第21話 ノブレスオブリージュなど今は忘れろ
ラザルファーンが襲撃されたという報を受け、俺はすぐにレオニードに飛んでいた。あの魔族は人を喰うと言う。リヴェラやレオニード、クリスタルのような海に面した街が危ない。レオニードに着くと、すぐにカテリナに指示して、沿岸部から人を避難させた。交易や漁業、製塩に支障が出るが、人命には代えられない。
一通りの指示が終わったところで、カテリナにあるものを渡す。使い魔での指示で済ませるのでは無く、わざわざ足を運んだのはこれを渡すためだった。
「ラキウス様、この小さなドラゴンは何でしょうか?」
「ラーケイオスだ。正確に言うと、ラーケイオスの分体だな。俺はちびラーって呼んでる」
カテリナが不思議そうにのぞき込んでいる小さなドラゴンは、かつてセリアに渡していたものと同じもの。いや、少しだけアップグレードしている。かつてのちびラーは見ることと聞くことしかできなかった。だが、今度のちびラーは、しゃべることが出来るのだ。
たったそれだけかよ、と言うことなかれ。ラーケイオスにとって人語をしゃべるのは大変な事なのだ。俺がラーケイオスとパスを通して会話をする時、ラーケイオスの言葉が人間の言葉として理解できるのは、俺の脳が、ラーケイオスの考えを人語に変換しているから。逆に言うと、ラーケイオスは人間の言葉を竜の言語に脳内で変換して理解している。ラーケイオスには、人語を人語のまま理解する脳内回路など存在しないし、ましてや人語を発する発声器官など存在しない。見ること、聞くことは、目や耳に入ってきた情報をそのまま流せばいいだけなので、何の問題も無いが、しゃべるためには、人語を人語のまま理解し、かつ、きちんと意味の通る音声として発する必要がある。どれだけ大変なことかわかるだろうか。
これは、かつてセリアがテオドラのお供でクリスティア王国に行った時、こちらから言葉を伝える手段が無くて難儀したことから、改良をお願いしていたものだ。その後、セリアと結婚して必要性が薄れたが、それでも遠征に行く時とか、彼女と会話する手段があればと何度も思った。今回、ようやくその願いが叶ったのである。渡す相手はセリアじゃ無いけど。いや別に変な意味じゃ無いぞ。必要に迫られてって奴だ。
「俺に連絡したいことがあったら、ちびラーに話しかけてくれ。ラーケイオスから俺にパスが繋がって会話できるから」
「え、じゃあ、毎日ラキウス様とお話ができるんですか?」
「あ、いや、そうだけど、必要な時だけにしてね。後、視覚共有してると、こちらにもちびラーの見ている光景が見えてしまうから、見えちゃまずい状態の時は、繋げないこと」
「じゃあ、お風呂に入ってる時に繋げたら……」
「絶対にするなよ!」
冗談だとは思うが、万々が一のことを考え、強めに釘を刺しておくと、カテリナは不満そうに「むーっ」と唇を突き出している。だから何で不満顔なの? 頼むから本当にお風呂中継なんかしないでくれよ。
気を取り直して、改めて一つ大事な指示を出す。ちびラーがいるとは言え、到着するまでには、どんなに急いでも10分はかかる。それまでの間に何かあったらいけない。
「とにかく、魔族が出てきても戦おうと思ったらダメだ。あいつらは基本、海洋性だから、海に近づかないで陸地の奥に逃げるんだ」
「でも、この街を守らないと!」
先ほどまでと一転して引き締まった彼女の表情。その瞳に込められているのは強い意志。それは俺から統治を付託されているからというだけではあるまい。この街は彼女の故郷。生まれ育った街。領主の娘として生まれ、この街の人々と共に育った。領主だった父は、もうこの世にはいない。領主一族としての地位も失った。それでも、この街は、温かだった記憶と共に在る。その街を、人々を守ることは、彼女にとって何より大事なこと。その彼女の思いを理解し、それでもなお、今はそれを認めることは出来ない。
「ダメだ! 街は壊れても再建可能なんだ。君と住民さえ無事なら。だから、避難だけに集中してくれ。決して無茶はするな。君はかけがえの無い大切な友人なんだから。俺に二度とエルミーナの時のような思いをさせないでくれ。わかったね?」
「……わかりました」
言葉少なに頷くカテリナに取りあえずは安堵する。そうだ、ノブレスオブリージュなど今は忘れろ。相手は人智を越えた化け物だ。戦うのは同じ化け物である俺に任せておけばいい。
そろそろ次の目的地に向かわねば、ちびラーを渡しておかないといけない相手は他にもいる。そう思った、その時、リアーナからパスが入った。
『ラキウス君、クリスタルが魔族に襲われたそうです! 急いでください!』
『わかった、すぐに向かう!』
使い魔によるクリスタルからの連絡はいったん王宮に入ったらしい。だが、俺が不在だったので、改めて使い魔を出すかという話になったが、それよりパスで繋げてもらった方が早いと言うことでセリアからリアーナに依頼が入ったとのことだった。
しかし、アレクシアとレオニードの間の時間は短縮できたとしても、クリスタルからアレクシアまで、高速の使い魔を使っても数時間かかる。既にクリスタルは……。いや、そんなことはあるまい。嫌な予感を頭を振って振り払う。クリスタルにはアデリアがいるのだ。易々と敵の蹂躙を許すはずが無い。とにかく急がなければ。俺はカテリナへの別れの挨拶ももどかしく、ラーケイオスに乗って、クリスタルに急いだのだった。
次回は第7章第22話「最後の平穏」。お楽しみに。




