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第四章|間違った扉

水音がしていた。

――どこか遠くで、ぽた、ぽた、と。

その音が、頭の内側から鳴っているような感覚だった。


「……う……っ」


まぶたの裏に、何かがちらついていた。


数値の羅列。灰色の円形。読み取れない文字列。

画面の端に並ぶステータス表示のような……ゲームのUIを思わせる視界だった。

それが一瞬ごとに形を変えて、次々に重なって、やがて滲んでいく。


あれは、何だったんだろう。

そう考えるより早く、記憶の奥に焼き付いた“何か”がよみがえってきた。

白い布。空に浮かぶ輪。誰かの手。祈っていた。何かを。誰かが。


目の奥が焼けるように痛んだ。

反射的に顔をしかめると、土の匂いが鼻に届いた。


「…………え?」


ゆっくりと、視界が開いていく。

そこは、森だった。

けれど、どこかおかしい。

木々は異様に背が高く、葉は重く垂れ下がって光を遮り、風は吹いていないのに枝がきしんでいる。


(……どこ……ここ)


起き上がろうとした瞬間、右足首に鋭い痛みが走った。

くるぶしをひねったらしい。咄嗟に地面に手をついて支え、服の袖が濡れた土にまみれた。


(わたし……電車にいたはず……)


確かに、そうだった。

仕事帰り、最寄りの駅へ向かう途中の車内。

スマートフォンを見ていた。その後の記憶が急に、途切れている。


(なんで……こんな森の中に……)


焦りというよりも、理解のなさが先に来た。

ここがどこか以前に、「どうしてそうなったか」がまったくわからない。

夢なのか、意識障害なのか。そう思うには、森の空気がリアルすぎた。


空気が、重い。

息をするだけで肺の奥が押し返されるような感触がある。

遠くで何かが軋む音がした。枝なのか、何か別のものか。


ふと、胸の奥にうずくような不安が浮かび上がる。

自分は、何かを視た気がする。

それは記憶としても輪郭がなく、ただ映像の残像だけが焼きついている。


石造りの空間、白い布、誰かの影、円陣、声。

それが何だったのか、言葉にならない。

でもその空間は、たしかに現実とは違う空気をしていた。


(通った……? どこを?)


どこから、ここへ来たのか。

自分がそこを歩いたのか、落ちたのか、飛ばされたのかすらわからなかった。

ただ、自分が誰かに**“見られていた”**気がする。

その記憶だけが、心臓の奥にこびりついていた。


風もないのに、森の奥がざわめいた。

空気の層がわずかに動く。


(誰か……いる……?)


そう思ったとき、直感的に身体が強ばった。

それは動物の気配でも、人の存在でもなかった。

なにか、もっと別の――存在が、こちらを探している気がした。


葉月は、痛む足を庇いながらも、その場を離れようとした。

どこに行けばいいのかも、何を避けるべきなのかもわからない。

だが、ここにじっとしていてはいけない。それだけは本能が告げていた。


――視線。

――誰かが、何かが、探している。


その感覚だけを頼りに、森の奥へ向かって歩き出した。



同時刻。

座標帯の縁をなぞるように、黒衣の人物が地表を踏みしめていた。


F-89。

GIAオペレーター、現地接触任務中。


手元の記録端末が微弱な反応を返す。


存在反応:ヒト型/位相:不安定

状態:孤立/記録名:未割当

判定:接触対象候補


彼は霧の奥に視線を送る。

まだ見えていない。だが、確かに“誰か”がいた。


(ここを通るはずじゃなかったのか……

 あるいは、通るべきだったのか……)


迷入は偶発的現象だ。

だが、その偶発すらも、時に誰かの視線に“意味”を与えられてしまう。

彼の任務は、その意味付けを“GIAの記録として確定させる”こと。


誰よりも先に、彼女を視るために。


F-89は、霧の中へと歩を進めた。

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