4の11「下見と頓挫」
浴室の事件の、翌日。
大神殿内の教室。
クリーンは、教師のレディスから、個別授業を受けていた。
アシュトーに負わされた傷は、既に癒えていた。
神殿には、治癒術の使い手が多い。
十分な治療を受けられた。
だから、体調に問題は無い。
だが、その顔は、どこかぼんやりとしていた。
レディス
「つまり、この場合の受け答えとして、正しいのは……」
クリーン
「…………」
レディス
「ノンシルドさん。聞いているのですか?」
黒髪黒衣の老婦人が、身の入らない様子のクリーンを、咎めた。
クリーン
「あっ……ごめんなさいです」
クリーン
「ちょっと、ぼんやりとしてしまって……」
レディス
「いけませんよ。そんなことでは」
レディス
「聖女の試練は、もうすぐそこまで、迫っているのですから」
クリーン
「はい。その通りなのです」
クリーン
「集中します。全力でやるのです」
レディス
「……続けますよ?」
クリーン
「はい。……頑張れ私!」
クリーンは、自分の両頬を張った。
気合を入れるためだ。
ぴしゃりと小気味良い音が、教室に響いた。
レディス
「はしたない。減点です」
クリーン
「えっ?」
……。
その日の授業が、終わった。
教師のレディスは、大神官ニトロの部屋を訪れた。
クリーンについて、報告をするためだった。
彼女を大神殿に受け入れたのは、ニトロだ。
彼女に対する責任も権利も、ニトロが有していた。
レディス
「失礼します」
ニトロ
「うん」
黒衣の老婦人は、机を挟み、大神官と対面した。
ニトロ
「彼女の様子は、どうかな?」
レディス
「逸材かと」
ニトロ
「君が、そこまで言うほどなんだ? 彼女は」
レディス
「授業を始めた直後は、腑抜けた感じでしたけどね」
レディス
「一度注意をすると、集中するようになりました」
レディス
「それからは、驚くべき速度で、知識を吸収していきました」
レディス
「それだけに、惜しいですね。あと三ヶ月というのは」
ニトロ
「間に合わないかな?」
レディス
「はて」
レディス
「他の候補が間に合っているとは、私には思えませんが」
レディスは、他の聖女候補にも、授業を行ってきていた。
その中に、及第点と言えるレベルの生徒は、滅多に居なかった。
皆が特別に、不まじめというわけでは無い。
多くの生徒は、ほどほどには出来ている。
だが、聖女とは、選ばれし者が就く役職だ。
ほどほどでは困る。
レディスはそう考えていた。
ニトロ
「手厳しいね」
ニトロは聖女に対し、そこまでの思い入れは無い。
問題さえ起こさなければ、それで良いと思っていた。
レディスとの間に、明確な温度差が有った。
レディス自身も、温度差に気付いていた。
彼女は、ため息をつきたくなったが、ぐっと堪えた。
優雅で無いからだ。
レディスは背筋を伸ばしたまま、言葉を継いだ。
レディス
「教養よりも、品格よりも、『力』有ることが求められる」
レディス
「なんとも、やりがいの無い話です」
ニトロ
「仕方の無いことだ」
レディス
「事情は分かりますけどね」
ニトロ
「迷宮の魔獣を、王都へ溢れさせるわけにはいかない」
レディス
「仰るとおりです」
レディス
「ですが、楽しくはありませんね」
ニトロ
「…………」
ニトロ
「彼女の教育だが、明日は休みにして欲しい」
レディス
「時間が無い。そう言ったはずですが?」
ニトロ
「彼女は未だ、パワーレベリングを受けていない身だ」
ニトロ
「先日に、候補同士のいざこざがあって、彼女は負傷した」
ニトロ
「小競り合いだが、レベル差が大きいと、冗談では済まない」
ニトロ
「身の安全のためにも、早くレベルを上げさせる必要が有る」
レディス
「そもそも、そのようないざこざが有ったというのが、如何なものかと思いますがね」
レディス
「過剰な拝金主義と、実力偏重主義」
レディス
「それらが歪に折り重なって生まれた、醜悪です」
レディス
「正気ですか? 候補二人を負傷させて、特にお咎めも無しというのは」
ニトロ
「彼女のバックボーンを考えると、仕方の無いことだ」
レディス
「腐りきっていますね」
レディス
「商会の連中、何を考えて……」
ニトロ
「さあね」
ニトロ
「ただ、彼女は強く、神官長は黄金色のクッキーが、お気に入りだ」
レディス
「…………」
レディス
「全て葉っぱに変わってしまえば良いのに」
レディスは毒づいた。
彼女の振る舞いは、悪意の中ですら、優雅さが満ちていた。
……。
大神殿にある、イーバの個室。
そこへ、トリーシャとマギーが駆け込んできた。
室内には、イーバの姿が有った。
彼女はテーブル脇の椅子に、腰かけていた。
彼女の手中には、ティーカップが有った。
カップの中では紅いお茶が、湯気を立てていた。
トリーシャ
「イーバ様!」
トリーシャは、強くイーバに呼びかけた。
イーバは彼女に対し、不快さを露わにした。
イーバ
「騒々しい」
トリーシャ
「あっ……。申し訳有りません」
イーバ
「それで? どうしたの?」
マギー
「その……クリーン=ノンシルドの件なのですが……」
イーバ
「話しなさい。早く」
トリーシャ
「アッハイ」
トリーシャ
「彼女は明日、神殿騎士によるパワーレベリングを受けるようです」
イーバ
「そう。新入りだものね」
イーバ
「それで?」
マギー
「彼女の留守に、こっそり部屋に忍び込んで、グチョグチョにしてやるというのはどうでしょうか?」
イーバ
「ん……」
マギーの提案に対し、イーバは思案する様子を見せた。
イーバ
「……どうかしらね」
イーバ
「パワーレベリングの回数は、限られているわ」
イーバ
「せっかくの機会、その程度で済ませて良いものかしら……」
トリーシャ
「それでは何を……?」
イーバ
「……そうだ!」
イーバ
「パワーレベリングに参加する騎士が誰か、調べてきなさい」
トリーシャ
「分かりました!」
マギー
「行ってきます!」
二人は駆け足で、イーバの部屋から出て行った。
残されたイーバは、悪女の笑みを浮かべた。
イーバ
「ふふふ……」
イーバ
「私に楯突いたこと、後悔するのね」
……。
大神殿の南方。
サトーズの宿屋。
ヨークたちの部屋。
早朝。
ミツキ
「…………」
ミツキはベッドに横たわり、目を閉じていた。
まだ眠っているようだった。
ミツキのそばで、ヨークが体を起こしていた。
いつもより早めに、目を覚ました様子だった。
ヨーク
「起きろ~」
ヨークはミツキの体を、揺さぶった。
ミツキ
「んっ……んぅ……」
体をゆさゆさと揺られ、ミツキは目を開いた。
ミツキは、壁の時計を見た。
まだ、無理に起こされるような時間ではない。
そのように思われた。
ミツキ
「……何ですか? 朝から」
ヨーク
「今日さ、迷宮に行く前に、寄りたい所が有るんだ」
ヨーク
「だから、ちょっと早めに出ようぜ」
ミツキ
「……分かりました」
ミツキ
「けど……もう5分……こうして……」
ヨーク
「分かった」
ミツキは眠そうに、目を閉じた。
ヨークは、彼女の隣に寝転がった。
ミツキ
「ん…………」
ミツキはヨークに、しがみついた。
ヨークは愛おしそうに、ミツキの頭を撫でた。
……。
1時間後。
サトーズ
「行ってらっしゃいませ」
ヨーク
「行ってきまーす」
2人はいつもより早く、宿屋から出発した。
外へ出ると、通りが混雑しているのが分かった。
ヨーク
「あれ? いつもより人多いか?」
ミツキ
「この時間帯は、職場に向かう人が多いのでしょう」
ヨーク
「早いなあ」
ヨーク
「ナマケモノか。俺たちは」
ミツキ
「そうですね」
ヨーク
「ほら」
ヨークはミツキに、手を伸ばした。
ミツキ
「はい」
ミツキはヨークの手を取った。
2人は手をつなぎ、通りを歩いていった。
2人の足は、北へと向けられていた。
ミツキ
「どちらへ?」
ヨーク
「それは、着いてのお楽しみだ」
ミツキ
「この方角だと……大神殿が有りますね」
ヨーク
「あっ」
行き先を、言い当てられてしまったのだろう。
ヨークは、しまったといった感じの表情を浮かべた。
ミツキ
「……すいません」
ヨーク
「…………」
ミツキはちらりと、ヨークの表情をうかがった。
ミツキ
「怒ってます?」
ヨーク
「怒ってません」
怒ってないらしかった。
それからヨークは無言になった。
2人は無言のまま、歩き続けた。
やがて、大神殿が見えてきた。
正面口から中へ入り、礼拝堂へと歩いた。
2人は荘厳な礼拝堂の、中央に立った。
きらびやかな宗教美術が、2人を包み込んだ。
ヨーク
「……綺麗だろ?」
ミツキ
「はい。ですが……どうして?」
ヨーク
「下見だ」
ミツキ
「え?」
ヨーク
「ここで結婚式を挙げよう」
ヨーク
「王都だとさ、ここが一番人気らしいんだ」
ヨーク
「けっこう値が張るらしいんだけどさ、今の俺たちなら払えるって」
ヨーク
「……また駄目か?」
ヨークは困った顔で、ミツキの反応を待った。
ミツキ
「惜しいですね」
ヨーク
「そうか」
ヨーク
「キラキラしてるから、良いかなと思ったんだが」
ミツキ
「私は第三種族です」
ミツキ
「新しい教えによれば、魔族は許され、人族と平等の権利を与えられたとされています」
ミツキ
「ですが……私たちは違います」
ミツキ
「人と同じ扱いをされない、獣の一族です」
ミツキ
「人々が崇める神は……私たちを祝福してはくれません」
ヨーク
「神なんか、気にすんなよ」
ミツキ
(神殿で言うことでは無いと思いますが……)
ミツキ
「そもそも、許可が下りませんよ」
ミツキ
「第三種族が結婚式を挙げたと知られれば、大神殿のブランドに傷がつきますからね」
ヨーク
「なんだとぉ……」
ミツキ
「凄んでも、ダメなものはダメです」
ヨーク
「そういうもんか」
ミツキ
「そういうもんです」
ヨーク
「……悪いな。いつも考え無しで」
ミツキ
「いえ」
ミツキはヨークに、そっと体を寄せた。
そして両腕を、ヨークの背中に回した。
ミツキ
「あなたは強く美しく、そして温かい」
ミツキ
「小賢しさなんて、必要ありません」




