8月15日
友人や家族、親しい人間の病気をきっかけに医者を目指す人のフィクションをよく見かける。
それはフィクションに限った話ではなく、現実世界でもよくある話らしい。
難病にかかった子供のため、会社を辞め一から起業した人も世界にはいるらしい。
なんでも、知識も人もいない状態から特効薬を作り上げたらしい。
立派だと思った。
同時に、情けないと思った。
自分がもしも行動力のある人間だったら、知識のある人間だったら、金のある人間だったら、何か変わったのだろうか。
もしもの仮定に意味は無い。
現実はそんなことお構いなしに進んでいく。
いつ消えてしまうのだろうか。
そんなことばかり考えて行動に移せないでいる自分は、きっと語り継がれるような人間にはなれないのだろう。
「久瀬さん? 大丈夫ですか?」
「......すみません、ボーっとしてました」
「はは、疲れたでしょう。インターンなのにこんな肉体労働するなんて」
「いいえ、いい経験です」
「君みたいな真面目な子ばっかり入ってくれると助かるんだけどねぇ」
インターンシップ最終日、自分の面倒を見てくれた市役所の役員さんと話す。
若く、朗らかな恰幅のいい男の人であった。
今日は夏祭りがあり、朝からずっと役員さんと動き回っている。
雪さんと行く予定の夏祭りと比べて規模は小さいが、それでもたくさんの人が来ている。
交通誘導がひと段落ついて、今は休憩時間だ。
夏祭りが終わって、帰宅する人が多くなったらまた交通誘導に戻らなければならない。
インターンの配属先が観光課だったため、このような活動に従事している。
「ちょっと休憩してくるといいよ」
「持ち場を離れるわけには」
「僕が見てるからいいよ。それに、インターン生だからって課長がこき使い過ぎなんだよ。ちょっとぐらいサボったっていいさ」
夏祭りの期間と被ったからだろうか、市役所だというのにスーツよりジャージを着ていた時間の方が長かったかもしれない。
土嚢に延々と土を入れる作業は、公務員のやる仕事かどうか真剣に悩んだものだ。
意外と地味で泥臭い作業ばかりだと知れたのは、インターンに来た価値があるのかもしれないが。
「花火が終わってくるまでに戻ってくればいいよ」
そう言うと自分が持っていた誘導棒を取り上げて、にこやかに笑う。
イケメンという顔つきではないが、愛嬌があって笑顔が様になっている。
厚意に感謝し、少し辺りをぶらつくことにした。
夏祭りの会場にはいかない。
あまり人混みが好きではないし、渋滞に巻き込まれて身動きが取れなくなったら時間内に戻ってこれない可能性がある。
それに、夏祭りの楽しみは取っておきたかった。
別に行ったところで雪さんと回る露店の楽しみが減るわけではないが、我慢したい気分だった。
仕事の都合上、花火は見てしまうがそれは仕方ない。
駐車場からあてもなくブラブラと会場とは反対の方を歩いて行く。
登山用の駐車場を夏祭り用に解放しているため、近くにはあまり建物もなく木々が生い茂っている。
少しだけ歩くと、急こう配の階段が見えた。
見た限り、神社へと続く階段のようだ。
時間を潰すには丁度いい。
手すりもなにもないごつごつとした石の階段を上ると、朽ちて管理もされていないような神社が見えた。
倒木対策か、木は伐採された跡があり煌々と輝く会場を見下ろすことができそうだ。
階段に腰を下ろしてぼんやりと眺める。
喧騒が遠くから聞こえる。
(どうすればいいんだろう)
それは何回も自分に問いかけた言葉。
死を受け入れた彼女に、自分は何が出来るんだろうか。
何も出来ていないわけではないと思う。
彼女と出かける先で見る笑顔は本物だと思うし、楽しんでもらえていると思う。
ただ、それは別に自分じゃなくてもできることだろう。
例えば、杉本ならもっと上手くできるだろう。
人の感情の機微に敏感なあいつのことだ、もっと雪さんに気遣った行動ができるだろう。
自分にしか出来ないことは、あるんだろうか。
(なんでこんなに入れ込んでるんだろうな)
少し考えて、深く息を吐きながら俯く。
自分は雪さんと親しい関係だったか?
哀れみや同情の気持ちで行動していないか?
悲劇の主人公ぶって悲嘆に浸ってるだけじゃないか?
自問自答に意味は無い。
答えが出たところで出来ることは限られている。
それならば、淡々と日々を過ごせばいい。
無理して自分が背負う必要など、一切ないのだから。
頭では分かっているが、感情はついてきてはくれないようだ。
(なんで、約束なんかしたんだろうなぁ......)
うずくまった体に力が入る。
思わずしてしまった最低な思考を消し去ろうと別のことを考えても、頭の中を埋め尽くすのは雪さんのことだけだった。
ふと、去年のことが頭によぎった。
ゼミで初めて話しかけてきた時は、変わり者だと思った。
自分と杉本に話しかけてくる人間は大抵、面白もの見たさに話しかけてくる人ばかりだったから。
ただ、彼女はそうではなかった。
グループワークを賑やかにこなし、杉本がいない時でも自分に話しかけてくる至って普通の少女だった。
『怖くないのか?』
『え?』
『噂とか、顔とか』
一度だけ、彼女に直接聞いたことがある。
自分の悪い噂が広まっていることは知っている。
どうして、そんな人間に関わるのかと聞いた。
『顔が怖かったら、話しかけちゃいけないの?』
『そういうわけじゃないが』
『じゃあいいじゃん。それに、優しいところも知ってるから』
返ってきた返事は予想もしていない言葉だった。
自分を優しいと言ってくれた人は初めてだった。
何をもって優しいと評したのかは分からなかったが、人が褒めてくれるのは嬉しかった。
(あぁ......簡単な話か……)
学食で頼んだことのないメニューに目を輝かせる姿。
眠たそうに目をこすりながら挨拶する姿。
カラオケでちょっと外れた調子で歌う姿。
髪を潮風にたなびかせて海を見つめる姿。
きっと、好きだったんだ。
優しいと言われたあの日から。
鮮明に思い出せる色んな彼女の姿が、頭に浮かんでは消える。
我ながら単純でチョロいな。
接点がある唯一の異性を好きになるなんて。
ドォンと、遠くから大きな音が聞こえた。
顔をあげると、視界一杯に鮮やかな赤い花火が打ちあがっていた。
『ねぇ、消えるまで、変わらずに友達でいてくれる?』
夜空に消えていく花火と、世界に消えていく少女の姿が重なって見えた。
展望台で見た、悲し気に笑って、精一杯明るく振り絞った声が頭に響いている。
(好きな人の、願い一つぐらい叶えてやりたいよなぁ......)
人生で初めて覚えた使命感を、強く自分に言い聞かせる。
友達として、最後まで雪さんのやりたいことに協力しよう。
自分に出来ることは、それだけなのだから
それは、自分の恋は叶わないことを意味していた。
なんで、もっと早く気がつかなかったんだろうか。
空を彩る花火は、霞んで見えた。
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