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8月29日 ①

「あれ、コウ君って車持ってたの?」

「いや、杉本から借りてる。運転は慣れてるから安心してくれ」

「そうなんだ。駐車場空いてるかな」

「チケット持ってる人優先の駐車場があるらしい。駅、混みそうだから車の方がいいと思って」

「そっか。杉本君いい車持ってるんだね。私車よく分かんないけど」

「俺も車種はよく分からん」


 花火大会当日、杉本から借りた車で雪さんを迎えにきた。

 結構な頻度で、杉本の足代わりとして送迎をしているので運転に問題はない。

 酒を飲んだ杉本を送り迎えする代わりに、こういう日に車を貸してもらえる約束だ。

 8人乗りのミニバンは、大学生には少し過分なものであるように思えたが、何に金を注ぎ込むかは自由なので口にはしない。

 車をしげしげと見ている雪さんをチラリと見る。

 生憎と浴衣姿は見られないようだったが、いつもと変わらない姿のように見えた。

 左手には小さい巾着袋が握られており、感覚はないようだがまだ物に触れる程度には残っているようだ。

 この症状の進み具合なら、冬休みもどこかに行けるかもしれない。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、車を見終わったのか雪さんが話しかけてきた。


「なんでこんなに大きい車にしたんだろうね?」

「見栄えが丁度いいんだと」

「へぇ、スポーツカーとかじゃないんだ」

「学生が一見高そうなスポーツカーだと鼻につく、軽自動車だと普通過ぎる、ミニバンぐらいがウケがいい、らしい」

「うーん、私にはよく分からない世界だなぁ」

「俺も分からない。あぁ、あとキャンプするのに便利だって言ってたな」

「キャンプするんだ、杉本君にそのイメージないなぁ」

「遊びならなんでも手を出してるからな、キャンプガジェットギャンブルスポーツなんでもござれだ」

「多趣味だなぁ」


 助手席に雪さんを乗せて、会場に向かって走り出す。

 会場までは車で30分ぐらいの距離が離れているものの、少し渋滞気味の様相を呈している。

 8月最後の大きな祭りだからだろうか、いつもは比較的スムーズなこの道もゆっくりとしか進まなかった。

 早めに出てきてよかった。

 あとは、ちゃんと駐車場が空いているかどうかだな。

 運営に電話で確認したところ、チケットに紐づいた番号の駐車場があるらしいが、何かの手違いで埋まってしまうということもあるだろう。

 不測の事態に備えて有料駐車場の場所も覚えてきたが、そこも空いているかどうかはこの混み具合だと怪しいものに思えてきた。


「コウ君、また険しい顔になってるよ」

「駐車場に停められるかどうか、少し心配でな。確認はしたが、トラブルに巻き込まれないとは限らないし」

「はあー、コウ君は真面目だねぇ。あるかもわからないトラブルを考えて生きてたらキリがないよ?」

「もしそれでトラブルになったら慌てるだろ? 事前に想定しておけば多少はマシになる」

「仕事ならそれでもいいかもしれないけど、今日はお祭りだよ? そんな険しい顔する前に、もっと言うこととかあるとおもうけどなぁ」


 助手席で、お行儀よく座っている雪さんを見る。

 ……普段助手席に座っているのは杉本だったから、ギャップがすごいな。

 スマートフォンを弄るでもなく、リクライニングを倒して寝るわけでもなく、こっちを向きながらお喋りをしてくれるというのは少し新鮮であった。

 ドライブデートというものにあまり興味を示さなかったが、経験をしてみると少し考えが変わってくる。

 何事も、もっと早く経験しておけば良かったと思うばかりだ。


「言うこと? ……楽しい祭りになるといいな?」

「うーん、コウ君のこれからが心配だよ。まずはね、相手のことを褒めるんだよ。デートって言うのはそういうものだからね」

「いつも通りで可愛いね、とか?」

「それは前も聞いたなぁ。もっとバリエーション無いのコウ君」

「バリエーションって言われたってなぁ。あぁ、髪切った?」

「切ってないよ! はぁ、コウ君本当に将来大丈夫かなぁ」

「親目線やめてくれないか。本当に深刻な気分になってくる」


 デートという単語が雪さんの口から出ると、少し胸がざわついた。

 恋心を自覚してからというもの、自分の一挙手一投足が気になって仕方ない。

 バレてはいけないのだ。

 ただの友達は、異性として好きになったりしないから。

 雪さんはイヤな記憶になりたくないと言っていたが、それは自分もそうだ。

 楽しかったと、笑って言ってもらえるような思い出になるためには、自分個人の感情は捨てなければならない。

 遅々として進まない前の車をにらむ。

 そうして力を入れていなければ、彼女のほうを見てしまいそうだったから。

 車内にかすかに香る、バスの時にも感じた甘い匂いが気になって窓を開ける。

 クーラーで冷えた車内をぬるりと夏の空気が入り込んでくる。

 バカみたいだ、何をするにも、意識が雪さんに持っていかれそうになる。

 今まで、こんなことになった経験はないから、どう対処していいか分からない。

 もしかしたら、初恋なのかもしれない。


(今年で21歳だっていうのに、情けない)


 ため息をつきながら運転席に深くもたれかかる。

 本格的に渋滞にはまり始めてきたようだ。


「動かないね」

「歩行者天国もあるからな、誘導が追いついてないんだろ」

「詳しいね」

「こないだインターンで経験したばっかだ。来る車と空いてる駐車場が釣り合ってないんだよ」


 あれはいい経験だった。

 誘導灯を無視して走るドライバーや進入禁止関係なしに突っ込んでくる車など、この世の不条理をたくさん経験できた。


「雪さんは、インターンとかは行ったの?」

「私は行ってないよ。行く意味もないしね」

「......そうか。じゃあ、夏休み中はなにしてたんだ?」

「んー、ずっとパソコンで遊んでたかなあ。趣味なんだ、パソコン」

「そうなんだ、大学用のノートパソコンしか触ったことないからな。デスクトップパソコンって何が違うんだ?」

「そりゃもう色々だよ。ゲームしたり二画面で動画見たり、ノートだとカクついたりするからね」

「そういうものか」

「コウ君はさ、趣味ないの?」

「趣味......筋トレかな」

「あー、ゴリゴリ! って感じじゃないけど、引き締まってるもんね。腹筋も割れてるのかな」

「運転中に触ってくるな、危ないだろ」


 進まない時間に退屈したのか、雪さんは右手を伸ばして、俺の腹に触れてきた。

 白く細い指が、自分のシャツ越しに体温を伝えてくる。

 こそばゆいものと同時に、まだそこにあるという安心感があった。


「なんか、思ったよりもだなぁ」

「座ってる姿勢なんだからしょうがないだろ」

「じゃあ脱いだらすごいの?」

「......セクハラじゃないか?」

「あ、前進んでるよ」

「誤魔化したな......」


 ゆっくりと動き出したテールランプを追いかける。

 くだらない会話でも、今はそれが楽しかった。


 ——————


「うわー、初めてくるけど、人すごい多いねー」

「これだけいると歩く気力無くなるな」


 駐車場に無事に車をとめることができ、一安心したのも束の間、多すぎる人の群れにげんなりとする。

 色とりどりの浴衣姿の人が多く歩いており、屋台に並んだ人と混ざり合って会場は混雑を極めていた。

 飲み物ぐらいはコンビニで買えば良かったなんて、風情の欠片もない感想が浮かんだ。

 花火まではあと30分くらいだろうか、早めに出てきたつもりだったが渋滞で思ったよりも捕まっていたらしい。

 正直に本音を言ってしまえば、車内が楽しかったからもう花火だけ見れば満足して帰れるのだが、雪さんのことを考えるとそうはいかないだろう。


「でもお祭りって感じがしていいね」


 雪さんは笑っている。

 いつもと同じ姿で、同じ笑顔で、自分と出会ってから何一つ変わってはいないような気がする。

 ダークブラウンの髪が、屋台の照明でキラキラと輝いている。

 その姿に恥ずかしくなって、ぶっきらぼうな言い回しになってしまう。


「屋台、回る?」

「うーん、並んでるうちに花火始まったりしないかな?」

「一つだけなら買えるんじゃないか」

「それなら、りんご飴かな」

「焼きそばとか、タコ焼きとかじゃなくていいのか?」

「ガッツリ食べたいって気分じゃないんだ。花火がメインだからね。ほら、行こう」


 そう言って雪さんは、人混みに向かって先に歩き出してしまう。

 はぐれないように手をつないだりするのが定番らしいが、自分もそういった定番はおさえたほうがいいのだろうか。

 いや、気の抜けたことを考えている場合ではない。

 少し遅れて、見失うことのないように慌てて雪さんについていく。

 あまり背の高くない彼女を一度見失ったら、合流するには大変な手間がかかるだろう。


「雪さん、ちょっと速——」


 声を掛けようとして、彼女の姿を見た時に一つの事実に気がついて声が詰まる。

 他の人の邪魔になることも気にせずに、彼女の左側に立って肩を抱き寄せる。


「え!? コウ君、急にどうしたの!?」


 狼狽する雪さんに対して、あまり目立たないようにゆっくりと、小さな声で彼女に告げる。


「雪さん、左手の手袋がない。巾着袋も」

「えっ?」

「替えの手袋はあるか? 貴重品は?」

「......ない。袋の中身は、大したもの入ってないよ」

「そうか、一旦車に戻るか。バレないように、今の姿勢で歩くけどいい?」

「うん......」


 自分の浮かれ具合に唇を強く噛んだ。

 もっと、気を付けなければならなかった。

 無理にでも自分が手を握るべきだった。

 おそらく、巾着袋が人混みを歩く中で誰かに引っかかってしまったのだろう。

 袖の先、何も見えない左手を隠すように、自分の体を雪さんに寄せて来た道を戻る。

 落としたことに気がついていない。

 それは、もう手首から先の感覚が完全にないことを意味していた。

 引っかかっただけで落としてしまうぐらいだ、感覚だけではなく形もほとんど消失しているのかもしれない。

 幸い、自分たちを見ている人は誰もおらず、何の注目を集めることなく車に戻ってくることはできた。

 ただ、助手席に座った雪さんは、何も喋らず、虚空となった自分の左手を見つめていた。


「ごめんね。ちょっと、浮かれすぎちゃったね。気づかないなんて、私......」

「気にしなくていい。俺が遅れたのが原因だから」

「コウ君は何にも悪くないよ。悪いのはいつも——」

「その先は聞きたくない」

「……ごめんね。まだ、こんなはずじゃ、なかったのに。花火、見たかったよね」


 震える声でそう呟いて、彼女は俯いてしまった。

 車の後部座席に何かないかと探してみたが、キレイに整頓されており何も無かった。


(キャンプ行くぐらいなら軍手の一つでも置いとけよ)


 心の中で杉本に八つ当たりをする。

 これで汚かったら、整理整頓しとけよと思うのだから人の心というのはどうしようもない。

 近場にコンビニはあるが、夏場に手袋が置いてあるかどうか分からない。

 それに、今更人目がある場所で雪さんが花火を楽しめるとは思えなかった。

 花火まであと20分くらいだろうか。


(何か、何か彼女に笑ってもらえる方法はないだろうか)


 重苦しい沈黙の中必死に考える。

 唐突に、彼女との出会いを思い出した。

 誰も寄ることのなく、街を一望できるあの場所を。

 あの展望台からなら、花火もキレイに見えるだろう。

 決めたなら、行動するだけだ。

 急いで運転席に座り、エンジンをかける。


「荒い運転するから、酔わないようにしとけ」

「え?」


 車を駐車場から出す。

 会場から帰る道は、行きと違って比較的空いていた。

 警察に捕まらない程度に飛ばし、時には裏道などを使いながら出来る限り早く移動した。

 伊達に長く杉本の足代わりをやっているわけではないのだ、この辺りの道は知っている。


(あぁー、罰当たりそう)


 時には信号に捕まらないように、店の駐車場を横断するなどモラルのない行為をして道を急ぐ。

 モラルもマナーも、いつもなら絶対に破らないルールを今は気にしないことにした。

 後ろの方から、大気を震わす大きな音がした。

 サイドミラーやルームミラーには、夜空に咲く花の姿が見えていた。


「花火......始まっちゃったね」


 ポツリと小さく呟いた雪さんの方を見ずに、一言だけ返す。


「すぐ見せてやる」


 運転に集中する。

 街を抜け、渋滞を抜け、大学に繋がる山道を走る。

 大して車が止まっていない大学の駐車所に荒く乗り捨てる。

 あの展望台まで、歩く時間ももったいない。

 未だに何が起こっているか把握していない雪さんを抱きかかえて走り出す。


「コウ君!?」

「舌噛むぞ」


 抱きかかえた体の柔らかさや、顎下にきた髪から香る良い匂いに普段なら緊張しただろう。

 今はただ、この軽い体に、消えゆく彼女に花火を見せてやりたかった。


「はっ、はっ、はっ」


 軽い。明らかに、成人女性より軽い。

 抱きかかえる手に力が入る。

 汗がダラダラと流れる。

 坂道を駆け上がり、獣道を踏み越えて辿り着いた開けた場所には、見たかった光景が広がっていた。


「キレイ......」


 空を色鮮やかに彩る花火に、二人して言葉なく立ち尽くしていた。

 近くに光源となるものがない分、一層輝いて見えた。

 ドォン、ドォンと花が開いてから遅れて音が聞こえてくる。

 真下の、いい席で見ることは叶わなかったが。

 ただ、二人きりのここも、特等席と言ってもいいだろう。

 ひと際大きな光を夜空にぶちまけた花が咲いた後、辺りは静寂に満ち始めた。

 どうやら、全て打ち上げ終わったようだ。


「......ありがとね」

「......いい場所で、花火が見たかっただけだ」


 雪さんのお礼に、素っ気なく返す。

 素直な感謝に、どういった対応をしていいか分からなかったからだ。


「それでも、ありがと」


 月しか照明のないこの場所では、十分に彼女の顔を見ることができなかった。

 ただ、それでも花火には負けないぐらいには、キレイに咲いた雪さんの笑顔があった。


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