表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にたくなったら  作者: 狐目 ねつき
第二章 一線
28/30

26話 雨

 リクが再び学校へ通い始めるようになってから、三日目の朝――


 空は、昨日の夕方から降り出した分だけでは物足りないといった具合で、登校中の朝から打ちつけるような雨を降り注がせていた。


 ――傘を少し傾けて、リクは濁った空を見上げる。


「……すごい雨だね」

「ああ、朝から本気出してるよな。すげえわ」


 隣を歩くヒロが、皮肉を言うようにそう口にした。


「勘弁してくれっての……雨の日は湿気で弓の調子も悪くなるし、メンテナンスもマジで面倒なんだよ……」


 リクの前ではいつもポジティブな様相を絶やさなかったヒロだが、今日は朝からぶつぶつと愚痴を垂れ流している。


「部活の時間までに止むといいね」

「そうだと助かるんだけどなあ。でも予報がなぁ……」


「嘆かない嘆かない。ヒロらしくないよ?」

「……わかってるって。そういや今日の数学、小テストらしいな」


「えぇ……なにそれ。聞いてないんだけど。嫌だなぁ」

「はいはい、嘆くな嘆くなっ」


 そんな他愛もない掛け合いを続けながら、二人は校門をくぐった――



「――じゃ、昼休みな。今日は学食で新商品のエビカツサンド食おうぜ」

「うん、わかった。また後で」


 リクのクラスの教室前。お互いに軽く手を挙げ、軽い約束を交わす。リクは、湿気を感じさせないどこか乾いた笑みを浮かべながら、ヒロの背中が他の生徒の流れに溶け込んでいくまでを見届けた。


(……よし)


 直後――すん、とリクの表情から柔らかさが失せた。小さく深呼吸をして気分を整え、胸の奥で密かに気合を込める。そして決意を、口には出さず高らかに掲げていく。


(今日こそ、君鳥さんに声を掛ける……!)


 挨拶だけじゃない。曖昧な言葉でもない。

 彼女が口にした『気にしないで』にも甘える気はない。


(ちゃんと……謝る。目を見て、しっかりと声に乗せて)


 昨日の朝の出来事は、頭にはまだ鮮明に残っている。言えなかった一言。逸してしまったタイミング。何より、自分の臆病さに強く打ちひしがれた苦い記憶。


(逃げたままじゃ……絶対にダメなんだ)


 今日はいつもより敢えて少し、学校に着く時間を遅らせている。始業五分前。この時間であれば、さすがにナナはもう教室にいるはずだ――リクはそう、高を括っていた。


(大丈夫……流れは、頭の中で何度も練習した。あとはどれだけ……平常心をもって臨めるか)


 肩の力を抜いて、必要以上に身構えないように――そう心に決めたリクは、教室のドアをそっと開く。教室の中は、すでにほとんどのクラスメートが着席していて、そこかしこから騒がしい声が聴こえてきた。


(君鳥さんの席は――)


 窓際の自分の席には向かわず、リクは視線だけを動かす。ナナの席は、入り口の手前側の列、最後方にある。トイレに立つ時以外は、いつも一人で物憂げにしていた彼女の定位置だ。しかし――


(……あれ?)


 そこに、君鳥ナナの姿はなかった。

 スクールバッグも置かれていない。

 机も椅子も、朝の静けさを保ったままだ。

 一瞬だけ、心臓が嫌な音を立てる。


(まだ……来てないの? そんな――)


 リクは視線を右に左にと泳がせ、教室全体を隅々まで見回す。だが、どこにも彼女はいない。時計はすでに、長い針が〝6〟の位置に差し掛かろうとしている。この時間になってまで未登校というのは、遅刻か欠席以外はありえないだろう。


(たまたま、遅れてるだけ……だよね)


 悪足掻きでも強いるように、リクは自分に言い聞かせようとした。しかし、甲高い電子音がスピーカーを通して、学校中に鳴り響く。始業のチャイムが、妙にはっきりと鼓膜を揺らした。単音が鳴るたびに、頭の奥を直接叩かれるような感覚。


(なんで……)


 自分の席に座るのも忘れ、リクはナナの席の傍らで立ち尽くす。周囲の生徒たちは、何事もなかったかのように授業の準備を始めている。君鳥ナナが不在だからといって、さして問題などないといった風に。いや、彼女が登校してないという事実すら、誰も気に留めてないように見えた。


(今日こそは、って……決めてたのに)


 綿密に組み立てたはずの計画が、砂上の楼閣が如く崩れ去る。用意してきた言葉たちが行き場を失い、脳細胞の海から座礁していく。


(もしかして……)


 胸の奥に、嫌な予感が芽生え始めていた。

 それはまだ、形すら成さない不安だったが。

 リクの中で静かに、根を張り巡らせていた――



◇◆◇◆



 ――朝のホームルーム。担任の奥戸が教壇に立ち、名簿を手にしていつものように出欠を取り始めている。


 一方でリクは机に両手を揃え、じっと座っていた。どこか、落ち着かない。背すじが石灰化したかのよう、不自然なほどに固く感じる。視線は前を向いているのに、意識はずっと、ただ一点――君鳥ナナの席に引き寄せられ続けていた。


(……どうして、だろう)


 昨日の朝は、学校に来ていた。声も聞いた。視線こそ合わなかったが、それでも確かに、あそこにいた。


(君鳥さんに一体なにが――)

(――遅刻かもしれないだろ)

(僕の、せいなのかな――)

(――たった一日だろ)

(それとも、掃除当番の時から――)

(――体調が優れないだけなんだろ)


 考えれば考えるほど、底のない穴に落ちていくようだ。要因を枚挙すればする分、無意識に結論を取り繕う。それでも、スクールバッグが置かれていない光景が妙に生々しく、嫌な方向へ想像を引っ張っていった。


「伊藤――」

「江端――」

「神崎――」


 淡々とした奥戸の声が、教室に響く。名字を呼び、返事を確認し、名簿にペンを落としていく。作業的で機械的なそのテンポが、リクの焦燥だけを際立たせた。そして――


「――君鳥」


 その四文字が発音された途端、鼓動が耳の奥を叩く。


「君鳥ナナ」


 数秒の間を置いて、今度はフルネームで呼ばれる。

 当然、声は教壇に返ってこない。

 奥戸は一度だけ名簿に視線を落とし、短く言う。


「欠席、か」


 教室のどこかから、潜めた声が聴こえてくる。内容は聞き取れない。聞き取りたくもない。誰かの椅子が軋む音すらも、耳にしたくない。


『――欠席、か』


 奥戸のその一言だけが、深く鋭く刺さる。

 頭の中で、また同じ疑問が暴れ出す。


(なんで)

(やっぱり)

(……僕のせい?)


 口内が、なぜか渇く。

 呼吸が、少し浅くなってきた。

 視界が、やけに狭い。

 情緒が、鈍く歪んでいく。


「村崎――」


 自分の名が呼ばれる。

 瞬間、五感が一斉に反応したような気がした。

 リクはびくりと肩を震わせ、反射的に口を開く。


「……はい」


 その返事は、自分でも驚くほどに力がなかった。

 窓を叩く雨音よりも弱く、かき消されそうなほど――



4月28日

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ