3の28「去ったモノと失われたモノ」
リホ
「急に何っスか?」
ミツキ
「後ろ盾が欲しい。それが本心ですか?」
リホ
「長くなるなら、外に行かないっスか?」
リホはちらりとヨークを見た。
リホ
「……ブラッドロードを起こしたくないっス」
ミツキ
「分かりました」
2人は寝室を出た。
廊下を歩き、階段を下り、宿屋を出た。
そして、通りに立った。
周囲は、既に暗い。
人通りも少なかった。
だが、無人でもない。
王都とは、そういう所だ。
人々は、ミツキたちには関心も持たず、どこかへ歩いていく。
それぞれが、自身の人生を歩んでいた。
北の方では、世界樹が、仄かな光を放っていた。
街灯と、世界樹と、星月の光だけが、2人を照らしていた。
ミツキとリホは、肩が触れ合うような距離で、じっと立っていた。
以前のミツキなら、この距離は許さなかっただろう。
今の彼女は、この立ち位置を、苦に感じていない様子だった。
ミツキ
「話してもらえますか?」
少しの間を置いて、ミツキは口を開いた。
リホ
「……何の話だったっスかね?」
ミツキ
「後ろ盾が欲しいから、スカウトを受ける」
ミツキ
「それがあなたの真実なのですか?」
リホ
「少なくとも、嘘は言って無いっスよ」
リホ
「ウチみたいな弱い存在が、一人で生きていくには、後ろ盾は必要不可欠」
リホ
「今回のことで、それがハッキリ分かったっス」
ミツキ
「一人……」
ミツキは視線を下げた。
ローブの裾から、つま先がちらりと覗いていた。
ミツキ
「私たちは……三人で歩んでいけると思っていました」
リホ
「男一人に女二人なんて、不健康っスよ」
ミツキ
「私は、ただの奴隷です」
ミツキ
「処理にでも使っていただければ、御の字。妻には他の誰かがなれば良い」
ミツキ
「……そう思っていました」
リホ
「そうっスか」
リホ
「悪くないかもしれないっスね。そういう爛れた関係も」
ミツキ
「でしたら……」
リホ
「ウチは、ブラッドロードを傷つけたっス」
ミツキ
「気にしてはいませんよ。ご主人様は」
リホ
「責められた方が、マシだって分からないっスか?」
ミツキ
「それは……」
リホ
「ブラッドロードは、ウチを絶対に見捨てない」
リホ
「ウチが弱いから、一人で立てないって思ってるから、見捨てられないんス」
リホ
「ウチが俯いてたら、どんな時だって、手をさしのべて、おんぶして……」
リホ
「だからもう、あの人を頼るは、止めにするっス」
ミツキ
「それでも一緒に居て欲しい」
ミツキ
「そう言ったら、迷惑でしょうか?」
リホ
「別に、今生の別れじゃ無いっス」
リホ
「また、会いに来るっス」
リホ
「ウチが自分のこと、一人前だって認められるようになったら」
リホ
「その時は……対等な友だちとして……」
リホ
「…………」
リホの両目から、涙がこぼれた。
リホは腕で、目を覆った。
そして、歩いた。
ミツキ
「リホさん」
ミツキはリホを呼び止めた。
リホは目を覆ったまま、立ち止まった。
そして、涙声で言った。
リホ
「もう……行くっス……」
リホ
「ウチの弱っちい声が……ブラッドロードに届いてしまうから……」
リホ
「荷物……また今度取りに来るっス……」
リホは跳躍した。
一跳びで、宿の屋根に飛び乗った。
驚くべき跳躍力だ。
リホの肉体は、一人前の冒険者になっていた。
屋根に跳んだリホは、そのまま走り去っていった。
泣きながら。
鳴きながら。
リホ
「う……うぁ……」
リホ
「ああぁぁああああぁあぁぁぁぁぁ……」
リホは涙が枯れるまで、王都の空を駆け続けた。
……。
夜が明けた。
早起きした者たちの喧騒が、ヨークの耳に届く。
そんな時間になった。
朝の気配が、ヨークを包みこんだ。
ヨーク
「んん……」
ヨークはベッドの上で、目を開いた。
目覚めの時だった。
ミツキ
「おはようございます。ヨーク」
ミツキは既に、目覚めていたらしい。
隣のベッドに腰を掛け、新聞に目を通していた。
ヨークは新聞を読まない。
だからそれは、ミツキだけの習慣だった。
ミツキは新聞から視線を外し、ヨークを見た。
その表情は、どこか暗かった。
ヨーク
「ん」
ヨークは短く答え、上体を起こした。
そして、ミツキに朝の挨拶をした。
ヨーク
「おはよう。ミツキ」
それからヨークは、寝室を見回した。
ヨーク
「あれ……? リホは?」
有るべき姿が、寝室から消えていた。
ベッドにも作業台にも、リホの姿は見当たらなかった。
ヨーク
「洗面所か?」
ミツキ
「……いいえ」
ミツキは新聞を畳むと、スキルで『収納』した。
ミツキ
「彼女は、行ってしまいました」
ヨーク
「……そうか」
ヨークは呟いた。
ヨーク
「居ないのか」
ヨーク
「リホは、居ないんだな」
ミツキ
「……はい」
ミツキ
「そのうち荷物を取りに来る。そう言っていました」
ヨーク
「……………………」
ヨーク
「居なくなるんだな」
ミツキ
「ヨーク?」
ヨーク
「バジルたちとは、ずっと一緒に居るもんだと思ってた」
ヨーク
「16まで一緒に居て、だから、それからもずっと……」
ヨーク
「けど、今は同じ王都に居るのに、一緒に遊びにも行かねえ」
ヨーク
「リホと一緒なら、高い所に行けるかと思った」
ヨーク
「けど、終わるんだな」
ミツキ
「あの……」
ヨーク
「何だ?」
ミツキ
「……いえ」
ミツキは、バジルたちの行方を知っていた。
だが、それをヨークに伝えることは、何故か出来なかった。
ヨーク
「俺が……」
ヨーク
「…………」
ヨーク
「あいつに刺されたのが、悪かったかな」
ミツキ
「そうかもしれません」
ヨーク
「首輪の命令が、絶対だってことは知ってた」
ヨーク
「リホが首輪をつけてるのも、分かってた」
ヨーク
「考えられることだった。油断した。あいつに酷いことをした」
ミツキ
「…………」
ミツキ
「そうですね」
ヨーク
「ちょっとは庇ったらどうだ?」
ミツキ
「庇って欲しいのですか?」
ヨーク
「……別に」
ミツキ
「でしょうね」
ヨーク
「ミツキ……」
ヨーク
「お前も……居なくなるのか?」
ヨークの目が、赤くなっていた。
けど、泣きはしない。
涙を零すのは、成人した男のすることでは無い。
強い男は泣かない。
ヨークはそう思っていた。
ミツキは、ベッドから立ち上がった。
そして、ヨークの隣に腰かけた。
ミツキ
「私は居なくなりませんよ」
ミツキはそう言って、ヨークの顔を、自分の胸へと引き寄せた。
ヨークの表情が、周囲からは見えなくなった。
ミツキ
「この命尽きるまで、あなたの隣に居ます」
ミツキ
「私はあなたの……」
ミツキ
「…………」
ミツキ
「第一の友ですから」
ヨーク
「……そうか」
ヨークは自分の目蓋を、ミツキの着物にぐっと押し付けた。
柔らかい感触がした。
ヨーク
(俺は……泣いてない)
そう思い、ヨークはミツキの腰を、強く抱いた。
ミツキはヨークの体を引いた。
ヨークたちは、ベッドに倒れ込んだ。
ミツキのすらりとした脚が、ヨークに絡まった。
ベッドが軋む音がした。
その日、2人は宿を出なかった。
3章完結となります。




