13話 鍵音のハンターとしての意志
ビル内に警告のアラームが鳴り響く。不安を煽る鋭い警告音に、鍵音は心が苦しくなり早鐘のように心臓が鳴り、走っている間にも脚が震える。
(避難用アラーム……いつ聞いても慣れないです)
トラウマだ。幼少期、自分が家族を失い、自身もひどい怪我を負った事件を否が応でも思い出す。幼き日の自分はなにが起こったか分からずに、両親にこの音はなぁに? と無邪気に尋ねていたものだ。優しい両親は自身も怖いだろうに魔物が襲撃したことなどおくびにも出さずに、大丈夫だからと頭を撫でてくれた。
━━━そして、自分を庇って亡くなった。
今でもアラームは苦手だ。徐々に大きくなる警告音に、自身の視界が真っ赤になり、パニックになりそうになる。
「マスター、大丈夫ですか? 体調が悪そうですが、なにかありましたでしょうか?」
「あ………だどどだど、大丈夫ですっ、うん、わわたしは大丈夫だからっ」
天使のように可愛らしいマナの心配げな瞳を見て、スッと頭が冷えてきて、パニックになっていた自分が恥ずかしくなり、少し大きな声で答えてしまう。
「よろしかったらマスターはここでお待ちを。私が原因に対処してきますので」
「う、ううん。そうはいかないです。私はまだまだ未熟なハンターで、ち、力もありませんが、それでもっ、それでも、魔物から人々を守ることができるからっ」
ぎゅっと手を握りしめて、絞り出すように言う。たしかにマナが行けばよいのかもしれない。彼女の戦闘力は私をはるかに上回っているし、それどころかほとんど魔力が無い私では足手まといになる可能性すらある。
でも、ここでマナ1人に任せて、自分は安全な場所で待っているなんてできない。ハンターになった理由は、お金を稼ぎやすいということと、傷だらけの顔でも誰も気にすることなく一人で仕事をできること━━━。
そして、魔物たちから人々を守るためにハンターになったのだ! 幼き日の自分のような子が生まれないように、少しでも役立てればと決心した。だからこそ、ほとんど魔力が無いと蔑まれても、ハンターという仕事にしがみついてきたのだから。
「………お優しいのですね。人間モドキと思って申し訳ありませんでした。貴女はたしかに人間である可能性があります」
「あわわわ、私なんて大したことなくて、魔法も3回程度しか使えませんし、身体強化も普通の大人よりも辛うじて強いというレベルでして………」
「マスター。力の有無は関係ありません。人を助けるその心が重要なのです。私は力ある心ないものよりも、力なくとも人を助ける心を持つものを尊敬いたしますよ」
慈しむような瞳に優しい微笑みでマナが私を見てくるので、その甘いケーキのようなとろける笑みに真っ赤になってしまう。私は男の子が好きなのに、マナを見るとモヤモヤとしてしちゃう! この子の笑みは危険だよ、どんなに甘いスイーツよりも危険なカロリーがありそう!
「マナさん、そこまで心配なさらずとも大丈夫ですよ。既に非戦闘員は避難を終えているでしょうし、ここにいたハンターたちが防衛に当たっているはずです。このアラームもすぐに収まることでしょう」
通路を駆けながら藤原さんが安心するようにと気楽な口調で話してくる。たしかにここは南千住ダンジョンに近く、そのため多くのハンターたちがいるだろう。私たちが息咳き切って辿り着いた時には終わっていそうだ。徒労に終わる可能性は高い。
「でも、念の為、魔法を溜めておくね」
自身の体内から魔力を引き出し、魔法を構成し始める。私は弱い。他の仕事を勧められる程に弱い。最底辺の魔力しか持たない。最弱の魔物であるスカベンジャースライムも下手したら倒せないレベルだ。
だからこそ、少ない魔力を最大限に使うために、魔力操作を精緻にして、効率の良い魔法を使えるようにした。
━━━それは何かというと。
『遅延』
『魔力盾』
初期魔法である防御魔法を使い、自身に溜めておく。『遅延』の力により。魔法の発動を遅らせて、好きなタイミングで発動できるようにする『遅延』は使い方は難しいが、消費魔力は少なく鍵音でも使える魔法だ。
それならば皆が使うのではと思いがちだが、本来の『遅延』はやたらと覚えるのに難易度が高い割に、遅らせる時間は10分に満たない。そのため人気のない魔法であった。
だが、この魔法を鍛え抜いた鍵音は、『遅延』の遅らせる時間を1時間まで引き伸ばしていた。1時間も引き伸ばせば、少しは魔力が回復するし、同時に発動もできる。魔力の少ない鍵音にとっては切り札であり、生命線でもあった。
『遅延』
『魔力盾』
『遅延』
『魔力盾』
(全ての魔力を防御魔法に使用して良いよね………ええっ!?)
いつもならこれだけ使えば尽きる魔力が、未だにコンコンと湧き出る泉のように、まだ残っていることに気づき、驚きを隠せない。
(こ、これ、まだまだ魔法が使えそう。なんか身体が変。ううん、変ではなく絶好調。今までは壊れかけた水道だった、切れ切れの魔力の流れが、今はスルスルと流れてくる!)
体内に感じる魔力は今までの10倍近い。元が少なかったとはいえ、これは異常である。そして、その原因は明らかだった。
走るマナをチラリと横目で窺うと、マナは私の視線に気づいてニコリと笑いかけてくれる。
「いかがいたしましたか、マスター?」
「う、ううん、な、なんでもない! なんでもないですっ」
嘘だ。何でもある。
(原因はマナの回復魔法だよね……な、ななんで? と、とりあえず秘密にしておいたのは正解だったです)
エリクシールを使ったことにして、ナイス私と安堵をしていると
「マスター。どうやら高潔なる心を持つ者たちは多くいるようですね。見直しました」
慈愛の笑みでウンウンと頷くマナに怪訝な顔をしてしまう。
「それ、どういう意味です?」
「はい。戦う力もなさそうな人々もこの先の広間に大勢待機しています。ビル内から外へと魔物を出さないために、勇気を出したんですね」
受付ホールへと辿り着き、私はマナの言うことを理解した。
━━━受付ホールには大勢の人々がいた。スマホを掲げて、興味深そうにお喋りをしている呑気な野次馬たちが。
◇
「これだけの数の人間がいれば魔物たちも食べるために足を止めるでしょう。自身の命を引き換えに人々を守るこの人たちを私は尊敬いたします」
「ち、ちがっ、ここここののひとたち、違うっ!」
感心するマナの姿に嫌味はない。本当に彼らが魔物を防ぐために残っていると考えているのだ。でも、それはまったくの違う理由であることは、私たちは理解している。
「魔物が逃げたんだってさ。動画に撮れるかな? バズったりして。ニュース番組に売るのも良いよね」
「さっき、雷鳴の騎士が降りてったぜ。俺、少しハンターたちのこと詳しいんだけど、雷鳴の騎士なら、あっさりと討伐するだろ」
「うわぁ〜、祭りじゃーん、フレ呼ぼフレ。今避難警告でてて、笑える、と」
広いはずの受付ホールには大勢の人々が引き締め合っている。誰も彼も楽しそうに興味津々で、スマホを掲げて動画を撮影したり、興奮してお喋りしたり、あまつさえ友だちを呼ぼうとするものもいて、皆は階段付近を眺めていた。
野次馬だ。「ここから避難してください!」「危険です!」「入らないで、ここから先はハンターのみが入れます」と、人々を職員が懸命になって押し止めようとしているが馬耳東風、まったく聞く耳を持ってくれていない。
「なにをしてるんだっ! ここには魔物が来るんですよっ! 貴方たちは命が惜しくないのですかっ!」
野次馬を前に、藤原が激昂して怒鳴る。当然だ。この人たちを守るためにハンターたちは命懸けで戦うのだから怒って当然である。
しかし、野次馬たちは激昂して怒鳴る藤原を見て、恐れるどころか、見下すように嗤っていた。
「あ~、公務員がそういう態度とっていいわけ? 動画にあげますよ〜?」
「最近の公務員は誰の税金で養われてるか分かっとらん」
「コンプライアンス大丈夫? あんた首になるよ? それどころか、民間人を怒鳴った高圧的公務員として、社会から爪弾きにされるかもねぇ」
まともに話を聞くつもりはないらしい。この人たちを説得するのは無理だと私でも分かる。数は力と、野次馬根性丸出しで強気でいるのだ。その呑気な姿にイライラしちゃう。
「っち。この愚か者たちを相手にしている時間はありませんっ! 本屋さん、マナさん、申し訳ありませんが地下についてきてください」
苛立ちながらも、野次馬たちを説得するのは不可能と判断したのだろう。藤原が先に進むように声をかけてくる。が、マナが答える前に人差し指を地下へとつながる階段に指差す。
「よくわかりませんが、もう遅いかと。どうやら敵がお出ましのようです」
なにがと問う声は出なかった。マナの言う通りに血相を変えた人たちが地下から転げるように出てきたからだ。
「た、たすけっ、助けて! きゃあっ!」
「邪魔だっ、どけっ、クソガキめ!」
出てきたのは稲美だった。でも、後ろから現れた中年男性に突き飛ばされて床に乱暴に倒れてしまう。
中年男性は罵りながら、他の人たちも押し退けてこちらへと向かってくる。その必死な形相が、私たちを見て僅かに緩む。
「ははっ、逃げ切れたのか、命がたすか━━━」
バクン
そして、後ろから現れた不気味なる異形のおたまじゃくしに頭を喰われた。頭が目玉となっており、その中心から二つに割れて牙を剥き中年男性に噛みついたのだ。
中年男性はよろよろと身体だけが歩くことを止めずに進み、自身の頭がなくなったことをようやく知ったのか、首から血を噴き出しながらゆっくりと崩れ落ちる。
さらに後ろから何匹ものおたまじゃくしの化け物たちが姿を現すと倒れた中年男性に群がり、ボリボリと骨を砕く音と肉の咀嚼音を立てて、餌に群がる鯉のようにあっという間に食べきってしまうのだった。中年男性がいた証は床に広がる血だまりだけとなり、先程まではうるさかった野次馬たちはなにが起きたのか分からずにシンと静まり返る。
「見たこともない魔物!? あんなのを捕獲したとは聞いておりませんが、やるしかないようです。オンキリギリスバッタ、オンキリギリスバッタ。式神よ、奴らを食い殺せ!」
『群虫』
藤原が符を取り出すと、目玉たちへと投擲する。空中で符は燃え上がり、炎の中から数百匹の蝗が生まれると、目玉たちに襲いかかるとその身体に噛みつき始める。
「これでもハンターを管理するハンターギルドの職員なのですよ。たとえ、戦車でも私の蝗たちはその牙で数分で食い尽くし━━なっ!?」
藤原の言葉が終わる前に、パッと蝗たちは消え失せた。魔法で倒されたのではなく、元々そこにはいなかったかのように突然消えた。
「『解呪』? いえ、魔法を発動した感じはしませんでしたが」
困惑する藤原をよそに、おたまじゃくしの化け物たちはそばに倒れている稲美へと対象を変えると、大きく口を開く。
「い、いやぁ~、助けて、誰か助けて!」
おたまじゃくしの化け物たちは餌を見つけたとばかりに襲いかかり、稲美たちは絶叫し━━━。
『魔力盾3層』
空中に生まれた魔力の盾におたまじゃくしの化け物は阻まれて、突然出現した魔力の盾に警戒するように後ろに下がり間合いを取る。3層の魔力の盾だ。今の私が使える最高の防御盾。
「えっ!? な?」
「早くっ、早く逃げてくださいっ! なな長くは持ちませんです!」
「あんたが? なんで助けてくれるの? 虐めたのに」
「たしかに憎いですけど、死んで欲しいとかまで思いませんっ! 人の命は大切なものなんですっ! はやく、早くしてっ!」
困惑する稲美へと精一杯大声で怒鳴り返す。たしかにアカデミーではいじめられていたし、ダンジョンでは死にかけた。それでも、憎いけど、許せないけど、殺したい、死んで欲しいとまでは思わない。
「あ、ありがと、あ、あぁっ!」
お礼を口にして、なんとか立ち上がると稲美は魔力の盾の陰に隠れるように移動しようとし━━━パッと魔力の盾は消え失せた。
そして、おたまじゃくしの化け物たちは一斉に稲美たちへと襲いかかる。
間に合わない。もう魔力の盾を発動させる時間もない。稲美が殺される。同じアカデミーの学生が。
視界が真っ赤になる。過去の自分の姿が垣間見える。魔物たちに食われる両親たちの姿が重なって見える。
「そ、そんなのやだっ! 私は私は死なせたくないっ! マナ、彼女たちを守って!」
「かしこまりました、マスター」
『衝撃』
私が言葉を終える前に、マナが軽く床を踏む。ただそれだけなのに、細い線のような衝撃波が床から直線状に噴き出していき、おたまじゃくしの化け物たちをことごとく風船のように割っていった。
「マナ・フラウロス。マスターの命により、これより彼女たちを救出いたしますね」
そうして、まるでドレスでも着ているかのように、優雅に礼をすると、唖然とする私たちを前に、マナはニコリと微笑むのであった。