第十章|儀式再録:監視者たち
石の天蓋の下、灰の降る儀式殿。
仄暗い燭光がゆらめくなか、十数名の祈祷官たちが再び集っていた。
空間中央には、円環状の投影装置。
その内側に、前回の儀式座標で取得された記録波形が再生されていた。
かすかに乱れた視界の先――
そこには、本来あり得ぬはずの“人影”が映っていた。
ぼやけた輪郭。儀式に関与していない者の姿。
その“彼女”は、祭壇の中心部に確かに立ち、
そして、明らかにこの場を――“見ていた”。
低く抑えた声がいくつも交差する。
「確認波形、-0.37――通常記録では観測不能の揺らぎ」
「通過の座標は非一致。儀式空間の重ね合わせ失敗か?」
「違う。これは“割り込み”だ。
固定儀式軸に対して、外部座標からの通過痕跡」
「異邦干渉……迷入?」
「あり得ん。我らが座標は封鎖されていたはずだ」
語られる言葉は、推論と否定の反復。
その奥で、誰もが一つの事実に気づき始めていた。
「――神が視たのだ」
その言葉に、空気が凍りついた。
祈祷官たちは仮面越しに互いの表情を探るような沈黙を保つ。
“視られた”という言葉の意味を、彼らは誰よりもよく知っている。
儀式空間とは、神性の受信装置である。
その空間に、偶然であれ、何者かが通過した――
つまり、“神の眼”にその姿が焼き付けられた、ということだ。
《†03》が一歩前に進み、仮面を軽く傾ける。
「その者の名は、どの記録にもない。
既知の迷入経路にも属さない。
だが、確かに存在した。
神は、その者を記録なされた――我々の理解を超えて」
そのとき、沈黙を破るように声が響いた。
「――冗談だろう」
低く、しかし抑えきれぬ怒気を帯びた声。
仮面の額に刻まれた記号《Δ08》。
教団歴二十年、数百件に及ぶ奉仕と記録を積み重ね、
祈祷官の中でもとりわけ信仰に厚いとされた男だった。
「私は……私は、どれだけ神に尽くしてきたと思っている……」
ざわり、と空気が揺れる。
《Δ08》は一歩前に出て、震える声で言葉を続けた。
「私の血は、この殿堂の礎に混じっている。
指を捧げ、眼を閉じ、記憶さえ差し出してきた。
それなのに、なぜ――あんな、得体の知れない女が……!」
祈祷官たちの間に、僅かなざわめきが走る。
それは“動揺”に他ならなかった。
「何の信仰も持たず、礼儀も知らず、ただ通っただけの異物だ。
なぜ、神の眼はその者を……! なぜ、我らではない……!」
《†03》が低く制止する。
「落ち着け、Δ08」
「落ち着けだと? この裏切りが“神の御業”だというのか……?
それが信仰への報いなのか……!」
「そのような言葉は――」
「……私は、ずっと“視られる日”を待っていた」
《Δ08》の声は、祈りのように、呪いのように沈んでいた。
「自らの姿が“記録”に残されるその瞬間を。
それが、教団に尽くす者の最終の誉れと信じていた……。
なのに、あの女に――」
《†03》はしばし沈黙したのち、明確に告げた。
「神の記録は、我らの感情では測れない。
理解せずとも、それは起きた。
ならば、我々のすべきは――問うことではない。
記録し、応じることだ」
場に沈黙が戻る。
狂信者《Δ08》は、わずかに肩を震わせたまま沈黙した。
仮面の奥の目がどんな色をしていたか、それは誰にもわからない。
だが、その場にいた誰もが理解していた。
この事件は、教団にとって“異物の迷入”では終わらない。
信仰の輪郭そのものが、揺らぎ始めていた。