第7話 あなたを愛しています
「酷い……あんまりです!!」
「カテリナ、お願いだから……泣かないで」
泣き崩れるカテリナを前に、どうすればいいのかもわからず、ただオロオロしている俺。つい3週間くらい前に、『カテリナのことも何とかするから』とセリアに大見えを切ったのに、このざまである。
フェレイダ・レオニダスでレオニードに到着した時、カテリナは大喜びで、自ら港まで迎えに来てくれた。それこそ、人目が無ければ、抱き着かんばかりの勢いで、顔には歓喜の色を浮かべていたのだ。それが、屋敷に着いて、俺が王族だと判明したことを伝えたとたんに顔色が変わった。
王位を目指すことを決めたこと、ソフィアが秘書官になったことなどを説明するたびに、その表情はどんどん曇って行く。そして「王都から戻れなくなった自分に代わって領主になって、この地を治めて欲しい」との提案が、彼女の顔から、全ての色を奪ってしまった。
そこに重ねた、了承してくれるかの意向確認。彼女はその場に崩れ落ち、泣き出してしまったのである。
「カテリナ……」
何を言えばいいかもわからず、ただ、その震える背中をさすっていると、彼女が顔を上げた。その瞳は潤み、今も頬を涙が伝っている。
「……1年……1年も経っていません。……ずっと、ずっとお側に置いていただけると約束したのに! あんまりです!」
「それは……それは悪いと思っている。でも王族となってしまった以上、こちらには殆ど来ることができない。そんな俺が領主を続けるなんて」
「いいえ、いいえ、領民だって、ラキウス様が領主を続けて下さることを望んでいます。皆がどれほどラキウス様ご夫妻のことを慕っているか。知ってますか? セーシェリアなんて『女神の化身』とまで言われているんですよ」
───女神の化身、それは彼女の外見の美しさだけで贈られたものでは無いだろう。視察に行くたび、子供たちに囲まれていた彼女の姿を思い出す。その優しさをこそ讃える言葉なのだ。
「そうだとしても、俺は王宮で殆ど過ごすことになる。ここを直轄領とするにしても代官は置かなければならない。そんな信頼を置ける代官の候補なんて、君しかいないよ。この領地のことを良く知って、領民や陪臣たちに愛されている君だけにしか頼めない」
その言葉に彼女は再び下を向き、考え込んでいるようだったが、顔を上げるとようやく口を開く。
「……月に一度、……それが叶わないなら半年に一度、いいえ、年に一度でも構いません。帰って来てくださいますか? それを約束して下さるなら、代官としてあなたのお帰りをお待ちするようにします」
「ああ、約束するよ。年に一度なんてことは言わない。もっと頻繁に。月に一度は無理でも、どんなに長くても二月は開けないようにするから。いざとなったら、ラーケイオスに無理言ってお願いしてでも来るようにするよ」
「今度こそ約束ですよ……」
涙の跡こそ残るものの、ようやく新たな涙が生まれるのを止めた瞳。その瞳が俺をまっすぐに見つめている。しばらくそのまま、何かを言いたそうに逡巡していたが、意を決したように、彼女が俺の手を取った。
「ラキウス様、あなたを……愛しています」
「カテリナ、それは!」
止めようとした俺の唇を押し当てられた彼女の指が塞ぐ。
「知ってます。ラキウス様の心が私の元に無いことなんて、もう十分に。……それでも、言わせてください」
「……」
「あなたが好き。ただ一人、私を助けてくれた優しいあなたが好き。不器用で、正直で、嘘がつけなくて、誠実なあなたが好き。……大好きです、誰よりも」
───言わせてしまった。最初に感じたのは罪悪感。彼女が俺に好意を向けてくれているなど、火を見るよりも明らかだった。神殿での不意打ちのキスに始まり、それ以降も、わかりやすいくらい純粋な好意を向け続けてくれていたのだ。俺はただ、見て見ぬふりをしていただけ。
それでも、最後の一言だけは、彼女は絶対に言おうとはしなかった。それは、その言葉が俺を苦しめると思っていたからかもしれない。今の関係が決定的に壊れてしまうのを恐れていたからかもしれない。いずれにしても、彼女はその言葉を胸の奥にしまい込んでいたのだ。
このまま、俺が領主でいられたなら、彼女のそばに居続けることが出来たなら、それをよすがに、一生しまい込まれたままだったかもしれない。その彼女の居場所を無くしてしまうようなことをして、不安にさせて、胸の奥を溢れさせてしまったのは俺だ。
そんな罪悪感を抱いて、彼女を見る。俺の手を掴んでいる彼女の手が震えている。彼女はこの後の展開が分かっているのだ。それでも言わなければならなかった。そう、これは彼女なりのけじめなのだ。自分の心に片を付けるための。ならば、彼女の気持ちにきちんと向き合わなければいけない。
「ごめん、カテリナ。君の気持ちに応えることはできない。俺の心はただ一人、セリアだけのものだから」
その答えに彼女が微笑んだ。穏やかな笑顔。だが、そこに込められているのは、寂寥か、諦観か。
「ありがとうございます。ラキウス様。逃げずに答えてくれて」
立ち上がった彼女は笑みを浮かべたままだ。恐らくは俺に責任を感じさせないように気丈に振る舞っているのだろう。彼女のいじらしさに胸が詰まる。気がつけば、言葉が口をついて出ていた。
「カテリナ、君を尊敬する気持ちは変わらない。君は俺の大切な友達で、誰よりも信頼する俺の片腕だ」
そんな中途半端な優しさなどかけるべきでは無いのかもしれない。未練を引きずるような言葉など。でも、彼女との友情まで壊したくはなかった。
彼女は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに再び笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。代官として、ラキウス様の補佐官として、信頼に応えるよう頑張ります。覚悟してください。一生、あなたについていきますからね」
「ああ、ついてきてくれ」
共に隣を歩む存在にはなれない。だけど補佐官としてついてきてもらい、支えてもらうことで、彼女とも俺の作る未来を共有したい。そう言う関係になることができれば。そう、心から思う。
翌々日、急遽呼び出したエーリックも含め、サルディス家の今後について話し合いがもたれた。
サルディス家を断絶させないための手法のうちの一つ、カテリナを側室にする方法はもはや使えない。元より俺自身にその選択肢を採る意思は無いが、仮にその方法を選択したとしても、俺が王族となってしまった今、生まれてくる子供は全て王室のものだ。サルディス家に残される子はいない。
第二の選択肢である、カテリナを誰かと結婚させる道も、彼女が頑なに拒んだため、これも採りようが無い。結局、第三の選択しか無かった。養子を取るという方法である。
決まったのは、サルディス家の名誉を回復し、伯爵家に戻した後、エーリックの息子夫婦に今後産まれる子をサルディス家の養子とするという方法だ。これまでサルディス家は男爵家に堕とされていたため、この方法は同格の男爵であるエーリック側にメリットが無かったが、伯爵家にであれば、養子を差し出す方にもメリットがあるのである。そして、俺は墓前に誓った、伯爵の名誉回復を王族と言う地位を使い、今度こそ叶えることが出来る。
こうして、レオニードでの懸案に片を付けた俺は、リアーナと共に、ラーケイオスに乗り、王都に向かうのだった。ここから先は茨の道、そう思いながら。
次回は第5章第8話「あの魔族、ラキウス君に恋しちゃってるから」。お楽しみに。




