36話 アカデミー
中期テストから一週間経過した。普通ならば、次の期末テストまではゆっくりと一年の授業スケジュールなどを考えて、新人教師以外は余裕ができる期間だ。
しかし、今年の世界樹帝国学園は中期テスト以来、静かになったことがない。
職員室にて、教師たちは大忙しであった。
「はい、はい。Bランクの魔石につきましては、順次売りに出す予定でして、え? Aランクですか? それは競売に出される予定で、相場の3倍出す? そう言われましても……」
「契約書の内容を確認した? きっちりとした文面でないとアカデミーとして恥をかくからな?」
「Sランクの魔石はですね。既に中大兄家に売り渡すことが決定していて、はい、家門間の話し合いが行われてましてですね、はい、そうなんです」
「蘇我家の方がいらっしゃいました! 誰かおもてなしをして!」
各教師たちは、本来の業務そっちのけで、電話での対応や、アカデミーに訪れる客のためにてんやわんやで働いていた。皆、汗だくで疲れている様子が一目で分かる。
なぜこんな事になったかというと、中期テストが原因である。あの中期テストにて、今までになかった結果が重しとなって、教師たちの肩にずっしりと乗ってきたからだ。
「あ〜、さっきから電話が鳴りっぱなしだ。これは終わることはあるのかね?」
ようやく話が終わって受話器を置いた教師が椅子にもたれかかり、うんざりとした顔で言う。この一週間、教育スケジュールそっちのけで対応をしていたのだから愚痴も出ようものだ。
「まぁ、後少しですよ。抱え込んだ魔石を送れば、静かになるでしょう」
どうぞと隣の教師がお茶を手渡してくるので、半眼となってお茶を啜る。淹れたての熱さが疲れた身体に心地よく、固まった心がほぐされるようだ。
「そうだな。魔石の方はそれでよいだろうよ。アカデミー設立以来の量だったからな」
「いやぁ~、悪魔って凄いんですね。まさかたった一人で、魔物の群れを殲滅するとは思いもよりませんでした。あの悪魔がいなかったらと思うとゾッとします。僕ら軍が出動するまでの時間稼ぎに使われて死んでいたかもですね。ははは」
軽薄そうな笑いを上げる男に苦笑して頷く。
「4000匹近い鬼の群れ。Aランクも100匹以上……か。まず間違いなく俺らは死んでただろう。ラッキーだと思うが、その結果がこれだからな。感謝の念も少なくなるってもんだ」
職員室で他の教師たちが忙しく働いているのを見渡してため息をつく。命が助かったのは幸運だった。それは理解しているが仕事量が理性をガリガリと削っていくのだ。
「これ、アカデミーの規則変わるかもですよね。今まではテストで倒した魔物素材の所有権はアカデミーに帰属するルールでしたけど、こんなに大量に魔物が倒されることを想定していないっすもん」
「そのとおりだな。今までは倒せてもAランクが数匹程度。そして、Aランクを倒せるような生徒は金に困っていないから、アカデミーが没収しても、授業料だと見過ごしたが……今回は4000匹だからなぁ」
「蘇我家が文句を言うのも分かりますよね。それにSランクを倒した物部家は絶対に引かない様子ですし」
「蘇我家はその分を貸しにしてきそうだが……物部家はそれくらいじゃ妥協せんよ。Sランクなんぞ1年のうち、一匹倒せるかどうかだからな。まぁ、もう一匹倒されているわけだが」
魔石は高純度であればあるほど、強力な魔法を付与できる魔道具を作成できる。魔道具の作成において、大家である物部家は絶対に諦めない。それは誰しもが理解している。理解してはいるが、はい、分かりましたと簡単に引き渡すこともできない。そんなことをすれば、他の生徒たちから文句が出るのは明らかで、下手をすれば過去に遡って、魔石代を返せと声を上げる者がいる可能性があるからだ。そんなことをすれば、アカデミーの財政は一気に悪化して、経営が傾くかもしれない。
「まぁ……相場よりも遥かに安く売ることと、アカデミーへの何がしかの貸しを作ることで納得してもらうしかないだろうよ」
「まぁ、手堅いところですか。やれやれ、今年の生徒たちは豊作すぎですね。物部守屋の使用したSランクの魔物を倒せる魔法ってなんだと思います?」
「ん~~。なんだろうな? たぶん物部家の秘奥だろ。優秀な魔法使いを完治一ヶ月まで痛めつける副作用付き。俺らには絶対に教えんだろうよ」
魔石の話に興味がなくなったのか、もう一つの話題を持ち出してくる。それもこのアカデミーで話題になっていることの一つだ。
なにせBランクの力しか持っていないと思われていた物部守屋がSランクの魔物を倒したのだ。その魔法はなんだと興味を持つのは当たり前だろう。
だが、相手が悪い。この日本帝国で強大な権力を持つ物部家だ。問い合わせをしたと同時に睨まれて失職する可能性は高い。
「やっぱりそう思います? 教えてもらえば、俺も教師ではなく、ハンターとして活動するんだけどなぁ。マナ・フラウロスのバトルの映像はなぜかマーモットが押し合いっこしてギュイーンをしてる映像になってるし」
「あら、随分と暇そうなのね? 貴方は自分の仕事を終わったようだけど、そういう場合は他の人を助けなさいって、生徒たちには指導してるんじゃなかったかしら?」
「が、学園長! これはお日柄もよく、えぇと、決してサボっているわけではないんです」
おしゃべりをしていた教師は、蜘蛛が蝶を絡め取るような蠱惑的な声音に慌てて振り向き、頭を下げる。
「そう? 皆が忙しく働いているから、貴方たち目立ってるわよ。ゆっくりとお茶を飲むなんて、あいつらめ、とね」
クスクスと可笑しそうに笑う。
三角帽子に漆黒のローブ。メロンのような大きな胸と白い肌が輝くような脚の部分のスリットが大きく開いており、その艶めかしい肌が見る者の劣情を催す。背中まで伸びる黒髪に、切れ長の瞳は吸い込まれそうに魅力的で血のように真っ赤なルージュで彩られた唇からちろりと覗く舌に、我知らず興奮を覚えてしまう。片手に煙管を手にして、紫煙をゆっくりと吐くのは、御歳100歳を超える魔女にして、最強ともいわれる学園長である。
彼女の名前は壱岐ニニーヴ。誰もが恐れるこのアカデミーの最高権力者だ。
「はい、申し訳ありません。すぐに他の人の手伝いをしたいと思います」
「そう。お願いね、他の人の授業スケジュールを作成するのを手伝ってちょうだい。このままだと授業に支障が出ますからね」
スイカのように大きな胸を強調するかのように腕組みをするニニーヴに、思わず目が胸に奪われて、ゴクリと唾を飲み込むとコクコクと頷く。
「あ、学園長。物部守屋の戦闘記録とマナ・フラウロスの戦闘記録はどうしますか? どのような戦闘方法かレポートを提出させないといけないのですが」
「必要ないわ。魔石だけでもこの騒ぎようよ? 収拾できない騒ぎになるだろうし、物部守屋は秘奥魔法を開示しないでしょう」
「たしかに。ではレポートは無しとします。マナ・フラウロスの方はいかがしますか?」
「そちらもいらないわ。撮影していたはずなのにマーモットの動画でした、なんて責任問題になるわよ? それにマナ・フラウロスは格闘のみで敵を殲滅したと、他の生徒たちからヒヤリングを終えてますしね。全ての映像を破棄しておきなさい、マーモットの動画よりも、破棄しておいて存在しない方が言い訳も聞くしね」
「分かりました。では、そのように致します」
「えぇ、よろしくね。マスターテープも合わせてきっちりと処分しておくように」
夜に羽ばたく蝶のように妖艶な笑みで微笑むニニーヴに、教師たちは顔を赤くして頷く。それをみて満足げにヒラヒラと手を振るとニニーヴは去っていくのであった。
その後ろ姿を見て、教師たちは緊張が解けて、深く息を吐く。
「いやぁ~、学園長、病気で危篤とかデマだったんですね」
「それどころか、若くなってるじゃないか。この間までヨボヨボの婆さんで、いつお迎えが来てもおかしくなかったのにな」
そうなのだ。ニニーヴは先週までは休みがちで、もはや押したら死にそうな程に弱々しいお婆さんであった。だが、三日前に突然若い姿で現れて、大騒ぎになったものだ。
「修行をしていたって噂だ。なんだっけな、還魂離脱? よくわからないが大陸系の修行で若返ったんだとさ」
「最高の魔法使いは歳をも超えるんですねぇ。俺もあやかりたいっす」
「俺も最近は胃の調子が悪くてな。若さを手に入れることができるなら欲しいよ」
「Sランクの魔法使いにならないとですね」
それは無理だなと笑って、教師たちはひとしきり笑うと、仕事に移るのであった。
◇
ニニーヴはアカデミーの中を歩き、自身が住むことを許された塔に到着する。中世にありそうな石造りの古めかしい塔だが、中は最新式の内装で、生活するのに苦はない。
コツコツと足音を立てて歩きながら、怜悧な瞳で口元を歪めて呟く。
「日本で数人しかいないSランク。とはいえ、寄る年波には勝てずに、引退してアカデミーの学園長。尊敬されるSランクの元ハンターにして最高位の魔法使い。今は力もなく、権力者にすり寄る俗物となった老害」
塔の中を進み、通路の途中で何も無さそうな壁に手を当てる。
「早くくたばれと、他の者たちから陰口を叩かれて蔑まれていた哀れな人生終盤」
手を当てた箇所から光の回路が伸びていき、扉の形となると、ポッカリと新たな通路が現れる。階段となっており、地下へと続く道はまるで怪物の口に入るかのようで不気味だ。
「冗談じゃないわ。そんな人生を過ごすために頑張ってきたわけじゃない。金があっても歳のために、旅行にもいけず美味しい料理も食べられない。そんな人生を送るために生きてきたわけじゃないわ」
魔法にて光を生み出して薄暗い通路を進み、行き止まりの扉の前で、再びつぶやくと、魔法陣が扉に描かれてゆっくりと開く。
光球が辺りを照らすが中には何もなく、床に複雑な模様で描かれている魔法陣があるだけであった。その魔法陣へと手を向けると、魔力を送り込む。
『悪魔召喚』
と、魔法陣が魔力にて輝くと、床から巨大ななにかが姿を現す。それは中世の貴族の服を着たものだった。薄緑の服を着て、その背丈は3メートルはあるだろう。普通の人間ではない。服の裾から覗く手足は毛むくじゃらで、獣のものだ。なによりも、頭が3つある。
ウサギ、リス、狐と、獣の頭がその存在にはついていた。小さければ可愛いかもしれないが、巨大な頭、耳まで裂けている口に、ずらりと生えた牙は凶暴さと不吉さ、そして邪悪さしか感じられない。
だが、ニニーヴは恐れるどころか、恍惚とした顔でひざまずくと、祈るように手を組む。
「おぉ、我が主、ソロモン72柱の一つ、地獄の大公爵、魔の叡智、ダンタリオン様。召喚に応えていただきありがとうございます」
ひざまずくニニーヴを睥睨し、異形なる者は口を開く。
「若さのために、魂を売りし魔女よ」
ウサギの赤い瞳が血のようにドロリとした視線を向ける。
「世界を混沌に落とすことを躊躇わない獣のような人間よ」
リスの口が耳まで裂けて、可笑しそうに笑う
「じ、人類の、これなんて読むんでつ? えっと、欲望に生きる人類の背信者よ」
最後の狐がセリフを少しとちった。
「ははぁ〜。壱岐ニニーヴ。ダンタリオン様の忠実なる眷属が拝謁致します」
だが、それも自身をからかっているのだろうと判断し、頭を上げずに応える。
ニニーヴはソロモン72柱の悪魔が実在すると聞いて、老いと病で死にそうな身体で懸命に過去の悪魔召喚の文献を調べた。
そして、つい先日に悪魔ダンタリオンを召喚することに成功したのだ。願いは『若さ』。代償は己の魂と世界の混沌。
ためらうことなどなかった。悪魔との取り引きはろくな結果にならないと過去の文献は伝えている。しかし、それがなんだというのだ? 己は既に死ぬ寸前だ。名声や権力、財宝を持っていても、何の意味もない。
人類がどうなろうと関係ない。ニニーヴはこれまでの全ての名声も成果も捨てることとした。
「ダンタリオン様のご命令通り、物部守屋とマナ・フラウロス様の映像は破棄するようにいたしました」
「よろしい。では、次の命令を与える」
暗闇の中で、ダンタリオンの言葉が虚ろに響くのであった。
これ以降、世界は混沌へと堕ちていくが、ニニーヴは欠片も気にしなかった。若さとはそれだけの価値があるのだと知っているから。
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