7月12日 ①
「お疲れ様、今日は食べていくかい?」
「いただいていきます」
「そうかい、かごに入れてあるのはなんでもいいからね」
店長とバックルームでいつものように会話をする。
本当は弁当や菓子パン、ホットスナックなどの廃棄物は食べてはいけない決まりだ。
食当たりが出た時の責任所在、転売、そもそもが店の商品であること。
色んな理由があるが、どれも至極まっとうな理由で禁止になっている。
ただし、それはあくまで直営店に限った話らしい。
『最悪私の首が飛ぶだけだからね、バレなきゃいいのさ』
フランチャイズだからそこまで気にしなくていいと店長は笑いながら言っていた。
なんだかモラル違反のようで少し気が引けるが、食べ盛りの男子にとって目の前の誘惑を振り払うことは難しい。
自分で責任を取ること、持ち帰らずバックルームで店長以外にはバレないように食べること。
その二点を厳守するルールを己に課すことによって、アルバイトの時はおこぼれにあずかっている。
制服から私服に着替えて、いつもよりも軽めの弁当を手にする。
今日は何があるか分からない。
腹五分目で止めておくのがいいだろう。
「おや? いつもよりもおめかししてるね」
「ええ、この後用事があるので」
「なんだ、言ってくれれば休みにしたのに」
「急にシフトを空けるのは申し訳ないので」
「バイトなんだからシフトなんて気にしなくていいのに」
「性分なんです」
レンジで弁当を温めながら自分の服装を鏡で見る。
制服の身だしなみチェック用に置いてある鏡には、いつもと違った装いの自分が映っている。
旅行に行くことになってから、昨日慌てて買ってきた服装だ。
ファッションに興味はない。
年がら年中着まわせるジーパンと、色あせることのない白のTシャツばかり着ている。
ただ、雪さんと出かけるのにそれではあまりにも洒落っ気がないと思い、普段買わないような服を着ている。
テーパード? だがよく分からない名前のズボンに、体格が分かりにくいゆったりとした黒のアウターを羽織っている。
店員さんに選んでもらったので、壊滅的に似合っていないわけではなさそうで安心した。
「生真面目だね。どこに行くんだい?」
「江の島です」
「おお、良いところだよ。そっか、それなら休憩時間増やしてあげればよかったな。寝ていかなくていいのかい?」
「バイト前にたくさん寝たので。それに、行きも帰りもバスに座ってるだけですから」
コンビニだろうがバスだろうが、人の気配があるところでは寝れやしない。
それに、杉本のせいで徹夜には慣れている。
体調に関しては問題ないと言い切っていいだろう。
店長はタバコに火をつけようとして箱から一本取り出して、吸わずにそのまま灰皿に置いた。
服装や髪に臭いがつくのを配慮してくれたのだろう。
「それにしても、遠出とは珍しいね。デートでもするのかい?」
「......友人ですよ」
「なるほど、友人ね」
「はい、友人です」
「じゃあ、大事な友人なんだねぇ」
「どうしてそうなるんですか?」
「個人的な意見になるけどね。服装に気を遣う相手というのは、大事に思っている証拠だからね。どうでもいい相手なら服装なんて気にも留めないだろう?」
「......そうですね」
正論に対して、反論する余地は残ってはいなかった。
何も言い返さずに黙々と弁当をつつく。
「あ、お土産とかは気にしなくていいからね。ゆっくり楽しんでおいで」
——————
「コウ君おはよぉ。うーん、眠いよぉ」
「おはよう雪さん」
バス停でぼんやりと朝焼けを眺めていると、トートバッグを引きずる寸前までぶらりと力なくぶら下げた雪さんがやってくる。
まぶたはほとんど閉じており、今すぐにでも寝てしまいそうだ。
一番早い時間を予約したせいだろうか、バス停には自分達以外の姿は見えない。
「ねぇ、私大丈夫ぅ?」
「何が?」
「服装ぉ」
眠気からか、間の抜けた語尾になっている雪さんに目をやる。
別にいつもと変わらない、可愛らしい姿だ。
下半身は黒のスカートにタイツ、上半身は首まであるインナーに濃い青色の長袖のシャツに白い手袋。
ファッションの知識があればもっと、詳しく言えたのだろうが、自分には見たままを言うことしかできない。
「いつも通り可愛いんじゃないか?」
「......もう一回言って?」
「......か、可愛いんじゃないか」
「あ、照れてる。びっくりしてちょっと目が覚めたかな」
「あれ、乗るバスじゃないか?」
「逃げたね」
何も考えずに口にしてから、透明化症候群のことを聞かれていることに気がついた。
問題ない、ちゃんと隠れていると答えるのが正解だったな。
夜を切り裂くように煌々と光るヘッドライトに目を細めながら考える。
「コウ君も似合ってるよ」
「......そうかい」
「顔に出るねぇ。照れると口調もちょっと変わる?」
「うるせぇ」
「それは素っぽいね」
照れ隠しに乱暴に言い放ってから、降りてきたバスの運転手に名前を告げる。
どうやら隣り合った席を取ったらしい。
最後方から一つ前の席が自分たちの座席だ。
窓際の方が自分の名前になっているが、知り合い同士で交換するぐらい許されるだろう。
「雪さん、窓際の方でいい?」
「いいの? 私別に酔いやすいとかないと思うよ」
「俺もないから、デカい分通路側の方が楽なんだ」
「そう? 窓側の方が良かったら全然言ってね」
気遣い半分、本音が半分といったところか。
荷物棚にお互いの荷物を置いてから座席に座る。
格安バスの席は狭い。
イヤでもお互いの体温が感じられる距離になってしまう。
自分のような人間が隣だと気が休まらないだろう。
少しでも気休めになればと思って景色が見える窓際を提案したわけだが。
自分の方が気が休まらないことにバスが出発してから気がついた。
シャワーでも浴びてきたのだろうか、隣の席から明らかに良い匂いが漂っている。
触れ合う体温、香る髪の匂い、揺れるかすかな振動、空調から聞こえるかすかな機械音。
(慣れんな......)
チラリと隣を見ると、窓に頭をこすりつけて寝ている雪さんの姿があった。
目が覚めたといっていたが、どうやら揺れるバスはまた眠りを誘うものだったらしい。
穏やかに眠る顔を少し見つめてから、音が立たないように小さく自分の頬を叩く。
寝ている人の顔を見つめるのは、あまり行儀がいいとは言えないだろう。
東京まで3時間、そこから江の島まで1時間。
ずっと隣り合って座るのだろうか。
自分の右腕に感じる、彼女の左腕に自分の鼓動が伝わっていないかだけが、心配だった。
——————
バスは遅延することなく無事にターミナルまでたどり着いた。
二度ほど休憩時間を挟んだが、一度も雪さんは起きることが無かった。
バスから起きて伸びをする彼女のシャツの袖がはらりと落ちる。
左手の肌が見えやしないかと思ったが、手袋の下までしっかりとインナーが着られており無駄な心配に済んだ。
「うーん、同じ姿勢でずっといたから体が痛いねぇ」
「あぁ、分かるよ」
「あれ? コウ君も寝てたの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「??」
あまり体が触れないように通路側に傾いていた、なんて到底口には出せないだろう。
いかにも女子慣れしていない人間の行動すぎて恥ずかしくなってくる。
帰り道のことを考えると、億劫になってくる。
雪さんが気にしていないのだから、自分も気にしなければいいのに。
狭いバスの席から解放され、近くのベンチに腰を下ろして一息入れる。
雲一つない快晴に、帽子もついでに買えば良かったななんて心の中で愚痴をこぼす。
時間は有限だが、余裕がないわけではない。
江の島の旅行ガイドや感想ブログなどを見た限り、8時間もあれば余裕をもって行動できるらしい。
あまり早く行き過ぎても店が開いてないだろうし、10時ぐらいに江の島につけばいいだろう。
朝食はどうするのだろうか、食べたいものは決まっているのだろうか。
江の島は海鮮、特にしらすがグルメとしてよくおススメされている。
甘いものも充実しているらしい、流石日本有数の観光地といったところか。
そこまで考えて、ふと思う。
雪さんは何がしたいのだろうか?
旅行をしたいと言い出したのは自分ではあるが、江の島を指定したのは雪さんだ。
もしかしたら、彼女も回るスポットとか食べる店とか決めてきているのかもしれない。
ラジオ体操で体をほぐしている彼女に声をかける。
「雪さん」
「ん~、ん? 何?」
「予定とか、タイムスケジュールってある?」
「無い! 心の赴くままに行くよ! あ、バスの帰りの時間が22時だからそれまでに帰るようにかな」
「......分かった」
「今、無計画なんだなって思ったでしょ?」
「思ったよ」
「分かってないなぁコウ君は。旅は不測の事態を楽しむものなんだよ? 」
「計画が無いなら不測も何もないのでは?」
「......コウ君は計画あるの?」
「まぁ、何個かモデルコースは調べてきたが」
「あは、楽しみにしてくれたんだ」
「普通、調べると思うんだけど」
「普通なら、旅行はちゃんと念入りに日程立てるんじゃない?」
「急に決めた雪さんがそれを言うのか?」
「ライブ感を楽しみたかったんだ。一杯楽しもうね!」
「......そうだな。朝飯はどうする?」
「うーん、ターミナル出て一番最初に目についた店とかどう?」
「絶対にチェーン店だろそれ......」
「チェーン店食べ比べ調査会、県外で味は変わるのか徹底調査してみた」
「したいか?」
「別にそこまでかなぁ。あ、江の島行く前に海だけ見たい!」
「それなら近くに海水浴場あるし、寄ってくか」
くだらない会話を挟みつつ、前もってブックマークしてきたサイトを開く。
海の家もそこそこの店舗数が出ているようだ。
朝食も兼ねて、寄って行けばいいか。
電車で1時間、東京の中心から神奈川の端まで行けると考えたら、悪くない時間だろう。
「行こうか」
「レッツゴ〜」
楽しそうに掲げられた左手は、こころなしかこの間より小さい気がした。
違和感、何か、前と違うような気がする。
じりじりと高くなる陽射しが、暑くて少しうっとおしい。
「案内お願いね、コウ君」
「......俺も東京はそんなに来たことはないんだが」
「でも、調べてきてくれたんでしょ?」
「電車、間違えても恨むなよ」
「そしたら間違えた場所で観光しようよ、大丈夫だって、プランなんてなくたって楽しめるよきっと。コウ君いるんだもん」
「......過剰な期待だと思うが」
「ふふ、ガッカリさせないでね」
思考は雪さんの声で遮られる。
まぁ、今考えるべきことではないか。
関東住みではない人間にとって難解な駅のホームを先導して歩く。
さて、たどり着けるといいんだが。
期待には、応えたいからな。
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