４の１の１「大罪人と行き着く先」
浜辺に、月狼族の姿が見えた。
１人や２人では無い。
それは数百の群れだった。
イザイ
「本当に、この先に島が有るんだな？」
水平線を見て、月狼族の指導者、イザイが言った。
カゲツ
「ヨーグラウ様が仰ったことだ。間違い無い」
カゲツは、イザイと同じ方向を見て、言い切った。
イザイ
「…………」
イザイ
「船を造らねばならんな」
イザイ
「大きな船を」
カゲツ
「ああ」
イザイ
「まともに船を造るとなると、１年はかかる」
イザイ
「大工連中は、そう言っている」
カゲツ
「待てんな。さすがに」
カゲツ
「敵が来る。それに、食料も無い」
イザイ
「……そうだな」
カゲツ
「まともな船で無くとも良い」
カゲツ
「たった１度の航海に、耐えてくれれば良い」
カゲツ
「ひと月で、なんとかしろ」
イザイ
「ひと月か」
イザイ
「連中が、それを見逃すかな？」
ヨーグラウが封じられ、戦争は終わった。
第三種族の敗北だった。
だが、流血は止まらなかった。
ヨーグラウの民を、根絶やしにするつもりなのか。
邪神の軍勢は、ひたすらに他種族を追い立てていった。
月狼族の群れも、強大な敵から狙われていた。
今まで生き延びてこられたのは、カゲツの力が有ったからだ。
彼女が居なければ、月狼族は、とっくに滅びていた。
僅かに生かされたとしても、奴隷になるしかなかったはずだ。
カゲツ
「時間は、私が稼ごう」
イザイ
「どうするつもりだ？」
カゲツ
「今、敵は森越えに、難航しているようだ」
カゲツ
「数が多い分、足も鈍い」
カゲツ
「敵陣を襲い、多くを殺す」
カゲツ
「そうすれば、多少の時間を稼げる」
カゲツ
「それを、刻限まで繰り返す」
イザイ
「任せよう」
カゲツ
「ああ」
カゲツは猫に飛び乗り、走らせた。
猫は、森が有る方角へと、駆け去っていった。
やがて、彼女の姿が、イザイの視界から消えた。
それを確かめると、イザイは口を開いた。
イザイ
「神殺し。血に飢えた魔獣め」
……。
ひと月が経過した。
カゲツがまとまった数を殺していると、そのうちに船が出来た。
砂浜で、カゲツは海を見た。
カゲツの目に、歪な船が浮かんでいるのが見えた。
まともな船ではない。
だが、確かに海に浮かんでいた。
あとは、島にたどり着いてくれれば良い。
逃亡中の身で、よくやったものだ。
そう思えた。
イザイ
「カゲツ」
酒杯を手に、イザイがカゲツに話しかけた。
ろくな備蓄など無い。
なけなしの酒だった。
カゲツ
「イザイか」
イザイ
「船出の杯だ。飲め」
カゲツ
「飲もう」
カゲツは酒を飲み干した。
そして……。
カゲツ
「ごほっ……」
血を吐いて、膝をついた。
そしてそのまま、うつ伏せに倒れた。
海辺の砂が、カゲツの頬を撫でた。
サーベル猫
「みゃあ！？」
カゲツ
「う……？」
サーベル猫が、カゲツに駆け寄った。
カゲツには、何が起きたのか分からなかった。
ただ、猫は傍に居てくれる。
それだけは分かった。
イザイ
「１瓶の酒が、凡夫を勇者に変える」
イザイ
「逆もまた然りだな」
イザイ
「ヨーグラウ様を殺したお前を、船に乗せることは出来ん」
イザイ
「ここで朽ちて死ね」
カゲツ
「…………」
カゲツ
「そう……か……」
カゲツは地面に倒れたまま、苦笑した。
イザイ
「存外健康そうだな。化け物め」
イザイ
「長く苦しむこともあるまい。今、楽にしてやろう」
イザイは、腰の剣を抜いた。
サーベル猫
「ぐるるるるっ！」
猫が、カゲツを庇うように立ち、吠えた。
イザイ
「……そうか」
イザイ
「主人を、長く苦しませたいのなら、好きにするが良い」
イザイは、剣を収めた。
猫は、カゲツを庇うだけで、イザイに向かってはこなかった。
猫がその気になれば、イザイを殺すことも出来たかもしれない。
だが、彼女が望んだのは、復讐では無かった。
イザイ
「行くぞ」
「はい」
イザイは部下たちに、声をかけた。
彼らは平然としていた。
カゲツを始末することは、総意だったのだろう。
カゲツと猫だけが、そのことを知らなかった。
イザイたちは、船に向かった。
カゲツが倒れたのとは、逆の方向だった
月狼族は、船へと消えた。
やがて、船は遠ざかっていった。
カゲツはただ一人、猫と共に残された。
猫はカゲツを気遣い、その頬をぺろりと舐めた。
カゲツ
「ありがとう。楽になったよ」
カゲツは猫に微笑んだ
そうは言っても、カゲツが立ち上がる様子も無い。
猫
「みゃぁ……」
猫は悲しそうに、俯いた。
リーン
「…………」
いつの間に、そこに居たのか。
カゲツの隣に、赤いローブを着た女が、立っていた。
女、リーンは、カゲツを見下ろしたまま、口を開いた。
リーン
「哀れね」
リーンは、カゲツに視線を向けながら、船に手のひらを向けた。
リーン
「あの船、沈めてあげましょうか？」
その言葉が冗談では済まないことを、カゲツは良く知っていた。
あの程度の船、リーンは１撃で沈めるだろう。
カゲツ
「止めろ……！」
カゲツは立ち上がり、船を庇うように歩いた。
そして、リーンの前に立ちふさがった。
カゲツ
「戦いたいのなら……私が相手になろう」
リーン
「庇うの？ あなたを裏切った連中を」
カゲツ
「私が大罪人なのは、事実だ」
カゲツ
「殺されても、当然だ」
カゲツ
「それだけの罪を、私は犯してしまった」
リーン
「そう。妬けるわね」
カゲツ
「…………」
カゲツは抜刀した。
そして、リーンへと斬りかかった。
リーン
「何これ」
呆れたような声音が、カゲツの鼓膜を打った。
リーンはカゲツの斬撃を、容易くかわした。
そして、カゲツの腕を掴んだ。
リーンは術者だ。
剣士では無い。
だが、彼女の細腕を、今のカゲツでは振り払えなかった。
リーンは自身の顔を、カゲツの顔へ寄せた。
そして、口づけをした。
カゲツ
「むぐっ！？」
リーン
「ん……ふぅ……ぁ……」
リーンの舌が、カゲツの口内を貪った。
サーベル猫
「がうっ！」
猫が、リーンへと飛びかかった。
リーンは後退し、カゲツから距離を取った。
リーン
「あら、無粋ね」
サーベル猫
「がううぅぅ！」
カゲツ
「何のつもりだ……！？」
侮辱のつもりなのか。
そうだとして、敵にキスをすることに、抵抗感は無いのか。
リーンの意図が読めない。
カゲツは、まばたきを繰り返した。
リーン
「はぁ」
リーンはわざとらしく、ため息をついた。
リーン
「がっかりだわ」
リーン
「剣に力が無い」
リーン
「一滴の毒が、あなたから才能を、奪い去ってしまった」
リーン
「あなたは、カナタ以上の剣士だった」
リーン
「強く、そして美しかった」
リーン
「そんなあなたの最期が、こんなものだなんて」
リーン
「カナタが、あなたに勝つために編み出した技も、無駄になってしまったわね」
リーン
「死ぬ前に、何か思い残したことは、無いかしら？」
カゲツ
「…………」
カゲツ
「梅酒を一杯」
リーン
「甘党なのね」
カゲツ
「悪いか？」
リーン
「いいえ。どうぞ」
どこから取り出したのか、リーンの手に、酒瓶が出現した。
リーンは瓶を、カゲツへと投げた。
カゲツは雑に、瓶に口をつけた。
そして、ごくごくと喉を鳴らし、瓶を放った。
酒はまだ、半分残っていた。
砂浜が酒で濡れた。
カゲツの口の端から、ぽたぽたと血が垂れた。
カゲツ
「感謝する。決着をつけよう」
リーン
「嬲ってあげるわ」
サーベル猫
「みゃうっ！」
カゲツは剣を構え、リーンへと向かっていった。
相棒の猫と共に。
……。
カゲツ
「………………………………………………………………」
三時間後。
カゲツは砂浜で死んでいた。
彼女の衣服は、ずたずたに裂けていた。
布よりも肌の面積が多く、見る影も無かった。
サーベル猫
「みゃ……」
サーベル猫
「………………………………………………………………」
カゲツの傍らで、サーベル猫も、息を引き取った。
とっくの前に、致命傷を負っていた。
だが、主人が逝くより先に、自分が死ぬわけにはいかなった。
カゲツが死んだことで、猫はようやく呼吸を止めた。
リーン
「さようなら。愛しい人」
リーンはカゲツを抱き起こした。
そして、最後の口づけをすると、再び砂浜に横たえた。
リーンは遺体に、手のひらを向けた。
そして、猫と一緒に、彼女の遺体を燃やした。
自分以外の誰にも、彼女の死を、穢されぬように。
リーンの両目からは、涙が流れていた。
一方通行の情愛は、ここに幕を閉じた。
……。
「陸地だ……！」
「島が見えたぞ！」
船は、新天地へとたどり着いた。
月狼族の、新たな歴史が始まった。
暗い過去に、蓋をして。
