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7月6日

「社会福祉学部志望の人はこちらに集まってくださーい!」

「オーキャン終了後サークル案内してまーす。体育館見学しに来てねー」


 休日にも関わらず、大学はたくさんの人で賑わっている。

 普段は開いていない学食も、今日は解放されているようでたくさんの若い人の顔が並んでいる。

 今日はオープンキャンパスらしく、高校生が大学生スタッフに案内されている。


(オーキャン今日だったか、完全に抜けてたな......)


 体育館横の小さなトレーニングルームを使用しに学校に来たのだが、今日はもしかしたら使えないかもしれない。

 頭が空っぽになるまで体を動かしたい気分だったのだが、それは叶わないらしい。

 学校に来る途中、やたら人が多いと思っていたが学生スタッフの他に、サークル勧誘の為に来ている人もいるようだ。


(ついてないな……いや、日程が抜けていた自分のミスか)


 そんなことを考えながら歩いていると、明らかに挙動不審な女生徒が一人いた。

 あたりをキョロキョロと見回すその姿は、親とはぐれたひな鳥のように落ち着きがない。

 おそらく、迷子だろう。

 日曜日にわざわざ、学生服を着ているのはオープンキャンパスの参加者ぐらいだろう。

 近くに学生スタッフは居ない、どうやらトイレに行っている間に置いて行かれたようだ。


(仕方ないか......)


 見て見ぬふりは出来ない。

 自分には関係ないとほったらかしにすれば一番楽だが、そうすると自分の心にトゲがささったままになる。

 自分が案内しなくても、少し経てばスタッフが気がついて探しに来るだろう。

 ただ、その少しの間、女生徒は心細い思いをするだろう。

 気がついてしまった以上、自分に見て見ぬふりの選択肢はない。


「どうかしましたか?」

「ひ!」

「......在学生です。安心してください」

「す、すみません……びっくりしちゃって」


 精一杯作った笑顔は、どうやら逆効果だったらしい。

 面と向かって悲鳴をあげられるのは、心にくるものがある。

 スマートフォンのケースに入れてある学生証を見せて、不審者ではないことをアピールする。

 分かってはいたが、受け入れられないことは悲しいことだ。

 人は視覚情報の7割で決まるとは何の法則だったか。

 自分はずっと、第一印象では怖い人として生きていくのだろうか。

 ……まぁいい。悲しみは覚えるが、慣れたことでもある。

 さっさとスタッフに引き渡して、家に帰ろう。


「案内していたスタッフの姿は分かりますか?」

「えぇっと、あなたと同じぐらいの背丈で、茶髪を後ろにまとめた男の人です」

「……糸目でよく笑う人?」

「あぁ! そうですそうです!」


 特徴的な人物像に、思い当たる知り合いが一人だけいる。

 180㎝ある自分と同じぐらいの背丈の人間は多くはない。

 杉本だろう。

 課題やレポートをサボりがちの人間ではあるが、企画やイベントごとには積極的に参加する人間だ。


『どこに出会いの種があるか分からないじゃん?』


 とは彼の言だ。

 取り出していたスマートフォンからそのまま杉本の電話番号にかける。

 普通の大学生ならイベントの運営中はミュートにしているだろうが、あいつなら出るという確信をもってかける。

 予想通り、着信音が2コールもしないうちに杉本は出た。


「コウから電話してくるなんて珍しいね~。ただ、今忙しいから後でかけなおしでいい?」

「迷子が一人俺のところにいる。お前今どこだ」

「おぉ、タイミング良いねコウ。学食までよろしく」

「ばかたれ、説教だ」

「怖い怖い」

「......すぐに行くから、動くなよ」

「あいよー」


 電話を切ってため息をつく。

 預かっている生徒が一人いないというのに、焦りの色が全くなかった。

 責任感はないのだろうかとは思うが、杉本という男はそういう性格なのでどうしようもない。

 出会ってからずっと、何回も注意しているが変わらない男なのだ。

 それでも最終的にはなんとかなってしまうのだから、要領のいい人間というのはズルいものだ。

 スマートフォンをポケットにしまい、学食に向かって歩き出す。

 幸い、学食はすぐ近くだ。

 これから自分がしなければいけないことを考えて、もう一度小さくため息をつく。

 ため息をつくごとに幸せが逃げるというならば、自分の幸せにもう二度と追い付くことはないだろう。


「これから学食で俺が言うことを、君は一切気にしなくていい」

「えぇっと、はい」


 何のことを言っているか分からないだろうが、小さく頷いてくれたのを見て安心する。

 あとは、杉本次第だろう。

 学食につくと、数人の高校生を連れた杉本の姿が目に入る。

 はぁ、やるか。


「おっすー、コウ助かったわ」

「助かった? お前俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」


 わざと強めの口調で、分かりやすく杉本を責める。

 自分の意図が分かったのか、今度は彼が分かりやすく謝罪の形をとる。


「すみません、ちゃんと探しに行くところでしたよ?」

「迷子になっている人がいる時点で問題なんだ。なんのためのスタッフだと思っているんだ?」

「いやー、すみません」

「......もういい、ちゃんとしろよ」

「はーい、すみませんでしたー」


 迷子になった少女が困惑しながらも、グループの中に戻って行く。

 突然の事態に、他の生徒からは慰められているようだ。

 それでいい。

 問題が起きた以上、なぁなぁで済ましてしまうことは誰にとっても良い結果にはならない。

 誰も怒らなければ、いたずらに時間を使った迷子の少女に敵意が向く。

 誰も怒らなければ、この大学ではだらしがない態度でいても許されると考える。

 規律があって、守らなければ怒られるという当たり前のことを示さなければならない。

 自分がやらなくてもいい立ち回りかもしれないが、結局誰かがやらなければいけないのだ。

 気がついた人間がやればいい、それがたまたま自分だっただけだ。

 チラリと杉本を見ると、目が合った。

 楽しそうにウインクをしてくる姿に舌打ちをしそうになったが、高校生の手前なんとか我慢した。


(こいつが迷子出さなきゃ済んだ話なんだがなぁ)


 誰にも見えないよう、小さく彼の足を蹴飛ばしてから学食を後にする。

 ハプニングがあったオープンキャンパスが、彼女らにとっていい思い出になるかどうか少し不安に思ったが、やらなければいけないことではあっただろう。

 まぁ、杉本がキレイにまとめてくれるだろう。

 そう考えていると、不意に横からパチパチと拍手の音が聞こえた。

 ……パチパチという表現は正しくないか。

 手と手がぶつかる乾いた音ではなく、布越しのくぐもった音だったから。


「久瀬君は優しいね、ちょっと感動しちゃった」

「......嫌味か?」

「本心だよ、だって私、あんな風に怒れないから。ちゃんと怒れる人は優しい人なんだよ」

「見てたなら霧島さんが案内すれば良かったのに」

「私が気づくよりも早く、久瀬君が動いたから任せちゃった。偉いね」


 白い手袋越しに手を叩く霧島さんが立っていた。

 7月の頭、気の早いセミが鳴いているような時期にも関わらず、いつものように顔以外を隠した姿の彼女がいる。

 この前のこともあり、急に現れた彼女に動揺して思ってもいないことを口にする。

 霧島さんは嫌味を言うようなタイプではない。

 人付き合いは誰にでもフラットに付き合えて、悪口を言わないタイプの人間だ。

 友人も違って自分と違って多い。

 来年のゼミ長を彼女に推す声も出るほどに、人気者であるのだ。

 来年、そう考えて一瞬思考が鈍る。

 視線が無意識に、霧島さんの左手を見つめてしまう。


「ふふ、久瀬君は分かりやすいね」

「......すまん」

「責めてないよ。私は良いところだと思うよ」


 いつものように笑う彼女に対して、自分がどういう態度を取ればいいのか分からない。

 友達の時と変わらずに? 今までと同じように?

 無理だ、見てしまった。

 消えてしまった指先も、悲しく笑った霧島さんの顔も、忘れて振舞うなんて器用な事は自分にはできなかった。


「ねぇ、お昼ご飯、一緒に食べない? 学食で食べようよ」

「いや、さっき怒った手前学食には入りにくいよ」

「そっか。じゃあ、購買でお弁当でも買ってゼミで食べよ? 今日、誰もいないはずだから」

「......分かった」


 本音を言えば、一緒にご飯という気分ではなかった。

 ただ、いつかはしっかりと話し合う必要があるのだ。

 そうでないと、自分が前に進めない。

 結局のところ、自分本位でしかないのだと思い知って心の中で自分を罵倒する。

 先ほどの件もそうだ。

 自分がいい気分にならないから、行動しただけだ。

 病気のことも、霧島さんのことを考えているというよりも、しっかりと知って自分が納得したいだけだ。


(本当に、どうしようもない人間だ)


 買い物も済ませ空き教室になっているゼミにたどり着いてもなお、自嘲が止まることはなかった。

 自分を責めている時は、少しだけ気が楽になった気がしたから。

 自分と向き合っていると錯覚していれば、目の前の人間から目をそらせるから。

 そう思っていると、頬に柔らかな布が触れる感覚がした。


「ごめんね。やっぱり、イヤな記憶になっちゃったね」

「......イヤじゃないよ」

「ふふ、嘘つきだね。顔、すっごい怖くなってるよ」

「生まれつきだ」


 頬に添えられた左手から伝わる温もりは、何から伝わる熱なのだろうか。

 肌? 血潮? 布?

 分からない。自分には、分からないことばかりだ。


「治らないのか?」

「え?」

「透明化症候群、絶対に治らないのか?」

「うーん、多分ね」

「多分って......」

「病院、行ってないんだ」


 伝えられた言葉の意味が分からずに、思わず立ち上がって声を荒げる。


「なんで! そんな重大な病気にも関わらず!」

「......真面目な久瀬君だから、ちゃんと病気について調べたんだよね」

「あぁ、調べた。ろくな情報は無かったし、ネットで調べられる文献何てロクになかったけど、調べられる範囲でなら調べた」

「その中に、一つでも治療例があった?」

「っ!」

「治らないんだよ。それなら、自分の為に残った時間を使いたいんだ」


 治療例、そんなものは無い。

 そもそも、症例数が絶望的に少ないのだ。

 医師の中には、透明化症候群のことをオカルトだと思っている人もいるぐらいだ。

 完治どころか、改善された例すら無い。


「それでも、治療を諦める理由にはならないはずだ」

「そうかなぁ。今まで誰も治ったことがないんだよ?」

「霧島さんが世界初になる可能性だってあるはずだ!」

「そんな可能性、本当にあると思う?」


 分かっている。これは子供の駄々と変らないということは。

 現実は甘くない。

 今まで謎に包まれていた奇病が、唐突に全て解明されるなんてことは起きないだろう。

 何年もかけて、何百何万も結果を集めて、コツコツと血反吐を吐くような作業を繰り返して進歩していくのが医療というものだ。


「ねぇ、久瀬君。悲しまないでほしいな。本当に、私は大丈夫だから」

「......無理だ。俺には、見て見ぬふりはできない」

「やっぱり、相変わらず優しいね」


 知る前ならよかった。自分には関係のない世界だと割り切れたから。

 見る前ならよかった。本人が納得して消えたのだと誤魔化せたから。

 話す前ならよかった。どんな思いを抱えているか無関心でいられたから。

 でも、もう何もかもが手遅れだ。

 知ってしまった。見てしまった。話してしまった。

 あの展望台で見た光景が、頭から焼き付いて消えてくれない。

 見えない指先も、悲しく笑うその顔も、諦めたような口ぶりも、自分にはもう無関係だと切り捨てられないところまできてしまった。


「この思いが、自己満足だとは理解している。それでも、俺に何かさせてくれないか?」

「イヤな記憶になっちゃうよ? 死ぬのが、分かりきってる相手に付き合ってもいいことないかもよ?」

「知るかそんなん。今、霧島さんと距離を置くほうがイヤな記憶になる。それに、最終的に皆死ぬんだ。生死は人付き合いに関係ない」

「ふふ、暴論だね」

「そうだ、自己中心的な暴論だ。だけど、本心だ」

「......お願いって、なんでもいい?」

「俺にできることなら」

「じゃあ、消えるまでの間、一杯頼んじゃおうかな。やってみたいこと、たくさんあるんだ」


 目を細めて、ダークブラウンの髪を揺らして霧島さんが笑う。

 その姿は、どこにでもいるような少女の姿だった。

 ただ、膝上でしきりにさすられる左手が、そうではないと自分に告げている。

 ズキリと、胸が痛む。

 消えていく人間に、自分がどれだけの力になれるだろうか。


「ねぇ久瀬君。さっそく頼んでもいいかな?」

「なにを?」

「下の名前で呼んでよ。雪ってさ」

「分かった。雪さん」

「ちょっと距離感あるなぁ。呼び捨てにできない?」

「雪......さん」

「ふふ、照れてる。あんまり慣れてないんだ」

「悪いな、女っ気がないもんで」

「コウ君、良い人なのに不思議だね」

「......コウ君って俺のことか?」

「そうだよ。杉本君だってそう呼んでるよね」

「いや、女子から下の名前で呼ばれるの初めてだから、ちょっと戸惑った」

「あはは、可愛いところもあるんだねコウ君」

「うるさい」


 ズキリ。

 この何気ない会話も、いつかは消えていくのだろうか。


『イヤな記憶になっちゃうよ』


 俺は、それでいい。

 雪さんに、良い記憶を残せるなら、それでいい。

 セミの鳴く声が、やけにうるさく聞こえた。

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