3.彼女は全て知っている
違和感に気づいたのは5歳の時。姉のマリアと一緒に雪遊びをしていて、翌日熱を出したことがきっかけだった。
「どうして、リィナに雪遊びなんかさせたの!」
リィナ付きの侍女はひどく怒られていた。
「申し訳ありません」
ベッドで横になるリィナの耳に、侍女の謝る声に混ざってマリアが侍女を庇う声が聞こえてきた。
「エレナは悪くないの!私がリィナに雪うさぎを見せてあげたかったから、お願いしたの」
「マリア、リィナはまだ幼いの。危ない遊びをさせないで」
「でも、お母様…私が5つの時は雪遊びをしたわ。次の日に熱も出たけどすぐ治ったし」
「リィナはダメなの。あの子は…赤ちゃんの頃とても体が弱かったから心配なのよ」
アトリアは何か言い訳を考えるように逡巡しながら言葉を紡いだ。
一度気づいてしまえば、おかしなことはいくつもあった。
ほんの少しの怪我でも慌てふためく母、ご機嫌を取るように玩具を買い与える父、姉は侯爵令嬢として厳しい教育を受けているにも関わらず、自分には家庭教師すらつかない。
「お母様、なぜお姉様には先生がいるのに私にはいないの?」
「リィナはまだ5歳でしょう。お勉強するにはまだ早いわ」
「でもミス・アビーはお姉様が5歳の時にうちに来たって言ってたよ」
姉の家庭教師から聞いたことを母に伝えると母は困ったように微笑んだ。
「そうねえ、じゃあリィナにも先生をつけましょうか」
そうしてリィナにつけられた家庭教師はコゼットと言って、若くて美しく優しい先生だった。
しかし、コゼットは簡単な礼儀作法だけを教えてくれて、あとはずっと遊びかお茶の時間だった。
6歳になったリィナはコゼットに強請って、両親には内緒で読み書きを教えてもらった。姉は4歳の時には絵本を自分で読めたというのに、リィナは6歳になっても自分の名前すら書けなかったからだ。
そして、文字が読めるようになったリィナは姉の部屋からこっそり本を拝借し、両親にバレないように読み耽るようになった。
マリアの部屋に忍び込むことにだいぶ慣れてしまったリィナがある日油断しきって借りる本を選んでいると、掃除をしにきたらしいメイドが二人部屋に入ってきた。
(あっぶなー)
リィナは咄嗟にクローゼットの中に隠れる。
「相変わらずマリアお嬢様のお部屋は綺麗ねえ。私たち仕事がないくらい」
「マリアお嬢様って本当に手がかからないのね。だから、奥様はリィナ様にかかりきりなのかしら?」
「それがね、実は他の理由があるらしいの」
「他の理由?」
「そう。リィナ様って旦那様にも奥様にも似てないでしょ?だから、リィナ様は奥様の浮気相手の子なんじゃないかって」
「まさか!」
「リィナ様がお生まれになった時ってアリエラとの戦争が終わった直後でしょ?奥様はご実家に避難されてて…いつ妊ったのか不思議じゃない?」
「確かにそうね」
「きっとご実家の方に、幼馴染で初恋相手だけど身分差で結婚できなかった銀髪の美青年がいるのよ…!だから奥様は初恋の君との子であるリィナ様を溺愛してるの」
「ちょっと、想像力豊かすぎ」
メイド達は笑い合っていたがリィナは目から鱗が落ちる思いだった。
(私はお父様の子どもじゃないってこと?)
その時リィナは齢7歳であったが、姉だけでなく使用人の部屋に忍び込んで大衆小説やゴシップ新聞を勝手に読んでいたため、かなりの耳年増だった。
(信じられないけど、それなら納得できる)
リィナが侯爵の血を引いていないのなら、侯爵令嬢として教育を受けないのも当然だ。
メイド達が掃除を終え出て行くとリィナはクローゼットから出て決意を固めた。
(私の生まれを調べよう)
リィナは思いついたことを確かめずにはいられない性質だったのである。
しかし、侯爵家中、そしてアトリアの実家である伯爵家中を調べ回っても母の浮気を匂わせるような情報は出てこない。それどころか、リィナが生まれた年の記録は一切残されていなかった。
(不自然に記録がないってことは、やっぱり私の出自には何かやましいことがあるはずなのに、これ以上は調べようがない)
自分の出生の謎が明らかにならないことに苛立ちながら、今まで見てきた記録を思い出したリィナはあることに気づく。
(そういえば、うちにも伯爵家にもアリエラ王国に関する書物や記録が一切なかった)
アリエラ王国は先の戦争で滅び、今は全てノア王国の領土となっているとはいえ、隣国に関する書物が一切ないなんてことがあるだろうか。
(誰かに見せたくない何かが、アリエラ王国に関する書物にある)
次はアリエラ王家について調べようと思ったリィナだったが、どうやって調べればいいのか見当もつかない。
(街の本屋に行けばあるのかな?でもこっそり家を出るのはさすがに難しい…)
「リィナ、どうしたの?ぼんやりして」
食事中まで考え事をしていたリィナはアトリアの声で我に返る。
「な、なんでもないの」
「急に王子殿下が来ると知ったから驚いたんだろう?」
「へ?うん、そう。びっくりしちゃった」
なんの話だと思いながらニコニコ話を合わせていると、どうやらマリアと第二王子の縁談が持ち上がっており、第二王子が侯爵家へ来ることになったらしい。
(王子様かあ…アリエラ王国についての本とか鞄に詰めて来ないかな)
リィナの希望とは裏腹に、第二王子は綺麗な花束だけを持って侯爵家にやってきた。
「お初にお目にかかります。メルダ侯爵家長女、マリアと申します」
マリアは11歳とは思えない素晴らしいカーテシーを披露する。
「あ、その初めまして…。だ、第二王子のソナです」
金髪に青い目をしたソナは緊張しているのかタジタジだった。
その後もお茶をこぼすわ、カップを割るわ、話せば噛むわ、ソナはやることなすこと空回っていた。
「すみません、お手洗いに…」
ソナはそそくさと応接室を後にした。
その様子を隣の部屋からこっそり覗いていたリィナがソナの跡を付けると、ソナは廊下で蹲ってしまう。
「どうしたの?大丈夫?」
リィナは護衛に見せつけるように無邪気な子供らしい声でソナに話しかけた。
「お腹が痛くて…」
「大変!テオドール先生の所に行きましょう」
リィナはソナの手を引き医務室へ連れて行く。
テオドールは侯爵家の専属医で、屋敷内に部屋を持っている。
「先生!王子様のお腹が痛いの!」
リィナが部屋に飛び込むとテオドールは目を丸くしたが、すぐにソナを診てくれた。
「きっと慣れない家で緊張したんだろう。どれ、薬を飲みやすいように白湯を持ってきてあげようか。リィナ様、殿下と一緒にいて差し上げてくれますかな?」
「うん!」
護衛騎士は王子に気を遣ってか、部屋の隅で待機している。それを横目で確認したリィナは小さな声でソナに話しかけた。
「ねえ、どうしてそんなに緊張してるの?あなたは王子様なんでしょ、侯爵家相手に気を張る必要なんてないのに」
「僕はダメな王子だから。兄上みたいになんでも完璧にできないし、だから貴族達にも馬鹿にされるんだ。でも頑張ろうと思えば思うほど周りの目が気になって失敗してしまう」
ソナはリィナと同じ年だという。5つも年上の相手と比べる貴族が悪いのだが、まだ子どものソナは自分が悪いと思い込んでいた。
「どうして馬鹿にされるのが嫌なの?」
「そりゃあ、傷つくからに決まってるだろ。あいつらの目を見てると心臓の辺りがキリキリする」
涙目でそう訴えるソナにリィナはニッコリ笑った。
「ならいい方法を教えてあげる」
リィナの言うことを半信半疑で聞いていたソナだったが『この方法がうまく行ったら、ソナ王子が持ってるアリエラ王国に関する本を貸して』と自信満々で持ちかけてきたので、渋々納得した。
そして、婚約者であるマリアとはほぼ言葉を交わすことなくソナは侯爵家を後にしたのだった。
***
半年後、久々に侯爵家にやってきたソナは随分性格が変わっていた。
「やあ、マリア。久しぶり」
お行儀悪くソファに深く腰掛けて軽い挨拶をするソナにマリアは引いていたようだった。
「僕はイチゴは好きじゃない。それくらい調べておいてほしいな」
ふんと鼻を鳴らすソナに聞き耳を立てていたリィナは爆笑しそうになった。
しばらくするとソナは手洗いに立った。
「お前らはついてくるなよ。いつまでも子供扱いされたくない。ついてきたらクビだからな」
ソナが護衛騎士にそう言い放ったのを聞いてリィナはこっそりと隣の部屋から出る。
「久しぶり。ねえ、アレ誰の真似なの?」
廊下でソナを捕まえて部屋に引っ張り込んだリィナはニヤニヤ笑いながら聞いた。
「前に行った芝居で見た悪徳貴族の真似。急に引っ張るなよ…心臓が止まるかと思った」
リィナがあの日ソナに提案したのは、愚者のフリをすることだった。ソナが王子として認められたい、もしくは実力をつけたいと思っているのなら簡単にはいかないが、『馬鹿にされて傷つきたくない』のなら話は早い。最初からワザと愚かに振る舞っていれば、何を言われても自分自身が否定された訳ではないから傷つかないで済む。
「約束の物は?」
「上手く行ったこと前提なの?」
ソナは呆れた目でリィナを見た。
「じゃなきゃ半年も続けないでしょ?」
「まあね。はい、とりあえずこれ。まだ何冊もあるけど全部は持ってこれなかったから」
ソナは服の下に隠していた一冊の本をリィナに手渡す。
「次はお姉様への贈り物にでも忍ばせて一気に持ってきて」
「僕、一応王子なんだけど…」
ソナはリィナの太々しい態度に苦笑した。
その晩、ソナに借りた本をパラパラとめくっていたリィナはある記述に目を止めた。
『アリエラの王族は代々金色の瞳を受け継ぐ、見目麗しい一族で…』
「金色の、瞳」
両親も祖父母も、もっと上まで遡っても誰も持っていない色の目。ノア王国内の貴族図鑑にさえ、金色の瞳の一族はいなかった。
アリエラ王国が滅びたのはリィナが生まれたのと同じ年だった。
それからリィナはソナの手も借りて、自分がアリエラ王族の生き残りであると確信するに足る情報を集めた。
(私が死ねば第一王子が死ぬ。だから、お父様とお母様は必要以上に過保護なんだ)
そして、リィナに余計な知識も力もつけさせないために教育も社交も制限し、そのことに疑問を抱かせないよう甘やかす。
(これじゃ飼い殺しね)
美しい満月を眺めながらリィナは考え込む。
(ただ生きて行きたいならこのまま何も知らないフリをすれば良い。でも、私は一生監視されて生き続けるなんて嫌だ)
それに、第一王子の呪いがいつ解けるかも分からない。呪いが無くなればリィナは用済みだ。
(きっと殺される…そうか、殺される前に死ねばいいんだ)
リィナは窓を開けてバルコニーに躍り出た。
「そっか、そっか!よーし、死ぬぞー!」
楽しげに笑いながらバルコニーでくるくると回り出したリィナを照らす月は優しく輝いていた。
おまけ 登場人物紹介
リィナ
アリエラ王国第七王女
銀髪に金色の瞳。小柄な美少女。
周りをよく見ており、人の思考や行動パターンを分析するのが得意。そのため、大人を舐めてかかっている節がある。
ソナ
ノア王国第二王子
銀髪に青い目。女の子に間違われるほどの美少年。
気が小さく、周りの言うことを全部正面から受け止めてしまうので、王には全く向いていない。
リィナの言うことを実践して効果があったのも、ほぼ思い込みによるプラシーボ効果の賜物。