その5「クラスチェンジとレベルダウン」
アネス
「魔術を? どうして?」
ヨーク
「この辺、スライムが多いだろ? それで……」
ヨーク
「弱点とか突けたら良いかなって」
アネス
「あぁ……なるほど」
アネス
「昨日の大きなスライムを見てそう思っちゃったんだね」
ヨーク
「まぁ……」
アネス
「止めておいた方が良いと思うよ」
ヨーク
「どうして?」
アネス
「まず、魔術師になったら、剣士として必要な能力が大きく下がってしまう」
アネス
「一般に、魔術師が戦士並に剣を使いこなすには、三倍のレベルが必要だと言われているの」
アネス
「あなたたちは赤狼なんかと戦うことの方が多いでしょう?」
アネス
「スライムはあまり森から出てこないもの」
アネス
「そのまま剣士としての腕を磨いた方が、活躍出来ると思うよ」
ヨーク
「けど……」
アネス
「二つ目」
アネスは指を二本立てた。
アネス
「クラスチェンジをすると、レベルが大きく下がってしまうの」
ヨーク
「えっ?」
アネス
「知らなかった?」
ヨーク
「ああ」
初耳だった。
この村で誰かがクラスチェンジした記憶は無い。
クラスチェンジというものが、一応は存在する。
魔術を使いたいと思うまでは、その程度の認識しか無かった。
アネス
「中々クラスチェンジをする人が居ないのは、これが理由」
アネス
「ヨーくんの今のレベルは4だったよね?」
ヨーク
「ああ」
ヨーク
(本当は5だけど、誤差だよな)
アネス
「クラスチェンジしたら、2か1にまで、レベルが下がっちゃうと思う」
アネス
「頑張って上げたレベルが下がっちゃうのは嫌でしょう?」
ヨーク
「それでも……」
『敵強化』の可能性を追求するために、ヨークは魔術が欲しかった。
アネス
「三つ目」
アネスは三本指を立てた。
ヨーク
「まだ有んの?」
アネス
「有んのです」
アネスは腰に手を当て、胸を張った。
ヨークを諦めさせるため、威圧しているのかもしれなかった。
地味な容姿だが、意外と有る。
目の保養になる。
ヨークにはその程度にしか感じるものは無かった。
アネス
「三つ目は、装備の問題」
アネス
「昨日、ヨボおじいちゃんが杖を構えるのを見たでしょ?」
ヨーク
「ああ」
アネス
「魔術が十分な威力を発揮するには、杖の力が必要なの」
アネス
「けど、杖は剣より高くてね」
アネス
「あなたのために新しい杖を買うだけの余裕は、村には無い」
アネス
「これがあなたが戦士を続けた方が良い理由」
ヨーク
「杖……」
アネス
「ヨーくん?」
ヨーク
「えっと……ありがとう」
ヨーク
「参考になったよ。それじゃ」
がっかりとした気持ちを隠し、ヨークはアネスに背を向けた。
その後。
ヨークは自警団の仲間とともに、仕事をこなした。
日が沈むと、神殿の食堂で夕食を食べ、神殿内に有る自室へと戻った。
粗末なベッドに寝転がる。
ヨークが物心ついた頃には有ったベッドだ。
部屋には最低限の家具しか無い。
本棚にはボロボロの古本が大量に並べられている。
魔導印刷技術のおかげで、現代の本は高級品では無い。
二束三文の代物だった。
石積みの壁に開けられた窓は小さい。
ヨークの部屋からは金の匂いが一切しなかった。
ヨーク
(杖……か)
ヨーク
(今使ってる剣だって借り物なのに……)
ヨークは自警団の給金が入った袋を掲げた。
硬質の音が鳴るが、その中に金貨は一枚も入ってはいなかった。
ヨーク
(これっぽっちじゃ……どうしようもねえよなぁ)
そう思ってしまった。
その時、硬い音がした。
ごとり、と。
重い物が落ちる音だ。
ヨーク
「……?」
ヨークはベッドから体を起こし、音が聞こえた方を見た。
出入り口の扉の方だ。
棒状の何かが落ちているのが見えた。
ヨークはベッドから降り、棒状の物体に近付いた。
ヨーク
「これは……」
ヨーク
「杖……?」
それは金属製の杖で、先端には赤く光る石がはめられていた。
石の正体は魔石だろう。
ヨークの目にはそう見えた。
杖の傍には透明な小瓶も見えた。
瓶の中にはどろりとした液体が入っているのが見えた。
液体も魔石のように赤い色をしていた。
ヨーク
「こっちは……薬か?」
ヨーク
「どうしてこんな所に……」
ヨーク
「まさか、アネスさん?」
彼女の贈り物だろうか。
ヨークはそう考えた。
杖が欲しいという話は、アネス以外にはしていない。
他の人たちは知らないはずだった。
村の人たちはお喋りだ。
聞き耳をたてられて、噂になってしまった可能性も有るが……。
もしそうだとしても、他の人たちが、自分に高い杖を贈ってくれるとも思えなかった。
それに、杖が欲しいと思ってから、大した時間も経っていない。
行商人がやって来た記憶も無かった。
ヨークの話を聞いて杖を仕入れるなど、困難に思われた。
ヨーク
(神殿の備品か?)
ヨーク
(それなら話してくれても良さそうなもんだけど)
ヨーク
「直接聞いてみるか」
ヨークは杖と小瓶を拾った。
そして部屋を出て、アネスの個室に向かった。
ヨーク
「アネスさん」
ヨークはノックも無しに部屋の扉を開けた。
アネスは着替え中だった。
アネス
「ちょっと待ってね」
神官服から、ゆったりとした私服に着替える途中。
下着姿になっていた。
だが、ヨークに肌を見られても動じる様子も無かった。
ヨーク
「ああ」
ヨークはアネスの着替えが終わるのを待った。
ヨークも年頃だ。
アネスの肌に何も思わないわけでも無い。
だが、成人したヨークを未だに子供扱いしているのは、アネスの方だ。
いまさら女の扱いをする気分にもならなかった。
アネス
「なぁに? ヨーくん」
着替えが終わり、アネスがヨークの方へ寄ってきた。
ヨーク
「これを見て欲しいんだけど……」
ヨークは手に持った杖と瓶をアネスに見せた。
アネス
「それ……杖? それにこっちの瓶は……」
アネス
「これ、マジックポーションみたい。いったいどうしたの?」
アネスには心当たりが無い様子だ。
嘘をついているようにも見えなかった。
ヨーク
「誰かが俺の部屋に置いていったんだ」
ヨーク
「アネスさんかもと思ったけど、違うのか?」
アネス
「私はそんなことしないよ」
アネス
「いったい誰が……」
不可解だが、チャンスだ。
ヨークはそう考えた。
ヨーク
「分からないけど、俺、魔術師になりたい」
ヨーク
「この杖が有ったら魔術師になれるんだろ? だけど……」
ヨーク
「俺がこんな高い物持ってたら、盗んだと思われるかもしれない」
ヨーク
「それが心配で……」
アネス
「杖は私が見つけたことにしましょう。それをあなたに貸したことにする」
ヨーク
「良いのか?」
アネス
「それが一番波風が立たないと思うの」
ヨーク
「ありがとう」
アネス
「ただ、この杖を落として困ってる人が居るかもしれない」
アネス
「持ち主が困ってるって分かったら、杖は返さないとダメだよ?」
ヨーク
「……ああ」
ヨーク
「俺を……魔術師にして欲しい」
アネス
「本当に良いの?」
ヨーク
「頼む」
アネス
「それじゃあ、聖水を持ってくるわ」
アネスは聖水の保管庫に向かった。
保管庫には大神殿から送られてきた聖水が保管されている。
聖水は悪用も出来るので、神官以外が扱うのは禁止されていた。
ヨークはアネスの部屋に留まって待った。
村の神殿はそれほど広くは無い。
アネスはすぐに小瓶を持って帰ってきた。
アネス
「この聖水を飲めばあなたは魔術師になれる」
アネス
「けど……レベルは失われる」
ヨーク
「分かってる」
アネス
「……どうぞ」
ヨークはアネスから聖水を受け取った。
そして、迷い無く飲みこんだ。
ヨーク
「ぐ……!」
ヨークはうずくまった。
全身を熱い痛みが襲っていた。
ヨーク
「ぐううううううぅぅぅっ!」
ヨークは自身の体を抱くようにして呻いた。
アネス
「ヨーくん!?」
アネスはヨークの隣にしゃがみ込み、彼の背中に触った。
ヨーク
「大丈夫……」
痛みはすぐに収まった。
ヨーク
「ちょっと……痛かっただけ……」
ヨークはアネスを安心させようと微笑んでみせた。
アネス
「クラスチェンジって痛いんだ?」
ヨーク
「アネスさんも知らなかった?」
アネス
「うん。この村でクラスチェンジする人なんて居なかったし」
ヨーク
「新発見だ」
ヨークは表情筋を使ってふざけてみせた。
アネス
「心配させないの。もう……」
アネスはヨークを睨んだが、その口元には余裕が戻っていた。
ヨーク
「ごめん」
アネス
「ちゃんと魔術師にはなれた?」
ヨーク
「ええと……」
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ヨーク=ブラッドロード
クラス 魔術師 レベル2
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ヨーク
「なれた。レベルは2になっちまったけど」
アネス
「ドンツさんにはちゃんと話さないとダメだよ?」
アネス
「お世話になってるんだからね」
ヨーク
「分かった」
自警団の仲間なのだから、当然だろう。
ヨークはそう考えた。
ヨーク
「明日会ったら話すよ」
アネス
「それと……」
アネスは自分の本棚に向かった。
そして、古びた本を一冊手に取った。
アネス
「はい。これ」
アネスは大きな本をヨークに渡そうとした。
ヨーク
「それは?」
アネス
「魔術の教本」
アネス
「ちゃんと瞑想して魔術の練習をしないと、呪文は身に付かないんだからね」
ヨーク
「ありがとう」
ヨークは本を受け取り、片手で胸に引き寄せた。
ヨーク
「頑張るよ。俺」
ヨークは自室に戻った。
そして、さっそく本を開くと勉強を始めた。
……。
ヨークが最初の魔術を習得するのに、一晩もかからなかった。
少し石壁を焦がしてしまったのは、アネスには内緒だった。
翌日。
ヨークたちはいつものように、自警団の仕事で村を出ていた。
村の南に有る崖の近くで、自警団は魔獣と戦った。
ドンツ
「そっちは崖だ! 気をつけろよ!」
ヨーク
「はい!」
崖の近くに立つヨークに、赤狼が向かっていった。
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赤狼 レベル1
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ヨーク
(良し……!)
ヨークは魔術の杖を赤狼に向けた。
覚えたばかりの魔術をお見舞いしてやるつもりだった。
ヨーク
「炎矢!」
ヨークは初歩的な攻撃呪文を唱えた。
炎の矢が狼へと向かった。
だが、ヨークの魔術は赤狼には当たらなかった。
直撃する寸前、赤狼は左に跳躍していた。
ヨーク
(避けられた……!?)
自分が外したのでは無い。
狙いは正確だったのに、回避された。
ヨークにはそう思えた。
ヨーク
(魔獣って、呪文避けるのかよ……!?)
狼がヨークに迫った。
ヨーク
「くっ!」
ヨークは杖を地面に転がし、腰の剣に持ち替えた。
そして狼を迎撃しようとした。
体が重くなっている。
ヨークはそう思わずにはいられなかった。
いつものような俊敏な回避が出来ないヨークを、狼が押し倒した。
そのまま鋭い牙をヨークへと突き入れようとする。
ヨークは咄嗟に剣を使い、狼の噛み付きを防いだ。
狼の牙がヨークの剣を噛んだ。
ヨーク
「このっ……!」
ヨーク
(レベル2の魔術師だと、レベル1の赤狼にも苦戦するのか……!?)
ヨーク
「こんな所でっ!」
ヨークは狼の体を蹴り上げた。
狼が浮いた。
浮いた狼の体は、ヨークの頭が向く方角へと向かった。
南。
そこには崖が有った。
狼の体が崖に放り出された。
ヨーク
(やった……!)
ヨークは勝ちを確信した。
そして、閃いた。
ヨーク
(『敵強化』! 『戦力評価』!)
ヨークは心中でスキル名を念じた。
狼の体が輝いた。
_______________
赤狼 レベル4
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強化された狼は、そもまま崖下へと落ちていった。
ヨークは深い谷底を見下ろした。
ヨーク
(死んだ……よな?)
そう考えて、ヨークは目を閉じた。
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ヨーク=ブラッドロード
クラス 魔術師 レベル3
______________________________
ヨーク
(レベルが上がってる)
ヨーク
(良かった。この距離でもEXPは吸えたみたいだな)
ドンツ
「ヨーク、大丈夫か?」
ヨークを心配してドンツが駆け寄ってきた。
ヨーク
「はい。ちょっと苦戦しましたけど」
ドンツ
「魔術師になんかなるからだ」
クラスチェンジの話は、出発前に話してあった。
ドンツ
「姉ちゃんに杖を貰って嬉しかったのかもしれねーけどよ」
ヨーク
「嬉しかったっていうか……」
ヨーク
「ラージスライムを倒したいんです」
ドンツ
「主-ヌシ-か?」
ヨーク
「えっ?」
予想もしない問いがドンツの口から出た。
ヨーク
「どういうことですか?」
ヨークは尋ね返した。
ドンツ
「『森の主』を倒して『親の仇』を取りたい。違うのかよ?」
ヨーク
「それは……」
ヨーク
(知らなかったな)
ヨーク
(森の主ってスライムだったのか)