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第一章|落ちた者


会社帰りの電車は、いつものように満員だった。


疲れた顔、下を向くスマートデバイス、誰も他人に関心を持たない車内。

早川葉月は吊り革に指をかけたまま、ぼんやりと窓の外の闇を見ていた。


眠ってはいなかった。だが、はっきりと意識があったわけでもない。

あの瞬間までは。


次に目を開けたとき、彼女は地下鉄ではなく、石造りの広間に立っていた。


いや、立っていたわけではない。

足元は不安定で、視界は揺れていた。

空気が違った。匂いが違った。重力のかかり方すら、違っていた。


「……え?」


思わず漏れた声すら、周囲に溶けていく。

広間は巨大な円形で、壁面に並んだ松明の光が、あちこちに影を揺らしていた。

天井が見えない。天井が“ある”という発想すら拒絶される高さ。


そして、その中心には。

誰かが立っていた。


白い法衣を纏った人物。顔は見えない。頭巾に覆われ、身じろぎひとつしない。

その周囲にずらりと座す、暗色のフードをかぶった者たち。


「弾劾は、主の意志により裁定される」


重低音のような声が、葉月の背後から響いた。


振り返る。

気づけば、自分の背後にも同じような服装の者たちが並んでいた。

まるで自分がその円の“内側”に置かれているような構図。


「彼の昇格は正当ではない。彼は視た。見てはならぬものを」


ざわ、と空気が波打つ。誰かが呻いたような声。

そして、葉月は見てしまった。

床の奥、影の中に転がる人の足。いや、それはもう“人だった何か”だ。


焼け爛れたような匂い。だが、熱ではない。

もっと別の、“存在を削る”何かによる損壊。


「ちょっと待って、ここどこ……? 私……」


問いかけは声にならない。音にはなっているが、伝わっていない。

言葉が、言葉として成立していない。


自分が誰なのか。何をしていたのか。どこから来たのか。

すべてが、自分の内側だけにとどまり、世界と結ばれていない。


(見られてる……)


視線を感じた。


誰かではない。何か――世界そのものに、見られている。


その瞬間、円卓の外周にいた一人のフード姿が、ぴたりと動いた。


「……視られた」

静かに、その人物が呟いた。


葉月は直感的に理解した。

その言葉は自分に向けられたものだ。


儀式が変質した。


弾劾でも昇格でもなくなった。

それは、“何か別の儀式”に書き換わった。


「……異端が落ちた」

誰かが言った。


「群境の外から、在らざる者が――主の座へ、触れた」


次の瞬間、広間の空気が圧縮されるように震えた。


足元の石に亀裂が走る。松明の火が、重力を無視して揺らめく。

誰かが叫ぶ声。葉月の視界が、上下も左右もわからなくなっていく。


「記録される前に、消せ……!」


遠ざかる声。溶けるような視界。

最後に葉月が見たのは、暗い天井の奥――

“視線”だった。


物理ではなく、思念でもなく。

それは、記録するための目だった。

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