表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にたくなったら  作者: 狐目 ねつき
第二章 一線
36/38

34話 死に抱かれるまで

 雨音にすらかき消されそうなほどの小さな声。

 嘘偽りなく、ナナは本心を告げてくれた――


(来る……!)


 彼女が口にしたその願望は、自殺意の可視化体を吐き出させるための、いわば引き金(トリガー)である。それを引き出したリクは『いつでも来い』とでも言わんばかりに、固唾を呑んで経過を見守った。彼女の口から零れ出てくるであろう可視化体を、かつてエイトが実践してみせたように、自らで呑み込む覚悟も既に決まっている。


(あれ……出てこない)


 しかし数秒ほど待ってみても、ナナの身体に硬直は訪れない。もちろん意識も保たせたままだ。


(ということは……つまり……)


 そう――君鳥ナナは自殺意に冒されていなかったのだ。そしてそれが解ってしまったと同時、張っていた肩肘が途端に脱力していく。


「……そっか、()()()()だったんだね」


 彼女は自分と同じで、心の底から死を望んでいる。それをうかがい知れたことで意図せず、声に安堵が滲み出てしまった。


「村崎くん……?」


 一方でナナは勇気を出して打ち明けたは良いが、予想だにしていなかったリクのその反応に、首を傾げて訝しんでいる。


「えっと、それって……安心していいの、かな……?」

「ごっ、ごめん! そうだね……違うよね……」


 リクはあたふたとしながら反省を口にする。ナナの抱える希死念慮が他者から植え付けられたものではないというのは、確かに喜ばしいことだ。しかし『死にたい』という感情がまだ残っているのも等しく事実である。


「ううん、大丈夫。謝らなくていいよ」


 それでも声に出して発散させたことによって、ナナの心境に若干の変化はあったようだ。


「自分の気持ち、村崎くんに話したら……少しスッキリした」


 憂いは帯びたままだが、先ほどまでとは違って、目だけが優しく笑っている。それは初めて目にする、彼女の素直な表情だった。リクは思わず見惚れてしまいそうになったが、緩みかけた心を引き締める。


「けどさ、君鳥さんがつらいことには変わりないでしょ」


「……うん、そうだね。そうだけど、〝死にたい〟っていう気持ちと同じくらいに、〝生きたい〟って気持ちも強いよ」


「うん、そう……だよね」


 ナナのその言葉を聞いたリクの胸の内に、小さな棘が魚の小骨のように引っかかった。それを知る由もない彼女は、どこか苦笑したように顔をさらに綻ばせる。


「それに私は、みんな、より……も……っ!?」


 さも自然に言葉が紡ぎ出されるかと思いきや、ナナは唐突に声を吃らせてしまう。そしてそのまま怯え隠れるよう芝生についていた膝を抱え、背中を丸めて表情を沈ませた。


「君鳥さん……?」


 やはり自殺意が――と、彼女の突然の異変を危惧したリクは、慎重に顔色を窺う。



「――だから」

「え、聞こえないよ……君鳥さん、大丈夫……?」


 項垂れたまま、掠れたような声でナナからなにかを言われるが聞き取れず、リクは耳を傾けて再度容態を尋ねる。彼女はまるで高熱に見舞われたように、耳と横顔を赤くさせ――



「――さっき私が言ったの、全部嘘だからねっ」


 はっきりとした声で、そう強く主張したのだった。リクはその発言に対し意図も文脈も汲み取れず、緊張感を表情に宿らせたまま、更に問う。


「さっき……? もしかして本当は〝死にたくない〟ってこと?」


「違う……」


「あっ、もしかして、さっきのスラングのこと、かな? 僕、気にしてないよ? そもそも何を言われたのかさえわかってな――」

「違うよ! そうじゃなくて……その、私、別に……自分のこと〝カワイイ〟だなんて、思ってないからっ」


 顔を紅潮させ、固く目蓋を閉じ、恥ずかしさを紛らわせるようにナナは強く訴えた。時が止まったかのよう、二人の間にしばしの静寂が漂う――


「……さっきのは違うの。私じゃないの。信じて」

「う、うん、わかってるよ」


 触れるだけで起爆してしまいそうな物体でも取り扱うよう、リクは丁重にナナをフォローした。彼女はきっと、特殊音楽療法によって昂った感情が今、ようやく正常へと立ち戻ったのだろう。


(そっか……今、効果が切れたのか……)


 それでも、散々と本音を吐き出せる高揚状態にあった際の記憶は鮮明に残ったままだ。だからこそ彼女は、厚顔無恥な発言を繰り返していた自分を思い返して悔やんでいるのだろう。


「嘘だってわかってるから……大丈夫だよ、安心して」


「村崎くん、絶対疑ってるでしょ……私、本当にそう思ってないんだからね?」


 宥めるようにリクは声を掛け続けるが、彼女は納得してくれそうにもなく、目つきを尖らせて追及を浴びせてくる。


「誰にも言わないし、聞かなかったことにするよ」

「やだ、忘れてっ」


「忘れるからっ」

「絶対? 約束できる?」


「絶対に約束する……よ」

「うぅ……やっぱり死にたい」


「それはダメだって!」

「やだぁ、死にたいよぉ」


 泥濘(ぬかる)んだ芝生にべちゃっと顔から倒れ込み、じたばたと駄々をこねるナナ。その後リクは彼女を慰め続け、説得し、落ち着かせるに至るまで数分を要したのだった――



◇◆◇◆



 ――雨足は少し弱まってきたものの、いつまでも雨に晒され続けるわけにはと、二人は屋根付きベンチの方に再び避難していた。


「そっか……奥戸先生が……」


 リクが貸したハンカチで顔に付いた泥汚れを落とし終えたナナは、沈痛な表情を覗かせている。たった今リクの口から、今日ここに至るまでの経緯を時系列に沿って伝えられたところだ。


「勝手に机の中を見ちゃったのはごめん。でも、君鳥さんを放っておけなくて……」


 奥戸との密談や発端となった例のプリントの件など、自殺意を除く全ての話の内容を打ち明け終えたリク。尋ねられた手前とはいえ、洗いざらい語って彼女を落ち込ませてしまったことに、少しだけ後悔をよぎらせてしまう。


「うん、わかってるよ……ありがとう、村崎くん」


 テーブル越しに座るナナから、口元を動かしただけの微笑みを向けられる。無理に取り繕ったであろうその表情は、どこか儚げに映って見えた。


「君鳥さん、大丈夫?」

「うん、大丈夫……だよ」

 

 彼女はあくまで毅然を貫こうとしているが、その『大丈夫』をそのまま鵜呑みにしたところで結局、置かれた現状は何一つ変わりはしない。リクはそれを理解した上で、今後の問題についてしっかりと向き合うことにした。


「来週からはさ、安心して学校に来なよ。ほら、さっきも言ったけど、奥戸先生も君鳥さんのためにこれから色々と動いてくれるみたいだし……さ」


「……うん」


「それに……一応、僕も……いるし」


 確信も保証も一切できない曖昧さが、そのまま口調と視線に表れてしまった。


「ねえ、村崎くんは……私のために、どうしてそこまでしてくれるの?」


 そして目を逸らしてしまった隙を衝かれるように、彼女のふとした疑問がテーブル越しに飛んでくる。


「だって、クラスの他の人はみんな……私のことなんて無視するし、私に構って気遣ってくれたところで……今度は村崎くんが同じ目に遭うかもしれないんだよ?」


 どこか逃げ場を無くされていくかのように、その追及が聞こえてしまった。


「それなのに……どうして?」


 ようやくと、視線がぶつかる。特殊音楽療法の一曲目の再生が終わろうとしていた直前、ナナの本音を引き出そうとリクが苦心したゆえに選択した、()()告白。その際の記憶は、彼女の脳裏にしっかりと刻み込まれていたはずだ。だからこそ、今一度リクの思いの丈を確かめようと、こうして尋ねているのだろう。


「その、えぇっと……」


 リクはこめかみをぽりぽりと指で掻き、たじろいでいる。先ほどは半ば勢い任せで口にしてしまったが、改めていざ問われると、どうにも決意が固まらない。


「……ごめん。さっきの話、忘れてくれとは言わないけど、聞かなかったことにしてくれない、かな」


 結局リクが取った選択は――保留。

 なんとも煮え切らない言い草で、リクは返答をした。


「こういうのは……もっとちゃんとした形で、伝えるべきだと思うんだ」


「そう……だよね、うん」


 ナナは小さく頷いて納得してくれた。

 だが、どこか残念そうな様子が見え隠れしている。

 リクは、それを惜しもうとすらしなかった。


 (そうだ、これでいいんだ……)


 今は、そのタイミングじゃない。

 今後、想いを伝える瞬間が訪れるかどうか。

 ともすれば、機会は巡ってこないのかもしれない。

 いや、来なくたっていい。

 可能であれば、来てほしくない。


(僕には……その資格なんてないよ)

 

 今日、自分が彼女にしたこと。

 勝手に一線を越え、勝手に救おうとした。

 たとえばここでもう一度想いを告げたとして。

 好意という名の勝手を押し付ける羽目になるだけだ。

 それに、彼女はこう言っていた――


『――死にたいっていう気持ちと同じくらい、生きたいって気持ちも強いよ』


 そうだ、彼女は強い。

 仮に、自分が今日救わなくとも。

 彼女は一人で苦難を乗り越えられたかもしれない。

 そう思えてしまうほど、彼女は強かった。

 自分なんかとは、比べ物にならないくらい。

 だから、これでいい。

 決して、言うべきではないのだ――



「僕はただ、苦しんでいる人を見て見ぬふりしたくなかっただけだよ。たとえそれが、君鳥さんじゃなくても……ね」


 どこか突き放すようにリクはそう告げると、遠くを見据えるように空を見上げる。絶え間のない雨を降らし続けていた空は、いつの間にかぴたりと泣き止んでいた――



◇◆◇◆



 彼女に自殺意が宿っていないとわかった直後。

 安堵をしたと同時に少しの落胆を覚えてしまった。

 自殺意に囚われた彼女を解放し救うことで。

 関係が進展するかもと淡い期待を抱いていたからだ。


 そうだよ。

 僕は本当に汚い人間だ。


 こんなにも僕は汚いのに綺麗事ばかりが口から出ていく。

 心の底でどこか人々を見下している。

 なのにいつも都合良く人を求めてしまう。

 こんな人間が人並みに人を好きになってはいけない。

 一人で誰にも迷惑をかけずにひっそりと死ぬべきだ。

 そんな自戒に近いその誓いを密かに込めながらも。

 僕はまたいつもと同じく人を求めてしまうのだろう。

 そしてのうのうと明日を迎えていくのだろう。


 死に抱かれるまで――




4月29日

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
狐目ねつき様の描く文章が繊細でとても好きです。 次のお話も楽しみにしております。 いつもありがとうございます。 巳ノ星 壱果
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ