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死にたくなったら  作者: 狐目 ねつき
第二章 一線
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19話 この優しさは果たして

 帰りのホームルーム。連絡事項の周知が終わり、今は担任の奥戸がプリントの配布を行なっている。教室内は、他愛のない話題や(じゃ)れ合いで盛り上がる生徒たちがほとんどだ。


 その一方でリクはというと、席に着いたまま瞑想でもしているかのよう目を閉じ、今日一日の学校生活を振り返っていた。


(結局、クラスの人とは誰とも会話できないまま一日が終わっちゃったなぁ……)


 ある程度の覚悟はしていたが、この疎外感をいざ味わってみると気が滅入りそうになる。やはり、他の生徒たちとは近いようで遠い距離が空いてしまっていた。クラスの中では既に『仲良しグループ』なるものがいくつか形成されていて、リクの性格上、どこかのグループに属する余地をすぐに見出すのは不可能に近い。


(不登校が明けてからまだ初日だし、仕方ないよね……明日は勇気を出して、誰かに声を掛けてみようかな)


 それでもリクは出来るだけマイナス思考を避け、明日以降に懸けようと踏ん切りをつけていた。


(今日はちゃんと学校に来れたし、ヒロとも再会できたんだ。充分すぎるくらいだよ。少しずつ、少しずつ前進していこう)


 言い聞かせるように、自らを労うリク。そうこう考えている内にプリント配布が終わり、ホームルームも終了に近付いてきたようだ。まだ騒いでいる生徒が大半を占める中、教壇に立つ奥戸が、良く通る声を響かせる――


「――みんな。これから大事な話をするから、少しの間だけ静かにして聞いてくれないか」


 それまでどこか緩く進行していたホームルームだったが、担任の奥戸が放ったその一声により、数十人余りの生徒が一斉に静まり返る。空気でさえも停止したかのような緊張感が、教室内を包み込んでいく。


(なんだろう……?)


 窓際の端の席に座っていたリクも、他の生徒と同様、奥戸の方へ意識と耳を傾ける。


「……昨日、D組の佐藤さんがお亡くなりになったそうだ」


(えっ……?)


 歯噛みしているかのような表情で奥戸が静かに告げた、衝撃的な事実。あまりにも唐突なその報せに、リクは唖然として驚いたが、他の生徒たちからはそこまで狼狽えた様子がうかがえない。教室中がどよめき、ざわめき立つとばかり思っていたリクからすれば、皆の反応の薄さにどこか気味の悪さすらおぼえてしまった。


「もちろん詳細は教えられないが、須和彩高校だけでも今月に入って4人目……()()だ」


 敢えて主語を伏せているかのような奥戸の言い回しだったが、リクにとってはその情報だけでも理解に至ることができた。


(……〝自殺意〟だ)


 たった二週間とはいえ、社会から切り離されたような生活を送っていたリクは、この時ようやく実感を得る。自殺意の脅威は、ここまで身近な環境にまで既に侵食を果たしているのか――と。


「テレビや記事でも頻繁に取り沙汰されているように、今の日本はこういった悲しいニュースが尽きない。もちろん、()()()()()を選んだ本人がどれだけ追い込まれていたかは、本人にしかわからないものだ。親しい友人や、家族ですら、そのサインを見逃してしまう……先生もそうだ。いつも気を張って、目を凝らして、時には声を掛けたりしてみんなを観察してみてはいるが、気付けないことの方が多い」


 奥戸は悔しさを堪えているのか、少し震えた声で熱弁をしている。生徒たちも、神妙な顔つきで聞き入っていた。


「みんな、先生からのお願いを一つだけ聞いてくれ。クラスメート全員と仲良くしろとは言わない。だがせめて、思いやる心だけは絶対に忘れないで欲しい。誰かが苦しそうにしていたり、孤立してそうな状況を見かけたら、一言でもいい。声を掛けて、手を差し伸べてあげてくれ……頼む。先生一人じゃ、目も手も足りないんだ。みんなで協力して、乗り越えよう」


 教卓に両の手を広げて置き、少し顔を俯かせて懇願する奥戸に対し、半数以上の生徒から『はい』や『わかりました』といった声がまばらに聴こえてくる。


「ありがとう、みんな」


 話題が話題なだけに拍手は巻き起こらなかったが、熱意と魂の込もった奥戸のスピーチは、確かに生徒たちの心を動かした――



 ――かに、見えた。


「いや、奥戸センセ熱すぎるって」

「それな。今どきあんなの響かんて」


「良い人なのは間違いないんだけど、さすがに暑苦しすぎ」

「わかるー。あれじゃ逆にこっちが引いちゃうよねー」


「自分たちの管理能力の無さを生徒に押し付けんなよな」

「核心衝きすぎてて草」


「今日、掃除当番だけどどうする?」

「良いよ、やらなくて。早くカラオケ行こー」


 終礼が済み、奥戸が教室を後にした途端、スイッチが入ったかのようにクラス全体は騒がしさを取り戻した。それぞれの生徒が下校を開始しようかという最中(さなか)、リクは黙ったまま机に突っ伏している。


(……ひどいな)


 嫌でも耳に飛び込んでくる、クラスメートの心ない言葉の数々。もともと他人に期待や信頼を寄せる性分ではなかったが、リクはひどく落胆してしまった。


(これじゃ、仲良くしたいっていう気持ちも失せちゃうよ)


 もちろん全員が全員、影で冷笑をするようなタイプの人達でないというのをわかってはいるが、悪い印象ほど心に残ってしまうものだ。


(ああいう奴らこそ……死んじゃえば――)


 無意識に良からぬ感情が脳裏を過ってしまい、リクは翻すように思い直す。声に出すか出さないかは別として、自分も頭の中では他人に対し辛辣な想いを抱いてしまった。そんな自らの無情さから、リクは自己嫌悪に陥る。


(こんな考え方してちゃ、いつまで経っても友達なんて作れないか……)


 必死に肯定で塗り固めてきた自尊心に、わずかなヒビが入る。これ以上考えに耽ったとしても、より一層亀裂が増えていくだけだ。


(もう誰も居なくなったし……そろそろ帰ろう)


 そして自分以外の生徒の声が聴こえなくなったところで、リクはうつ伏せていた顔を上げ、下校の準備をしようと立ち上がる。


「あ……」

「……あ」


 だがそこで、プラスチック製の箒を手に持った一人の女子生徒と、視線がぶつかってしまう。


(うわ……しまった)


 全員が教室を出て行ってから帰ろうかと思っていたのだが、そういえば掃除当番がいるのをすっかりと忘れていた。


(この子は……えっと――)


 朝のホームルームでの出欠確認から事細かに他の生徒を観察し続けていたリクは、なんとか彼女の名前を思い出そうと、記憶の中枢から必死に情報を引き出そうとする。


 しかし――


 カーテン越しに漏れ出る温かな斜陽。照らされ、彩られた、雪原のように白い肌とミルクティーベージュのショートボブヘアー。長い睫毛で覆われた青みがかったグレーの瞳は、どこか神秘的な魔力すら孕んでいるように窺え、自然と視線が吸い寄せられた。


(綺麗、だな……)


 思わず、見惚れてしまった。容姿が好みだとか、そういった次元の話ではない。自分の今映している視界を切り取ったこの〝瞬間〟が放つ美しさが、リクの心を掴んで離さなかった――


「村崎、くん……?」

「え、あっ……はい」


 子猫のような細さの声で顔色をうかがわれ、リクはようやく意識を現実へと引き戻される。


「あの、名前……」

「あ、私? 君鳥(きみどり)……君鳥ナナだよ」

「君鳥、さん……えっと、その……」


 名前を聞いたは良いが、それ以上会話を発展させることができず、耐えがたい沈黙が二人の間を漂う。


「そ、それじゃ、また明日……」

「うんっ……さよ、なら……」


 気まずさからお互いが変に気を遣い合い、ぎこちのない別れの挨拶を済ます。しかし教室から廊下へ出ようとしたあたりで、リクはぴたりと足を止めた。


(あれ……?)


 ふと、疑問が浮かび上がってしまう。その疑問を解消しようと、リクは黒板にちらりと視線を向けた。黒板の右隅には、本日の掃除当番を担当する四名の生徒の名が、チョークで書き連ねられている。その中には〝君鳥ナナ〟の名前も含まれていた。


 ――だが、実際に掃除を始めているのは、ここにいる彼女一人だけ。


「あの……」

「な、なに? 村崎くん……」


「……他の掃除当番の人は?」

「うん、その……もう帰っちゃったみたい」


「君鳥さん、一人で掃除やらされてるの?」

「ちがうよ! みんな掃除当番なの忘れちゃってるだけ……だよ、うん」


 ナナが慌てて否定するも、語尾に近付くにつれ声に張りが無くなっていく。なぜ掃除をサボった生徒を庇うのか、リクには理解ができなかった。


「なんで――」

「でも大丈夫! 私、掃除大好きだから! ホラ、たのしいたのしいっ、あははは……」


 無理矢理と取り繕ったような笑顔を浮かべながら、わざとらしく箒を掃くナナ。飽くまで気丈に振る舞おうとする少女を見て、それ以上の追及をするのはよそうとリクは諦めた。


 ――なんとなく、気付いてしまった。


 小学校や中学校に通っていた頃もそう。周りの誰かが()()()()()目に遭っていそうな時は、直接的な行為が見当たらなくとも、空気越しに肌で感じ取れていた。そしていつも――


(……僕は見て見ぬフリをしてきた)


 自分一人が無闇に声を上げたところで怒りを買い、()()がエスカレートするかもしれない。あまつさえ、()()矛先が自分に向けられる可能性だってある。当たり障りのない学校生活を送るには、リスクがありすぎたのだ。


(けど、今回は……いや違う。()()()()()……)


 それでも、今のリクは目の前で起こっている現実から目を背けるつもりはなかった。その選択が、のちに後悔を招くことになったとしてもだ。つい先ほどに奥戸も言っていた通り、誰かが声を掛け手を差し伸べてあげなければ、何かを変えることはできない。


(僕はもう、逃げないと誓ったんだ――)



「――僕、黒板の方やるね」


 リクはそれだけを伝えると、返事を待たずにまだ白が残った黒板の方へ歩を進める。


「えっ、だ、ダメだよ村崎くん……私一人でするから気にしないで帰っていいんだよ。そもそも、掃除当番じゃないんだし……悪いよ」


 背中越しに、ナナから声を浴びせられる。焦りと申し訳なさが声色だけで伝わってきた。リクは口元だけを薄く微笑ませて、振り返る。


「僕も掃除好きだからさ、手伝うよ」


 リクは優しくそう告げると『よし、やるか』と言ったように、黒板消しを手に持ち掃除を開始する。


「……ありがとう」


 リクの不器用な優しさに触れたナナは、少し呆気にとられながらも、小さく感謝を零した。リクは、聞こえないフリをした。その感謝に対し、面と向かって『どういたしまして』と言える資格が自分に無いと思ったからだ。


 ――この優しさは結局のところ〝自衛〟だ。


 自分が後悔しないように。

 彼女から幻滅されないように。

 そして、自尊心を保つために。

 全てが計算づくで行われて発揮される優しさだ。


(エイトさんのように、僕も……ありのままの自分で誰かに手を差し伸べられるような人に……なれるかな)


 ときどき、自分がたまらなく嫌いになる。

 考えすぎて、塞ぎ込んで、全てとどめてしまう。

 社会で生きていく上で、それが正しいのかもしれない。

 だが、正しいだけで誰もが救われるとは限らない。

 世界はいつも不条理で、不平等なのだから。


 形のないもどかしさを消すように、リクは黒板消しを一心不乱に走らせる――




 ――誰もいない放課後の教室に、二人分の掃除の音だけが乾いたリズムで響く。


 箒を掃く音。黒板消しを走らせる音。

 モップを滑らせる音。ガラスや机を拭く音。


 それはまるで、二人が音で会話でもしているかのような、心地の良いセッションとなっていた――

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