忠実にして強力な美少女召喚獣を手に入れて、これからは逆転劇が始まるのだと信じてやまなかったのである。