第3話 本物の貴族と色ボケ野郎
襲撃の数日後、ソフィアの自宅にお見舞いに行った。
あの後、王国宰相の娘に対する襲撃ということで、大騒ぎになった。王都のギルドにも大規模な捜査が入ったが、レジーナと王宮との関係は闇の中のままだった。ギルドはレジーナを除名処分にしたが、元々、ギルドに頼らず勝手気ままに活動してきた女だ。どれほどの効果があるかはわからない。肝心のレジーナの行方はようとして知れなかった。
ソフィアの自宅に着くと、庭園の東屋に案内された。
お茶の用意が整うと、ソフィアは侍女たちを声が聞こえないところまで遠ざけてから口を開く。
「ラキウス様、この度は命の危機をお救いいただき、感謝いたします。父からも良くお礼を申しておくようにと言われております。本来なら父も顔を出すべきなのでしょうが、捜査に立ち会っていて多忙なため、申し訳ありません」
「いえ、そんな畏まらないでください。ソフィア様が無事だっただけで何よりです」
あの後、生徒たちの救護のために呼ばれたエヴァがヒールで傷を跡形も無く消してしまったこともあり、ソフィアは表面的には随分元気に見えた。精神的な傷が残らなければいいけど。
その後の会話はどうしても今回の襲撃犯、レジーナの事が中心になる。
「ラキウス君は、あの女の事を知っていたようですが、以前会ったことがあるのですか?」
「去年の夏休み、ダンジョンでいきなり襲ってきたんです。当時から危ない奴でしたが、まさか、こんな事をするなんて」
「それで、やはり、魔族なのでしょうか?」
「そうだと思っています。闇属性魔法を使っていることもそうですし、何よりあの人間離れした強さ、異常です」
その言葉に、ソフィアがビクッと震える。
「あれが闇属性魔法なのですね。私の障壁など何の役にも立ちませんでした」
「ええ、だからあんなボロボロに」
「……忘れなさい!」
「はい?」
「忘れなさい!」
「はい!」
羞恥に真っ赤に染まったソフィアに厳命される。
だが、気の抜けた雰囲気はここまで。咳払いの後、発せられた問いは恐れていたものだった。
「それよりもです。私が聞きたいのは、ラキウス君、あなたも同じ魔法を使ってましたよね?」
「え、ええと」
どう答えればいいのだろう。魔族と同じ魔法を使うと言うことをどう受け取られるだろうか。しかし、ソフィアはその逡巡の理由を察したらしい。
「安心してください。命の恩人を魔族だなどと弾劾するほど恩知らずではありませんよ。ただ、確認したかったのです。あなたは闇属性魔法が使えるのですよね?」
「……はい、どうして自分がこの魔法を使えるのかわかりませんが、確かに使えます」
「そうですか。何故あなたがセーシェリアを襲った傭兵団を一人で壊滅できたのか不思議でしたが、闇属性魔法を使えるのなら納得です」
ソフィアは風魔法を使って周囲に音が漏れないように障壁を貼った。侍女たちは声が聞こえないように遠ざけているのに、更に盗聴を恐れなければならないような話をしようと言うのか。
「ラキウス君、単刀直入に言います。私の父の派閥に入りませんか」
「カーライル公爵の派閥に、ですか?」
「正確に言えば、父の派閥というよりは、アルシス第一王子殿下の派閥ということになります」
「アルシス殿下の?」
「そうです。私の父はアルシス殿下を次期国王にするために動いています。あなたの力を貸してほしいのです」
「詳しく事情を教えていただいても?」
「そうですね。まず、公平を期すためにも最初に申し上げておくべきでしょう。あなたも知っているかもしれませんが、アルシス殿下は私の許嫁です」
「えっ、ソフィア様、婚約者がいらっしゃったんですか? それも王子様?」
驚いて問う言葉に、ソフィアは複雑な表情を浮かべた。呆れているような、少し寂しそうな、そんな顔。
「あなたは本当にセーシェリアの事以外、何も興味が無いのですね。王都の貴族の間で知らない者はいませんよ」
「す、すみません」
「まあ、いいです。ですので、私がアルシス殿下を支持している理由に利己的なものが含まれていることは否定しません。ですが、それだけでは無いつもりです」
そう言うと、ソフィアの顔からスーッと表情が消えた。冷徹な支配者の顔になる。
「アルシス殿下は第一王子ですが、側室の子です。対して第二王子のテシウス殿下は正妃アウロラ様の子。長子相続がこの国の基本ですが、やはり正妃の子に継がせるべきという声も大きいのです。ですが、アウロラ様はクリスティア王国の出身です。あの国は信用なりません。立憲君主制とは名ばかり。有力貴族の合議制で全てが決まります。国全体の事を考えられない、目先の利益しか見えない貴族が多数を占めれば、容易に国の政策が変わってしまう。その影響を強く受けるテシウス殿下を王にすることは、大きなリスクなのです」
「でも、ミノス神聖帝国との関係で、クリスティア王国との同盟は重要ですよね」
「そこは、テシウス殿下の妹君であるテオドラ様にお願いします。テオドラ様はまだ13歳ですが、とても聡明なお方です。彼女にクリスティアの王族のどなたかと結婚していただいて、その縁でクリスティア王国との関係を維持します」
「それはテオドラ様のご意思でもあるのでしょうか?」
その問いにソフィアは首を傾げ、冷たく微笑む。
「意思? 意思とは何でしょうか? 王族や上級貴族に生まれた以上、個人の意思ではなく、求められる役割を果たすのが義務です。私は生まれた時には既にアルシス殿下が許嫁として決まっており、結婚相手を選ぶ権利はありませんでした。ですが、私は自分の人生を不幸だなどと思ったことはありません。もしも許嫁がおらず、自由に恋が出来たら、というのを夢想したことが全く無かったと言えば噓になりますが、それでも私は自分の役割を理不尽だなどと思ったことはありませんよ」
俺は言葉も無く、目の前の少女を見つめていた。わずか15歳の少女が、どれほどの経験を積めば、これほどの覚悟を決められるのか。前世も含めれば、はるかに年上のはずの自分がまるで子供のように思える。生まれた時から王宮の権謀術数の中で生きてきた、これが本物の貴族の姿だと言うのか。
だが、同時にこの場で安易に決めることはできない。何よりもセリアだ。彼女の立ち位置がわからなければ判断はできない。ソフィアにセリアの事以外何も考えていないとなじられたけれど、それでも彼女は俺にとって、世界の誰よりも大切な人だ。
「少し考えさせてください。この場で決めることはできません」
「いいですよ。良く考えてください」
その答えは、ソフィアにとっては予期されたものだったのだろう。食い下がられることは無かった。だが、話が終わったわけでも無かった。
「ここから先は、ラキウス君の友人としての忠告です。あなたが答えを保留した理由がセーシェリアにあることはわかっています。その観点で言うと、フェルナース辺境伯は今のところ中立派です。と言うより、彼は強固な現国王派なのです。あなたも知っているでしょう。ドミティウス陛下の即位のいきさつを」
「ええ、それはセリアに以前聞いたことがあります」
「あれ以来、辺境伯とドミティウス陛下は強固な同盟関係にあります。だからこそ辺境伯はこれまでどの派閥にも属さない孤高の存在でいられました。ですが、今後はそうも言っていられません。永遠の王は存在せず、いつかはその地位を譲らなくてはならないのです。そしてアルシス殿下もテシウス殿下ももう十分に大人です。どちらを王太子として擁するか、遠くない将来に決めなければなりません」
そう言うと、今度こそ爆弾を投げつけてきた。
「アルシス殿下の陣営にとっても、テシウス殿下の陣営にとっても、辺境伯の支持は喉から手が出るほどに欲しいものなのです。国王の絶大なる信頼に加え、貴族の中では最大の軍事力、そして娘はあれ程までに美しい。セーシェリアには今後、両方の陣営から縁談が殺到しますよ」
言葉も無かった。当然、予想するべき事だった。だけど、セリアから聞かされた話では辺境伯家はいろんな貴族から恨みを買っているという話では無かったか。だが、そんな淡い期待も続く言葉に打ち砕かれる。
「辺境伯家はこれまで多くの貴族から恨みを買っていました。だからあれ程の美貌にもかかわらず、セーシェリアは放置されていました。ですが、周囲の状況が変われば、貴族の考えも変わります。過去のいきさつにかかわらず、手を結ぼうとするのが貴族です。あなたがあの子を好きなら横から掻っ攫われないように気を付けることですね」
「……どうすれば良いと思いますか?」
「それを考えるのは私の役目ではありませんよ。あなたが考えてください。あの子が本当に欲しいのならどうすべきなのかを」
これは遠回しに、自分たちの派閥に入れば、セリアと結婚させてやると言っているのだろうか。いや、それならもっと直接的に言うこともできるはず。だいたいアルシス殿下の派閥に入ることと、中立派らしいフェルナース家のセリアと結婚できることは論理的に結びつかない。何より、今のソフィアの態度にそんな打算を感じることはできない。
「どうして、そんな忠告をしていただけるのですか?」
「そうですねえ。……放っておけない、と言うところでしょうか。何しろあなたときたら、何も考えていないって感じでしたから。特に最初のころなど」
「す、すみません。その、『最初のころ』ってことは、今は評価変わっているのでしょうか?」
「そうですね。今は『セーシェリアの事しか考えていない色ボケ野郎』ですね」
「酷くないですか? 評価、さらに下がってるような気がするんですけど!」
俺の抗議にソフィアの笑い声が重なる。
「とにかく、派閥入りの件、考えておいて下さい。あなたの力を評価しているのは本当ですよ」
次回は第2章第4話「ソフィアの護衛」。お楽しみに。




