第十七章|断たれた声
Zərf発動記録の定期モニタリングに異常が出たのは、午前八時の観測波だった。
“なし”。
葉月のZərfが一度も動作していない──それは、明らかにおかしい。
オスカー・ヘイズはその異変に即座に気づき、専用端末で個別ログの検索を開始した。
訓練後の反応率は良好。意識同期率も上昇していた。昨日までの記録に、不安要素はない。
それなのに今日に限って、発動記録が完全に消失している。
(まさか──)
嫌な予感が脳裏をかすめた。
彼はZərf起動端末を確認し、葉月の“最終同期波形”を呼び出す。だが、そこに表示されたのは「沈静化処理済」の通知。
本来アラートとして記録されるはずのZərf異常波形が、“沈静化状態”として処理されている。
「誰が、この処理を……?」
オスカーは動揺を押し殺しながら、緊急権限で内部ネットへアクセスした。
葉月の個体記録にあるべき行動ログ。
そこには“自室を出た”という情報と共に──正規の外出許可署名が添付されていた。
“発行者:O.ヘイズ”
──出していない。そんな許可は。
視界が一瞬、赤黒く染まる感覚。
署名パターンは完璧に一致していたが、それは高度な内部改竄の痕跡だ。
しかも、GIAの観測記録は“問題なし”として処理されている。
(これは外からの干渉ではない。中から遮断された)
部屋を飛び出す。
廊下を走りながら、オスカーは観測域管理中枢へ連絡を入れた。
「個体 HZ-112、所在不明。外出記録に不正署名の可能性あり。観測沈静化ログは人為的操作を受けている。緊急監視網、再起動を要求する」
『確認しました。沈静化記録は“特例処理”に分類されています。上層権限による指示と一致──』
「……誰の指示だ」
『上層区画……識別コード“BLK-3”からの承認ログです』
識別コードBLK-3──GIA内部でも限られた極秘コード。
オスカーは言葉を失った。
そのコードにアクセスできる人間は限られている。
そしてその中には、教団との因縁を抱えた者も存在する。
(まさか、内部に……)
彼は重い足取りで、葉月の部屋の前に立つ。
アクセス認証を済ませ、扉を開けた。
──誰もいない。
きれいに整えられた部屋。
だが、その中央にはZərfの訓練用パネルが置かれたまま。
昨日まで、確かにそこに“訓練の軌跡”が残っていたのに、今日は一切の痕跡が消えていた。
(……消された。)
彼女は、自分の意思で出ていったのではない。
“出された”のだ。
部屋に立ち尽くす中で、オスカーはふと、誰に聞かせるでもなく、低く呟いた。
「……タ=クハール」
その名を呟いた瞬間、空気が一段重くなったように思えた。
部屋に満ちていた静寂が、ほんのわずかに揺れる。
どこか遠く──施設の奥底、あるいは観測すら届かぬ領域で、何かが小さく、息をついた。
オスカーはその変化を、見逃さなかった。