淘汰された追放シリーズと再び流行り廃れるざまあ系
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前作です。読みたい方はどうぞ
皆様お久しぶりです。若しかしたら初めましてやもしれません。摂津介です。今回は、暫く前に投稿しました『もう遅い。系タイトルの考察』という名の考察でも何でも無いような物の続き的な物であれば良いなと思っています。
個人的な意見ですが、本文中の頭に前書きを書くエッセイ作者の方々多数いらっしゃいますよね。真似してみました。どうですかね?
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本編に入りたいと思います。正直な話、このエッセイ書く気自体あまり無かったのですが、まあ、皆さん見ての通りランキングからほぼほぼ一掃されましたよね。だから一応、そんな前作を書いた物ですから続けた方が良いのではという所謂惰性で構成されるだろうと思います。予めご了承下さい。
さて、本題ですが、当時私が批判をするために書いたエッセイが多く読まれた時期(つまり書いた時期)には「総合・異世界及び現実恋愛系・ハイファンタジー系・転生型恋愛系・転生型ハイファンタジー系」を【追放されて見返し、ざまあをする】というある種のステレオタイプ化したテンプレートで覆い尽くされたかと思われます。勿論、当時なろうには居なかった新規の方や、永らく離れていた方々もいらっしゃると思います。今のエッセイランキング上位者(1~100位)の方々の中にも探せば若しかしたら批判されている方がいらっしゃるかもしれませんね。確認してないので知ったところではないのですが。そして、正直に申し上げると死ぬほど興味がないのでどうでもいいですね。
本題に戻して、当時流行った追放ざまあ系とでも言いますか、(ここでは長くなりそうなので今後にTZ系と置き換えますが、)それがランキングが圧倒した時、「長ったらしいタイトルだけの作品が溢れてつまらないなあ。良い検索方法はないものか。」と私自身感じて前作を書きました。正直、前作見なくて良いです。時代には抗えないので、寧ろ、見るべきではないんじゃないですかね。
正直に言って、今も昔もタイトルで作品判断するしか術はございません。読んだら終わり。時間の消費です。皆さんは浪費と消費どちらが好きですか?私はなろう小説を読む時間を基本的には浪費ではなく消費だと考えて読んでいます。消費でもこんなエッセイ書けるんですよ。すごいですね、なろうって。
これ、淘汰されたのは幾つかのパターンがあるとは思うのですが、一つは消費者つまり読者側の飽き。これ大きいですよね。私自身エッセイしか書く気起きないですし、感想も出さない基本誤字脱字報告専なのですが、まあ飽きますよね。人間ずっと一作に集中して、熱中して推すなんてことしないと思います。まして選択肢が豊富にあるなろうですから、目に見えることですよね。
飽き対策って不可能なんです。連載作品が季節行事毎に、例えばクリスマスになったのでクリスマスSS出しました。みたいなちょっとした季節を絡めて話の流れをぶった切るみたいなことしかファンタジーは出来ないし、恋愛系は季節行事を行うには、関係なく時間を流していって、好きなタイミングで行うか、現実に合わせて時間を進めるかしか無いんですよね。
マンネリってとても恐ろしい現象で、且つ既視感って拭いきれないんですよね。これ、現実でも起こりうるからなろうで起こってるんです。夢に見たことを現実空間で行って、違和感を感じるなんてことを経験した方はいらっしゃると思います。
次のパターンは、作者の飽きです。これは、伸び悩みやブックマーク、評価数の少なさから来る恐らく虚無感や劣等感などでしょう。若しかしたら嫉妬心からの悟りかもしれません。所詮人間そんなもんです。諦めて下さい。
ここまで殆どタイトルに関係してない気がしますが、無視して下さい。
TZ系小説って、唯々見返すことを目的とするので、季節感云々が存在していない乃至存在する意味が無いと思うんです。だから書いてる側も読んでる側も面白くないと感じていってしまうのではないでしょうか。飽くまで、私自身が読んできた追放系は季節感とオサラバしていたので感じる部分が顕著だったのかもしれませんが。その辺の判断は皆さんにお任せしようと思います。
続いてですね、ざまあ系なんですが、再び流行ると題したものの、常に恋愛物ではざまあが定番となっていますし、ファンタジー系ではちょっとした副要素として紛れ込まされていたりします。なので、再びという表現は微妙なところではあるとは思うのです。あと、正直なところ、ざまあ系って否定する必要はないですよね。というか、異世界恋愛モノからざまあ要素を取り除いたらいくら異世界でも許されない越権行為に塗れた事実確認をしたことがない人たちの悍ましい作品群になると思います。というか成る。成らない方が不自然なくらい権威や中世貴族の権力を知らない日本人の妄想癖を拗らせたモノだらけですから。
でも、ここのサイトの作者さん方は、恋愛モノにはざまあがないといけないというステレオタイプに嵌まってる方々が多数存在していらっしゃるようなので、自由にして下さいと思っております。ただし、個人的には「ざまあ系は廃れきる」と思っています。それが何年先になるかは知りませんし、予想自体する必要の無いことで、無駄なことでしかないです。廃れると何故言えるんだこの糞野郎と思う方もいらっしゃるでしょう。いや、まあ、作品を書いている皆様や一作でも読んだ皆様なら分かると思うのですが、ざまあの匙加減って作者次第すぎて微妙だと思うときと、ざまあの理由の詰めが甘くて無茶苦茶なことしてるなあとか、なんだこの主人公考えなしの朴念仁すぎるぞ馬鹿じゃねえかふざけんな話すすまねえじゃねえか、等々の意見抱いただろうと思います。中には、しっかり練られたものもあるかもしれませんが、大部分は【浮気】→【上塗り】→【元カノ・元彼/元婚約者/パーティメンバーがやつれていく/浮気される】→【主人公は今カノら等々といちゃいちゃ】の流れですよね。なにか感じるかはお任せしますが、私自身テンプレートは悪くないと思います。テンプレートを否定したら独創性だけで物語を書けなんて言われても、文字だってテンプレートですから、無理ですよね。ただ、オリジナリティを消して数稼ぎしてるだけの小説って書いてて面白いんですかね?私は連載作品を書いたことがないので分かりませんが、何か義務感だけでやってるなら、意味ないですよと言いたいわけです。
ざまあ系が廃れるのは、社会の風潮次第なところがあります。景気が良くなったり、収入が増加したり、税が少なくなったり等々。恐らく追放ざまあが流行ったのは新型感染症によるストレスの矛先が向いただけだろうと予測します。だから一時的に流行り、落ち着いたと言えるでしょう。ただ、ざまあ単体は暫く残りつつけるでしょう。でも、いつの日か皆さんに心の余裕が出来た日には消えていくテンプレートとなる。私はそう考えています。文化や思想は時代と国が作ります。我々一個人程度ではどうしようもないものです。でも、心の余裕を捨て去ったとき、再び追放ざまあが這い上がってくるでしょう。追放ざまあは社会を表したものでした。二度と大々的に取り入られることのない要素であって欲しいものです。
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作者後書きをここに書かせて頂きます。
皆様お読みいただき有り難うございます。こんなチンケなエッセイを見に来る物好きな方々には感謝申し上げます。反省点として、主題がブレブレというのがあります。何も考えずに書き始め、日を跨いだ為に考えていたプロットが崩壊したというものでした。ですが、この読みづらい作品をここまで読めた貴方は凄い人です。これでこの系列のエッセイ終わればいいな。