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8月29日 ②

「ありがとね、家まで送ってもらっちゃって」

「別に大した労力じゃない。これぐらいならいくらでもするさ」

「杉本君にも、車のお礼しなきゃね」

「あいつにはしなくていいよ」

「ふふ、そういうわけにはいかないよ」


 花火の後、展望台のベンチで少し話してから解散の流れになった。

 コウ君に家まで送ってもらって、感謝の言葉を述べる。


「今日は、本当にありがとう」

「......大したことはしてない」

「ふふ、相変わらず照れやすいね」


 蛍光灯の下で顔を赤くして、髪を搔いている彼の姿はとてもわかりやすい。

 思っていること、感じていることがそのまま出てしまうのだろう。

 とても好ましい性格だと思う。

 目つきが悪いという理由だけで敬遠されるのは、もったいないと思う。

 ただ、私だけが知っている彼の良さというものは少し独占欲を満足させる。


(私がいなくなった後に、誰かと付き合えるかなぁ)


 自分の行動が、コウ君にとって良くないものだとは自覚している。

 日常を一緒に過ごせば過ごすほど、いなくなった時に寂しくなるものだ。

 私のわがままで、色んな場所にも行ってしまった。

 ファミレス、カフェ、カラオケ......江の島。

 至る所に私との記憶を作ってしまった。

 普通の人なら、折り合いをつけて生きていけるだろうが、生真面目な彼のことは心配だった。

 何をするにも、私の影がちらつきやしないだろうか?

 私のことを、ちゃんと忘れてくれるだろうか?

 人の死は、生きていくうえで避けられないものだろう。

 私も自分の母と死別した時は、感情の整理に苦労したものだ。

 コウ君は、私の死を受け入れてくれるだろうか。


(イヤだな......)


 コウ君に、一生を自分のことを覚えていてほしい。

 そう思ってしまった自分の浅ましさがイヤだった。

 そう思ってしまうほど、彼に忘れられるのがイヤだった。


「雪さん?」

「え? ……あぁ、ごめん。ちょっとボーっとしちゃった」

「体調が悪いのか?」

「ううん、大丈夫」

「そうか。それなら、俺は帰る」

「うん、今日はありがと。楽しかった、ずっと忘れないよ」

「......俺も、楽しかった。また」

「うん......さようなら」


 別れの挨拶は、コウ君に聞こえないように小さく呟いた。

 去って行く彼の背中にしがみついてしまいたい衝動を抑える。

 彼が運転する車の明かりが消えるまで見送って、自分の部屋に戻る。

 楽しかった。

 自分の不注意で、何もかも壊してしまうところだったが、それでも楽しかった。

 時間が経っても思い出せる。

 何かを決意したコウ君の声を、自分を抱きしめたコウ君の温もりを、息も絶え絶えに坂道を走って行く振動を。

 展望台から見た花火に照らされた、好きな人の顔を。


「嬉しかったなぁ......」


 人生の最後の思い出には、十分なものをもらえた。

 壁に手をつきながら部屋に向かって歩き出す。

 部屋に置いてある鏡が目に入る。

 もたつきながらも、上着とズボンを脱いで下着姿になる。


「あぁ、思ったより速いなぁ......」


 左手は半透明だった部分が完全に透明になり、二の腕から先はもう何もありはしない。

 右足も、脛から先は消えており感覚もない。

 足が地面を掴む感覚がないのは、非常に奇妙なものだった。

 歩くにも、立つにも、何をするにも不安定であるような錯覚に陥る。

 それを誤魔化すために、わざと人ごみに入ってゆっくり歩こうと考えたのだが、今日は裏目に出てしまった。

 下着姿の鏡の自分を見つめる。


「どうして、私だったんだろうなぁ......」


 答えの出ない問いを呟いて、ベッドに倒れこむ。

 慣れ親しんだ天井を見つめながら、ぐるぐると頭の中で思考が渦巻いている。

 もしも、私が病気じゃなかったら、コウ君としっかりと付き合えていたのだろうか。

 もしも、病院に行っていれば、奇跡が起きて治療法が発見されたのだろうか。

 もしも、早く思いを伝えていれば、もっとたくさんの思い出が作れたのだろうか。

 もしも、もしも、もしも、もしも、もしも。

 意味のない考えが頭を満たす。

 じんわりと視界が歪み始める。

 もしも、彼のことを好きにならずにいたのなら、未練などもたずに死ねただろうか。


「……好きだったよ、コウ君」


 ベッドの中でうずくまり、一つしかない腕で、体を抱きしめる。

 今日彼と会ったのは、最後のワガママだ。

 これ以上は、自分の思いを抑えきれない。

 彼への思いも、死への恐怖も、やり残した未練も全て、口から出てしまうだろう。

 それは、自分が望んだ普通の友達としての別れ方ではない。


「海......また二人で見たかったなぁ......」


 部屋に虚しく響いた声に、答えてくれる人はいなかった。


 ——————


 多分、一目惚れだったんだと思う。

 大学のオリエンテーションの日、目的の教室が分からずに途方に暮れていた自分に声を掛けてくれたのが彼だった。

 今とは違い、無造作に伸ばした髪に、人と目が合わないように俯いてばかりいた私に彼だけが声を掛けてくれた。


『どうかしましたか?』

『その、オリエンテーションの教室が分からなくて』

『あぁ、同じ一年なんですね。一緒に行きましょうか。自分も自信はないですが』


 今思えば、だいぶ口調を作ってくれていたのだろう。

 安心させるためか、丁寧に、ゆっくり話してくれる姿に優しさを感じた。

 目つきの悪さは気にならなかった。

 背の高くない私に合わせて、腰を曲げてまで目を合わせてくれる姿の方が印象に残ったから。

 人が嫌いだった。

 幼いころに母親をなくした自分にとって、高校までの学校生活はあまりいいものとは言えなかった。

 私という人間を見ず、父子家庭という環境の情報だけで偏見の目で見てくる人たちが嫌いだった。

 だから、私という人間をそのまま見てくれた彼の目が、新鮮に感じて心が揺れたのだ。

 教室につくまで会話らしい会話はなく、私に歩調を合わせてゆっくり歩いてくれる彼を見ていた。

 彼にふさわしい人になりたいと思った。

 髪を切り、色を変え、服装に気を遣い、明るく振舞うように努めた。

 見た目を作り始めると、周りの人が自分に対する態度を変えていくのが分かって、また人を嫌いになりそうだった。

 ただ、彼に好かれるために素の自分を隠して取り繕う自分も、大差ないと思うようにもなっていた。

 知り合いが出来るようになってくると、自分に聞こえてくる噂話の量も増えてきた。

 ガラの悪い男二人組がいる。

 片方はおチャラけて人気者であるが、もう片方は無愛想で怖い人であるらしい。

 その噂を聞いた時に、道案内をしてくれた彼のことだろうと思った。

 どうして皆、彼の優しさに気がつかないんだろうか。

 そう思いつつも、自分に自信をつけるため一年間話かけに行くようなことはせず努力した。

 2年生に上がる時、彼が入るゼミを知り合いから聞いて、自分もそのゼミに入ろうと思った。

 狐顔の杉本君と楽しそうに話している彼の姿を見た時、心臓がとても速く脈打っていたことを覚えている。

 震えそうになる声を誤魔化して、一年間身に着けた明るさで話しかけたのだ。


『楽しそうですね。私も混ぜてもらっていいですか?』


 彼らは、何の抵抗もなく私を受け入れてくれた。

 見た目を変え過ぎたのか、彼が鈍いのか。

 私のことを初対面だと勘違いしていたのは少しショックだったが、あの日と変わらずに自分と目線を合わせてくれる優しさが嬉しかった。

 そうして彼と同じ時間を過ごすうちに、より彼を好きになった。

 転んだ子供を見捨てない姿、重たい荷物をもったお婆さんを助ける姿、困っている人を捨て置けない彼の姿を、ずっと見ていた。

 それと同時に、自分の卑しさも知っていった。

 見た目だけ整えれば、彼の隣に立てると思っていたのだ。

 自分が惹かれたのは、見た目でなく優しさだったというのに。

 そう思うと、彼に思いを伝えることが出来なくなった。

 彼の優しさに、自分では不釣り合いだ。


(惨めだ)


 不釣り合いだと思っても、距離を完全に置くことができない自分が惨めで仕方なかった。

 何もできないまま、また1年が過ぎようとしていた。

 そんな時に、自分の異変に気がついた。

 左手の、指先が透けている。

 物には触れられる、感覚もある。

 ただ、透けている。

 それが透明化症候群だと知った時、真っ先に恐れたのは人の目だ。


(彼は、離れてしまうだろうか)


 それが何よりも怖かった。

 だから隠した。

 何事もないように振舞って、何事もないように消えるのだ。

 そんな自分の軽はずみな考えが、彼を苦しめることになるとも想像していなかった。


(イヤな記憶になりたくない)


 早朝、誰もいないはずの展望台で、自分のこれからを考えながら消えゆく指先を見つめていた時、彼にバレてしまった時に思ったことだ。

 自分のワガママで、彼のそばにいたのだ。

 彼が、自分のことを気にかけてくれている。

 それだけで十分だ。


(......消えたくないなぁ)


『ねぇ、消えるまで、変わらずに友達でいてくれる?』

『......当たり前だ』

『久瀬君は、ずっと変わらずに優しいね』


 消えずにいられたら、ずっと友達でいられたのに。

 夢の中の自分が、透明になって消えていく。

 人の記憶からも、消えることができたらいいのに。

 そうしたら、彼の苦しみにならずにいられたのに。


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