第2話 辺境伯の真実
婚約式終了後、俺とセリアは応接室で辺境伯と向かい合っていた。何から何まで世話になった辺境伯には本当に頭が上がらない。
「辺境伯閣下……」
お礼を述べようとしたが、辺境伯に微笑と共に制された。
「そんなに堅苦しくなる必要は無い。少し早いが、義父と呼んでくれて構わん」
「それでは義父上、この度は、誠にありがとうございました。何から何までお世話になってしまい、不甲斐ない限りですが」
「構わんよ。レオニードを継いだばかりだ。すぐには難しいだろう」
温かな雰囲気が流れる。だが、辺境伯はすぐにその表情を引き締めた。
「今日はお前たちに伝えたいことがある。そのために呼んだのだ」
「どういったことでしょうか?」
「……真実、だな。かつて俺とドミティウス陛下が封印した真実。セリアにも話したことは無かったが、今こそ話そう。ラキウス君も聞いておいてくれ」
「ドミティウス陛下が封印したものを私が聞いてもよろしいのでしょうか」
「構わん。陛下にも許可はもらっている」
そう言うと、辺境伯は話し始めた。───驚愕の真実を。
「もう30年近く前になるか。当時、俺は成人したばかりでな。フェリシアと婚約が叶って有頂天になっていた。フェリシアは男爵家の出身だったから、父も母も最初は難色を示したが、最後は了承してくれたよ。周りも祝福してくれていた。今でこそ、色狂いなどと揶揄する者もいるが、当時は全くそんな声は無かった。むしろ、フェリシアを独占することになった俺への嫉妬の方が強かったな」
以前フェルナシアで出会ったフェリシアを思い浮かべる。40代のはずなのに、20代後半くらいにしか見えない美貌。若い頃は今にも増して美しかったのだろう。セリアの母親なのだから当然ではあるが、それは辺境伯に向けられる嫉妬も尋常なものでは無かっただろうと思われる。
「だが、そんな幸せは一瞬で崩れた。ある日、家に帰ると、父とフェリシアのお父上が一緒にいたのだ。沈んだ顔で。そして言った。王命により、婚約を解消してフェリシアを側室として王に差し出すことになったと」
───ちょっと待て。それって、フェリシアからの問いと状況が酷似していないか? まさか、この過去に実際に起こった事態を念頭に彼女は俺に聞いたのか?
「当然、俺は父たちを問い詰めたよ。何でそんなことになるんだと。そんな無体なことが許されるのかと。確かに王命で側室に入る者はいた。しかし、婚約した女性や既婚者を側室に入れるなど滅多にあることでは無い。家臣の妻や恋人を無理やり取り上げるも同然だからな。だが、いくら父たちを問い詰めても、王命だから、その一言で全く取り合ってもらえなかった」
当時の辺境伯の気持ちに思いを馳せる。それは、どれほどの絶望だったことか。セリアが同じ目にあったとしたら、俺は耐えられない。
「当時の国王、ナルサス陛下は、狂っておられた。若い頃は慈悲に満ちた、聡明な君主だったと言う。ドミティウス陛下のお父上なのだ。きっとそうだったのだと思う。だが、当時は酒におぼれ、見る影も無かった。些細なことで怒って部下に当たり散らし、気まぐれに女を寝所に連れ込んでいた。それでも、独身の女を相手にしているうちはまだ良かった。そのうち、家臣の妻や婚約者に手を出すようになった。俺の周りにも怨嗟の念を抱いている者たちが多数いたよ」
───それはもう何と言ったらいいのか。当時の王宮内がどう言った空気に囚われていたのか、想像するのも恐ろしい。
「父は頼りにならぬ。相手は国王陛下だ。困り果てた俺は、ドミティウス陛下、当時は王太子殿下だったが、彼を頼ったのだ。ドミティウス陛下は従兄弟でもあったし、本人自身が父王に恋人を取られないように、未成年であるにもかかわらずアリシア様を側室にして匿ったりと、ナルサス陛下に苦しめられていた立場だったからな。だが、結果としてそれが最悪の事態を招いてしまった」
「最悪の事態……ですか?」
「俺はドミティウス陛下と共にナルサス陛下に翻意をお願いに行った。だが、息子の諫言に逆上したナルサス陛下はドミティウス陛下に斬りかかり、もみ合ううちに、ドミティウス陛下はナルサス陛下を……弑してしまわれた!」
あまりの衝撃に言葉も無い。俺の隣でセリアが息を呑むのが分かった。王太子による国王の殺害。それがどれ程の混乱を国内にもたらすか。
「ドミティウス陛下がナルサス陛下を殺した事実を知られるわけにはいかない。ドミティウス陛下は王太子に就いていたとは言え、側室の子。政治基盤は必ずしも強くなかった。だから俺は、全ての罪を背負うことにしたのだ。ナルサス陛下を幽閉し、退位させたと。その後、しばらくしてナルサス陛下の死が発表されたが、その死の真実が明らかになることは無かった。だが、誰もが、俺に退位を強いられたことを苦にして憤死したと噂した。俺自身、ドミティウス陛下の政治基盤を確立するために、敵対する派閥を徹底して排除したこともあって、全ての悪意が俺に向かった。フェリシアを王に奪われたくなくて反逆した色狂いなどと言う非難も、その時に受けたものだな」
辺境伯はむしろ淡々と説明していたが、聞いている俺は混乱していた。それでは、ナルサス陛下を幽閉して退位させたと言う悪評自体、真実では無かったうえに、むしろ辺境伯自身が広めたと? それでは、それでは、セリアが背負った「謀反人の子」という十字架は何だったのか。何より、そんな方法しか無かったのか?
「何故⁉ 何故、義父上が全てを背負わなくてはならなかったのですか⁉」
「俺が! 俺が巻き込んでしまったのだ! 前途ある王太子殿下を!」
たまらくなって叫ぶように問うた俺への答えも絞り出すようだった。込められているのは取り返しのつかない事態を招いてしまったことへの後悔の念か。だが、俺とて引き下がるわけにはいかない。
「そのためにセリアがどれ程苦しんだか! 謀反人の子などと言われて! セリアには何の罪も無いのに!」
「……セリアにはつらい思いをさせた。それはすまなかったと思っている」
分かっている。当時、セリアは生まれてもいない。生まれていない子供に降りかかるであろう不幸など想像できるはずも無かっただろう。しかし、例えそうだとしても、リカルドに詰られて、蒼白になって何も言い返せなくなっていた彼女を思い出すとやりきれない気持ちでいっぱいになってしまう。だが───。
「ありがとうラキウス。でも、もういいの。私は大丈夫だから」
「セリア……」
熱くなっていた俺はセリアに制された。彼女は俺を安心させるように優しく微笑む。
「本当に大丈夫。あなたが私を救ってくれたから」
何のことか分からない。そもそも俺はこの事実を今知ったばかりだ。この件で、何かセリアを救うようなことが出来るはずも無いのだが。
「覚えてる? ラキウス。あなたが私に『生まれてもいない頃のことのために非難されるなんて間違ってる』って言ってくれたこと。私があの言葉にどれほど救われたか。そしてそんなあなたを好きになって分かったの。血統なんか関係なくお母様を好きになったお父様の気持ちが。だから、もう私は大丈夫。あなたのおかげよ」
俺は声も無く、彼女を見つめていた。自分でも忘れかけていた言葉。それを彼女が大切に思っていてくれたことに心が温かくなる。同時にヒートアップしていた自分が恥ずかしくなる。
「申し訳ありません、義父上。熱くなり過ぎました」
「いや、そこまで娘を思ってくれていることが分かって、むしろ嬉しいよ。……とにかく、フェルナース家の悪評に関する真相は話した通りだ。君も俺の身内となる以上、非難の目を向けてくる者がいるかもしれんが、我慢してくれたまえ」
「わかりました……」
謂れなき非難に耐えろと言われても完全に納得できるものでは無いが、下手に過去をほじくり返すべきでは無いと言うことはわかる。
それにしても、ナルサス陛下の乱心で皆が不幸になったのだと思うと、複雑な気分だ。だいたい、若い頃は英明だったのに、後に暴君となると言うのは何があったのだろう。前世でも鉛中毒で暴君に変貌したのではと疑われた皇帝などもいたが、実際何があったのか。
「ナルサス陛下は何故、そのような暴君になってしまわれたのでしょう?」
その問いに、辺境伯は少し首を傾げながら答えた。
「俺も成人前のことだから詳しいことは知らないが、噂によると、その数年前にナルサス陛下は、王宮に勤めていた端女を愛し、子まで為したが、その母子が亡くなってしまい狂ったとか」
「それは……」
愛した女性の喪失に狂う、それ自体は分からないでもない。セリアが死んでしまったら、俺も正気ではいられないだろう。しかし、女性ならば選り取り見取りであっただろう国王が、一人の女に、それも端女に心を奪われ、その喪失に狂った挙句に他人の妻や婚約者を奪い取るまでに堕ちていく。それほどまでの愛に狂った王。見も知らぬ男の心に思いを馳せ、身震いするのだった。
次回は第4章第3話「面倒くさいよ、お姉ちゃん」。お楽しみに。




