第十四章|記憶すべき名
部屋の明かりは変わらぬ白。だが、空気の重みが明確に違っていた。
さきほどの“干渉”以降、葉月の皮膚はずっと、誰かの視線を浴びているように粟立っている。
目の前のテーブルには、さっきまでどこにもなかった濃紺の書類ファイルが置かれていた。
GIAの印章が押されているが、タイトルには見慣れない単語が記されている。
《対象組織識別記録:Exol-Karma》
「教団――と呼ばれるが、正確には“外部秩序干渉型複合思想結社”という分類になる。
我々の世界においても、最も観測が難しく、かつ最も危険な団体のひとつだ」
いつの間にか、オスカーが隣に腰を下ろしていた。
その声は、あくまでも冷静だったが、明らかに先ほどより言葉が重い。
葉月は無言のまま、ファイルの表紙をじっと見つめていた。
開く気にもなれない。ただ、その言葉――“エクソルカルマ”が、脳の奥に貼りついている。
「さっきの干渉。あれは偶発じゃない。
おそらく“視られた”お前に、あちら側がアクセスした――“確認しにきた”と見るべきだ」
「……視られた?」
「お前が迷い込んだのは、ただの土地ではない。
教団の“内奥層”と呼ばれる領域――外部からの侵入は原則不可能な、儀式空間の最奥部。
そこに“入れた”こと、それ自体が、あちらにとっては異常だった」
葉月は、自分の膝に目を落とした。
あの空間。
石の階段。
天を仰ぐ黒衣の集団。
そして、自分を“見た”存在。
オスカーは続ける。
「Exol-Karmaにとって“視る”とは、祝福であり、呪いでもある。
視られた者は“神の記憶”に触れたものとされる。
……その意味が、こちらにとってどれだけ危険か、まだ説明できる段階じゃない」
「……なんで、そんな団体が存在してるの……? 放っておいていいの……?」
「放っておけないから、GIAがある。
……だが、相手は“記録に抗う存在”だ。観測しようとすれば歪み、追跡しようとすれば消える。
現実と非現実の狭間に巣食っている、いわば“記録不能領域”の実体化だ」
葉月は黙っていた。言葉が、浮かばなかった。
オスカーは一呼吸置いて、静かに言った。
「理解しようとするな。……まだ早い。
だが、記憶には刻んでおけ。
“Exol-Karma”――これは、知っていて損はない名だ」
その言葉は、命令というよりも警告に近かった。
ファイルを開く手が、震えていた。
中には文章だけでなく、歪んだ紋章や、読み取れない言語で書かれた記録片がいくつも貼りつけられている。
まるで“知ろうとすること”自体を阻むようなノイズの群れ。
「お前には……“覚えていてほしい”んだ。
自分が、どこに触れたのかを」
オスカーの目は、まっすぐだった。
そこに情はない。ただ――責任だけがあった。
葉月は、ゆっくりとファイルの1ページ目をめくった。
そこに記されていたのは、見慣れない単語の羅列、意味不明の構文、異様に歪んだ紋章、
そして――嫌悪感を催すような儀式の写真の数々だった。
焼け焦げた円環の中、布を纏った者たちが膝を折り、何かに祈りを捧げている。
その中心には、黒い器に血のような液体を注ぐ様子。
それは、儀式というよりも、“見てはならない光景”のようにすら感じられた。
(なんで、あたしが……選ばれたの?)
ふと、そんな疑問が胸をよぎった瞬間――
「勘違いするな」
オスカーの声が重く割り込む。
「お前は“選ばれた”わけじゃない。ただ、視られただけだ。
あちらにとっては“異物”でしかない。
……選ばれたと感じるのは、奴らの思う壺だ」
葉月は言葉を失った。
ファイルの中身は何も語らないのに、読むだけで、心が削られるようだった。
ページをめくるたび、自分という存在が“脆い壁の向こう側”に立たされているような、そんな錯覚に囚われていく。