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第29話 世界は目撃した

 その日、敵の砦へと進軍を勧めながら、聖戦軍にはどこか弛緩した空気が流れていた。何しろ30万もの軍勢だ。前回罠にかかり、全滅してしまった魔法士も1万人も補充された。その罠も今回は効かない。正体がわかっていればいくらでも対応可能だ。勝てないはずが無かった。


 しかも、聖戦軍の少なくない男たちがゼーレンでその獣性を爆発させていた。男を殺し、女を組み敷いて獣欲を満足させた男たちの鼻息は荒い。次の街フェルナシアでも同じように好きに暴れよう。それでこそ聖都を離れてこんな辺境までやって来た甲斐があったと言うものだ。


 その気持ちはゼーレンで暴発しなかった兵士たちにも共有されていた。フェルナシアにいるのは邪教徒ども。人間では無い。いくら殺そうが、いくら犯そうが、神は祝福して下さるだろう。ゼーレンでは大人しくしていたのに、特に褒められることも無く、暴れた連中が処罰されることも無かった。これでは大人しく軍規に従っていたのが馬鹿みたいでは無いか。欲求不満が溜まっている彼らはフェルナシアでその解消を求めていた。


 そんな空気に支配された軍が高い規律を維持できる訳が無い。彼らは隊列を整えることも無く、ダラダラと進んでいくのだった。


 そんな自らの軍を見ながら、総司令官であるノイラート侯爵はため息を漏らす。彼は4人いる世俗側の選帝侯の一人であるが、聖戦軍を率いていることからも分かるように、聖教会に近い立場。彼自身も敬虔なミノス教徒であり、神敵である邪竜とその使徒を滅ぼすためにやって来たのに、自らの兵たちは同じミノス教徒のゼーレン市民に容赦なく暴力を振るい、自分はそれを罰する力も無い。


 いったい、この軍が掲げる聖戦とは何なのだろう。ゼーレンを出立する時、市民たちから向けられた敵意に満ちた視線。あんなものを浴びるためにこの地に来たのでは無いと言うのに。そんな物思いに沈む彼の横に、一人の男が乗る騎馬が並んだ。


「ノイラート侯爵、あまり気を落とされるな」

「オトマール伯爵か」


 男は今回補充された魔法士団の団長だった。嘘か本当か知らないが、鑑定眼を持つと言う。ノイラート侯爵は一瞬、自らの内心を覗かれたのかと心が跳ねるが、鑑定眼とはそう言うものでは無いということを思い出し、気を取り直した。


「そうだな。ゼーレンでの失態はフェルナシアで取り戻す。我らの目的は邪竜とその使徒の討伐。それさえ達成できれば、神の祝福は我らのものだ」

「その意気です。我ら魔法士1万人、これだけいればどのような軍隊にも負けはしませんよ」


 そう言われて、ノイラートはふと気になったことを問う。


「そう言えば、邪竜の使徒なる男は凄まじい魔力を持つそうだが、伯爵はご覧になったことがあるのかな?」

「それがまだ見たことが無いのですよ。皇宮に奇襲をかけてきた時、私は仕事で聖都を離れていましてね。その時、見ていれば、力を見極めることが出来たのに残念です」

「聞いた話では近衛騎士十数人を骨も残さず蒸発させたとか」

「それは誇張でも何でもなく、事実のようです。恐ろしい話ですが。ですが、まあ我々1万人がかかれば敵では無いでしょう」


 オトマールとの会話に少し元気を取り戻したノイラートは行軍を続けるのだった。







 翌日、昼前頃に聖戦軍は国境砦に達した。目の前にあるのは2週間前と変わらぬ砦の姿。だが、大きく変わっているのが一つある。


「何だ、あの巨大な竜は?」


 誰が発したとも知れない疑問は、誰もが思うものだった。目の前に浮かぶ竜、その巨大さは異常だった。飛竜など比較にもならない。全長も翼長も10倍以上ある。それではあれが邪竜だと言うのか。


「ノイラート侯爵!」


 そこに後ろからオトマールが騎馬で駆けつけてきた。ものすごく焦った表情をしている。


「駄目です! 逃げましょう! とても、とても敵いません!」


 そのいきなりの提言に、ノイラートは首を傾げる。魔法士1万人いれば、どんな軍隊にも負けないと言ったのはオトマールでは無いか。


「魔法士1万人でも敵わないのかね?」

「あんな、あんな化け物とは聞いてませんよ! 1万人どころか、100万人いたって敵うかどうか。とにかく逃げましょう! 勝ち目なんかありません!」


 そう言われて、ノイラートは悩む。ここで逃げれば、汚名を雪ぐ機会を無くす。だが、死んでしまえばそれまでだ。決めかねて改めて竜を見ると、その口元に巨大な魔法陣が浮かんでいる。それに魔法陣が浮かんだ瞳を向けて、オトマールは更に蒼白になった。


「嫌だ、嫌だ、死にたくない!」


 とうとう単騎で逃げ出したオトマールを見て、ノイラートはようやく事態の深刻さに気付く。全軍に撤退を命じなければ、そう思った時はもう遅かった。世界が黄金に染まったのである。






 放たれたブレスは、布陣していた聖戦軍のほぼ真ん中に突き立った。その直撃を受けた者はむしろ幸せだったかもしれない。痛みを感じる間もなく蒸発したのだから。瞬時にして10万度以上にまで熱せられた大地が、大気が、爆ぜた。それはプラズマとなって一瞬にして拡散していく。音速を遥かに超える衝撃波が人々を切り刻み、灼熱の大気が爆風となって周囲を焼き尽くしていく。熱せられた空気と大地はキノコ雲となって上空に舞い上がり、そこから溶解した大地が雨あられと人々の頭上に降り注いだ。


 この世界の人々は知りようも無いが、そこには、核が炸裂したかのごとき光景が広がっていた。30万を数えた軍勢は一瞬にして死者7万人、負傷者5万人を出して潰走していったのである。


 その日、世界は目撃したのだ。竜の力が何の躊躇も容赦も無く、生身の人間に振り下ろされた時、いったい何が起こるのかを。


次回は第6章第30話「悪魔の契約」。お楽しみに。

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