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第9話 彼女の生きた証

「は? え? 死んだ? エルミーナが?」


 ソフィアが何を言ってるかわからない。言葉はわかるけど、頭に入ってこない。呆然としている俺に彼女は淡々と事実を告げてくる。


「研究室にこもったまま何日か出て来なかったらしいのですが、彼女がそうやって部屋にこもって研究してるのは珍しいことでは無かったので、誰も不思議に思わなかったそうです。ですが、二日ほど前、音すらしない状況に不審に思った同僚が見に行ったところ、死んでいたと」

「さっき殺されたって言ってたわよね」


 言葉も出ない俺の代わりにセリアがソフィアを問い詰める。


「ええ、何か鋭利なもので額を貫いた跡がありました。犯人も凶器も見つかっていませんが、殺されたと見て間違いないかと」

「……ちょっと待ってくれ」


 漸く最初の衝撃から立ち直り、ソフィアから詳しい状況を聞く。外傷は額に開いた穴しか無く、抵抗したような形跡も無かったらしい。つまり警戒していないところを真正面から頭を貫かれたわけだ。銃があるならともかく、キリのようなもので突いたと考えると、かなり無理のある状況だ。エルミーナは戦闘のプロでは無いが、それでも、刃物を使って真正面から来られれば、流石に何らかの抵抗をするだろう。


「医師の見立ては?」

「おそらく魔法か、魔力を持った何かで撃ち抜かれたのだろうと」

「やっぱりそうだよな」


 やはり魔法か。しかし、魔法攻撃だとしても、もう一つ問題がある。エルミーナは魔法の天才だったのだ。その彼女に抵抗する暇すら与えず魔法で殺すなどできるだろうか。それができるとなると、相当の実力を持った魔法士か、あるいは障壁などを無視できる魔族か。


「犯人の目星はついているのか?」

「今はまだ。ただ、同時期に行方不明になった人物が一人おります」

「誰だ?」

「私の従兄です」

「……アナベラル侯爵?」


 脳裏に「動乱の世界を見てみたい」と言っていた男の顔が浮かぶ。確かに倫理観のおかしな奴だったが、直接手を下したりするだろうか。いや、何千、何万と被害が出るかもしれない手段を使ってラーケイオスを目覚めさせた男だ。今さら部下の女一人の命などなんとも思わないのかもしれない。それに魔法士団長たる彼ならエルミーナに警戒させず、一撃のうちに殺すことが可能だ。


 しかし、身内のはずのアナベラル侯爵が行方不明で容疑をかけられていると言うのに、動じていないソフィアに驚かされる。いざとなれば身内すら切り捨てると言っていたのは嘘では無かったと言うことか。


「従兄が犯人かも知れないと言うのに冷静なんだな?」

「私情を挟んでは真実が見えなくなりますので。それに、従兄が殺したかどうかはまだわかっていません。あるいは彼も事件に巻き込まれた被害者かも知れません」

「そうだな。でも、有力容疑者であることは変わらない」


 ソフィアの身内が犯人とは思いたくないが、アナベラル侯爵は限りなく黒に近い灰色だ。しかし、もし彼が犯人なら動機は何だろう?


「アナベラル侯爵のことは置いておいて、エルミーナを殺した犯人の動機は見当がついてるのか? 殺された以外に何か被害は無いのか?」

「彼女の研究成果がごっそり持ち去られています。恐らく犯人の目的はそれかと」


 ……わからなくなった。彼女の研究成果は確かに宝の山だ。殺してでも奪いたいと思う人間は数多くいるだろう。だが、魔法士団長たるアナベラル侯爵は、自らの権限で閲覧可能だ。殺す必要が無い。だが、彼で無いとすると、誰が犯人なんだ?


 ダメだ。俺は、小説の名探偵みたいな推理ができる上等な脳みそは持ち合わせていない。犯人捜しは部下に任せるしか無いだろう。その辺りの大まかな指示をソフィアにする。それを頷きながら聞いた後、彼女は一つだけ俺に聞いて来た。


「エルミーナの遺体をご覧になりますか? 腐敗が始まっていましたが、今は冷凍魔法で腐敗の進行は止まっています。最後のお別れをしていただければと思いますが」

「……そうだな」






 病院の遺体安置所に彼女の亡骸はあった。既に始まっていた腐敗を止めるために強力な冷凍魔法をかけられ、氷の中に閉じ込められる形で。


 死に顔は穏やかだった。苦しむ間もなく絶命したのだろうというのもあるし、丹念に死化粧がほどこされているのもあるのだろう。その顔に、いつも化粧っ気が無く、研究にばかり没頭していた彼女の姿を思い浮かべる。素材はいいんだから、おしゃれすれば美人になるのにと、いつも思っていた。ようやく化粧が施されたのに、それが、よりにもよって死化粧なのかよ……。


 そう思ったら、次から次へと彼女の思い出が押し寄せてきた。実験を手伝って欲しいと声をかけてきた時のこと、氷結空堡(スカーラエ)を始めとする、いろいろな魔法を教えてくれた時のこと、魔法士団の研究所勤務が決まったと嬉しそうに話していた時のこと、そして、自分も役に立ちたいからと、クリスティア王国への遠征にまでついて来てくれた時のことなど。


 ああ、紛れも無く、彼女は大切な友人だった。セリアやソフィア、カテリナと異なり、卒業後、接点は多くはなかったけど、直接、間接に彼女に助けられた。


 視界がぼやける。いけない、王太子が涙など。強くあらねばならないのに。……そもそも俺に、人の死に涙する資格などあるのか。これまで何万人もの命を奪ってきた。直接手に掛けた数だって千を下らない。鮮血の王子(クルエント・レグルス)である俺が。


 その時、横から伸びてきた手によって、俺の頭はセリアの胸に導かれた。セリアはそのまま、俺の頭を優しく抱く。女性にしては長身の彼女だけど、俺の方が遥かに背が高い。この体勢はかなり無理がある。けれど、不快な感じは全く無い。


「いいの、いいのよ」


 彼女のその言葉の真の意図はわからない。だが、泣いていいのだと、自らを責めなくていいのだと、そう言ってくれているように思えた。俺は暫く彼女の胸に顔を埋め、声を殺して泣いたのだった。






 エルミーナの葬儀が行われたのは、その一週間後だった。父親であるラファネル子爵の領地に遺体を届けての葬儀。セリアと共に、夫妻と並んで、地に埋められていくエルミーナの棺を無言で眺めていると、子爵が口を開いた。


「王太子殿下に参列いただき、感謝の言葉もございません」

「……当然のことです。お嬢さんは、私のかけがえの無い友人でした」

「そう言っていただけると、娘も報われるかと」


 気丈に振る舞っている子爵の腕が震えている。当たり前だ。大事な娘を亡くしたのだ。エルミーナが「特待生になったことを喜んで、父が王都に屋敷を買ってくれるって言った」と言っていたことを思い出す。それ程、子爵は娘の成長を喜んで、期待していたのだ。その夢が破れてしまった今、彼の悔しさ、悲しさはいかほどだろうか。彼は暫く唇を噛んでいたが、一通の分厚い封書を取り出した。


「娘から送られてきました。死の数日前に発送したようです。自分に何かあったら、これを殿下にお渡しするようにと添えて。娘はこうなることを予期していたのかもしれません」


 受け取った封書を開封し、中の資料を読んだ俺は衝撃を受けた。それは、彼女が研究していた次元を超える魔法の理論と、それを具体化した魔法陣が描かれたスクロールだったから。失われたはずの彼女の研究成果、これは彼女の生きた証そのものだ。俺の胸に抑えられない思いが湧き上がる。


「ラファネル子爵、私は悔しいです」

「悔しい?」

「ええ、お嬢さんは紛れも無い天才でした。このまま生きて研究を続けていれば、いつか魔法の世界に革命を起こしたはずなのに。いずれ、社会の在り方すら変えたかもしれないのに。その未来を見ることが出来なくて、悔しくて仕方ありません」

「……そこまで、そこまで評価していただいて感謝の念に堪えません。娘も本望でしょう」


 再び無言に戻りながら、彼女の棺に誓う。必ず犯人を捕まえ、君の無念を晴らして見せると。だが、その時はまだ思いつきもしなかった。エルミーナの死とアナベラル侯爵の失踪、それが大陸全てを巻き込む大乱の序章であったなど。


次回は第7章第10話「ナルディア大乱」。お楽しみに。

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