20話 ナナ
二人が掃除を終える頃には、他のクラスの生徒も既に下校し、廊下は静けさに包まれていた。それでも耳を澄ませば、体育館の方からは運動部の掛け声やスキール音、音楽室がある逆側からは吹奏楽部の練習音が微かに聴こえてくる。
「村崎くん、ちょっとっ、待っててね……!」
モップと箒を所定の位置に片付け終えたナナは、慌てた様子で廊下の奥へと駆けていく。
(なんだろう……?)
リクは帰宅の支度を済まし、廊下の隅で靴紐を結び直していると、ものの数分でナナが戻ってきた。
「あの……これ、よかったら」
彼女は息を切らし、少し恥ずかしげな表情を浮かべながら、リクにペットボトルのお茶を差し出す。
「さっき、一緒に掃除してくれたお礼……ほんとは、もっとちゃんとしたものを渡したかったんだけど……自販機のしか買えなくて……」
「いや、そんな……ありがとう」
遠慮を交えながら素直に受け取ると、ナナはほっとしたように小さく笑ってくれた。少し赤みを残した頬は、窓から射す夕陽に照らされて余計に色付いて見える。
「少しだけ、座ろっか」
「……うん」
帰る前に少し休憩をしようかとリクは提案し、ナナも小さく頷いて応じる。そのまま二人は正面玄関まで移動し、設置されていたベンチに並んで腰を下ろした。外から吹き抜ける風が、心地良く頬に触れる。
(――で、座ったまでは良いんだけど、何を話せば良いんだろ……どうしよう……)
座ろうと誘った以上、なにか話題を作らなければとリクは思い悩む。
「村崎くん、ってさ」
言葉を選ぶような間がしばし漂ったのち、ナナが視線を逸らしながらぽつりと話し始める。
「学校、好き?」
「好き……ではないかな」
「……そっか」
「でも、好きになれるように……努力はしている」
質問に対し、リクは頭に浮かんだ内容を一切も濁さず鮮明に伝えた。その回答を受けたナナは何も反応を示さず、少しだけ背中を丸くさせて俯いている。
「君鳥さんは、どうなの?」
問い返してみたが、ナナは口を噤んだままだ。間をもたせる為にと尋ね返してみたのだが、掃除当番の件を思い返し、リクは少し悔やんだ。
「ごめん、話題変え――」
「好き、だよ。勉強は難しいけど、部活は楽しいし」
気を遣ったつもりが、逆に遣わせたように被せ気味で答えられてしまった。つくづく裏目に出てしまい、改めてリクは、自身のコミュニケーション能力の低さを痛感させられる。
「部活、入ってるんだ」
「うん、合唱部。今日は練習休みなんだけどね」
「合唱部……」
「そう、みんなで歌うやつ。楽しいよ?」
「歌うのが好きなの?」
「好き。もうすっごい好きっ」
少し元気を取り戻してくれたのか、ナナは嬉しそうにリクの方へ顔を振り向かせ、青ずんだ灰色の瞳をきらきらと輝かせている。
「そ、そうなんだ……学校に何か一つでも楽しみがあるのは良いね」
リクは顔を赤らめ、反射的に視線を逸らしてしまった。
(びっくりした……というか、瞳の色、これって……)
彼女の双眸を間近で窺ってみて、その瞳の色彩が人工的では無い――つまりカラーコンタクトによる色ではないということに、リクは気付いた。
「村崎くんは、なにか入りたい部活とかはないの?」
「うーん……部活かあ。今はまだどこも考えてないかな」
更にリクは、会話を続けながらまじまじと彼女の髪を観察してみる。根本深くまで綺麗なミルクティーカラーに染まっているのと、髪色のグラデーションが見事なまでに自然な色合いなのが確認できた。
(君鳥さんって、もしかして――)
「村崎くん?」
凝視を続けていたせいか、ナナに視線の違和感を気取られてしまったようだ。
「あっ、いや……うん、そうだね。せっかく〝スワ高〟に入学したなら、僕もなにか部活に入ってみようかな」
リクは慌てたように視線を外し、話題を再開させる。不審には思われなかったようで、そのまま会話は自然に進行していく――
「――へえ、小さい頃から合唱団に入ってたんだ」
「うん。教会とか児童施設とか、色んなところで歌ったことあるよ」
話し始めてから、すでに数分は経過している。まだどことなく気まずさはあるものの、それでも教室で視線が合った直後からの堅苦しさは無くなっていた。
(君鳥さん、話しやすいな。ほぼ初対面なはずなのに……)
透き通るような声質と、穏やかな口調。髪が靡くたびに、柑橘系の匂いが仄かに香ってくる。彼女と会話を続けていくとどこか安心感に満たされ。エイトとはまた違った接しやすさが、久方ぶりの学校生活を終えたリクの精神的疲労を癒していく。
「そういえば、さ――」
リクは、先ほどに抱いた違和感を払拭すべく、意を決して口を開く。それは、後になって思い返してみれば〝油断〟だったのかもしれない。気が緩んでいたのか、それとも――気を許してもらえていたと錯覚していたのか。
「君鳥さんって、もしかしてどこか他の国とのハーフだったりする?」
その質問をした直後。
カチッ、と音が聞こえた気がした。
「なんで、そう思ったの?」
「いや、だって……髪の色が地毛っぽいし、瞳も自然な感じがして……」
晴れ渡っていた彼女の顔つきが、みるみる内に曇っていく。表情が変化していくその様相をしっかりと見届けたリクは、それだけで察してしまった。
「君鳥さ――」
「ごめん、私もう帰るね」
ナナは立ち上がり、冷たくそれだけを言い残すと、すぐに靴箱の方へと走り去っていった。後悔と喪失感が、またたく間にリクの胸の内を浸していく。
(しまった……)
ナナに抱いていた感情というのは、まだ恋心にも満たない程度の好奇心だったろう。彼女の事をもっと知りたいといった欲求から、見えない地雷を踏み抜いてしまったようだ。
(調子に、乗りすぎちゃったか……)
誰しもが皆、他人に越えられたくない一線というのを心の中に引いている。そのラインを見極められなかったのが自分の失態だったのだろう――と、リクは靴を履き替えるナナの姿を眺めながら省みる。
エイトなら、彼女をこのまま追い掛けていただろう。けれど自分にその勇気はないし、真似をしたところで関係を好転させられるほどの話術や説得力は備えちゃいない。もちろん、悪い印象を持たれたままで済ます気は毛頭もなかった。明日また、学校で顔を合わせた時に、謝って誤解を解くつもりでいた。
――それでも、改めて再認識を強いられる。
(やっぱり難しいな……友達を作るのって)
外でカラスが鳴いている。
みじめな自分を嘲笑っているかのように。




