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死にたくなったら  作者: 狐目 ねつき
第二章 一線
29/30

27話 だって本当に

 ――昼休みの学食は、今日も変わらず騒がしかった。


 トレーを持って行き交う生徒たちの足音。食器が触れ合う乾いた音と、飛び交う誰かの笑い声。それらすべてが混ざり合って、学食特有の雑然とした空気を作り上げている。


 そんな中、リクはヒロと向かい合うように、四人掛けのテーブルの一角に腰を下ろしていた――


「いやマジでさ、このエビカツサンドやばくない?」


 リクの目の前で、ヒロが一口食べる度に絶賛の声を上げている。


「衣がサックサクでさ、エビもちゃんとプリッとしてんのよ。しかもこのタルタルソース、絶妙じゃね? 素材の味を上手く殺さない程度の量だし、酸味が強すぎないのも神懸かってる」


 語る。とにかく語る。

 衣の欠片をテーブルの上にぽろぽろと落としながら。


「前にメニューにあった白身フライのやつとは全然違うんだって。あれはあれで悪くなかったけど……今回のは完全に〝当たり〟だわ。定番化してくれねえかなあ」


「確かに」

「うん」

「そうなんだ」

「へえ」


 ヒロと視線が合うたびに適当な相槌を打ちながら、リクも同じエビカツサンドにかぶりついて口に頬張る。ヒロの語った通り、確かに美味しい。美味しいが、それでもリクの頭の中では味の感想ではなく、別の思考で埋め尽くされていた。


 朝の教室。

 君鳥ナナの席。

 置かれていなかったスクールバッグ。

 そして、奥戸の淡々とした出欠。


『欠席、か――』


 突き付けられた事実。

 あれから何度も、反芻してしまう。

 痛切さに、喉が詰まりそうになる。

 彼女が休んだ理由というのは、やはり自分が――


「――なあリク、どうだ?」


 ヒロに名を呼ばれ、リクの意識は思考の沼から引き揚げられる。


「えっと……なにが?」

「感想だよ感想。もう食べ終わっただろ?」

「えっ? あっ、うん、そうだね……」


 考え耽っている間にも、手と口はしっかりと機能を果たしていたようだ。リクは頭を捻り、味の詳細を思い返そうと小さく唸る。口内に残った味を舌で辿ってはみたが、どうにも言語化できそうにない。


「……うん、普通に美味しかったよ」

「普通?」


 リクの無難な感想に、ヒロが眉をひそめる。


「いや、悪い意味とかじゃなくて。ちゃんとしてるっていうか……うん、安定してる感じ」

「なんだよそれ、歯切れ悪いなぁ……」


 ヒロは不満そうにしながら、リクの顔をじっと覗き込んで訝しむ。


「リクさ……なんかあった?」

「なんか、って?」


「さっきからどこかうわの空っていうか……話聞いてるようであんまり聞いてないような感じがするんだよな」


 図星だった。平静を装っていたつもりでも、ヒロには見抜かれていたようだ。しかし、正直に理由を話す気にはなれない。


「別に、なんでもないけど……」

「そっか……まぁ、何もないなら良いんだけどな」


 ヒロは少しだけ寂しそうな目を覗かせると、スマホでゲームアプリを開き、暇を潰し始めた。彼のその感情の機微を察してしまったリクの胸の内に、罪悪感が棘を剥き出す。


()()しか……ないか)


 

「……数学の小テストさ。全然できなかったんだよね」

「え、マジ?」


 リクが意を決して打ち明けたその内容に、ヒロがすぐに食い付く。


「うん。時間全然足りなかったし、後半なんてほぼ白紙で提出しちゃった……たぶん、課題渡されるかも」

「それでか……そりゃ確かにへこむな」


 ヒロは同情を口にしているが、どこか腑に落ちたような面持ちだ。なんとか誤魔化せたようで、リクは静かに胸を撫で下ろす。


「この学校、レベル高すぎだよね……」

「進学校の洗礼ってやつだな。まあ、最初はそんなもんだろ。あんまり気にすんなって」


「そうだね、気にしないようにする。ありがと、ヒロ」

「午後は気楽にいこうぜ。リクのクラスは体育だろ?」


「うん、体育だね」

「汗かきまくって、嫌なことなんてさっさと忘れちゃえよ」


 そう言葉を交わしつつ二人は席を立ち、学食のホールを後にする。リクはその後もヒロにポジティブな言葉を掛けられながら、自分の教室へと戻っていった。


(嘘は……ついてないよね。だって本当に、テスト難しかったんだし――)



◇◆◇◆



 終礼のチャイムが鳴り、体育の授業が終わった。リクのクラスメートたちは、雨と汗からくる湿気と、授業後特有の解放感を身に纏わせながら廊下を練り歩いていた。十数人が声を弾ませて歩く男子生徒の輪から、リクはほんの数歩だけ距離を取って、教室への道中を進んでいる。


(疲れた……)


 汗が滴る前髪を雑にかき上げ、リクは大きく息を吐く。普段からインドアな生活を送ってはいたが、不登校時はその怠惰ぶりに拍車がかかっていたため、ここまで身体を動かしたのは本当に久しぶりだった。


(いやぁ……ひどかったな、僕)


 授業の内容は雨天ゆえ室内サッカーだったのだが、当然まともなプレーなどできるはずもなく、チームの足を引っ張るばかり。


(なんか足、痛いし……)


 加えて、慣れないながらも我武者羅にプレーを続けていたせいか、足を挫いてしまうという情けない結果に終わる。


(……けど、少しスッキリしたかな)


 ひどい体たらくではあったが、ヒロから言われた通り、存分に身体を動かしたことで幾分か気は晴れた。


(とりあえず……明日だ。明日、君鳥さんが学校に来ることを祈ろう。今の僕にできることはそれしかないんだ……)


 そして散々と悩み、思い詰めていたはずのナナの件に対しても、至ってシンプルな結論に着地することができた。


 しかし――


「おっ、村崎くん」


 リク以外のクラスメートが先に教室へと入った途端、隣の教室のドアがガラッと開き、担任の奥戸が中から姿を現す。どうやら別のクラスでの授業がたった今終わったようで、教材の入ったファイルを胸に抱えていた。


「ああ、そういえば体育だったか。お疲れさま」

「あ、どうも……」


 鉢合って早々、気さくに声を掛けられたが、リクはたじろいだように視線を無意識に逸らしてしまった。


「ん? なんだか元気がないな。何かあったのか?」


 様子がおかしいと思われてしまったのか、奥戸が少し神妙そうな口調で心配を寄せてくる。胸の奥底がまた、じわりと濁り始めてきた。


(奥戸先生なら、君鳥さんのこと……)


 彼女の欠席した理由――単なる体調不良なのか、それともなにか別の事情があったのか。担任である彼なら、少なくとも体裁的な理由は知っているはずだ。リクは一瞬だけ躊躇ったが、ゆっくりと唇を開く。


「先生、あの……」


 喉元まで、君鳥ナナの名はせり上がって来ていた。しかし、声帯を通過してくれない。


(……聞いて、どうするんだ)


 もし、想像以上に深刻な理由だったら――

 もし、自分が関わっていたのだとしたら――


 知ってしまった後の自分が、どう振る舞えばいいのか――その答えを、リクは用意していなかった。


「どうした? もしかして、体調でも悪いのかい?」

「えっと……」


 奥戸からの優しい問いかけが、逆に胸を締めつけた。リクは少し俯き、覚悟を決めるように息を整えると――


「久しぶりに体を動かしたら……その、足を挫いちゃったみたいで」


 照れ笑うように、誤魔化した。それを聞いた奥戸はリクの足元に視線を向けると、納得したように小さく頷く。


「……そうか、今も痛む?」

「はい、まだ少し……」


「次の授業になっても痛みが引かないようなら、無理せず保健室に行った方がいいよ」

「……はい、そうします」


 それだけの会話。

 それ以上、踏み込まれることはなかった。

 同時に、()()()()()()もできなかった。


「また後でね、村崎くん。それじゃ」


 奥戸はそれだけを言い残し、職員室がある二階への階段を昇っていった。彼の靴が鳴らす乾いた足音が聞こえなくなっても、リクは教室のドアの前で佇んでいる。


(嘘は……ついてないはず。だって本当に、足痛かったし……)


 またしても自分に言い聞かせ、気を逸らすように、リクは廊下の窓から外を眺める。窓越しに見える空は、まだ重たい雲に覆われていた。一向に止む気配のない強い雨足が、世界を水分で満たし続けている。


(君鳥さん……今、なにしているのかな)


 虚ろな眼差しで、空虚に思いを馳せる。彼女のことを訊けなかった心残りが、徐々に後悔へと変貌を遂げていく――



◇◆◇◆



 放課後の教室。

 生徒たちが帰宅した後の、静まり返った空気。

 窓を叩く雨音が、より一層と耳に残る。

 箒を手にしたリクは、教室の後方を掃いていた。


 今日の掃除当番は、リクと――名前も顔も一致しない、二人の女子生徒。窓際の暖房に腰を下ろした二人は、雑巾を片手に持ちながら、掃除そっちのけで会話に夢中といった状態だ。


「てかさ、マジ今日の数学だるくなかった?」

「ね、小テストとか聞いてなかったし」


「ムカつくよねー。てか雨全然止まないねー」

「やばいよねー。掃除もめんどくさいし最悪ってカンジ」


 愚痴に花を咲かせる女子の声。いやでも耳に届いてくるが、二人の会話は雑音として処理されるだけで、意味を持たずに通り過ぎていくのみ。リクは彼女たちに注意を挟むこともなく、黙々と箒を動かしていた。


(早く……終わらないかな)


 辟易としながら、リクは床に落ちた消しゴムのカスやホコリを寄せ集める。そうして少しずつ箒を進ませていくと、やがて自然と、手前の列の一番後ろ――君鳥ナナの席の付近に辿り着いてしまう。


「…………」


 意図せず、手が止まる。意識していなかったはずなのに、戸惑ってしまった。リクは、丁重に扱うよう彼女の椅子をゆっくりと引いて、机の下に箒の頭を入れる。そして溜まった埃を掃き出そうとした――その時。


(……あれ?)


 机の中、教科書をしまうスペースに、一枚の紙が挟まっているのが見えた。A4サイズのプリントだ。昨日、ナナが持ち帰るのを忘れたのだろうか。そう推測を働かせながらも、リクの視線はそこから離れなかった。


(触らない方が……いいよね)


 人の机の中。人の私物。勝手に覗き込むのは、明らかに越えてはいけない一線だとわかっている。それでも、なぜか指が動いてしまった。そっと、プリントを引き抜いてしまう。


(み、見るだけ……だから)


 都合よく自分にそう言い訳をして、リクはプリントの表面に目を落とす。記されていたのは、昨日のホームルームで配られたものと同じ内容だった。来週から始まる選択教科の授業についてのお知らせ。見慣れたフォントに、見覚えのある文字列が刷られている。


(……なんだ)


 少しだけ、肩の力が抜ける。しかしリクはそのまま何の気なしに、本当に深い意図もなく、プリントを裏返してしまった。


「え……」


 思わず声が、漏れてしまう。白紙のはずの裏面いっぱいに、大きな黒いペン字が踊っていたのだ。


『ハヤクガッコウ ヤメロ』


 文字は、整っていない。均等さを意図的に避けたように、少しずつ間隔を変え、線を重ねて書かれていた。筆跡が特定されないように書かれた文字だと、素人目にもわかる。


「……っ」


 事実が、容赦なく胸を刺す。ただ、まだ断定してはならない。もしかしたら彼女が欠席した理由は別で、今手元にあるこのプリントには、まだ目を通していない可能性だって残されている。


 しかし、それでも――


(……これと同じような目に、毎日遭っていたのか)


 机の中や、靴箱を覗くたびに。

 彼女は、いつも――

 

(今までどんな想いで、学校に……)


 心臓が、誰かにぎゅっと掴まれたような感覚だ。プリントと箒を手にしたまま、リクはその場に立ち尽くす。唇を噛み締め、痛みを堪えるよう、固く目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、二人で掃除を終えた放課後の光景――


 あの時、中途半端に優しく接して、配慮もなく掛けてしまった言葉。会話の途中で彼女が突然帰ってしまったのは、反射的に出てしまった防衛本能だったのだろう。次の日に謝られたのも『これ以上他人に裏切られたくない、期待も抱かない』といった、意思表示からくるゆえの弁だったのかもしれない。


(それなのに、僕は、自分勝手な思いばかり優先させてしまって……)


 反省を強いられ、感情が内側で軋みを上げる。


(君鳥さんが明日、学校に来たら……僕はなんて――)

「――そういえばさ。君鳥さん、今日学校来なかったね」


 窓際から、女子生徒の声が耳に届く。それまで会話の内容など一切脳に残らなかったのだが、鮮明に聴き取れてしまった。


「あぁ〜、休んじゃったね」

「え、もしかしてウチらのせいだったりする?」


「いやいやそんなワケ」

「だよねえ、ウチらは()()()()関わってないしね」


 リクはしっかりと耳を傾け、目を見開いたまま、ぴくりとも体を動かさずにいた。


「でもさ、やっぱ目につくよね、あの子」

「そうそう、うちの学校、派手な髪色もカラコンも禁止なのにさ、どこか外国の血が入ってるからって許されちゃってんの、ムカつくよねー」


「あはは、わかるー。なんか開き直ってる感出ちゃってるのがねー」

「あれはウチらから反感買ってもしょうがないよ」


「それなー。このまま学校辞めちゃった方があの子も――」


 最後の一言は、まだ語尾に達してないながらもリクにとってはすでに決定打となっていた――突如、近くで雷が落ちたかのような凄まじい衝撃音が、教室中に響き渡る。


「えっ、ちょっ、なに、どうしたの……!?」


 飛び跳ねたように驚く女子生徒二人が、一斉に振り返る。音の正体は、リクが手にしていた箒を振りかぶり、全力で壁に叩きつけていた音だった。乾いた音が耳の奥で反響し、まだ空気が震えている。


「村崎、くん……?」


 慄然としたように、おそるおそる投げかけられる声。リクは少し乱れた呼吸を整え、一拍を置くと、けろっとした表情で振り向く。


「いや、なんか……()()()()()()()がいてさ、びっくりしちゃって……」


「えぇ〜なにそれ。怖いんだけどー」

「てか村崎くん、ずっと一人で掃除させてごめんね〜」


 わざとらしく媚びたような女子生徒の声に、リクは背を向け、自身の手元に視線を落とす。そのままナナの机から取ったプリントを無言で握り潰し、制服のポケットにねじ込んだ。ひしゃげる紙の感触とわずかな痺れが、掌に残る。


(怖いのは……お前らだよ)


 顔色ひとつ変えず、何事もなかったかのように、リクは箒を持ち直して掃除を再開させる。床を掃く音だけが、ひたすらに規則正しく響く――



 ――嘘は、ついていない。

 ――だって本当に、()()見えてしまったのだから。

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