3の19「狂える社長と違法奴隷」
ザブン
「今までのあなたは、とても上手くやってきた」
ザブン
「良い経営者だった。そう思います」
ザブン
「だから、悪いことにはならないだろうと思ってしまった」
ザブン
「過ちでした」
ザブン
「次の会議で、あなたの責任を問わせていただきます」
イジュー
「好きにしろ」
ザブン
「……はい」
ザブン
「ですが今は、目の前の事態を、収拾するのが先決です」
イジュー
「損失を補填してやれ。全額だ」
イジュー
「とりあえずは……それで収まるだろう」
ザブン
「そうした判断を下すことが出来るのに……どうして……」
ザブン
「恨みが有るのですか? 会社を抜けて独立した、ミラストック女史に」
イジューが、リホの再就職を妨害したことは、業界では有名だった。
目をかけてやったのを、裏切られたのが憎いのだろうか。
工房の者たちは、そのように推測していた。
イジュー
「いや」
イジュー
「そもそも、アレは私がクビにしたのだしな」
ザブン
「……………………は?」
ザブンの全身が硬直した。
ザブン
「今、なんと仰いました?」
あまりにも理解し難く、ザブンは問わざるをえなかった。
イジュー
「私が、ミラストックを、クビにしたと言っている」
聞き間違いでは、無かった。
ザブンは呆然とした表情で、イジューを見た。
ザブン
「……信じられない」
ザブン
「あの1000年に1人の天才を……あなたの独断で、クビにしたと?」
イジュー
「そうだ」
イジューは悪びれず、頷いた。
そんな彼を理解出来ず、ザブンは質問を重ねた。
ザブン
「その選択が、我が社にどれだけの損失をもたらすか、分かっているのですか?」
イジュー
「…………」
ザブン
「彼女の置き土産である加熱箱が、どれだけ売れているか、知っているのですか?」
イジュー
「知っている。……しつこいぞ」
イジュー
「天才なら、サザーランドが居るだろう」
ザブン
「確かに、彼女もひとかどの人物ではあります」
ザブン
「ですが、彼女は視野が狭く、理想を追いすぎます」
ザブン
「とても、ミラストック女史の代わりには、なれない」
イジュー
「だが、サザーランドは人族だ。純血のな」
ザブン
「まさか……!」
望まぬ閃きが、ザブンの内面で生じた。
ザブン
「あなたは、彼女がハーフだから、この会社から追い出したのですか……!?」
イジュー
「だと言ったら、どうする?」
イジューは、歪んだ笑みを浮かべた。
ザブンは、そんなイジューの表情を、初めて見た。
ザブン
「賢明だったあなたが、どうして……」
ザブン
「とても、残念です」
ザブンの表情には、はっきりとした失望の色が有った。
ザブンは、ゆっくりと一礼をした。
決別の礼だろう。
イジューはぼんやりと、そう考えた。
ザブンはイジューに背を向けた。
ザブン
「あのガラクタは、全て回収させていただきますよ」
彼はそう言って、社長室から去った。
イジュー
「…………」
イジューは、背もたれに体重を預け、天井を見上げた。
イジュー
「この椅子は、明け渡すことになるな」
そう呟いた。
……。
クリスティーナ
(ようやくだ)
クリスティーナ
(ようやく……)
ドミニ工房の、クリスティーナの研究室。
クリスティーナは、自身の研究に没頭していた。
そのとき、ノックも無しに、出入り口の扉が開いた。
クリスティーナ
(何だよ? 良い時なのに……)
クリスティーナは、扉の方を見た。
そこに、イジュー=ドミニの姿が見えた。
彼は手に、見慣れない布袋を持っていた。
クリスティーナ
「社長。いらっしゃい」
無作法なイジューを、クリスティーナは笑顔で出迎えた。
だが、その笑顔はすぐに引っ込んだ。
クリスティーナ
「社長……?」
イジュー
「…………」
疲れ果てている。
クリスティーナは、イジューを見て、そのような印象を抱いた。
クリスティーナ
「社長。いったいどうしたんですか?」
イジューの身を案じ、クリスティーナは尋ねた。
イジュー
「別に。どうもしていない」
クリスティーナ
「そうは思えませんが」
イジュー
「私のことは、どうでも良い」
イジュー
「お前に、協力してもらう時が来た」
クリスティーナ
「はい。何をすれば良いんですか?」
イジュー
「人さらいだ」
クリスティーナ
「…………はい?」
クリスティーナ
「何の冗談ですか?」
イジュー
「冗談では無い。手伝ってもらうぞ」
クリスティーナ
「そんなことを言われましても……」
クリスティーナ
「これでハイと言うのは、馬鹿のすることです」
イジュー
「なるほど。馬鹿のすること、か」
イジュー
「ならば……」
イジュー
「私が何の材料も無しに、人を脅すような、馬鹿だと思ったか?」
クリスティーナ
「脅すだなんて……」
クリスティーナ
「いったいどうしてしまったんですか? ちゃんと話して下さい」
イジュー
「お前には、関係の無い話だ」
クリスティーナ
「そんな……」
イジュー
「お前はただ、私の言うことを聞けば良い」
クリスティーナ
「聞くと思うんですか? そんなやり方で」
イジュー
「さて、どうするかな」
イジュー
「たとえば……」
イジュー
「お前が、入社前から行っていた研究……」
イジュー
「その暗部を、世間に公表する……というのはどうだ?」
イジューは、クリスティーナの入社前から、彼女に援助を行っていた。
彼女の研究の、光も闇も、知り尽くしていた。
イジューが望めば、2人は共に、奈落へと堕ちる。
クリスティーナ
「そんなことをしたら、あなただって……!」
イジュー
「私は構わんぞ」
イジューは大工房の社長だ。
立場の有る身だ。
一方で、クリスティーナは平社員だ。
不祥事が明らかになれば、イジューが受ける被害の方が大きいはず。
だから、イジューがそんな不合理なことを、するはずが無い。
クリスティーナは、そう思おうとした。
だが、今のイジューの表情を見ると、確信が揺らいだ。
今の彼は、以前の彼では無い。
自分を工房にスカウトしてくれた時とは、別の人間になっている。
クリスティーナには、そう思えてならなかった。
イジュー
「共に地獄に堕ちるか? サザーランド」
クリスティーナ
「やめて……!」
クリスティーナは、悲痛な声を上げた。
秘密が明らかになれば、害を被るのは、彼女だけでは無い。
家族にも、影響が出るだろう。
それを許容することなど、絶対に出来なかった。
イジュー
「ならば、協力しろ」
クリスティーナ
「…………」
クリスティーナの逃げ道が、塞がれていた。
それでも、今のイジューに協力することには、抵抗が有った。
まだ話の全貌は、明らかにはなっていない。
だが、後ろ暗い事なのは、明らかだった。
自分の研究を、悪事に使いたくは無かった。
イジュー
「分かっているのか?」
イジュー
「今の立場を失えば、お前の研究も、そこで終わりだ」
イジュー
「設備も成果物も、工房に返却してもらうことになる」
クリスティーナ
「っ……!」
研究は、クリスティーナにとって、家族の次に大切なものだった。
それを手放すことなど、出来なかった。
クリスティーナ
「受けるしか……無いようだね」
弱々しい声音で、クリスティーナはそう言った。
イジュー
「分かってくれたか」
クリスティーナ
「それで社長……いや、ドミニさん」
クリスティーナ
「いったいボクに、何をさせようって言うんだい?」
イジュー
「私の目的は、リホ=ミラストックの、社会的抹殺だ」
クリスティーナ
「……っ!」
クリスティーナ
「か弱い女の子を踏みつけるなんて、天下のドミニ工房の社長が、することかい?」
イジュー
「社長の立場など、もう無い」
クリスティーナ
「えっ?」
イジュー
「今月中に、私の不信任案が可決されるだろう」
クリスティーナ
「……何をしたの? 君」
イジュー
「色々とやったさ」
イジュー
「最初に、ミラストックの解雇。そして、あいつを業界から、締め出した」
イジュー
「なるべく穏当に、ミラストックを叩き潰そうと思った」
クリスティーナ
「そうか……。彼女は、自主退職したんじゃ無かったんだね?」
クリスティーナ
「事情も知らず、彼女に、不条理なことを言ってしまった」
イジュー
「気にするな。これからは、もっと不条理なことを、せねばならんのだからな」
クリスティーナ
「どこまで彼女を踏みつけようっていうんだい?」
イジュー
「あの女が、終わるまでだ」
クリスティーナ
「私たちに、彼女を殺せとでも?」
イジュー
「いや。殺しはしない」
イジューは、手中の布袋に手を入れた。
そしてそこから、金属製の首輪を取り出した。
イジューはクリスティーナの机に、その首輪を置いた。
クリスティーナ
「これは……!?」
クリスティーナは目を見開いた。
イジュー
「分かるか。……そう。奴隷の首輪だ」
クリスティーナ
「こんなもの、どこで……」
イジュー
「これも、畢竟は魔導器だ」
イジュー
「私の立場なら、手に入れられる」
イジュー
「これを使って……」
イジュー
「リホ=ミラストックを、私の奴隷にする」
クリスティーナ
「……なんてことだ」
イジュー
「他人事では無いぞ」
イジュー
「事が済むまでの間、お前にも、この首輪を嵌めてもらう」
クリスティーナ
「本気かい?」
人権を持つ者を、奴隷にすることは、重犯罪だ。
ただの傷害や、殺人未遂より、よっぽど重い。
それを平然と命ずるなど、信じられないことだった。
イジュー
「途中で情に絆されて、裏切られては困る」
イジュー
「……安心しろ」
イジュー
「無事に、ミラストックを私の物に出来れば、それは外してやる」
クリスティーナ
「ちっとも安心出来ないし、信用も出来ないよ」
イジュー
「どうでも良い。首輪を嵌めろ」
クリスティーナ
「…………」
イジュー
「お前にとっては他人だろう。ミラストックは」
イジュー
「他人と家族、どちらを優先すべきかなど、分かりきっていると思うが?」
クリスティーナ
「……………………」
クリスティーナは目を閉じた。
そして、家族の姿を思い浮かべた。
この世でたった3人の、大切な人たちの姿を。
それから少しして、彼女は目を開いた。
そしてゆっくりと、首輪に手を伸ばした。
おそるおそる……といった手つきで、首輪を装着した。
クリスティーナは、奴隷の姿になった。
クリスティーナ
「イジュー=ドミニ社長」
クリスティーナ
「あなたを尊敬していました。今、この時までは」
イジュー
「そうか」
イジューはポケットから、小刀を取り出した。
そして、自身の親指の、腹を切った。
すぐに親指から、血がにじみ出てきた。
イジューは親指を、首輪正面の皿に当てた。
首輪から、光が放たれた。
奴隷の首輪が、作動した証だった。
クリスティーナ
「お望みどおりだ」
クリスティーナ
「17歳の乙女を奴隷にして、これで満足かい?」
イジュー
「何を自惚れている?」
イジュー
「お前を手篭めにするつもりは無いぞ。ただ、役に立て」
クリスティーナ
「…………」
クリスティーナ
「相変わらずだね」
クリスティーナ
「あの時よりは、胸も出てきたと思うんだけど」
イジュー
「あの時?」
クリスティーナ
「別にー」
イジュー
「……?」
クリスティーナ
「まったく、ドミニさんは、俗物なのかストイックなのか分からないな」
クリスティーナ
「……どうしてそこまでするんだい?」
イジュー
「それこそ、どうでも良い話だろう」
クリスティーナ
「ここまでしておいて、理由の一つも、聞かせてはもらえないとはね」
イジュー
「家族の為だ」
クリスティーナ
「えっ?」
イジュー
「などと、それらしい理由を言えば、喜んで協力してくれるのか?」
クリスティーナ
「それは無いね」
イジュー
「なら、黙って従え」
イジュー
「……いや。従わせる」
イジュー
「命令する」
イジュー
「今後一切、私の目的の達成に、必要の無い発言を禁ずる」
クリスティーナ
「っ!」
クリスティーナの体が、光に包まれた。
クリスティーナ
「……………………」
奴隷の首輪が、彼女の行動を束縛した。
彼女は、喋ることが出来なくなっていた。
ただ、物言いたそうに、じろりとイジューを見た。
イジュー
「静かになったな」
外道な行いを経ても、イジューは真顔だった。
その顔には、悔恨も愉悦も存在しない。
イジュー
「心配しなくても、目的を果たせば、元に戻してやる」
イジュー
「……というのは、既に言ったか」
イジュー
「年を取ったというわけだ。私も」




