33話 レイニー・ガール
「えっ……?」
思わず声が出てしまった。ナナに一体どのような感情の揺れ動きがあったのか、それは定かではない。
(聞き間違い……じゃないよね。今、君鳥さんは自分の事を……)
特殊音楽療法を開始する条件はどうやら無事に達成したようだが、一曲目の再生が終わった直後に彼女が口にした本音は、耳を疑ってしまいたくなるような内容だった。今さっき、自らが抱いた恋心を声に乗せて伝えたことなど、彼方へと忘れ去ってしまうほどに――
「仕方ないじゃん。私はさ――」
彼女が口元を歪ませて続きを語ろうとすると同時に、二曲目の再生が始まる。エレクトリカルな音色に、きらびやかでダンサブルな雰囲気が特徴の楽曲。リクが生まれる一昔以上前に流行ったような、軽快なディスコミュージックだ。しかし、ナナの変貌ぶりを目の当たりにしたリクは、冷静に二曲目を聴き入る余裕などなかった。
「脚も長くてスタイルも良いし、顔だって他の子より整ってるし――」
彼女がすくっとベンチから立ち上がる。まるでアイドルのオーディションでも受けているかのように媚びた声色で、自らのプロポーションについて思いのままに語り散らしている。
「――この髪の色も、最高にキレイでしょ?」
テーブル越しに立つナナがスタスタと間合いを寄せてくると、ミルクティーベージュの頭を差し出すように近付けられた。学校の玄関で語り合った時と同様、柑橘系の香りがリクの鼻にふわりと触れる。
「ふふ、村崎くんも私の髪に見惚れてたよね?」
傾げていた頭が持ち上げられ、今度は鼻と鼻がぶつかりそうになるほどの眼前にまで、ナナの顔面がずいっと迫り寄る。小悪魔的な色香を漂わせた、彼女の整った顔立ち。きめ細やかな、白い肌。ノーメイクなのに、毛穴一つすら見当たらない。
(えっ、あれ……?)
圧倒的なまでの美貌が、今にも口づけてしまえそうなほど間近にあるにも関わらず、リクはひとつの違和感をふと覚えてしまう。一方でナナはお構い無しにと言ったばかりに、話を続けていた。
「聞いてよ、村崎くん。私ってさ、他の人よりもただ、可愛く生まれただけなんだよ?」
彼女は両手を思いっきり広げ、くるくると身体を回転させながらベンチから遠ざかっていく。たった今流れている楽曲の曲調も相まってか、そのままダンスでも始めるのではないかと勘繰ってしまいそうだ。
「〝カワイイ〟って思われるのは、嬉しいよ。悪い気しないもん」
屋根で覆われていた区画を離れ、彼女は傘も差さずに降りしきる雨を一身に浴びる。恵みを請うかのように空を仰ぎ、眩しい笑顔を雲の上に届けていた。どこかドラマチックに悲劇的で、それでいて滑稽さも感じられる、そんな芸術的な一枚が撮れそうな気さえしてくる。
(あっ、ヤバい……!)
立ち上がって佇み、ただ眺めるしかできなかったリクは、テーブルに置いたままのスマホを慌てて拾い上げる。無事に二曲目へ突入したはいいが、ナナの表情を『画角に収め続けなければならない』という条件を忘れかけてしまっていた。すぐに液晶を覗き込み、カメラのズーム機能を操作して、彼女の顔へとピントを合わせる。
「……でもさ、それだけなんだよ」
雨足が、更に激しさを増す。カメラ越しの彼女は、とても晴れやかな表情を浮かべたままだ。一切の曇りも淀みもうかがえない。この雨すらも、蒸発させてしまいそうなほど。それでも、目だけが笑っていない。違和感の正体はそれだった。
「それだけなのに……どうして学校でひどい目に遭わなきゃいけないの?」
「君鳥さん……」
「いつも大人しく、控えめに、普通の女子高生として過ごしたいだけなのに……見た目が良いってだけで、仲間外れにされなきゃいけないの? 私、なにか悪いことしたのかな?」
雨なのか涙なのか、わからない。なぜ彼女は泣いてるように笑うのだろう。どうして今、こんなにも、彼女を美しいと思ってしまうのだろう。
「……教えてよ、村崎くん」
二曲目が終わる。
そしてすぐに、三曲目が開始した――
(違うだろ……これは)
――いや、既に曲目などどうでもいい。
彼女の顔を映し続けるのも、どうだっていい。
言葉や心理的な駆け引きといった、打算はもうやめだ。
今、目の前で苦しんでいる彼女を救わないでどうする――
「君鳥さん、聞かせてよもっと」
リクは再びスマホをテーブルに置き、雨に濡れるのも厭わず、ナナの元へずかずかと歩み寄る。彼女は芝生に膝をつき、疲れ果てたかのように項垂れていた。リクも同様に膝をつかせると――
「えっ、なに……?」
「全部、話してよ」
――正面から、ナナの肩を抱き寄せた。
「何してるの村崎くん、離して……!」
「離さない、話すまで」
引き剥がそうと抵抗するナナを、リクは力ずくで抱き締めた。お互いの頬が耳元に添う位置にまで、身体が密着する。傍目から見れば、雨で冷え切った身体を温め合うような光景だ。
「なんで、バカじゃないの……?」
「僕はさ、両親がもういないんだ」
「急に……なんなの」
「父さんが死んで、母さんはそのすぐ後に自殺したんだ」
なにかに取り憑かれたかのように、リクは淡々と事情を打ち明けた。ナナは明らかに戸惑っているようだ。
「……私にそれを聞かせて、どうしたいの?」
「次は君鳥さんの番だよ、話して」
「意味が……わからないよ」
「ほら、なんでもいいから話そうよ」
リクは強固な姿勢を崩さない。ナナが再び引き剥がそうともがくが、リクは容赦なく身を引き寄せる。
「ヴィットゥっ、サータナ……!」
もどかしさが破裂したのかナナは苛ついたように、聴き慣れない単語を口から吐き棄てた。思わず呆気に取られてしまうリク。
「え、今のって……何語? どういう意味?」
「…………」
尋ねるも、ナナにぷいっと顔を背けられる。表情こそ見えないが、怒っているよりかは恥ずかしそうな素振りをしているように窺えた。
「どこかの国の、スラングみたいな感じ?」
「……フィンランド語だよ」
少し思い悩んだような間の後、観念したかのようにナナが回答する。
「フィンランドとのハーフなの?」
「……うん、そうだよ」
「フィンランド語、喋れるんだ」
「二歳から小学校卒業まで……住んでたから」
「そうなんだ……フィンランドってどんな国なの?」
「……寒いよ、とにかく。寒いし、暗い」
「ロシアに近いしね。イメージ的にはやっぱり――」
「でも、静かだよ……日本よりも。そこは好き」
だらりと垂れていた彼女の手が、リクの袖下をきゅっと掴む。弱々しいその仕草がたまらなく物寂しく、憐憫に情緒が滲んでいく。
二人の間に沈黙が流れ、身体が密着したまま時間が過ぎていった。雨の音だけが、ひたすらに聴こえてくるのみ――
「……学校、僕はやっぱり好きになれそうにないかな」
「え?」
ふと、リクの口からおもむろに零れ出た話題に、ナナが反応を見せる。
「この前、話したよね? 〝学校を好きになろうと努力はしている〟って」
「……うん」
「授業は難しいし、クラスメートはうるさい人ばかりだし、新しい友達は一向にできないし……この一週間、自分なりに努力はしてみたけどキツかったよ」
うんざりとしたような口調で、リクがつらつらと愚痴をこぼす。ナナは反応を示してはくれず、無言で聞き入っているようだ。
「……それに立ち直って登校したところで、現実は変わっても、僕の頭の中はいつだって変わらない」
声のトーンを少し落として、リクは静かに語りだした。
「父さんと母さんがいなくなって……孤独に耐えきれなくて、僕はもう本気で死ぬことだけを毎日考えてきた」
思い出さないよう、記憶の奥底にしまい込んでいた感情を掬い上げる。
「どれだけ美味しい物を食べたり、一日中ゲームをしてたりしてても、いつも頭の片隅に〝死にたい〟って衝動があった」
口を動かしつつも、振り返らないように決別していたはずの過去の自分と向き合ったことで、胸が締め付けられていく。ナナを包み込む腕にも、自然と力が入る。
「今もそう……あの頃の記憶を思い出しちゃうと、泣きたくなってくるし、いつまた〝死にたい〟って思うようになるかもわからない」
ナナの肩が震えている。雨で冷えたのか、それとも、なにか感情が高まっているのか――
「……君鳥さんは、どう?」
リクはナナと密着させていた身体を唐突に離し、両の肩を両手で掴んだまま、正面に向き直る。
「死にたい、って思う?」
そして彼女の潤んだ瞳に焦点を合わせ、真意を尋ねた。ナナは目を泳がせ、なにか思いに耽っている様子。リクからの問いを、胸の内側で咀嚼しているのだろうか。ぽたぽたと垂れる水滴を少しずつ含んでいくよう徐々に、憂いを表情に滲ませている。
やがて彼女は躊躇いつつも、細い唇を震わせ、静かに口を開く――
「……うん、死にたいよ」
――ぽつりと。




