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死にたくなったら  作者: 狐目 ねつき
第二章 一線
24/30

22話 気にしないで

 警告音のようなアラームが、早朝の和室にけたたましく鳴り続けている。全身を覆っていた布団から、リクはもぞもぞと手を這い出し、スマホを拾ってアラームを停止させた。


 時刻は6時30分きっかり。布団の温もりを惜しみつつもリクはなんとか身体を起こし、まだ眠い目をこすらせながらリビングへの重たい扉を開く。


 「うわ……うるさっ」


 扉を開けた途端、リクは反射的に耳を塞いだ。腹の底にまで響くような爆音が巨大スピーカーから鳴り響き、容赦なく鼓膜を叩く。重低音が強調されたトラックに、叫ぶような濁声のラップを乗せたヒップホップが、ライブ会場の如くリビングを騒がしく蹂躙していた。


 オーディエンスの存在しないフロアの主であるエイトはというと、ソファーにだらしなく寝そべり、片足を背もたれに引っかけたまま大口を開けていびきをかいている。これだけの大音量の中に曝されながらも、全くと言って良いほどに目を覚ます気配が感じられなかった。


(……ここまで寝ていられるのも、ある意味才能だよね)


 呆れを通り越し、感心すら芽生えてくる。布団代わりのブランケットは蹴り飛ばされたのか、絨毯の上へ無造作に着地していた。そのブランケットを拾い、畳んでソファーに掛けると、リクはエイトの肩を軽く揺する。


「起きて、エイトさん、朝だよ」


 耳元で声をかけると、エイトは『うぅい』と呻きながら片手で何かを探す仕草を見せる。ガラスのローテーブルに置いてあったスマホを手渡してあげると、楽曲の停止がタップされたようで、嵐が去ったかの如くリビングが静かになった。ようやく朝が始まったような気がして、リクはふぅと小さく息をつく。


「エイトさん、今日はバイトじゃないの?」


 リクはそう尋ねながら、部屋の端から端までを覆っていた黒いカーテンを開け放った。薄い雲の切れ間から覗く太陽の光がとても眩しく、思わず目を細めてしまう。


「今日はですね、バイトはねえけど……午後からカウンセリング一件入ってるんよ……まだ、寝れるんや……」


「あ、そうだったんだ。ごめん起こしちゃって」


「気にしないでください……学校がんばれよ……ついでに燃えるゴミ捨てとけや……むにゃむにゃ」


 エイトはもごもごと、定まらない口調の寝言で器用に会話をしてくれた。


「そうだ、担任の先生から僕とエイトさんを交えて三者面談したいって言われたんだけど……来週以降に予定空いてる日あるかな?」


 来客用の一人掛けソファーに腰を下ろしたリクは、朝食のシリアルに牛乳を注ぎながら、正面で寝転ぶエイトに尋ねた。


「…………」


 エイトはリクに背を向けるようわざとらしく寝返りをうち、背中を丸めて寝たフリをしている。


「エイトさん……起きてるでしょ」

「……面倒くせえなぁ。なんだよ三者面談って。男なら一対一(タイマン)張ってこいよ」


 舌打ち混じりに毒づきながらエイトはむくりと起き上がり、寝癖によって乱れていた金髪をかき上げた。


「行きたくないのはわかるけど、僕の後見人なんだからさ、お願い」

「わぁーってるよ。今日中に日程決めて連絡すっから」

「ありがとう、エイトさん」


 エイトから良い返事を貰えたところで、朝食を食べ終えたリクは身支度に取り掛かった。歯を磨いてシャワーを軽く浴び、制服に着替え、スクールバッグを手に取る。そして玄関への扉の前で立ち止まり、一度だけ振り返った。


「――じゃあ、行ってくるね」


 二度寝をしようと寝転ぶエイトの背中へ添えるように言い残して、リクは家を出た。


 扉の閉まる音が、静かな朝に溶けていく――



◇◆◇◆



 ――校門へと続くなだらかな坂道を、リクはヒロと肩を並べて歩いていた。


「――で、俺の隣の席の山口がさぁ、奥戸先生に〝カノジョいるんですか〟って、質問しだしたんだよ。やばくね?」


「確かにやばいね。それで結局、先生はなんて答えたの?」


「顔赤くして明らかに動揺した様子で〝授業に関係のない質問はしないように〟……だってさ。あれは絶対カノジョいる反応だわ」


「そっかあ……まあ奥戸先生普通にカッコいい大人だし、彼女くらいいそうだよね」


 取り留めもない話題で盛り上がる二人だが、リクの胸の内は一触即発を恐れるような緊張感でいっぱいとなっていた。その緊張の根源となる要因はもちろん――君鳥ナナについてである。昨日の彼女との一件は、頭の片隅で常に意識してしまっていた。下校の時からすでに『明日、どう謝ろうか』と、脳内で念入りにシミュレートを繰り返すほどにだ。


(一人で登校してたらあれこれ余計なこと考えちゃうし、ヒロがいてくれて本当に助かる……)


 それでもヒロとの会話に多少なりとも意識を委ねられたことで、幾分かは緊張が緩和されていくのを、リクは身に沁みるように感じていた。


(大丈夫……今だったら君鳥さんに普通に話し掛けられる)


 教室で顔を合わせ、下手に空回りをしないよう冷静に挨拶から入り、それから誠意を込めて謝ろう――リクはそう心に決め、校門をくぐった。


(君鳥さんは……もう教室にいるんだろうか。来るのを待つよりは、先に居てくれた方がありがたいな)


 そうこう考えている内に、リクは校舎の正面玄関へと辿り着く。そして上履きを取り出し、履き替えようと腰を落とした、その瞬間だった。


「あのっ……」


 背後から、声がした。透き通るような、細い声質。その声を聞いただけで、電流が走ったかの如く嫌な予感がよぎった。振り返ると、そこには――


「君鳥……さん」


 ナナが立っていた。


 昨日と同じ制服姿。薄紅色の唇を少しだけ噛み締め、視線をチラチラと動かし、どこか後ろめたそうな表情を浮かべていた。予想だにしていなかった彼女との不意の再会に、リクの思考は敢え無く停止する。


「村崎くん……おはよう」


 朝の挨拶。

 先手を取られてしまった。

 いや、別に競っているわけではない。

 焦らず普通に挨拶を返し、その後謝ればいいのだ。


「あ、そ、その……えっと……」


『おはよう』の四文字。

 たったそれだけの日本語すら捻り出せない。

 喉の奥でつかえるよう、発声がままならない。


(言わなきゃ……言わなきゃっ……!)


 頭皮がむず痒くなってきた。

 全身の血液が集まっていくかのように、顔面が熱い。

 どうして、なにも言えないのか。

 昨日、家に帰ってあれだけ――


「昨日は……ごめんね。あんな態度で帰っちゃって」


 またもや、先に言われてしまった。昨晩、浴室で何度も何度も言い直して、最適解を考えていた。謝り方ひとつとっても、どの言葉を選んでどんな調子で言えば、嫌な感情を抱かせずに伝えられるのか。小論文すら書けてしまいそうなほどに、リクは悩み抜いた。


 しかし、いざその瞬間を前にしてしまうと、一切言葉が出てこない。エイトやヒロと話す際は、緊張などしなかったのに。


「村崎くんが悪いわけじゃないし、気にしなくていいから」


 沈黙の隙間が次々と埋められていく。

 許して貰えているはずなのに。

 逃げ道が塞がっていくような感覚。

 このままじゃまずい。

 せめてなにか、言わなければ。


『君鳥さんは悪くないよ、僕の方こそごめん』


 そうだ、これだ。

 これさえ伝えれば、後ろめたさは無くなる。

 さあ、言うんだ。

 勇気を声に乗せて、絞り出すん――


「――それじゃ私、教室行くね」


 最後にたったそれだけを告げて、ナナはリクの横をすっと通り過ぎていった。最初から最後まで、彼女は目も合わせてくれなかった。何事もなかったかのように。まるで、自分の方が傷ついてなどいないとでも言うように。一方的に、突き付けられただけの時間。


 小走りで教室へと向かう彼女の背中を、リクはその場から動けないまま見届けることしかできなかった――


 謝るつもりだったのに。

 どうして先に謝られてるんだ。

 なにが『気にしなくていい』だよ。

 気にしてるに決まってるじゃないか。

 あのとき伝えた言葉が、どれだけ無神経だったか。

 彼女の胸の内に、どれだけ土足で踏み込んでしまったか。

 後から沸々と、反省と自責の念が押し寄せてきたのに。

 全部に蓋をされて。

『無かったこと』にされて。

 彼女は、何も話してくれなかった。

 理由も訊けなかった。

 言葉にできない感情だけが、渦を巻いて残るだけ――


「え? なに、今の……大丈夫か?」


 ヒロが、顔色をうかがうように恐る恐ると話し掛けてくる。軽口を叩けるような雰囲気ではないという気の遣い方が、その声色に現れていた。


「……大丈夫、気にしないで」


 ああ、そうか。

 彼女もこんな気持ちだったのか――



 4月27日

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