5話 マナは召喚獣になった
清楚な顔立ちで優しげなマナの微笑みに少女は顔を真っ赤にすると、勢いよく手を差し出してきた。
「はわわわわ、ひゃいっ、わたわたわたわた」
動揺しすぎな少女である。まぁ、死にそうなところを助けてもらって、しかも相手が世界一可愛いマナなら仕方ないかな。
常に自分のアバターを愛でることを忘れないマナである。
マナの可愛さナンバーワンと、ふふふと内心はドヤ顔だが、おくびにも出さずにその手をとるとニコリと微笑む。
「ゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着けてください。私はいくらでも待ちますから」
「ひゃいっ、ヒッヒッヒ、ヒッヒッヒ」
懸命に深呼吸をするけど、深呼吸なのか過呼吸なのか分からない子だ。倒れねーだろうな?
とはいえ、相手への評価を濁らせはしない。少女の様子を見るに━━。
(傷跡が痛々しいな。治療していないのか、できないのか現状は分からないけど、少し可哀想。造作見るに元は美少女だと思うんだけど)
口元の半分が削り取られて、怪談の口裂け女みたいになってるし、鼻も半分欠けていて痛々しい。だが、彼女の信頼を得る絶好のチャンスでもある。
「ほほほほんや、かぎねねねです。よろしゅうお願いしましゅ。本屋鍵音、本屋ゲホッゲホッ」
怪しげな言語である。と言うか、これ古代語の一つである日本語だし。ますます俺の推測が的を射ている証拠だな。
震えながら手を差し出してきて、動揺していること著しい、とても残念な子である。苦笑をしたいが、マナ・フラウロスはそんな態度を取りはしない。聖女のように優しい微笑みを崩さずに、俺はどうやったらインパクトがでかいか高速で考えていた。
「よろしくお願いします、私はマナ・フラウロス。失礼しますね? 少し痛いかもしれません」
「ふえっ!? いつっ」
差し出された手を掴むと、口を近づけて薬指の先端を軽く噛む。鍵音の指からほんの僅かの血が流れ出し、マナの口に流れ込む。
ペロリと舌で口元を舐めると、鍵音は俺を見てきて、なんか知らないけど顔を赤らめていた。
「うわ、なんか背徳的なえっちさ……」
なんか知らないけど。
まぁ、今は変態みたいな発言をする鍵音へリアクションを返すよりも大事なことがある。
『詳細解析』
採取した血液を魔法にて解析する。その解析はどんな機械よりも正確で速い。
『血液を解析したことにより、個体名、本屋鍵音の遺伝子及び魔法回路を解析しました』
望んだ結果が脳内に入る。肉体を持つ人間を解析するのは初めてだが、問題なく遺伝子とその身体を巡る魔法回路の解析を完全に終えることができた。
人を超えたソウルアバターだからこそ、この仮初めの肉体の脳は一部バイオコンピューター化してあるからこその解析能力だ。人間では決して不可能だろう。
これでこの子を魔法で確実に探知できるので、そっと気づかれないように彼女の魂に楔を刺しておく。
(『次元座標』チェック。ターゲット本屋鍵音)
「マスター、儀式が終了致しました。これで正式なる契約が結ばれました」
僅かに小首を傾げると、肩からさらりと髪を流しながら、微笑みを向ける。マナの微笑みに見惚れて鍵音は顔を真っ赤にしてコクコクと頷く。
「ほ、ほぇぇ、こちらこそよよよろしくお願いしましゅっ!」
もちろん契約云々は嘘です。息を吸うかのように嘘を付く美少女、その名はマナ・フラウロスです。
くくく、これでこの子がどこにいても丸わかりだ。肉体を持っていると不便だよね。ふはは、マーキング完了。なんかマーキングというと変態っぽいよね?
さてお次は魔力の回復だな。
(あ~ん。ツインヘッドオーガの魂いただきま~す)
小さく口を開けて、息を吸うように吸い込む。鍵音は見えないだろうが、今この場所には倒したツインヘッドオーガの魂が浮いているのだ。
ツルッと食べて━━スキルなどは手に入らなかったが、少しだけ魔力が回復する。
『0.01%の魂力の適応を確認』
脳内に閃く内容にため息を堪える。この餌では魂力の回復は微々たるものか。ま、いっか。最低限の魔力は回復したし。
次は鍵音だ。ここはお役に立ちますとのアピールのため、まるで女神が信徒に加護を与えるかのように、そっと手のひらを鍵音の額に押しつけて回復魔法を使う。
『再生』
俺は回復魔法をどんなソウルアバターよりも極めている。水溜りのように少ない魔力でも、肉体を回復させるくらい楽勝だ。
蛍の光のように淡い光がポツポツとマナの周囲に浮かぶと、鍵音へと吸い込まれていく。
「な、ななな、なんですか、けれ? これ? けれ?」
状態異常『混乱』でも受けたかのように慌てる鍵音の身体が光で包まれる。そうして切り傷だけではなく、欠けた鼻や抉れた唇から泡が発生して再生していく。
見えない部分にも傷跡はあったのだろう、身体の各所からも光が放たれる。魔法の光は物理法則を無視して、魔力により少女の細胞を数秒で培養し、健康体へと変えるのであった。
翳していた手を戻して、慈愛の笑みで鍵音を見つめる。ふふふ、天使。天使の微笑みですよ。
だけど、せっかくの天使スマイルなのに、鍵音は自分の顔や手を触るのに忙しかった。欠けた鼻や抉れた唇が元に戻ったことに気づき違和感を感じたのだろう。
「え? ええ? ま、待って、これ、これって、この感触は?」
慌てすぎて四つん這いになりながら湖面へと這うように近づき、自身の顔を映す。
「これ! う、うそ? ううううそ?」
信じられない思いなのだろうか。湖面に映る顔を見て言葉を失う少女。そしてぽたりぽたりと落ちていく涙が湖面に波紋を作る。
「こ! これこっここここ」
嬉し涙で泣き続ける様子を見るに、どうやら今まで辛かったのだろう。
「僭越ながらマスターの傷跡が気になりまして、回復させていただきました。よろしかったでしょうか?」
静かに隣に立って、労るように優しい言葉をかける。と、ダンプカーのように勢い良く突撃してきて強く抱きしめてきた。
「あ。ありがとう! ありがとう、フラウロス! ふぇぇん、ありがとう! まさかこの傷跡が治るなんて思ったこともなかった!」
「ソロモン72柱の1柱であるこのマナ・フラウロスならばこの程度は簡単なものです、マスター」
忠実なる召喚獣。ソロモン72柱300人の1人マナ・フラウロスなのだ。300人いるのは最近ソロモン72柱を名乗るのが流行りだからです。人気のアモンやアスタロトは10人以上います。その前は7罪、その前にはオリンポスの神を名乗ってたかな?
背景を知ったら仰天するだろう裏設定はもちろん秘密にして、軽く抱きしめ返す。優しい優しい召喚獣ですよ〜。召喚獣のふりをするのは意味がある。悪いが騙されてくれ。
しばらく泣き続けていた鍵音はようやく泣き止むと、鼻水を垂らして真っ赤に腫れた目をクシクシと擦りながらはにかむ笑みを見せる。
「えへへ、ずひっ、ありがとうね、フラウロス。ううん、マナ! 私のことはキィって呼んで!」
距離の詰め方がミサイル並みに速い子だな。だが、ここは忠誠心を見せる時だ。
「申し訳ありません、マスターのことを名前呼びするのは不敬にあたります。お名前をお呼びすることはご遠慮致します」
忠誠心溢れる召喚獣は簡単には馴れ馴れしい態度をとることはないのだ。恭しく小さく頭を下げて、お断りをする。
他者から見たら、本当に忠誠心溢れる召喚獣に見えるだろう。もちろん鍵音も騙された。プクッと頬を膨らませると唇を尖らせて不満を露わにする。
「ぶーぶー。召喚獣よりも友だちがいーなー! 友だちがいーなーいーなー!」
「マスター。私は召喚獣です。敬愛するマスターの召喚獣で友だちにはなりません」
(鍵音を利用する気だからなぁ、友人関係になると罪悪感半端ないからな)
俺の予測が当たっているならば、敵の世界に攻め入るよりも大変なことになるはずだ。間接的とはいえ、その手伝いをすることになる鍵音を騙すことになるのだから一線は引いておくべきだろう。
天使の笑みを魅せて、抱きついてきて赤ん坊のようにむずがる鍵音の頭を優しく撫でながら、内心は冷酷に計算高かった。
「それよりも、マスターは危機的状況にあると判断致します。現状を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
(この世界のことを教えてくれ、マスターさん。ここがどこか? そして君たちの戦力を)
瞳に冷たき冷酷さを宿して声音は相手を心配しているように尋ねると、鍵音はハッとした顔でようやく離れると真面目な顔になる。
「そそそ、そうだった。早くここから脱出しないと! え~と、この世界は『地球』と言うんだよ。そして、ここは南千住ダンジョン! その最下層なんだ!」
「『地球』というのですか。そしてここは疑似空間で作られた『ダンジョン』なのですね」
鍵音の説明に、やはりそうかと、俺は片眉をあげて微かに嗤う。そうかそうか、やはり『地球』か。
ここは俺たちの世界とは違う平行世界である可能性がある。そして、ここにティアマトが座標軸を用意していたのも推測できる。
あのトカゲ野郎! 俺らの世界のみならず、次の世界も手を出していたのか。
両面作戦を展開していたとは、俺らのことを舐めきっていたようだけど━━━このチャンスは俺が代わりに使ってやるよ。
マナは思いがけない降って湧いたチャンスに、鍵音へと温和な笑みを見せながら内心では牙を研いで嘲笑うのであった。