全力で兄を誘惑する所存です。
侯爵家のアイドルことルペチアーノ家次男のアンディは、奇跡だと言われる難病風邪からの生還を果たした。
アンディの兄、サンドレアは齢三歳になる愛弟のバラ色に染まった頬にそっと手を添えて、涙を一筋流した。その涙を目撃したことで、生き延びたというのに走馬灯のように駆け巡る記憶の波を経験し、アンディは突然ベットから跳ね上がり思わず心の中で叫んだ。
『(まさかのアンディになってしまった!!!)』
と。
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恋愛小説『薔薇の花が散り行く刻』。
一人の平民上がりの女性が権力の中心を担う人物を次々堕としていき、貴族社会で成り上がりやがて国を崩壊に導くのを主人公の男が全力で阻止しようとする話だ。主人公のアランは病弱な第二王子と結託し、貴族たちを誑かす女=キャスタリテの陰謀を暴くと共に、最後は無事に国を守り切り結ばれるという物語になっている。
そしてどうやら先ほどまで高橋という成人男性だった自分は、その物語に登場する侯爵家の次男、アンディに転生してしまったことを理解した。
しかしアンディは作中すでに死んでいるという設定だった。突如国中で流行った致死率99%の難病風邪で。そしてすぐに今自分が置かれている最悪な状況に気づく。
「(俺んち、没落するやん・・・・・・)」
何故ルペチアーノ家が危機に瀕しているのかというと、それは長男のサンドレアに原因があるのであって、それのさらに奥にはアンディに責任があるのだった。
最愛のアンディを亡くしてしまい生きがいを見つけられなかったサンドレアだったが、第一王子に導かれ、彼の従者として新たな目標を追うことを決心する。そんなサンドレアは生きる意味を与えてくれた主人に行き過ぎた敬愛を抱いていた。そんな折、第一王子の通う学園に見目の美しい平民上がりの女が入学してくる。
心根の優しい彼女に王子は心を奪われるが、裏で公爵家のアランと第二王子が彼女を狙っていることを知り、サンドレアは秘密裏に第二王子の暗殺を計画するのだがアランにバレて、処刑されるのであった。
更に言うと、サンドレア自身キャスタリテに心を惹かれていた。それは彼女がアンディに重なったからだった。
作中で書かれていたように、髪色や愛らしさなどどことなくアンディに似ており、それも手伝って彼女を排除しようとしていた主人公たちのことが許せなかったのだろう。
アンディは桃色の猫っ毛で、目は丸く年齢よりも幼い印象を抱かせる。身長は同世代の子どもよりも低く身体は華奢。成長しても中性的で性別の判断がつきにくくなりそうな、そんな予感を抱かせる容姿をしていた。
簡単に言うと、可愛いのだ。
「アンディ、そんなに長時間起きていたら身体に障るぞ。もうしばらく寝ていなさい」
そこまで物語を思い出していると、ふと扉付近でサンドレアの静かな声がした。見ると、召使いから受け取ったのかティーカップの乗った皿を手にしていて、その優しげな笑みは欠点がないくらいの美しさ・・・・・・。
手渡された紅茶をゆっくり飲みつつ、愛らしい者を見るような目で自分を見つめるサンドレアを尻目に、アンディは未来に思いを馳せた。
まず難病風邪から生き延びたことで前提は覆った訳だが、キャスタリテとは出会うだろうし、そこで兄が心を奪われない保証はない。もしあの悪女に心を奪われたら、アンディ共々ルペチアーノ家は塵と化すだろう。そんな恐ろしい目には絶対遭いたくない。今回は老人になるまで生き延びたいものである。
それならば、自分がキャスタリテよりもサンドレアにとって魅力的な存在になれば、自分の助言なども聞いて貰えるかもしれない。そして自分は第一王子にも魅力で勝つ必要がある。
そのためには・・・・・・
「あんでぃー、しななくてよかった。しんじゃってたら、だいすきなおにーたんとあえなくなっちゃうから・・・・・・」
小さな手で兄の手をぎゅっと握り、目をうるうるとさせわざと舌っ足らずさを演出して発声した。次の瞬間、サンドレアはまるで心臓を打ち抜かれたかのような仕草をし、頭を抱えて悶え苦しんだ。
アンディ三歳、これから俺は全力で兄を誘惑する所存です。