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9月16日 ②

「なんで...なんで教えてくれなかった......」


 ベッドの上で小さく嗚咽を漏らしている雪さんに問いかける。

 違うだろ?

 慰めるべきだ、無言で寄り添ってあげるべきだ。

 決して、自分の頼りなさを痛感している場合ではない。

 そう思っていても、口から出た言葉はあまりにも情けなく、足は根でも生えているかのようにその場から動かなかった。


「もっと、早く、俺に教えてくれれば——」

「教えれば、何?」


 泣いていたせいか、叫んだせいか、声はかすれてひどく弱弱しいものだった。

 のろのろとあげられた顔は、いつもの彼女とはかけ離れた姿だった。

 目は真っ赤に腫れて、頬はやせこけている。


(もしかして、夏祭りの日から......?)


 脱ぎ捨てられた服と、衰弱した姿、夏祭り後に消された連絡先。

 全てが頭の中で繋がる。

 彼女にとって、あれが最後の思い出作りだったんだろう。

 もう二度と、自分に会うつもりはなかったのかもしれない。


「教えたら、私を救ってくれたの?」

「それは——」

「コウ君に何ができるの? 病気を治せるの?」

「できないけど、それでも!」

「何にもできないならほっといてよ!!」


 感情的になったのか、立ち上がろうとした体勢を崩してベッドから滑り落ちる。


「来ないで!」


 慌てて助けに行こうとする矢先に、また強い拒絶を示される。

 慣れていないのだろう、上手く起き上がる事ができずにもがいている。

 そんな姿を、見ていることしかできないことがもどかしくて仕方がなかった。


「無様でしょ? もう、一人だと満足に日常生活すらできないんだ」


 立ち上がることを諦めて、ベッドにもたれかかるように座りなおす。

 自分が下着姿であることは、気にしている様子はない。

 もう、人の目なんてどうでもいいのだろう。


「トイレに行くのも、お風呂に入るのも、服を着るのも、ご飯を食べるのも、全部全部ひどく時間がかかるんだよ。今までできてたことが、もう今は何にもできないんだよ」


 そう語る彼女の顔は、諦めで満ちていた。

 明るさに満ちていたくりっとした目は、気だるげに伏せられていてまるで別人のようだった。

 色々な気分が交じり合って、吐きそうになる。

 鼓動が速くなり、呼吸が荒くなる。

 夏祭りから3週間も経っていないのに、こないだまでは笑い合っていたのに。

 少しでも踏み出せば触れる距離にいるのに。

 どうして今は、こんなにも遠く離れているように感じるんだ。


「ねぇ、コウ君。なんで来たの? 同情? 哀れみ? 優しさ? 責任感?」

「違う、俺はそんな——」

「もういいよ、私に関わらなくて。明日になったら、病院に行こうと思ってるから」

「......え?」

「一人で生きてないけど、自分で死ぬ覚悟はないからね。だったら、少しでも研究の役に立ててもらおうかなって。介護もしてもらえるし」

「どうして、俺に何も相談してくれないんだ」

「言ったでしょ。コウ君に相談しても何にも変わらないんだって」


 淡々と話す口ぶりに、ひどく冷めたものを感じる。

 くだらない話をしていた時や、夢を語ってくれた時の温かさは微塵も感じられない。


「俺は、俺は」


 形にならない声だけが喉元を通り過ぎていく。

 会ったら、言いたいことはたくさんあったはずなのに。

 気持ちも言葉も、ひどく脆くボロボロと崩れ落ちていくだけだった。


「君と……」

「コウ君はさ、優しいから、誰でもいいんだよ。たまたま困っている人が目の前にいて、それが私だっただけ。明日からは、忘れてまた別の誰かを助けてあげてよ」

「別の誰かなんていないだろ......」

「そうかな? オープンキャンパスで助けてあげた子とかいいんじゃない? 入ってきたらまた学校案内してあげなよ。可愛い子だったし、きっとお似合いだよ」

「......また、江の島に行こうって」

「無理だよ、死ぬんだもん」


 無慈悲に告げられた言葉に、頭が真っ白になる。

 死ぬ、死ぬ、消えてしまう。

 考えたことがないわけではない。

 むしろ、透明化症候群について知った時から、ずっと意識してきた。

 それでも、頭の中の空想でしかなかった。

 今、目の前で消えかけている彼女を見て、それが甘い妄想でしかなかったことを認識させられる。


「......一杯もらったから。もう、いいんだよ。コウ君のせいじゃないんだからさ」

「......」

「たくさん写真見せてくれたのに、返信できなくてごめんね。もう撮らなくていいよ」

「......」

「やっぱり、イヤな記憶になっちゃったね。ごめんね」


 どうして謝る時だけ、前と変わらない顔で笑うのだろう。


「明日からは、私のことキレイさっぱり忘れてね」


 ——————


 最後に自分が何て返事をしたのか、どうやって帰ったのかは覚えていない。

 染みついた習慣だろうか。

 気がついた時にはバイト先にいて、洗おうとしたフライヤーの網を盛大にぶちまけた音で我に返った。

 その後もミスを連発し、見かねた店長にバックルームに押し込まれてしまった。


「怪我とかしてない?」

「してないです。すみませんでした」

「いいよいいよ。久瀬君今までミスしてこなかったからね、新鮮でいいよ」


 ピークが過ぎたのだろう。

 もうすぐ日をまたぐような時間になってから、店長もバックルームに入ってきて休憩の時間になる。

 かといって何かを話そうという気分にもならず、何も考えずにパイプ椅子に体を預け天井を見つめている。


「最近は久瀬君の新しい姿ばっかり見かけるね」

「そうですかね」

「いつもはちゃんと人の目を見て話すじゃないか」


 そう言われてから、あまりにも礼儀のなっていない態度を取っていたことに気がついて姿勢を正す。

 それでも、目と目を合わせるよう気分にはならず、俯いた姿勢になってしまったが。


「すみません」

「まだ、悩みの途中かい? ずいぶんと長い間悩んでいるようだけども」

「......もう解決しました。明日から悩まなくてもいい問題です」

「それなのに、そんなに浮かない顔しているのかい?」

「もともとこういう顔ですよ」

「はは、それはそうかもね」


 そうだ、解決した問題なのだ。

 そもそも、自分が前に言ったんじゃないか。

 そんな病気にも関わらず、なんで病院に行ってないんだって。

 明日からは適切な対応がされるだろう。

 奇跡でも起これば、治療法も見つかるかもしれない。

 世の中ありえないと思える出来事も過去を見ればたくさんあるのだ。

 可能性はあるだろう。

 自分にできることは、もう終わったのだ。

 ふと思い立ってスマートフォンを手に取って、アルバムを開く。

 雪さんと会話の種になればいいと思って撮っていた写真も、もういらないだろう。

 整理しようと適当にスクロールする。

 道端の花も、キレイな夕焼けも、展望台で見た花火も、もう必要ない。

 もともと写真は撮らないし、記録にも残してないタイプだ。

 全部消してしまおう。

 そう思って、一番下までスクロールしたときに、初めて撮った雪さんとのツーショット写真が出てきた。

 江の島で観光客のお兄さんに撮ってもらった、富士山と海を背景に撮った写真だ。

 これももう、必要ないだろう。

 そう思っているのに、消去ボタンが押せずに指が固まっている。

 未練か、後悔か。

 我ながら女々しいことだ。


「......店長」

「なんだい、久瀬君」

「人って、忘れられますかね」

「その人を、忘れたいのかい?」

「……どうなんでしょうね」


 俯いて、画面に写った写真を見たまま問いかける。

 忘れてくれと頼まれたのだ。

 全て消して、明日からまた前を向いて生きるべきなのだ。

 それなのに、指は一向に動く気配がない。


「店長は、友人が亡くなったことってありますか」

「そりゃあ、この年になるとあるよ。もう65だからね」

「慣れますか?」

「どうだろうね......亡くなった時は辛かったのに、今はもう辛くないんだ。もちろん、悲しいって気持ちはあるけどね」


 どうして自分は、こんなことを聞いているのだろう。

 今までずっと、相談することは迷惑だと思って隠してきたのに、どうして口が勝手に動くんだろう。


「忘れたんですか?」

「そうかもしれないね。好きだったものも嫌いだったものも、老けていく姿も覚えているのに、声が思い出せないんだ」

「そうですか……」

「まぁ、寄る年波には勝てないってことだね。時間が経つとイヤでも慣れるし忘れてしまうんだ」


 そうか、忘れることはできるのか。

 なら、いい。

 そう思っていると、店長は立ち上がり、俯いた自分に視線を合わせるために片膝をつく。


「ただね、後悔だけはずっと覚えているよ」

「後悔......」

「私の場合、思いを伝えなかったことかな。なぁなぁで一緒にいたけれど、ちゃんと自分の気持ちを伝えなかったんだ」


 そういうと胸ポケットからラミネート加工された一枚の写真を取り出す。

 ずっと大事にしているのだろう、かなり年季の入ったものだ。

 そこには、若い二人の男女が海を背景に笑顔で写っていた。


「江の島、良いところって言っただろう? 私も行ったことがあってね、その時に撮った妻との写真なんだ」

「......店長、奥さんいたんですね」


 その言葉で、先ほど自分に答えてくれた相手が奥さんであると理解した。

 もう亡くなってしまって声も思い出せないのは、店長にとって救いなのだろうか、苦痛なのだろうか。


「波長があってね、自然と二人でいて、そのまま結婚したんだ。子宝には恵まれなかったが、まぁいい生活をしてきたよ」

「いい人だったんですね」

「そうだ、私にはもったいないぐらいにね。だから、甘えてしまったんだ。自分の思いを言葉にしなくても、伝わっていると思ってね。妻が亡くなった後に気がついたんだ。一度も、自分から好きだと言ったことがないってね。今でも、後悔しているよ」


 店長の言葉に胸が苦しくなる。

 俺は、今まで雪さんに、一言でも思いを言葉にしたことはあるか?

 楽しかったと、口にしたことはあるか?

 ない、ない、ない、ない、ない。

 いつもいつも思うだけで、それを彼女に伝えたことはない。

 思いを伝えるのは独りよがりだと考えて、自分の考えを話したことはない。


『同情? 哀れみ? 優しさ? 責任感?』

『コウ君はさ、優しいから、誰でもいいんだよ』


 雪さんからそう言われても仕方のないことだった。

 あの時に、好きだと言えば、彼女の心の助けになれたのだろうか。

 何もできなくても、役に立たなくても、雪さんのそばに居たいと言えば、彼女の力になれたのだろうか。

 どうして俺は、あの時強く否定しなかった?

 君が好きなんだと、霧島 雪でなければ意味が無いんだと、ちゃんと伝えるべきだったのに。


「久瀬君は、その人のことを忘れたいのかい? もう、何もしてあげられないのかい?」

「......夢があるって、言っていました」


 思い浮かんだのは、ファミレスでの会話。

 日本一周がしたいんだと、それはもう叶わない夢だと寂しく笑った彼女の顔。

 本当に、もう間に合わないのか?


「久瀬君は、どうしたい?」

「......店長、俺、今すぐ辞めます」

「それがいい。行ってきなさい」

「......今まで本当にありがとうございました!」


 本来ならばクリーニングして返さなければいけない制服を脱ぎ捨てる。

 財布とスマートフォンだけをポケットに突っ込んで、走りだす。

 モラル? マナー? 自分の中のルール?

 もう、何もかも知ったことか。

 俺のやりたいようにやらせてもらう。


『明日からは、私のことキレイさっぱり忘れてね』


 日付はもう変わってしまった。

 ただ、どうして俺が、彼女の言うことを黙って聞かなければいけないんだ?

 寝静まった夜の道を、一人荒い呼吸で走り続けた。



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