24話 刺殺と写真
「今日の〝ヤツ〟って、その……自殺意のこと?」
「ああ、そうだ」
言葉を選ぶよう慎重に問い掛けるリクに対し、エイトは缶コーヒーを片手に、至って冷静な調子で答える。
「なにをどうしたら、こんな風に……」
リクは部屋中をくまなく見渡す。CDに衣服、マンガ本やその他雑貨類が、歩くスペースを確保するのが困難なほどに絨毯の上で散乱しつくしていた。見れば見るほどにひどい有り様だが、リクはここである一つの違和感に思い当たる。
(……あれ? 家具とかは別に壊されたりしてるわけじゃないんだ)
これほどまでの無秩序な散らかり具合にも関わらず、スピーカーやテレビ、テーブルなどの家具には荒らされた形跡がない――という点についてだ。
(食器棚やチェストは引き出しが全部開けられっぱなしなのに、なんでだろう……)
それはまるで、この部屋を荒らした人物がなにかを探し回っていたかのような違和感が――
「――刃物だ」
扉の前で立ち尽くしたまま推理に耽っていたリクに対し、エイトが一言のみでそう告げる。
「は、刃物……?」
思い掛けないタイミングでの答え合わせに不意をつかれたリクは、二度三度瞬きをしながら問い返した。
「そうだ、包丁にナイフ、カッターとか――まあ、その辺のモノを使って自害しようとするタイプだな」
物騒な単語の羅列が、次々とエイトの口から発せられる。あまりにも淡々とした彼の口調のせいか、リクはまだ事態が呑み込めないでいた。
「えっと、それって……」
「この間、形平さんの時に実演してやったろ? あの時のが〝絞殺の自殺意〟だとしたら、今回のは〝刺殺の自殺意〟ってトコロだな」
「刺殺って……エイトさん、どこにもケガなんてしてなくない?」
「〝刺殺の自殺意〟の対策は簡単だからな。呑み込んだ自殺意がオレを殺そうとする数分間のあいだ、探せる範囲に〝刃物〟の類いさえ置いてなければ完封できちまうんだ」
彼のその口振りは、まるでゲームの攻略法でも話しているかのようだ。現実味が乖離していく感覚すらおぼえそうになるが、部屋の惨状を見てしまえば、嫌でも納得せざるを得なかった。
「じゃあ、部屋がこんな状態なのも……」
「そうだ、全部オレがやった。自殺意の衝動に引っ張られている最中にな――ってうわ最悪、割れてんじゃねえか」
エイトは説明ついでに、床に散乱したCDケースを手に取って顔をしかめている。とても重大で深刻な話題の最中とは思えないほどに、彼は落ち着き払った様子だった。リクは事態の重さを少しずつ緩衝させていくように、慎重に質問を重ねていく。
「部屋に置いてあった、その……刃物は全部捨てたの?」
「いや、全部まとめてあらかじめ外の物置にしまってある」
「そのレベルの対策で本当に大丈夫なの、かな……ほら、刃物が見付からないなら他の方法で……とかにはなったりしない?」
「自殺意ってのは理屈じゃねえからな。自分で〝切って刺して死にたい〟って衝動しか湧かねえからわかりやすいんだ。まぁ実際に呑み込んだオレだからわかるんだけどな」
「そこなんだけど……自殺意って呑み込むまでにどういう種類の自殺意なのか、わかるものなの?」
「わかるワケねえだろ。だから今回みてえに先に色々と対策してんだよ」
屈み込んでCDケースの無事を一枚ずつ確認しながら、エイトはあっさりとそう言ってのけた。
(簡単に言ってるけど、めちゃくちゃ危ない橋を渡っているような……もし万が一、僕がエイトさんの知らない間にカッターとか購入しちゃっていたら……)
嫌な想像を働かせてしまい、リクは一瞬身震いをする。
そして、懸念は他にもあった。
(絞殺や刺殺の他に、一体どんなタイプの自殺意があるのか僕にはわからないけど……エイトさんですらまだ遭遇したことのないタイプの自殺意を呑み込んだ場合、対策のしようが無いんじゃ――)
「――なぁリク」
唐突に名を呼ばれ、あれこれと思索を張り巡らせていたが敢えなく中断させられる。
「学校終わって疲れてるトコ悪りぃんだけどよ、片付け手伝ってくんねえか?」
「あ、うん……手伝うよ」
エイトから頼まれたリクは、素直に頷いて応じる。そのまま差し当たって、といった具合にその場で屈み込み、散乱している書類やマンガ本を回収し始めた。
(まだ気になる事はたくさんあるけど、聞き出せる雰囲気じゃ無さそうだし、とりあえず片付けるしかないか……それにしても、すごい紙の量だな)
支払いの領収書や、近所のスーパーの特売のチラシなど、必要と不必要とで次々と仕分けていく。
(普段からちゃんと捨てておけば、こんなにも散らかることなんて――)
胸の内にて苦言を呈していたリクだったが、無数の紙の山の中から、一枚の写真を見付けてしまった。無意識に視線が固まり、仕分けていた手がぴたりと止まる。
(これって……)
エイトに悟られないよう、片方の手でガサガサと片付けをするフリを続けながら、リクは写真を拾って食い入るように覗き込む。
(真ん中の人は、さっきの倉田さん……だよね?)
写真は、どこかの豪邸のような大きな建造物を背景に、膝から上だけを写した三人の人物が横に並び立つポートレートだった。中央に立つ倉田は、つい先ほどに会ったばかりの時と比べても容姿にはほとんど変化が無く、穏やかな老紳士ぶりを写真の中でも遺憾なく発揮している。
(左にいるこの人ってもしかして……)
その倉田から肩に手を置かれ、不貞腐れたような顔つきでカメラのレンズを睨み返しているのは、白いジャージのセットアップを着た坊主頭の少年だった。
(エイト、さん……?)
髪形と顔の幼さからして現在の姿とは似ても似つかないが、写真からでも伝わるガラの悪さとわずかな面影から、リクはエイトだと判別した。
(僕と同じくらいの年齢の頃かな? 日付は……無いか)
写真の端に続いて念の為にと裏面も確認してみたが、どこにも日付は記載されていなかった。リクは少しの落胆をおぼえたのち、改めて写真の右側に立つ人物へ、視線と意識をフォーカスさせる。
(誰だろう……これ)
第一印象はまず、黒かった。
胸の位置まで伸ばした、長く真っ直ぐな黒髪を生やした少年。手首までを袖で隠した黒いシャツを身に纏い、ボトムスに履いたジーンズもしっかりと黒地だ。対照となる位置に立つエイトが白い服を着込んでいたからこそ、なおさら彼の存在感が写真越しにも際立ってくる。
(エイトさんの……友達、なのかな?)
黒い服とはうってかわって肌は青白く、白黒の遺影のような儚さと生気の無さが、その少年からは感じられた。更には目元が前髪で隠れていて、カメラ目線の倉田とエイトから外方を向かせたように覗かせた横顔からは、表情を綻ばせた様子が全く窺えない。
(なんか……写真を撮られてるのを嫌がってるような――)
「――おいリク、マンガでも読んでんのかー?」
写真の凝視を続けていたせいか、いつの間にか手が止まってしまっていたようで、リビングの方からエイトの指摘が飛んできた。一瞬、心臓がひっくり返ったかのように仰天しかけたが、リクは無理矢理と平静を取り繕う。
「あはは、バレちゃった?」
「ったく……さっさと終わらせんぞ」
どうやら気付かれずに済んだようだ。リクはホッと胸を撫で下ろすと、少しためらいかけたが、写真をそっとブレザーの内ポケットにしまい込む。今はまだ、写真について質問をする気にはなれなかった。
(いつか、エイトさんが心の底から僕を信頼してくれて、対等に話せる時が来たら、改めて聞いてみよう……かな)
エイトが自分との間に引いた一線。
リクは自分がその『ライン』の内側に入れる日が訪れるまで待とうと、深く心に誓った――




