8.溢れんばかりの愛を…
最終回です。
心強い見方であった王太子妃フランソワーズは、交際の報告を喜んだ。そして兼ねてから関心を抱いていたレースのハンカチをアンジェルに編んでもらうことになるのであった。
◇◇◇
ラファエルは出来る限りアンジェルに会いにカスタニエ伯爵邸に通った。アンジェルに愛を囁く為だ。二人が恋仲になることにカスタニエ家で反対するものはいなかったが、結婚となると二の足を踏んだ。アンジェル自身も結婚には後ろ向きである為、ラファエルはアンジェルとさらなる親睦を深めるべく寄り添うことから始めた。
デュヴァリエ侯爵家では、ラファエルに好い人がいることに侯爵夫妻も兄も大層喜んだ。カスタニエ伯爵家に深窓の令嬢がいるという噂はあったが、視覚障がいを持っていることは知られていなかった。ラファエルがシルヴァンの侍従を務めていたこともあり、お相手に障害があることに対しては異議はなかった。まずは当人同士の意志を尊重するべく、二人が結婚したいと気持ちが固まるまでは見守ることにしたのだが…。
実は結婚には大きな問題がある。二人は庶子だ。二人とも爵位を継承する立場にないため、本来であれば貴族籍を維持するためラファエルは嫡子であり家督を継ぐ女性とアンジェルは嫡男との結婚が望ましい。
カスタニエ家ではアンジェルの障害を考えるとどちらかの嫡男に嫁がせる決断に至らなかったのだ。それであればと兄が家督を継いだ後も邸内で大切に守る算段であった。
デュヴァリエ家では次男であるラファエルが第一王子の侍従兼側近という職務につけたことで安定した生活の確保に安堵した。今も第一王子付きの騎士であるから生活という意味では心配はないのだが、貴族籍の維持については改めて考える必要がありそうであった。アンジェルにとって貴族に嫁ぐのと騎士とはいえ平民に嫁ぐのでは雲泥の差だ。
◇◇◇
アンジェルはレイモンと共にフランソワーズに謁見を賜った。依頼を受けていたレースのハンカチを渡すためだ。
「す…」
「「す?」」
「素敵ですわ!なんて可愛らしいの!?これはどうなってますの?一緒に編み込んでますの?」
挨拶もそこそこにフランソワーズの目に留まったのは、アンジェルの髪型であった。レースのリボンを髪と一緒に編み込み愛らしさに磨きがかかっていた。
「私の髪型でしょうか?どうなっているのでしょう?」
アンジェルはセシルに任せていたため、どんな髪型になっているか把握していない。まさか自分の身なりに注目されるとは思わず、セシルを帯同しなかったことを悔いた。
「妃殿下、申し訳ないのですが娘は自分の見目を知りません。毎日専属侍女に一任しております。私がわかることと言いますと、一緒に編み込まれているリボンは娘の手作りだということです」
「まあ!こちらのレースも貴女の手作りですのね!?非礼を承知の上申し上げますが、目の見えない貴女はどのようにして編み物を?」
「目が不自由な分、他の感覚が他人より優れているようです。指先で糸と編み目を把握しながら少しずつ編み進めていきます。もちろん健常者よりも数倍時間はかかりますが何通りかの図案を把握しておりますので参考に編んでおります」
「図案はどのようにお知りになりましたの?」
「先ほども話題に上がりました私の専属侍女が調べてくれるのです。私は見れませんので、初めて編む際には付きっきりで指示を出してくれるのです」
すると、フランソワーズにハンカチを差し出した。
「まあ!素敵ですわ!」
「こちらは妃殿下の為に編んだ物でございます。白銀の国ブランシュールの妃殿下に相応しいよう、雪の結晶をデザインしたレースです」
「それはなんて素敵なのでしょう!」
「とは言いましても、私には雪の結晶がどのような物かはわかりませんので、侍女の案を採用致しました。私の侍女は私の目になってくれているのです」
「そうでしたの…。貴女が身に付けているレースは全て貴女の手作りですか?」
髪飾り以外にも、ドレスの襟と裾にもレースが施されていた。
「はい。私が編んだレースを伯爵邸の針子がドレスに施してくれるのです」
「そちらも近くで拝見してもよろしくて?」
「はい」
フランソワーズはアンジェルに近づくとレースに目を凝らし指先で確認した。
「良い仕事が出来てますね。私が知るレースと遜色ないと思いますし、良質であると感じます。こちらはご趣味ですか?商用するお考えはありませんの?」
「商用ですと!?」
「趣味でしていることです。商用ですか…。考えたこともありませんでした」
レイモンもアンジェルもフランソワーズの考えに驚いた。
「他国でレースが生み出されたと学びました。そのような文化があると。留学中に実物を目にしたこともございます。でもこの国では知る人も少ないでしょう。服飾産業に特化した隣国オルヴェンヌでもレースは使われておりません。我が国の服飾品は国産とオルヴェンヌ産がほとんどですから、レースという存在は国民の目にはとても新鮮に映ることでしょう。そもそも貴女はレースをなぜご存知なのですか?」
「色盲の方でも難しいかもしれませんが、私は盲目ですから令嬢の嗜みであります刺繍が難しいのです。編み物は糸と針を握れば作業は自分の手元だけで済みますので私でも出来たのです。私が編み物を始めた頃、父が借りてきた書籍で『他国文化を知る』というものがございました。そこに修道女により白一色で編まれるレースという上質な編み物があると書かれていたのです。興味を持った私はレースに関する書籍を読み漁りました。図書館に出入りする商会にレースを知るものがおりまして、高価な代物でしたのでお願いできたのはとても小さい物でしたが実物を入手することも出来、侍女と共に試行錯誤の末私も技術を習得することになったのです」
「それは大変な努力をされましたね。それに博識でらっしゃるわ。王立図書館館長をお父上に持つなど良い環境にありましたね」
「はい」
「先ほども申し上げましたが、ブランシュールではレースはあまり知られておりません。ここに商機があると思いました。貴女はとても良い技術を身に付けたと思いますわ」
「商機…、考えもしませんでした。しかし私だけでは何もできません」
「何も貴女だけで商売をする訳ではございませんことよ。貴女には素晴らしい相棒がいらっしゃるじゃありませんか。貴女のご自慢の目としてご活躍なさっている方が。それに貴女の障害も逆手にとることで価値が上がるのです」
「!?セシルですね!障害で価値が上がる…ですか?」
「ええ。オルヴェンヌの産業品がなぜ我が国の貴族に好まれているのか…。稀少価値の為ですわ。オルヴェンヌは元々人口が少ないのです。産業に携わる職人も少ない。つまり産業品を造り出せる量に限りがあります。良質で価値が高い上に量が少ない、手に入りにくいからこそ高価になる。レースというものは装飾品や編み物の中でも価値の高いものです。貴女は視覚障がいを持つため量産が困難ですから稀少価値が上がります。つまりはこの国でレースの存在が知れ渡る前の今であれば商機があると考えますわ」
「しかし、そもそもレースの需要はあるのでしょうか?」
「私は素敵な物だし、需要があると思いますわ。広めることはいくらでも可能ですわ。私にオルヴェンヌ女大公陛下ほどの活躍が出来るかはわかりませんが広告塔になりましょう。もし、貴女が事業を立ち上げる決断をした際にはお声かけくださいまし」
アンジェルとレイモンは時期国母となるフランソワーズによる待遇に驚いた。助言をありがたく頂戴し帰路へとついた。
◇◇◇
フランソワーズの助言を人生の選択肢に加えたアンジェルは両家で熟考を重ね方針を固めた。報告と支援の依頼を兼ねて王太子妃殿下に謁見を賜った。
「まあ!そのように決まりましたのね。貴女の決断に感謝しますわ」
「感謝ですか!?なぜ…?」
アンジェルは貴族籍を失う可能性のある子女らと同じように職を得ることなど毛頭に無かったが、フランソワーズの助言により自分もそれが可能であるとわかると事業の立ち上げと嫡子ではないラファエルとの未来を視野に入れた。事業の成功と安定を目指し、達成したならば結婚をする流れとなった。貴族という後ろ楯が無くなっても、事業主としての実績を携えれば個人としても生活できる。万が一騎士として働いている夫を先に失うことがあっても地に落ちることは無くなるのだ。事業を始める決断はアンジェルに利があって、その事業の広告塔となる依頼を受けたフランソワーズが感謝することに疑問を呈した。
「貴女の事業の支援をすることは貴女個人を贔屓したものではございませんのよ。息子の専属騎士であるラファエルを贔屓したものでもございませんの。我が国の産業の発展のため、私が貴女を見出だしたのです。国のために私の方こそ貴女を利用しているのですわ。ですから、堂々となさって。是非ともこの事業を成功させましょう」
後にレースはブランシュールファッションの装飾品として不可欠となる。レースの需要が高まるとレース作りの技術者を育て安定供給を図った。その中でもブランシュールでの先駆者アンジェルが製作したレースは稀少な為、王侯貴族はこぞってアンジェルの手編み品を入手待ちするのであった。
◇◇◇
「アンジェル、私と歩む未来を選んでくれるだろうか?私と結婚して欲しい」
満を持してラファエルはアンジェルに求婚した。
「私は一人では生きられません。貴方の愛がある日々に慣れてしまいました。私より長く生きてください。私を一人にしないでください。それをお約束いただけるのでしたら、お受けいたします」
「もちろんだ、約束する。結婚しよう!」
二人は両家の見守る中結婚式を執り行った。両家から信用のおける使用人を数名派遣し、アンジェルの代わりに家事を行ってもらい生活することにした。セシルは子爵家の三女であったが結婚もせず公私ともにアンジェルに仕え続けた。アンジェルの幸せこそが自身の幸せであると言ってくれたのだ。このセシルの本質こそがラファエルとの類似点であったのだろう。セシルの忠誠に応えるべくアンジェルはセシルを事業主に据え置いた為、後にセシルは一大事業の功績を評価され叙爵し女男爵となる。アンジェルは人気の編み手として忙しい日々を送った。
ラファエルはフェルナンが立太子するまで王子付き騎士として仕えた。かつて無いくらいに優秀な王太子の評判は近隣諸国にも轟き、ブランシュールの安定的な権力は維持された。
国の宝だと王家の駒として存在し続けたラファエルと国益に絡む活躍をしたアンジェルは、貴族籍から抜けた後もブランシュールによって大切に護られ続けた。
二人の間に子は授からなかったが、仲睦まじいことは有名であった。休日には手を繋ぎ街を散策する様子がよく目撃されている。ラファエルは常にアンジェルを優しく見つめ、アンジェルもまたラファエルの囁きに耳を傾け穏やかに微笑んでいた。
ラファエルは愛を与え続け、アンジェルは愛を受け続けた。
アンジェルが旅立つその日まで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
『婚約破棄された辺境伯令嬢は、隣国の第一王子と静かに愛を育む』のスピンオフの主役となったのは、シルヴァンの侍従ラファエルです。この人物は読者の皆さんから好評いただくとともに結末を惜しまれていたこともあり、続編を製作する運びとなりました。
ラファエルとアンジェル、二人の『天使』の物語が皆様に幸せを届けることを願います。
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