第31話 アラバインの竜王
セラフィールとの死闘から半年強が過ぎた。相次いだ戦乱とヒュドラの襲撃により荒廃した国々も復興しつつある。つい先日には、フィリーナとルナールの結婚式が挙行され、参列してきたところだ。フィリーナは正式に新生レドニア王国の王太子妃となったのである。一つ残念だったのは、セリアが体調を崩して参列できなかったこと。セリアはこの一月ほど体調を崩し、今この瞬間も、エヴァに伴われて宮廷医師の元を訪れている。
そして今日は、俺のアラバイン王国国王としての戴冠の日。ドミティウスはまだ存命であるが、50にもならない年で退位を決めたのである。それは彼の父であり、俺の祖父であった前国王ナルサスが崩御した年。息子であるドミティウスの手にかかった年。ドミティウスは、自らが弑してしまった父の享年と同じ年で退位すると決めていたのである。
戴冠式は大神殿では無く、王宮に併設された小神殿で行われる。王が出向くのではなく、神殿側が出向く。これは龍神信仰の最高権威である竜の騎士が王になることによる力関係を反映したもの。神殿から出向くのは言うまでも無く、竜の巫女リアーナだ。
そのリアーナと控室で向かい合う。
「おめでとう、ラキウス君。いいえ、もうこの言葉遣いも改めなくてはなりませんね。おめでとうございます、ラキウス様」
「リアーナ、君は俺のお姉ちゃんなんだろ。それに戴冠式はまだなんだし、今まで通りでいいよ」
「そう言う訳には参りませんよ。臣下に示しがつきませんから」
既に王太子となった時に序列は逆転している。公の場所では既に「ラキウス様」と呼ばれていた。しかし、私的な場では「ラキウス君」と、親しみを込めて呼んでくれていた。それが俺たちの関係には一番しっくり来る呼び方だった。だが、今日からは違う。王と巫女。公的な立場を意識せざるを得ない。リアーナもその表情に僅かな寂寥を乗せつつ、微笑んでいる。その美しい黄金の瞳が、真っ直ぐに俺を見た。
「王となるラキウス様に一つだけ、お伝えてしておくことがございます」
そう切り出した彼女の言葉は驚くべきものだった。
「ラキウス様、あなたは他の人とは同じ時を生きられません」
「どういうことだ?」
「竜の騎士は、常人より遥かに寿命が長いのです。竜の魔力によって、寿命までもが拡張される。私の祖父、アレクシウスは147歳まで生きました。でも、ラキウス様は恐らく、祖父よりもずっと長生きします。ラーケイオス様の魔力だけでなく、アデリア様の魔力を編み込み、さらにはアースガルド様の魔力を受け止められるまでに拡張されてしまった。貴方がどれほどの時を生きるのか、私にも見当がつきません」
「……アースガルドの魔族の宿命、と言うことか?」
リアーナは目を伏せ、その問いには答えない。
「セリアは、そのことを知っているのか?」
「……知っています。以前、アデリアーナでお伝えしました。セーシェリア様はそれでも、あなたを支えるとおっしゃって下さいました。ラキウス様、あなたはこれから多くの親しい人と死に別れることになるでしょう。それでも、あなたは一人じゃない。セーシェリア様も、もちろん私も、命ある限りあなたを支えます。それを忘れないでください」
アデリアーナでと言うと、アスクレイディオスを倒した直後。当時はまだ、想いを伝えてもいない頃。そんな時から、セリアはそんな思いでいてくれたのか。心が温かくなる。
その時、ちょうどセリアがエヴァに伴われて部屋に入って来た。その顔は少し紅潮している。
「セリア、大丈夫か? 辛かったら寝ててもいいんだぞ」
駆け寄って問う俺の言葉に、しかし、彼女は首を横に振った。
「ラキウス、あのね、あなたに報告することがあるの」
そう言って切り出した彼女の報告は俺にとって、自分の寿命のことなどより遥かに重大な事。
「赤ちゃんが出来たの」
「え?」
驚いて、横に立つエヴァを見ると、彼女も頷いている。それでは、最近のセリアの体調不良は妊娠初期の症状だったと言うのか。
まだごく初期段階。当然、お腹はまだ膨らんでいない。だが、彼女の胎内に、新たな命が宿っている。俺の血を分けた子が。
震える手で彼女を抱きしめる。負担にならないように優しく。これまでの様々なことが次々に頭に浮かんでくる。全ては彼女に一目惚れしてしまった、その時に始まったのだ。彼女に釣り合う男になりたいと。そして願いが叶って結ばれてからは、彼女との平穏な生活を守りたいと。その願いの果てに今の俺がある。
彼女には伝えたいことが山ほどあった。だが、口をついて出たのはただ一言。
「ありがとう」
その一言に全ての思いを乗せる。生まれて来てくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。そして何より、俺を愛してくれてありがとう。
「私の方こそ」
応えてくれる彼女の頬にも一筋の涙。そんな彼女を限りなく愛おしく思う。
「セリア、今日は休んでいろ。身体に障ったらいけない」
「ダメよ。あなたの一世一代の晴れの日なんだから。何と言われようと隣にいるわ」
彼女の負担にならないようにとの意図からの提案。それは彼女に即却下されてしまった。だが、彼女の心情はこの上なく嬉しいもの。彼女の手を取り、歩き出す。
「行こう、セリア。俺達の戴冠式へ」
小神殿には既に多くの人が参列し、俺達を待っていた。国内の貴族だけでなく、各国の王族たちまで。オルタリアのレティシアが、ガレアのアーゼルが、結婚したばかりのフィリーナとルナールもいる。マリスからは総督となったシャープールも、レントやサフからも首長が出席していた。それだけでは無い。ミノス神聖帝国の皇女ルクセリアまで。アラバイン国王の戴冠式にミノスから皇族が出席するなど、前代未聞である。
新たな時代の幕開けを感じさせる列席者の中を歩み、祭壇に控えるリアーナの前に進み出ると跪く。王冠を抱いた彼女の澄んだ声が、神殿のホールに響き渡った。
「偉大なるアラバイン王家の血を引く者にして竜の魔力を纏う者、ラキウス・リーファス・アラバイン。至高の冠を今、そなたの元に。龍神ファルニーダスの守護の下、そなたとそなたの王国に常しえの繁栄を約束するものなり!」
王冠が頭上に輝く。その王冠の授与に続くのは、剣の授与。歴代の王に授与されてきたのは、アレクシウスの遺した聖剣の最後の一本、ルークス・アステリオン。その名の通り、星の輝きを宿す聖剣。だが、これは龍神剣のレプリカだ。龍神剣に認められなかった王たちの威厳を保つために作られたまがい物。俺には必要ない。リアーナもそれを十分にわかっている。彼女は右手を宙に上げると高らかに呼ばわった。
「来たれ、龍神剣!」
その声とともに、彼女の手元に一振りの剣が飛んでくる。それは新たなる龍神剣。以前の剣は、アースガルドの魔力に耐えきれず、崩壊してしまった。その後、新たにラーケイオスの鱗から、俺の魔力で研ぎだし、鍛えたもの。アースガルドの魔力にすらも耐えるまでに。
リアーナから龍神剣を受け取ると、万雷の拍手が巻き起こった。国王にして竜の騎士。初代国王アレクシウス以来の絶対的存在。その自らの在り様に、責任に身体が震える。この国の行く末は俺の双肩にかかっている。進むべき道は見えている。だが、そのためには、ここに居並ぶ貴族だけでは無い、民との契約が必要なのだ。
戴冠式を終え、セリアと共に、バルコニーに急ぐ。自らの思いを伝えるために。民と契約するために。
バルコニー前の広場には、万を超える市民が集まっていた。俺を一目見ようと。人々の前に立ち、彼らを見据える。声を増幅する魔法と共に、彼らに呼び掛けた。
「アラバインの民よ! 新たなる王として、君たちに約束しよう。君たちを未来に連れて行くと! 同時に求めよう、未来に向かう君たちの覚悟を! 未来とは、待っていれば、誰かが恵んでくれるようなものでは無い。君たち自身が努力して勝ち取るものだ! 私はかつて平民だった。だが、今、私は王としてここにいる! 君たちも、今に甘んじるな! 私は、努力が報われる社会を創ることを約束する! 未来に向き合える社会を創ることを約束する! 竜の騎士の力をもって、この国の平和と安寧を守ろう。君たちが未来に向かって努力できるように! アラバインの民よ、私と共に未来を切り開こう!」
最後の言葉とともに、龍神剣を抜き放つ。眩いばかりの光に、どよめきと歓声が上がった。「国王陛下、万歳」という声が巻き起こる。その中に、一際通る声。
「竜王陛下、万歳!」
誰が発した声かわからない。サクラなど仕込んではいない。竜王という称号は、これまでラーケイオスに向けられていたもの。しかし、その呼び声は人々の間にざわざわと広がっていった。
「竜王陛下?」
「竜王……」
「……アラバインの竜王!」
「竜王ラキウス陛下、万歳!」
その日、竜王の即位を湛える声が、いつまでも王都に木霊したのだった。
第7章 アラバインの竜王編 完
第7章「アラバインの竜王編」完結です。いかがだったでしょうか。
さて、7か月近くに渡って連載して来た本作品ですが、いよいよ次回で完結となります。
それでは最終話「そして物語は始まる」。お楽しみに。




