第5話 結婚してください
歓迎式典のあった日から二日後、ルナールとフィリーナは二人、お忍びで街に出てきていた。遠巻きに護衛はいるが、二人の邪魔にならない距離を保っている。二人きりで水入らずの時間を過ごせるようにとの配慮によるものだった。
二人は、最近できた公園に来ている。ここは市民誰もが憩える場所にしようとの意図で、ラキウスが私財を使って整備させた公園だ。噴水に広大な芝生の広場、花壇が心地よい。これだけの公園を整備するとなると、かなりの資金がかかったはずだが、それを私財で賄えた背景には、王太子となって直轄領が増えたことの外、税制改革や戦勝などにより、経済が上向いていることの影響が大きい。
そんな公園でベンチに座りながら、二人は共に居心地の悪さを感じていた。
ルナールは隣に座る自らのお見合い相手の様子を伺いながら思う。昨日のホームパーティーは失敗だったと。しかし、それも仕方ないではないかとも思う。何しろ、屋敷に伺ったら、見合い相手を超える美女が出てきたのだ。見合い相手も十分に美人だと思っていたが、屋敷で出会った美女はさらに上を行っていた。目を奪われてしまったのは無理も無いではないか。
その美女が王太子の奥方であると知った時には、王太子への羨望と嫉妬が入り混じった複雑な感情を抱いてしまった。だが、内心で思っていることならまだいい。問題は、奥方への不埒な視線を王太子や見合い相手には感づかれてしまっているだろうことだ。二人とも気分を悪くしただろう。このお見合いは失敗だったかと思わずにはいられない。
元々、彼はこの縁談に積極的だったわけでは無い。単に公子という立場上、それも大公の長子として、やがては大公となる身として、国の基盤を強化するための義務感で応じただけの話だ。そもそも彼は女性に対してそれほど積極的では無い。別に女が嫌いという訳では無い。年頃の男子として、普通に異性への興味はあるし、肉の欲望もある。セーシェリアのような美女を前にすれば目を奪われる。だが、多情な父が抱える情人の一人に毒殺されかけた経験などから、どうしても自分から一歩を踏み出す気になれない。
特に女が示す、男への媚びた態度が嫌いだった。自分を毒殺しようとした女を否が応も無く思い出させるから。父に媚びるだけでなく、未成年だった自分にも媚びを売り、誘惑して、不義の子を身ごもったと知るや、口封じのために殺そうとしてきた。あんな女が初めての相手というのは、今となっては吐き気を催すような苦い記憶でしかない。
だから、自らの妻となる女性には、男に媚びない強い女性であって欲しいと思う。それは何も身体的な強さや魔力の強さを求めているのでは無い。自らをしっかりと持った心の強さだ。
そうした点から言うと、王太子夫妻は理想の夫婦のように見えた。お互いがお互いを強く想い、尊重し合っているように見えた。王太子は奥方以外の女性に目もくれないと聞いているが、それはきっと、奥方の美しさだけによるものでは無い。二人の心が強く結びついているからなのだろう。自分は横に並ぶ女性と、そうした関係を築いていけるのだろうか。そう、自問せずにはいられなかった。
一方、隣に座るフィリーナも葛藤していた。ホームパーティーで自分にでは無く、義姉に目を奪われていた見合い相手に思うところが無いでは無い。しかし、義姉では無く、自分を一番に見て欲しいというのは、結局、相手に兄の代わりを求めているだけでは無いのか。
優しくて強い兄が大好きだった。容姿だって相当のイケメンだと思う。兄は良く、「上級貴族はイケメンばかりだから」みたいなことを言うが、自分から見れば、兄の方がよほど優れた容姿をしている。だいたい兄は自分の容姿に対する自己評価が低すぎるのだ。子供の時から、兄を見た友人は皆、目を輝かせて「かっこいい! 紹介して」と言ってきたというのに。そして二言目には言うのだ。「あんなかっこいいお兄さんがいて羨ましい」と。何が羨ましいものか。どれほど想っても、実の兄では結ばれようが無いではないか。
だから諦めた。それに義姉は大好きだ。最初は張り合ったりもしたけれど、兄のことを心から想っていることがわかる。二人には幸せになってほしい。
……そう思っていたはずなのに、実はそうでは無かったと言うことか。兄を奪った義姉に嫉妬して、さらにはその義姉に目を奪われる男に苛つく。醜いのはどっちだ、自分では無いか。フィリーナはそんな自己嫌悪に陥っていくのだった。
「綺麗な景色ですね」
「そうですね……」
「……」
先ほどから全く会話が弾まない。二人が二人とも、これではいけないと焦れば焦るほど沈黙が支配していく。その沈黙に耐えられなくなって、二人が同時に「あのっ」と言って顔を見合わせた時だった。周囲の異様さに気づいたのは。
周囲を十数人の男たちが取り囲んでいる。先ほどまでただの市民のように振る舞っていたが、偽装だったのか。
「何だ、お前たち?」
警戒しながら問うルナールに向かって、男たちの一人が前に出た。
「レドニアのルナールだな?」
「だったらどうした?」
「悪いが死んでもらう」
ルナールは舌打ちする。恐らくはナルディア王国の手の者だろう。お見合いを中止できないと見て、強硬手段に出てきたか。抵抗しようにも数が多すぎる。異様な状況に気づいたのであろう、護衛の騎士たちが駆けつけてこようとするが、それぞれの間に牽制の男たちが回り込んでなかなか近づいてくることが出来ない。二人の邪魔をしないようにとの配慮で距離を取っていたことが裏目に出た形だ。
しかし、この状況はまずい。ルナールは焦る。自分だけならまだしも、フィリーナを傷つけるようなことがあってはならない。彼女だけは何としてでも逃がさなければ。そう思った時、ルナールの前に人が立った。
「あなた達、何のつもり?」
ルナールを庇うように立ったのはフィリーナだった。男たちを睨みつけている。その光景に戸惑ったのはルナールだけでは無かった。先ほどの男が半ば呆れたような声を上げる。
「お嬢ちゃん、あんたには用は無い。怪我したく無けりゃ、さっさと逃げるんだな」
「ふざけないでよ! お兄ちゃんの国で好き勝手させないんだから!」
男たちを睨みつけるとフィリーナは右手を宙にかざした。
「火球!」
次の瞬間、彼女の頭上に直径数メートルはある巨大な火の玉が出現した。フィリーナが、絶句している男たちに向け、投げるように手を振ると、火球は男たちの中心に飛んで行って、火の粉をまき散らした。
「あ、熱っ!」
火の粉を被った男たちから悲鳴が上がる。流石に死んだり、大怪我をした者はいなかったが、一瞬、男たちの戦意をくじくのには成功した。その隙を逃すルナールでは無い。すかさず剣に魔力を流すと踏み込んだ。そのまま2~3人を斬り倒す。
「くそっ、こいつ!」
一瞬、統制が乱れかけた男たちだったが、すぐに立ち直ると、ルナールを取り囲もうと動き出した。しかし、そこにフィリーナの声が響く。
「炎熱槍!」
何本もの炎の槍が男たちを貫く。彼らは死にはしなかったものの大怪我をして、その場に倒れ伏した。リーダーらしき男の苛立った声が響く。
「クソがっ! 王太子の妹だからと手を出さないようにしてりゃつけあがりやがって! 構わん、痛い目に合わせてやれ!」
その言葉を受け、数人の男がフィリーナに向け、魔法を放とうと構えた。それを見て、フィリーナは固まってしまう。いくら魔力量が大きかろうとも、彼女は実戦に出たことは無い。自分に向けられる剝き出しの悪意にすくんでしまったのだ。棒立ちの彼女を幾本もの魔法の槍が貫く、その寸前、彼女は押し倒された。
「ルナール様……」
「大丈夫ですか?」
咄嗟に押し倒して自らを庇った男の姿をフィリーナは震えながら見る。男の肩には血が滲んでいた。魔法がかすったのだろう。
「ルナール様、血が……」
「かすり傷です。それよりこの場を切り抜けなければ。フィリーナ様、私が障壁であなたを守るので、魔法で攻撃を。あなたの方が魔力が大きい」
飛んでくる魔法攻撃を障壁で避けながら、ルナールが提案する。男として、女性より力が下だと認めるのは沽券にかかわるだろうが、今はそんなこと言っていられない。フィリーナを庇いながら戦うなら、それが唯一の生き残る道だった。でも、フィリーナは躊躇する。実戦経験の無い自分の攻撃など当たるだろうか。そう問うフィリーナにルナールは笑顔を向けた。
「大丈夫です。私が必ずあなたをお守りします。あなたに傷一つつけさせない。だから落ち着いて狙ってください」
その笑顔に彼女も覚悟を決める。魔力が大きいだけの自分が戦うのなら、それは手数を増やす!
「炎熱槍!」
その声に応え、数十本の炎の槍が浮かび上がった。相手は既に十人を切っている。その全てをこの一撃でもって一掃する!
「やっちゃえ!」
一斉に放たれた魔力が次々に男たちに降り注ぐ。その圧倒的魔力にさしもの荒事に慣れた男たちもひとたまりも無かった。
そこにようやく護衛騎士たちが駆けつけてくる。牽制に回っていた男たちも始末され、敵全てを無力化することに成功したのだった。
ルナールとフィリーナはへたり込むようにお互いを見つめていたが、どちらとも無く笑い出した。
ルナールはフィリーナの笑顔を見ながら思う。自分に危害が及ぶかもしれないのに、会ったばかりの男を庇うように前に立ったフィリーナの勇気を。兄の国を守りたいと思う高潔な心を。
一方で、フィリーナはしばらく笑っていたが、不意に笑顔がひきつる。
(やっちゃった!)
兄に行儀良くするように言われたにもかかわらず、乱暴に暴れまわってしまった。口調もいつもの調子に戻っていた。これは呆れられたかもしれない。そう思うと胸が痛んだ。兄の代わりを求めていただけの縁談。だが、ルナールは身を挺して自分を守ってくれた。傷一つつけさせないと誓ってくれた彼の言葉にどれほど勇気づけられたか。気がつけば胸が苦しい。彼に嫌われたくない。
二人はしばらく無言で見つめ合った。やがて、ルナールはフィリーナの手を取る。
「フィリーナ様、結婚してください」
「え?」
フィリーナは混乱してしまう。それは確かに彼女が望んだ言葉だったかもしれない。だが、彼がそう言ってくれる理由がわからない。
「どうして?」
「あなたの強さに惹かれました。魔力の強さではありません。他者を守ろうとする気高い心、その心の強さに打たれました。私にはあなたしかいない。お願いします。結婚してください」
その真摯な言葉に、フィリーナはただ真っ赤になって頷くのだった。
「はい。……よろしくお願いします」
次回は第7章第6話「このシスコン野郎!」。お楽しみに。




