5.君は何も知らない
違和感に気づいたのは、5歳の時。
自分の出自を知ったのは、8歳の時。
全ての計画を立てたのは、12歳の時。
この感情に名前をつけたのは?
「静粛に。貴女には横領、及び王家への反逆罪の容疑がかかっています」
王宮で最も重要な部屋、玉座の間でリィナは両手を縛られ跪かされていた。
今、玉座の間にいるのは国王とその息子二人、先程罪状を言い渡した宰相、メルダ侯爵、マリア、リィナ、そして兵士たちだけだった。
第二王子のしでかしたことを知った王妃はショックで倒れ、今この場にはいない。
「陛下!私は横領などしていません!それに、反逆罪に問われる理由も分かりません」
リィナは涙を浮かべながら国王に訴える。
その可憐さに一部の兵士たちは絆されそうになるが、国王はその程度で左右されるような安い心は持っていなかった。
「黙れ。お前の顔など見たくもないが、息子が関わっているというから仕方なく立ち会っているのだ。
ソナ、お前が横領に手を染めたのはリィナ嬢に唆されてのことだというのは本当か?」
兵士に両腕を拘束されて、しかし暴れる様子もないソナは項垂れて答える。
「唆されたというか…『この国はいつかあなたのものになるんだから大丈夫』って言われて、少しだけ国費を…」
国王は頭を抱えた。
「馬鹿息子だとは思っていたが、ここまでとは…」
宰相は冷静にリィナに質問をする。
「リィナ嬢、貴女は王家を陥れるために故意に殿下に横領をさせたのではないですか?それは反逆罪に当たる可能性があります」
ソナの言葉にリィナは反論する。
「私は殿下が仰ったようなことを言った覚えはありません!濡れ衣です!」
「嘘をつくな!自分だけ逃げる気か?」
ソナとリィナが罪を互いに押し付け合っているのをグウェンは冷たい目で見つめる。
「陛下、きっとソナ殿下は勘違いしているのです。殿下の婚約者は元々マリアお姉様でしたわ。きっとお姉様がソナ殿下に横領を唆したのです!」
「黙れ」
氷点下よりもっと温度の低い声でグウェンがリィナを制す。
「俺の話を聞いていなかったのか?お前はメルダ侯爵の娘じゃない。二度とその汚い口でマリアを姉と呼ぶな」
リィナはグウェンを睨みつける。
「『醜悪王子』が偉そうに。今まで引きこもってたくせに呪いが解けたからって王太子になれるとでもお思いですか?貴方についていきたい貴族なんていないわ」
グウェンが何か言う前に、マリアがグウェンとリィナの間に立ち塞がった。
「もうやめて!リィナ、あなたは出自が特殊だったからお父様もお母様もあなたを叱ることができなかった。だから、良いことと悪いことの区別がつかないのは、あなたのせいじゃないわ」
マリアは一呼吸置き、姿勢を正す。
「でも、これ以上グウェン殿下を侮辱するというのなら私が許さない。力ずくで口を塞いででも止めるわ」
その凛とした立ち姿は、兵士たちに次期王妃は誰なのかを示す上で充分なものだった。
「なんでよ!私はお姉様よりずっとずっと美しいのに…お姉様より愛されてたはずなのに!私がお姉様より劣ってるはずー」
そこまで言って、リィナの言葉は途切れた。
突然、リィナの身体中に黒い字が浮かび上がったのだ。
「…へ?」
唖然とするリィナの体から黒い煙が噴き出す。
その余りの禍々しさに兵士たちはリィナを離してしまった。
「イャ、なにこれ、苦しい…たす、け」
マリアを護るようにグウェンはマリアの前に躍り出て剣をリィナに突きつける。
しかし、リィナはグウェンなど眼中にもなく、黒い煙を噴き出しながら、苦しみに悶え体を捩る。
「お、おい!何してる!あの化け物を捕らえろ!」
ソナは恐怖のあまり体を震わせて叫んだ。
兵士がリィナににじり寄ろうとすると、リィナは突然窓の方へ向かって逃げ出し、そのまま窓から飛び降りた。
玉座の間は城の最上部に位置する。
「待て!」
兵士の一人が窓から身を乗り出し、リィナに手を伸ばしたがその手は空を掠め、リィナは遥か下へと真っ逆さまに落ちていった。
「そんな…」
この高さでは助からないことは明白だった。
こうして、アリエラ王家最後の生き残りであるリナリア第七王女は死んだのである。
***
「では、あれは呪詛返しだったと?」
その後リィナの遺体は、王宮の医者とノア王国の魔女により検分された。
頭から地面に叩きつけられたため、顔は原形を留めていなかったが、その体には呪いの字がくっきりと残っていた。
「はい。『真実の愛』が解呪に作用する呪いというのは初めて見ましたが、あの体に刻まれていたのは呪詛返しの痕跡で間違いありません。マリア様の愛が呪いを解く以上の力を発揮したのでしょう」
魔女の言葉に国王は満足気にグウェンを見た。
「良い婚約者を見つけたな」
「はい、私には勿体無いほどの素晴らしい女性です」
グウェンは立太子が確定し、立太子式の二ヶ月後にはマリアとの結婚が予定されている。
「そんな弱気なことを言っていると、メルダ侯爵が娘を手放さなくなるぞ」
マリアは両親と仲直りし、侯爵夫妻は今まで表には出せなかった分の愛情をマリアに注いでいた。
「それは困りますね」
グウェンは苦笑しながら考える。
いつになく国王が上機嫌で軽口を叩くのは、本当は辛い気持ちを隠すためなのではないかと。
そう、今日は第二王子のソナが国外追放されるその日だった。ソナの横領はリィナに唆されたためという理由から従来より罪が軽くなったが、それでもこの国に居続けることは許されなかった。
「父上、お会いにならなくて良いのですか?」
「…なんの話だ?」
グウェンも弟のことは残念に思っているが、それでもこの国の長として父が厳格であろうとしている気持ちもよく分かっていた。
「いえ、何でもありません」
せめて、弟がこの先どこかの国で幸せに生きられるようにと、グウェンは心の中で祈ったのだった。
***
「お、そ、い!」
隣国の関所近くの町で、ソナを出迎えたのは見慣れた顰めっ面だった。
「仕方ないだろ、裁判とか調査とか色々あったんだよ。これでも兄貴の立太子の前にってことで急ピッチで追放されたんだぞ」
「私は暇すぎて死にそうだったんだから」
暇だったという割には、美しい銀髪はさっぱりと肩口で切り揃えられ、身に纏っているどこかの定食屋の制服も着慣れていて、すっかりこの街に馴染んでいる様子である。
「はいはい、お待たせして申し訳ありませんでしたね、王女殿下」
月夜の晩、リィナが決意したのは死んだふりをしてノア王国の監視下から逃げ出すことだった。そのために家族からも嫌われる存在になり、死ぬ前の暴挙と死んだという事実に疑問を抱かせないように、我儘で頭の悪い令嬢を演じてきた。
断罪の日、窓から飛び降りたリィナを下で待っていた魔女が魔法で受け止め、用意していた替え玉の死体と入れ替えたのだ。
魔女の方もグウェンが見つけた死体は全く別人のもので、リィナとソナが手引きして塔から脱出していた。
「リナリア様にその口の利き方は何ですか!貴方はもう王子でも何でもないのよ?」
リィナと同じ定食屋の制服を着た魔女がソナにお玉を向けて注意する。
「クロエは今休憩時間じゃないでしょ、何してんの」
リィナの言葉に魔女―クロエは慌てて言い訳する。
「ちょっとお手洗いに出たらそこの無礼者を見かけたものですから!」
「お玉持って、お手洗いに?」
「すぐ仕事に戻ります!」
走り去って行くクロエを見てソナは苦笑した。
「ずいぶん楽しそうだな。この街に住むのか?」
「しばらくは。でもお金が貯まったら世界を見て回ろうと思うの。もちろん、ソナも一緒に来るんだよ?」
死んだフリをして逃げるだけならこんな手間はいらなった。
『やることないなら、私と心中する?』
そう言った時、うるさいくらいに心臓が鳴り続けた理由をリィナはもう知っている。
『ご覧、あの方がソナ殿下だよ』
5歳の誕生日を迎えたばかりの夏、避暑に行った先で見かけた綺麗な王子様。
『マリアの結婚相手になるかもしれない方だ。覚えておきなさい』
父が姉に言った言葉を聞きながら、リィナは内心で呟いた。
(いいなあ、おねえさま)
あんなに綺麗な王子様と結婚できるなんて絵本みたいだ。
8歳の時、初めて会って話したソナは、素直で心も綺麗な男の子だった。
(綺麗で優しい王子様。どうやったら私のところまで落ちてきてくれる?)
12歳の時、一世一代の賭けに出た。
『お前と一緒に死んでやる。その代わり、父とノア王国のことを許してやってくれ』
彼はやっぱり、優しすぎる少年だった。
「何で確定事項なんだよ。まあ、お前といるのは面白いから別に良いけど」
ソナのこんな一言にリィナがどれだけ喜んでいるか。
「そうと決まったら、お金稼がなきゃ!私とクロエと一緒に定食屋で働く?」
「俺、料理なんかできないぞ」
「大丈夫!皿洗いだけのバイトもあったから」
街の中で一番制服が可愛い定食屋を選んで働いてる理由とか。
「なんかお前楽しそうだな」
「ソナ殿下がどれくらいドジるか楽しみで」
一緒に生きていける日をどれだけ待ち望んでいたかさえも。
(君は、何も知らない)
これにて完結です!
『可愛い妹ばかり溺愛される系の話の妹』ってどう短く言えばいいんですかね?
『悪役令嬢』的な通称が欲しいなあと思いました。