前編
「ルアンー!!早く支度しなさい!!セスト様がお待ちになっているわよ!」
階段下から母の大きな声が聞こえる。
ルアンはおさげにした自分のピンクグレージュの髪の毛に触れ呪文を唱える。
髪の色が触れているところから少しずつ黄土色に近い茶髪に変わる。
少し暗めの麦わら色。
「よし!」
ルアンは急いで、外套のフードを直しながら階下に降りた。
「クライシス公爵様!お待たせして申し訳ありません!!」
クライシス公爵と呼ばれた男性がルアンを振り返る。
黒い髪にハシバミ色の瞳が神秘的で、ミステリアスな雰囲気を出している。
公爵は黙ったままルアンを見据えた。
「・・・ルアン。もう出会って二年もたつんだね。・・・すっかり女性になって・・・」
公爵が涙ぐんでルアンを見る。
・・・まだ12歳ですけど・・・
・・・最後に会ったのも先月ですけど・・・
ルアンは目をうつろにしつつ、笑顔を絶やさなかった。
何せ彼はルアンたちの後援を買って出てくれたアンディオン王国の公爵様なのだ。
つまらない話にも微笑むし、良くわからない感動にも微笑みますとも!!
彼は金づる!!
そんなことを考えているうちにルアンのうつろな瞳は、すぐにキラキラと輝きだす。
公爵の後ろに立つ、母であるサメイラは、鋭い視線を娘にやった。
さすが母親。娘の性格を把握している。
ルアンは母の視線に気付きつつも、思考を変えることはなかった。
涙ぐむ公爵をどうしようかと笑顔のまま思案していると、一人の少年がノックもなく家に入ってきた。
家と言っても、貴族の彼らから見れば、東屋?物置?くらいの大きさだろうが。
ルアンたちにとっては大切な家だった。
それをこの少年は、礼儀もなくずかずかと入ってくる。
少年は公爵と同じ黒い髪にハシバミ色の瞳であった。
父である公爵よりも怜悧な瞳で、とても冷たく感じる顔だちをしている。
「・・・父上。いつまでルアンを見て感動しているつもりですか・・・全く・・・エリスの時はもっと長くかかりそうですね。遅刻しますので早くしてください。」
ルアンは冷たく言い放って馬車に戻る少年、シリウス=カイン・クライシスの小さな背中をにらみつけた。
いくら貴族でも、公爵の息子でも、セスト様の息子でも、平民相手でもある程度の礼儀は持つべきだと思う。
ルアンにとって、1個年上のシリウスと1個下のシリウスの妹エリスは苦手であった。
貴族としてのプライドが高く、とても冷徹で傲慢。
公爵の顔だちは優しい面差しだが、子供たちは公爵夫人に似たのかとても冷たい顔立ちに雰囲気だった。
ただ、ただ・・・公爵夫人は根はとても優しい人だった。見た目に反してとてもやさしく、平民であっても、ルアンに優しくしてくれた。
父を亡くしてから、勉強することに意欲的になったルアンを支えてくれた一人でもあった。
そんな素晴らしい人が母なのに、子供たちはなぜか性格は・・・公爵に似た。
何を隠そう、公爵は元々とても冷酷非道で、貴族然とした方だった・・・らしい。しかし、サメイラとルアンにはとても優しいのだ。なぜかは教えてくれないが。
「おい。さっさと乗れ」
ルアンがハッとして声の主を見上げる。
物思いに耽りながら気づけば馬車の前まで来ていたのだ。そして、ルアンに冷たい声をかけるのはシリウスだった。
「・・・すみません」
ここはイラッとするが素直に謝罪する。
ルアンは母に行ってきますの抱擁をしようと振り返った。
何やら公爵と真剣な表情で話をしている。
「はぁ・・・さっさと乗れよ。愚図だな。」
シリウスのため息と暴言が聞こえ、振り返る。
「貴族様とは違い、平民の私たちは特待生なので、卒業まで家には帰れずそれまで会えないのです。挨拶くらいさせてください。」
少し低い声で言うとシリウスが舌うちをした。
「だから何だよ。それを承知で入学するために父上に取り入ったんだろう。」
ルアンは拳を握りしめた。
シリウスの顔面に拳を繰り出したがったがさすがに貴族に対してそのような不敬なことをできないから黙って耐えた。
渋々馬車に乗り込む。
足をゆするシリウスにイライラしながらも、公爵が戻ってくるのを待った。
扉が開き、公爵が急いだ様子で中に入ってくる。
「すまないね、待たせて。」
馬車の扉が閉められ、窓が開けられた。
母が小さな家の出入り口に立ち笑顔で手を振っている。
ルアンは窓から身を乗り出し母に手を振り返した。
「おい!邪魔だよ」
シリウスに言われ、身を乗り出すのをやめた。
公爵が優しい声音でシリウスを咎めていた。シリウスは何も言わず少し顔色を悪くして下をむいていた。
いい気味。
少しずつ馬車が発車し始め窓から小さく手を振る。
あふれる涙を堪えながら、ルアンは母が見えなくなるまで手を振り続けた。
これが母とのまともな最後の会話とも知らず。
これが母の笑顔をみた最後だとも知らず。
ルアンはただ笑顔で手を振り続けた。
オールディーシャ学院では魔力が強い子供たちが集められ特別な教育を施される。
賢者になったり、国の上層部になったり、枢棋院に入ったり、いろいろと道が開けるうえ、貴族としての箔もつくのだ。
その中で毎年最高でも三人の魔力の強い平民を受け入れている。
その三人の中の一人に、ルアンは選ばれた。
難しい筆記試験と、無理難題の実技試験を難なくこなし、学院に合格した。
公爵からは、ほぼ貴族しかいないから平民はかなり苦労するし、とてもつらいと思うけど、本当に構わないのかい?
と聞かれ、大丈夫と即答した。
ただ、学院入学の時に学則について少しだけ条件を提示してみた。
公爵は苦笑いしながらも了承してくれて、学院長にかけあってくれた。学院長はすぐにOKを出してくれたそうな。
これは、だいぶ後になって知るのだがルアンの筆記試験も実技試験も本来平民では絶対に受からないような内容になっているらしい。
それをルアンは難なくクリアしてしまった。
学院長は開校以来の逸材なのでは、と考え条件を簡単に呑んだらしい。
ルアンは学院生活にとても胸を躍らせていた。
その期待は入学早々潰されることとなった。
シリウスなんてかわいいもんだったのだ。
息もできず、ただ床にたたきつけられる状態のままルアンは目の前に立つ三人を見上げた。
醜悪な表情をした貴族。
これだから貴族は嫌いだ。
「あら?その目は何?何か言いたそうね・・・愚民が何様のつもりなのかしら?罰が足りないようね」
10歳の令嬢が厚化粧すぎる、と思うほどの厚化粧をして、真っ赤な口紅で弧を描く。
「潰せ(カルパス)」
少女の声とともに、ルアンは先ほどよりも息ができなくなる。息もできないし、目も開けられない。徐々に意識が遠のく。
その時、誰かに腹部をけられた。
ルアンは吹き飛び、ハアハアと息を吹き返す。
「寝ている暇なんてないよ?僕らを楽しませてくれなくちゃ?」
三人の一人である少年が蹴ったようだ。
もう一人いた少年がルアンの顔を蹴り上げた。
歯が抜けたのがわかる。しかも前歯だ。痛みは既に麻痺したのか感覚がなかった。
ルアンはニヤリと笑った。
「何笑っているんだよ!!」
少年がまた顔を蹴り上げた。
ルアンの頭が机の脚のところにぶつかった。
血が流れるのがわかる。頭がくらくらするのもわかる。それでもルアンは体内の魔力をすぐに癒しモードにし、怪我を完全に治さない程度で意識が保てるほどまで傷を修復する。
フラフラしながら立ち上がり、無表情のまま最後にルアンを蹴り飛ばした少年の前に仁王立ちする。
不敵な笑みを浮かべ、ルアンは少年の前に立ちはだかった。
今までよくここまででしても、死人が出なかったと思う。
まあ、そもそも死人が出る前に退学するのかもしれないが。
少年が手を振りあげた。
ルアンは何もせずただ虚無の瞳を少年に向ける。
少年はたじろぎながらも視線を鋭くしてルアンの顔に向かって思い切り手を振り下ろした。
がしっ・・・
本当に、“がしっ”と音がした。
少年も周囲も目を丸くしている。
ルアンはそのまま少年の手を一瞬で後ろに持っていき、肩から捻り上げる。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!!!」
少年が叫んだ。
驚いていた周囲の人々も、少ししてハッとして止めに入ろうとする。
しかし、誰かが近づけばルアンが力を入れるため、少年の声が大きくなる。
誰かが何か叫んでいるが、どうやらルアンの鼓膜が破れたのかぼやーぼやーと聞こえるだけで、言葉としては全く認識できなかった。
ルアンは構わず少年の肩関節を外す勢いで捻りあげる。
誰かが魔法を使ったが、その魔法は少年にあたった。
誰かが魔法を使う人を止めようとして取っ組み合いになっている。
ルアンは構わず少年の背中足蹴にし腕を引っ張り上げる。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
少年が叫び意識を無くした。
そしてルアンは少年を仰向けにし、肩が外れて変な方向を向いていた腕を持ち上げ、肩関節をもとの位置に戻した。
喧騒の中笛を鳴らした大人たちが近寄ってくる。
倒れる少年をみて大人たちが顔面蒼白になり近寄る。
周囲からルアンを示され、怒気を示した表情の大人たちがルアンを見るが、ルアンを見た瞬間大人たちの表情は凍り付いた。
大人たちとはもちろん学院の教員。
貴族の教員もいれば平民の教員もいる。
彼らはルアンが入学した際に一度会っていた。アンディオン王国のクライシス公爵が後援をしている平民の少女。
“後見”ではなく“後援”。
後見であれば、公爵の庇護下であり完全に公爵に守られるものだが、後援は本当にただの後援。応援しているだけ。
ただの平民でありながら、権力を行使できる後見ではなく、ただ応援されるだけの後援。
平民を後援するとなると、孤児院や病院など。しかし、公爵は一平民を後援している。
オールディーシャに入学するに際し、平民をわざわざ後援などしない。
平民が学院に入学する条件の一つは優秀であること。
もう一つは貴族からの推薦があること。
貴族が推薦するということは、何か狙いがあるため。だからこそ、”後援”ではなく”後見”するのだ。無事に卒業できるように。
学院では今までも平民へのいじめは横行していた。上位貴族の後見をもつ平民はいじめられることもなかったが。下位貴族などだと、上位貴族の野蛮な人種からいじめを受けていた。
そんなわけで、今年入学してきた平民の中に、高位中の高位貴族であるクライシス公爵の後援対象となる少女が、どのような人物か教員たちは気にしていた。
しかし、会ってみれば本当に普通の少女だったのだ。
彼女の何が公爵を動かし、学院長の心まで動かしたのだろうか、とういうのが最近の教員たちの会話のほとんどであった。
そんな話題の中心にいる平民の少女がまさかのバール帝国の第3皇子を足蹴にしているのだ。
驚き慄くのは仕方がなかった。
「き・・・君、いったいどなたに何をしたかわかっているのか?」
教員の一人が顔面蒼白で立ち上がって自身の服からほこりを払うルアンに言う。
「・・・先生こそ。学則の内容を覚えておいでですか?」
ルアンの鋭い瞳に教員は言葉を失ってしまった。
12歳の子供がするような顔ではなかった。いろんな修羅場を乗り越えた、大の大人の表情をしていたのだ。
ルアンが出した学院長への条件。
学則の変更だった。
近年、世界的に平民の重用が増加している。むしろ、重用しない国は時代遅れとされていた。
学がついた平民はより一層国力を上げる力となっていた。
にも拘らず、魔力を重視したオールディーシャ学院は莫大な学費を有することから貴族が9割となっていた。そのため、どうしても選民意識の強い貴族もおり、平民を差別する人がいたのだった。それは公然の秘密とされていたことから、ある程度お金のある平民も、魔力と学力がすぐれている平民もオールディーシャ学院に入学することを避けていた。
ルアンには達成しなくてはならない目標があり、どうしてもオールディーシャ学院に入学する必要があったのだ。成績上位をキープすることで特待生として学院に通えるため、自分の能力の高さを売りに学院長に学則の変更の条件を付けた。
1、学院の中では身分は無い。貴族は権力を笠にきて平民を虐げてはいけない。平民は貴族に常識の範囲内で接すること。
なお、将来国の役職に就くと思われる生徒たちは礼儀を身に着ける必要があるため、一般常識・マナーに関しては貴族界のものを選択する。
2、学院内でのトラブルは基本的に生徒同士で解決することとする。
なお、集団によるいじめは貴族と平民から成り立つ生徒会が介入する。それで解決しない場合は、教員が介入するが、教員は貴族階級の者と平民の双方を介入させる。それでも解決しない場合は学院長と副学院長が介入することとする。
ここで、教員たちがもみ消しをできないように学院内にブラックボックスを置くため、いじめを受けている生徒はそこに投函すること。
3、暴力事件が発生した場合、暴力を振るわれた者が重症のケガを負った場合正当防衛を認める。その場合喧嘩両成敗として双方に処罰を下すが、先に暴力事件を起こしたものに重い罰を下すこととする。
なお、見物していたものにもそれ相応の処罰が下される。
その他にもいろいろと校則を変更してもらったが、後日ということで・・・
ルアンは床で失神している少年を見下ろした。
気絶しているだけで、大きなけがなどしていない。
関節は外したが、すぐに元に戻し痛みも和らげるように癒しの能力も送った。
このような痛みは初めてで驚いて気絶したのだろう。
どう見ても、ルアンのほうが重症だった。
頭からも血が流れおち、わき腹も息をするたびに痛いため肋骨が折れているようだ。
ルアンに注意しようとしていた教員が気絶した少年を抱き上げ走り去った。
他の教員が申し訳なさそうにルアンをみて、「医務室に行こうか」と促してくれた。
医務室では貴族だと思われる教員が数人いて、ルアンが医務室に入ると一斉に視線を浴びる。
教員をかき分け一人の厳つい男性が出てきた。
嫌な表情を隠すこともなく貴族の教員を押しのけて出てきた。
血だらけで歩くルアンをぎょっとした表情でみた。
「おい・・・医務室が汚れるからお前はこっちに座れ。」
ルアンは指し示された椅子に座る。
男性はルアンの手を握りより一層眉間にしわを寄せ、ルアンとともに入ってきた教員を睨んだ。
「お前・・・こんな状態の子供を歩かせてきたのか。」
そう言ってルアンを抱き上げた。
とりあえずルアンはされるがままになる。
ベッドに寝かされ男性が繊細な手つきで水魔法を展開させる。
あたたかな水が目に見える傷口を洗浄していく。
少し痛いが、我慢できないほどではなかった。
その後、暖かな光がルアンを包み、男性はルアンが見えない怪我をしていると思われるところに手を差し伸べていく。
徐々にルアンの呼吸が落ち着き、痛みも引いていった。
ルアンは男性を見上げてニヤリ、としそうなところを何とか抑えた。
男性の手から光が消え、何やら小さな白い紙を取り出した。
その紙に魔力を送り込んでいるようだ。
ルアンの視線に気付いた男性が紙について説明してくれた。
「これか?これは鑑定紙と言って使った魔力や内容を記録してくれる。ここでは、俺が何の魔力を使って、お前がどのくらいの怪我を負ったのかが記録されている。」
知ってる。
何せ鑑定紙を開発したのは何を隠そうここにいるルアンだから。
目の前の男性は後ろにいた貴族の教員たちを睨み上げた。
「肋骨3本骨折に腹部の内出血、頭部皮下出血、脾臓内出血貯留だ。どこぞの殿下より重症だ。殿下は何の異常もない。多少肩の痛みがあるだけで動けないわけではない。その鑑定紙は“嘘がつけない”。つまり俺も嘘は言っていない。」
そう。
鑑定紙は“嘘がつけない”。だからこそ、証拠能力が高かった。というより、そう言う風に作ったのだ。
どうしても階級制度の強い国では、貴族であろうとも強いものが弱い者たちを虐げることが多い。冤罪もかなりの量だった。
この鑑定紙は小細工ができないように、手に取った人の魔力をそのまま吸収する特別な術式が施されている。術式は特許を取り、公開している。誰かが小細工をしようものならすぐにバレるようになっていた。
貴族の教員の一人が、魔塔の紋章が入った透明の小さな箱を取り出し、鑑定紙をそれにいれた。
箱を閉めると、その箱はその場から忽然と消えた。
ルアンは箱があったであろう空間を見つめた。
もしかしたら、後で“あの人”から連絡が来るかも。
面倒くさいなあ・・・
ルアンが物思いに耽っていると、隣のベッドから悲鳴が聞こえた。
どうやら先ほどの少年が飛び起きたようだ。
「な・・・なんだ!!?どこだ!!?夢か・・・?・・・はっ!!」
きょろきょろしながらルアンと視線を合わせ、驚きの表情が嫌悪の表情に変わった。
「貴様!よくもこの私を愚弄したな!!」
ベッドに立ち上がりルアンを指さす。
「「ジョスエル・バール君!!」」
何人かの教員が少年に怒鳴った。
少年は驚きたじろぐ。
しかし、すぐに気を取り直しまた怒鳴り返す。
「貴様ら!私を誰と心得る!「どこのどなたであろうと、この学院の生徒であればみんな平等です。あなたが誰であろうと、あなたは学則を破った挙句、暴力事件を起こした。それを被害者のせいにするのは間違っています。」」
ルアンを連れてきた教員が、少年の言葉にかぶせて言った。
しかし、少年は顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、周囲の者を投げまわしている。
その時、医務室にノックの音が聞こえ一人の少年が入ってきた。
「失礼いたします。弟が何やら迷惑をかけていると聞きまして。」
緩いパーマのかかった朱色の髪に金色の瞳の少年が入ってきた。
「兄上!」
隣のベッドで暴れていた少年が喜々とした表情で兄を呼ぶ。
が、兄は笑顔だが瞳が全く笑っていなかった。
「ロレッソ。入学前に学則について教えたし、父上からも厳命されただろう。お前は皇后さまの生家である侯爵家どころから帝国までも辱めるつもりかな?」
笑顔の兄の言葉に少年は口をパクパクさせて、顔面蒼白になっている。
そのまま微動だにしない弟の首根っこを掴み、“兄”と名乗る人が医務室から連れ出そうとした。
医務室を出る前の瞬間、少年の兄がルアンを振り返る。
「私は生徒会の会長をしているジャクソン=バールだ。君は編入生だったね。平民の編入ということは相当優秀なのだろう。弟が申し訳ない。後日きちんとした謝罪の場を設けさせてくれ。」
そう言い残し、弟をずるずる引っ張って部屋を出ていった。
「さあ、先生方も戻ってください。」
ルアンを治療していた男性が教員たちを医務室から追い出した。
静かに去っていく教員たちの背中を見送り、扉が閉まると、男性が厳しい表情でルアンを振り返った。
「・・・本当に入学してきたんだな。」
男性、オールディーシャ学院の医官シュウ=メルドーバンは責めるように言った。
「私の性格は知ってるでしょう?有言実行だもん。」
シュウはため息をつき椅子に座り、ベッドに座っているルアンを見据えた。
「・・・こんな大変な思いをしてまで・・・復讐したいのか?」
シュウの言葉にルアンを纏っていた雰囲気が一気に氷点下まで下がる。
「おい!魔力が漏れているぞ!・・・そんなんで復讐できるのか?」
シュウが少し焦るように言う。
ルアンは布団を強く握りしめ深呼吸する。
少しずつ漏れ出ていた魔力が落ち着きを取り戻す。
違法であろうと、許されない禁忌であろうと、私はあの日誓った。
尊敬する治療師だった父さんを殺した奴らに復讐を。
そして、父さんを死に追いやった自分自身に罰を。
―5年前―
ルアンが物心ついた時には両親と各地を転々としていた。
父親が治療師をしていたことも関係しているだろうが、何かに隠れるように生活をしていたことは覚えている。
両親に聞いても何も教えてくれず、ただ謝られるだけだった。
どこかに住んでいても、急に荷物をまとめさせられ違う土地へと向かっていた。それが常だった。
父親であるシオル=ロシェは治療師をしていた。
貴族からも平民からも馬鹿にされる底辺の職業。
治療師は光魔法を保有する人がなれる治癒術師の雑用係のようなもの、と認識されている。
誰でもなれ、下の世話など汚いこともする、下僕のような存在。
世の中は治療師をそう思っていた。
しかし、実際は違う。
治癒術師はただ光魔法で“治癒させようとする”だけ。
しかし、実際は治癒などしておらず、再発したり予後が悪かったりするのだ。
それは、その病気や怪我の原因がわからないから。
原因がわからないからこそ、どこをどう治療すればよいかわからないため、上辺だけしか治癒できないのだった。
治療師は、電磁波を操り体内の病気や怪我の原因を探る。
そうして、その原因を治療するのだ。
それも、水魔法や火魔法、風魔法を駆使して治療にあたる。
それを知っているのは治療師のごく一握りの人々だけ。
どんなに、原因を探らなくてはならないと提唱しても、光魔法に心酔している人々からすれば、“馬鹿げた話”であり、原因の探索をできるのが“磁波重力魔法”の持ち主だけであったため、誰にも理解されずにいたのだった。
世界には、光魔法、水魔法、火魔法、土魔法、風魔法、読み取り魔法、幻覚魔法、磁波重力魔法が見つかっている。
基本的にはすべて使える、とされているが、相性だったり魔力の量により違ってくる。特に、光魔法、読み取り魔法、幻覚魔法、磁波重力魔法はかなり難しく、簡単に使えるものではなかった。
“磁波重力魔法”を本当の意味で理解している人は、頭も良く治療師に向いていたのだった。
しかし、磁波重力魔法は知らずに使っている場合もあり、中々衆人に理解してもらえず、治療師は“底辺の職業”として娼婦なみに馬鹿にされることが多い。
そのくせ、いざというときは治療師を頼りにするのだから、ずるい世の中だった。
ルアンの父シオルは治療師としてとても優秀だったが、馬鹿にされる職業から賃金をもらうこともできず、ルアンたちは貧しい暮らしを強いられていた。
それでも、笑顔の絶えない家庭でルアンにとってはとても暖かな愛すべき家族であった。
それが、ルアンが7歳の時を境に全てが変わった。
当時ルアンたちが住んでいた地域では貧困の差が激しく、貧しい人々は盗みをすることが常だった。
父は、どこからか食料を調達しては近所に配ったりしていた。
父を馬鹿にしてるくせに、食料をもらうときはへらへら笑う人々を、ルアンは嫌な気持ちで見ていた。
とある日、近所の子供たちがルアンに泥を投げつけてきた。
曰く、汚い奴らなんだから泥をかぶっていろ。
父親は体を売っている。
無能な奴のくせに、自分たちに施しをすることで優越感に浸っている。
薄汚い奴らは出ていけ。
そう言われたルアンは怒った。
大好きな父親を馬鹿にされ、家族を馬鹿にされ、怒っても仕方ないことだろう。
ルアンは言った。
『父さんは優秀な治療師だもん!!貴族の人だったけど、困っている人を助けたくて頑張ってるんだもん!汚くないし、無能じゃない!』
そう叫んで子供たちと取っ組み合いになった。
嘘つき、だと言われたが、本当だった。
以前、貴族の紋章を見つけてしまい、父に怒られたのだ。
そうして誰にも言ってはいけない、と言われた。
そう。
私は話してしまった。
私たちの取っ組みあいを止めた大人たちはルアンを口汚く罵ったが、ルアンの話を聞いて顔色を変えた。
そのまま子供たちは大人たちに連れられその場を後にした。
ルアンはイライラしながら家に向かっていた。
しかし、家の周囲に憲兵のような恰好をした大人たちがたくさんいた。
憲兵たちは円形に集まっており、その中心には跪いた父がいた。
すぐに駆け寄ろうとしたが、誰かに後ろに引っ張られ、振り返ると顔面蒼白の母がいた。
母と茂みに隠れていた。
憲兵たちに何かを質問されている父は、何度も殴られ蹴られていた。
ルアンは母の手を逃れ父のもとへ行こうとするも、母の力が強く抜け出ることができなかった。
憲兵の一人が剣を鞘からだし、振りかぶる。
母はルアンを抱きしめ見せないようにするが、ルアンの目には見えてしまった。
父が殺される瞬間が。
血だらけに倒れこむ父が。
目を見開いたまま、ルアンと視線を合わせる父が。
ルアンを見て涙を流す父が。
声は出なかったが、母はルアンの声を出させないようにきつく抱きしめてきた。
苦しかったけど、感覚などなかった。
憲兵たちは父の死体をそのままにしてその場からいなくなった。
しばらくして母がルアンを抱きかかえたまま家に戻る。
母は家の中で何かをしていたが、ルアンはただ父の横に寝っ転がっていた。
声などでず、ただ涙が流れおちた。見開いた眼を見つめたまま。自分の顔が映っているのに、視線が合わない父と目を合わせたまま。
どのくらい経ったかわからない。
母がルアンを抱き上げようとするがルアンは嫌がった。
嫌がるルアンに母は何かの薬品をかがせた。
意識が遠のき、気付いたら荷車に寝かされていた。
ルアンは口を聞くこともなく、ただ荷車の片隅に膝を抱えて座り込んでいた。
少しして荷車が停まり、母がルアンを抱き上げて降りた。
何もない野原が続き、少し歩いていくと、小さな小屋があった。
そこには馬が一頭いて、母はルアンを抱き上げ馬に乗った。
1日中馬を走らせ、豪奢な屋敷についた。
アンディオン王国一のタティファ商会の屋敷だった。
ルアンはそこでシュウに出会ったのだった。
シュウは父の弟子だったそうだ。
ルアンはただ黙ってされるがままだった。誰とも話さず、食事をとることもしなかった。母が心配しているのはわかったが、何も考えられなかった。動くことも。
ただ自分を責めた。
父に言われていたのに。
秘密にするよう言われていたのに。
約束を破ったせいで父が死んだ。
自分のせいで父が死んだ。
そう思うと、体中が振るえて、何もできなかった。
当時はまだ7歳で、自分がどこの国にいるとか、両親がどうしてこんな生活をしているかなんて理解できていなかった。
ただ、父が殺されたことだけが鮮明に理解できた。
後に知ったがルアンたちはエヌオール王国という国にいたらしい。そこから隣の国に移動したのだそうだ。
翌日、眠れぬ夜を明かし、ルアンの部屋にシュウが来た。
無言で無理やりルアンに食事をさせた。虐待か、と言われる勢いだった。
嫌がっても無理やり口に入れられ、飲み込む。
数日その作業が進んだ。暴れても、シュウは屈強な体躯でかなうはずもなく、簡単に抑えつけられていた。
少しずつ、自分で食事をとるようになり、会話もするようになった。
と言っても、うん、とか、ううんくらいではあったが。
タティファ商会の商会長の娘であるファシエールもルアンに構い始めた。
同い年なのに、妹のようだといいながらせっせと世話をしてくれる。
商会長夫妻もルアンに優しかった。
でも、ルアンは怖くて言えなかった。
自分が父を殺した、と。
数週間が立ち、ルアンは部屋から出るようになっていた。
トボトボと廊下を歩いてると、母のすすり泣きが聞こえた。
母のすすり泣きに、また自分を責めた。
しかし、母のすすり泣きは、母の懺悔の涙だった。
商会長の部屋で夫妻と話しをしているようだった。
『私は・・・ティアに普通の人生を送ってほしかったの。だから、シオルに反対した・・・』
母が泣いている。
このころ、ルアンは両親から“ティア”と呼ばれていた。
『サメイラもシオルも間違えてなどいないでしょう。二人とも、ティアを一番に考えてのことだわ。』
商会長夫人が言った。
『でも、シオルの言う通り、ルアンが真実を知っていれば、こんなことにはならなかったかも。』
母が言った。
真実?
こんなことにはならなかった?
ルアンは気づけば、商会長の部屋を開けていた。
母と商会長夫妻は驚き、ルアンを気遣った。
でも、ルアンには気になることがあった。
真実って何?
こんなことにならなかったって何?
母に問い詰めると、自分の出生の秘密、父の正体を知った。
母はバール帝国の貴族の屋敷でメイドだったそうだ。
世間知らずの母は、その屋敷の嫡男と恋仲になった。しかし、周囲は大反対。母は王宮の侍女になった。
しかし、恋仲になった彼は母を諦められず、何度も王宮に会いに来たそうだ。
母が止めてもやめてくれず、業を煮やした彼の母親が皇后に言いつけた。
皇后は母を自分の侍女にし、とても厳しく接したそうだ。
辛くとも、生活のため母は耐え続けた。
皇后のもとにいても、彼は母に会いに来続けたそうだ。どんなに諭しても母を諦めなかった彼をある意味尊敬するが、そのせいで母は痛い目に会っていたのだから、何とも言えない。
ある日、母は皇后の秘密を見てしまう。
母はそのせいで暴力を振るわれ、毒を飲まされ、王宮の外に放り出された。
死ぬはずだった母は、当時バール帝国の伯爵家の長男だったシオルに助けられた。
事情を知ったシオルは、元々治療師のことを両親に反対されていたこともあり、彼女を連れて国を出た。
その日から二人は見えない影に追われ、各地を転々としていたそうだ。
ルアンは真実を聞いて、母を責めた。
自分の罪を棚に上げ、楽になりたかったから。
母はただ黙ってルアンの責めを受け入れていた。
存分に母を責めてルアンは泣いた。
泣いて母に謝った。
悪かったのは自分。
言ってはいけないことを人前で言った。だから父は殺されたと。
母は優しくルアンを抱きしめ、背中を優しくさすってくれた。
その日からルアンは人が変わった。
礼儀作法、知識の供給、魔法力の向上、父と同じ治療師を目指した。
そして、父からもらったルアンの実名が彫ってあるルアンの誕生石をはめたペンダントに誓った。
復讐する。
治療師になり、父を殺したやつに復讐する。
両親をこんな目にあわせた奴らに復讐する。
まずは、世界各国から貴族の子供が集まるオールディーシャに入学すること。
商会長にセストを紹介してもらい、後援を受け、ルアンは見る見るうちに知力も能力も上昇していった。
ルアンの瞳は父に似ているが、見た目はまるっきり母似であった。
セストは、母に似たルアンを大層かわいがってくれ、直に剣や体術を教えてくれた。
それがシリウスたちに嫌われた決定的な原因だった。
ルアンにしてみれば、セストから受けた恩を返すため、勉学など一生懸命頑張ったが、施しを受け恩を返しきれないのは嫌だったことから、シュウに知恵を売り出した。
その一つが鑑定紙。
いろんな本を読みふけり、魔法力も上昇したルアンが編み出した術式で鑑定紙の理論を展開し、シュウを納得させた。
そうして、その知識を買い取ったシュウが人を介して魔塔に売り込み、今に至る。
その他にも、電気や冷蔵機を開発。
今は冷凍機を開発中。
がっぽり稼いで、半分貯金、半分をセストに返金していた。
今は子供であることから、あまり頭角をだすと杭を打たれると思い、学院で名を馳せてから商会を立ち上げ、多くの国と交流。そうして、復讐相手の前に出ても不自然ではない状況を作り出し、じわじわと寝首をとってやろうという寸法。
まあ、まだまだ遠い目標だけれど。
名を馳せるのも、コネクションを作るのも、まだまだこれから。
大変だけれどやるしかない。
その日、ルアンは早退するよう言われ自室にいた。
どうやら“一方的な被害者”と認定されたそうだ。
母への手紙を認めながら次はどうするかを考える。
事前の情報で帝国の第3皇子は皇后の唯一の子だが、プライドが高く短気。
血筋で言えば、第2皇子である彼を迎えに来た皇子のほうが実は上だったりする。
これが帝国の複雑なところだ。
血筋が一番良いのはエヌオール王国の王女を母に持つ皇妃の息子である第2皇子。
次が皇后の子供である第3皇子のロレッソ。
しかし、皇帝に一番愛されているのは側室の息子である第1皇子。
現皇帝であるケルビンが皇太子だったときに起きたスキャンダルが原因で、複雑で面倒な皇族事情になってしまったのだ。