第十五章|揺らぐ輪郭
Zərf訓練が始まって数日が経過していた。
訓練室に設置された評価ユニットの画面には、「意識同期率:47.2% → 51.9%」と表示されている。
葉月はその数字に気づいてはいなかったが、担当の訓練官は「異例の順調さ」とだけ、ぼそりと呟いた。
精神接続の精度は、日を追うごとに安定していた。
けれど、それが「安心」には繋がらない。
GIAの誰もが、自分を少しだけ遠巻きに見ている気がする。
会釈をすれば返されるが、立ち止まって話してくる者はいない。
(あたし、まだ……疑われてるんだよね)
葉月は訓練後の冷却室に座り込み、無言のまま思考を巡らせていた。
Zərfを「使えるようになった」としても、自分の居場所があるとは限らない。
あの“記録不能”という言葉が、彼女に常に影を落としていた。
夜。部屋に戻ってからも、眠気はなかなか訪れなかった。
結局、薄暗い照明の下で例のファイルを眺めていたが、言葉は頭に入らず、ページを行ったり来たりしていた。
やがて意識が緩やかに薄れ、彼女はまた“夢”の中へと引きずり込まれていった。
冷たい空気の流れる暗がり。
規則的な呪詛のような声。
布をまとった何人もの影が、円形に並んで祈りを捧げていた。
視界の中心には、“名を呼べない存在”が立っていた。
それを直視することはできなかったが、葉月はその場の全員が、自分に向けて囁いているのを感じた。
「戻ってこい……」
「おまえは視られた者……」
「血に還れ……」
はっとして目を覚ました瞬間、呼吸が乱れていた。
そして――
部屋の隅に、“いた”。
全身を黒布に包んだ影が、静かにこちらを見ている。
心臓が止まりそうになるほどの恐怖。
夢の残滓? それとも現実?
葉月は思考より先に反応していた。
「……Zərf!」
激しい衝撃音とともに、制御端末が応答する。
次の瞬間、天井に向かって緊急信号が撃ち出された。
ドアが勢いよく開いた。
「下がれ!」
オスカーが部屋へ駆け込んできた。
葉月の肩を後ろに引き、その場を瞬時に掌握する。
「観測域管理中枢、干渉を確認しているはずだ。
遮断措置『GRAVE-0』を起動する。これは私の権限だ」
彼は腰の装置を引き抜き、天井へ向かって投擲する。
装置は空中で展開し、赤い光の網状フィールドが部屋全体を一瞬だけ覆った。
何かが、かすかに、断ち切られるような感覚。
部屋の隅には、もう誰もいなかった。
「……本当に、いたんだよ」
葉月は床に座り込んだまま、かすれた声を漏らした。
「夢の続きかもしれないけど……でも、確かにあそこにいたの。見えたの」
オスカーはしばし沈黙し、ゆっくりと頷いた。
「……可能性はある。完全に断ち切った保証はない。
お前に“繋がろう”とする意思がある限り、奴らは干渉を試みる」
「でも……私、頑張ってるつもりなのに……あたしがここにいたら、また……迷惑、かけるだけじゃん……」
葉月は唇を震わせ、言葉を繋げる。
「……いっそのこと……全部、やめたほうが……」
そこまで言いかけた葉月に、オスカーは低く静かに言った。
「やめてどうする。あちらへ行くのか? あれが“歓迎”に見えたのか」
その声音に、ほんの少しだけ、怒りとも悲しみともつかぬ色がにじんでいた。
「お前の責任じゃない。……だが、お前がここで潰れたら、それこそ“向こう”の思う壺だ」
葉月は、何も言えずに俯いた。
心の奥に、揺らいだままの問いが残る。
(あれは本当に夢だったのか? それとも……私の中に、何かが入り込んでいたのか)
暗い部屋の中で、Zərf端末の光だけが、無機質に点滅を続けていた。