3の16「請求書とイジューの陰謀」
シラーズの姿が遠ざかり、ヨークたちの視界から消えた。
ミツキが口を開いた。
ミツキ
「……ヨークとは、真逆のタイプですね」
彼女の視線は、シラーズが去った方角に向けられていた。
ヨーク
「俺と?」
ミツキ
「利用価値が有る相手には擦り寄り、価値が無くなれば、切り捨てる」
ミツキ
「……そういうタイプのように見えました」
ミツキ
「商人としては、むしろ王道なのでしょうが……」
ヨーク
「俺だって別に、価値が無いと思うやつと、付き合ったりはしないが」
ミツキ
「そうですね」
ヨークはリホに視線を移した。
ヨーク
「それで、良かったのか? 断って」
リホ
「構わないっス」
ヨーク
「好待遇らしいぞ?」
リホ
「別に、今のままでも、十分に稼いでるっス」
リホ
「ガンガン稼いで、工房の連中を見返してやるっス」
リホは元気よく言った。
そのとき……。
ミツキ
「あっ、そうだ」
ミツキが棒読みでそう言った。
ヨーク
「ん?」
妙なミツキの様子に、ヨークは首を傾げた。
ミツキはヨークを見ずに、『収納』スキルを用いた。
ミツキの手中に、横長の紙が出現した。
ミツキ
「リホさん。これ」
ミツキはリホに紙を手渡した。
リホ
「なんスか? これ?」
リホは紙を見ながら、ぱちぱちと瞬きをした。
いきなり、脈絡なく、妙なモノが湧いて出た。
そんな風に感じている様子だった。
ミツキ
「納品させていただいた、魔光銀の請求書です」
リホ
「……………………えっ?」
ミツキ
「小金貨3000枚となります。どうかお早めにお支払い下さい」
魔光銀は、純金よりも遥かに高い超希少金属だ。
ヨークが魚のようなノリで調達してくるが、実は魚では無い。
本来であれば、魔導器のフレームに気軽に使って良いようなモノでは無い。
良心的な価格だった。
リホ
「えっ……?」
計算箱を、1つ小金貨4枚で売った。
まず、学校で97個。
それから予約分を150個ほど売った。
現状の売上高は、小金貨1000枚ほどだった。
あれだけ頑張って、まだ利益が出ていなかったということになる。
ミツキはさらに紙を取り出した。
ミツキ
「それと、これをどうぞ」
リホ
「これは……?」
ミツキ
「新規予約客のリストです」
ミツキ
「残りの魔光銀分を、全て捌き切れば、利益は出るはずです」
ミツキ
「頑張って下さいね」
リホ
「ウチ……」
リホ
「やっぱり……工房で雇ってもらうっスかね……」
ヨーク
「商売って怖いな」
そう言って、事の元凶であるヨークは青空を見上げた。
……。
ドミニ魔導器工房。
その社長室前。
開発部長のコビーが、社長室の扉を叩いた。
イジュー
「入れ」
コビー
「失礼します」
イジュー
「コビーか」
コビー
「はい。社長」
コビー
「計算箱の図面が完成しました」
そう言って、コビーは図面をイジューの机に置いた。
イジュー
「ようやくか」
コビー
「まあ……はい」
イジュー
「すぐに製造に回せ」
コビー
「あの……」
イジュー
「何だ?」
コビー
「図面の精査をなさらないのですか?」
売りに出す魔導器の図面は、必ずイジューが精査する。
それが今までの慣例だった。
イジュー
「…………」
イジューは図面を手に取った。
そして、少し見ると、すぐに机に戻した。
コビー
「社長……?」
イジュー
「サザーランド……」
コビー
「はい?」
イジュー
「開発部の、クリスティーナ=サザーランドにチェックさせろ」
コビー
「最終チェックを……平の社員にですか?」
イジュー
「役職が無いだけだ。彼女の待遇は、幹部と変わらん」
コビー
「はぁ……」
イジュー
「1番確実だ。行け」
コビー
「……はい」
コビーは図面を持ち、社長室を出ていく。
イジュー
「……………………」
どうしてイジューは図面を見なかったのか。
そのことについて、コビーは深く考えなかった。
……。
半月後。
ドミニ魔導器工房の社長室。
製造部長のズクールが、イジューを訪ねてきた。
ズクール
「社長」
ズクール
「計算箱の試作品が完成しました」
イジュー
「よし。ズクール。これを量産し、行き渡らせろ」
イジュー
「王都の計算箱需要を、我が社の製品で埋め尽くすのだ」
ズクール
「量産……ですか?」
イジューの指示に、ズクールは難色を示した。
イジュー
「どうした?」
ズクール
「計算箱の刻印は、精密です」
ズクール
「一線級の刻印技師が必要になります」
ズクール
「そうすると、主力製品の製造量に影響しますが、よろしいのですか?」
イジュー
「む……」
イジューは眉をひそめた。
イジュー
「なんとか下っ端の技師にやらせられないのか?」
ズクール
「不良品が出ます。大量に」
イジュー
「……ベテランを一人回しても良い」
イジュー
「後は新人たちでなんとかしろ」
ズクール
「……はい」
ズクール
「月に何台作れば良いでしょうか?」
イジュー
「2000……いや……1000作れないか?」
ズクール
「厳しいかと」
ズクール
「無理に作ろうとすれば、粗悪品の山を積み上げることになります」
イジュー
「それほどか」
ズクール
「はい。大したものですよ。計算箱を作った技師というのは」
イジュー
「粗悪品……か」
イジュー
「ん……? 待て」
ズクール
「はい?」
イジュー
「要は、ミラストックの心を折れさえすれば良いのだ」
イジュー
「粗悪品で構わん。ベテランを回さなくて良い。とにかく、数を作って寄越せ」
ズクール
「……はぁ?」
ズクールは呆れ顔になった。
現場の第一線からは退いたが、ずっと物作りをやってきた男だ。
職人としてのプライドが有る。
良い物を作れると思ったから、ドミニ工房に来たのだ。
実際、今までは素晴らしい商品を作ってきた。
それを、粗悪品を作れと言われるとは。
初めての経験だった。
ズクール
「本気ですか?」
イジュー
「本気だ。やれ」
イジュー
「ただし、計算箱の作り主が、我が社だということは、絶対に漏らすな。良いな?」
ズクール
「社長……」
ズクールは前に出た。
彼の体とイジューの机が、密着するほどに。
ズクール
「てめえっ!」
イジュー
「ぐっ……!」
ズクールの拳が、イジューを殴り飛ばした。
イジューの体が、椅子ごと床に転がった。
ズクール
「職人にゴミ作れって言ったんだ! ブッ殺されても文句は言えねえぞ!」
イジュー
「……そうか」
イジューは椅子を元に戻した。
そして、何事も無かったかのように、座った。
イジューの鼻から血が垂れて、机上を汚した。
ズクール
「…………」
イジュー
「馬鹿め」
イジュー
「どんな理由が有ろうが、社長を殴ったらクビだ。普通はな」
ズクール
「…………」
イジュー
「お前には妻子が居たな」
ズクール
「……はい」
イジュー
「魔術学校の学費は、安くは無い」
イジュー
「この鼻血の分だけ、俺の悪巧みに付き合え」
ズクール
「悪巧み……ですか」
ズクール
「考えたくも無いですね。物作りのこと以外は」
イジュー
「なら、考えるな」
ズクール
「了解しました。……ですが、ほどほどに」
ズクールは、しかめっ面を隠せず、社長室を去った。
イジュー1人が、室内に残された。
イジュー
「ほどほどの悪巧みだと?」
イジュー
「そんな便利なものが有ったら、苦労はせんわ」
……。
請求書事件から1ヶ月後。
ヨークたちは、とある民家を訪れた。
計算箱を届けるためだった。
だが……。
予約客A
「その、せっかく持ってきてもらって悪いんだけどさぁ……」
予約客A
「予約をキャンセルさせてもらって良いかな?」
民家の玄関先。
3人を出迎えた少年が、申し訳なさそうにそう言った。
ミツキ
「どういうことでしょうか?」
予約客A
「実はさ、他所で安く買えたんだよね。銀貨5枚」
ミツキ
「……他所というのは?」
予約客A
「最近、色んな所で売ってるよ? ちょっと大きい雑貨屋とかさ」
予約客A
「ま、そういうわけだから、君たちも他所で売ってよ。ごめんね」
少年は、自宅内へと戻っていった。
玄関の扉が閉められた。
ヨークは、計算箱を持ったまま、立ち尽くした。
ミツキ
「……………………」
ヨーク
「どういうことだ? 他の計算箱って……」
ミツキ
「誰かが計算箱を手に入れ、複製したということでしょう」
ヨーク
「誰かって言うと……」
ミツキ
「勿論、魔導器工房の連中です」
ヨーク
「リホをクビにした所か」
ミツキ
「断定は出来ませんが……」
ミツキ
「しかし……それにしても……」
ヨーク
「どうした?」
ミツキ
「銀貨5枚というのは、あまりにも安すぎます」
ミツキ
「大手の工房であれば、その価格で売っても、十分な儲けが出るものなのでしょうか?」
リホ
「それは……」
リホ
「流石にそんなことは無いと思うっスけど……」
ミツキ
「そうですか。つまり……」
ミツキ
「連中は完全に、リホさんを潰すために動いているということですね」
リホ
「そんな……!」
ミツキの言葉に、リホは衝撃を受けた様子だった。
彼女の体がわなわなと震えはじめた。
リホ
「ウチが……ウチが何を……」
リホ
「うぅ……うぁぁ……っ」
ひさしぶりに、リホの頬を涙が伝った。
ヨーク
「泣くなリホ。お前は天才だろ?」
ヨークは、リホの頭をポンポンと叩いた。
ヨーク
「そんな汚い連中には負けねえ。俺たちもついてる。勝つ」
ヨーク
「だから、泣くのは止めろ」
リホ
「っ……はいっス……」
リホ
「お2人と一緒なら……ウチは……負けないっス……」
ヨーク
「ああ。その意気だ」
ミツキ
「……とりあえず、次の予約客の所に行きましょうか」
気を取り直し、3人は次の予約客を訪ねた。
だが……。
予約客B
「悪いけど、そういうわけでキャンセル……」
玄関先で、予約客の男はそう言った。
ミツキ
「そうですか。残念です」
ミツキ
「お客様が、質の悪い安物で満足してしまわれるなんて……」
予約客B
「……安物?」
ミツキ
「はい。今世間に出回っているのは、出来の悪い安物なのです」
予約客B
「出来が悪いって、確かか?」
ミツキ
「当然です」
ミツキ
「おかしいと思いませんか?」
ミツキ
「本来ならば小金貨四枚で売られている物が、たった銀貨5枚で手に入るなんて……」
予約客B
「それは……まあ……」
ミツキ
「ウチの商品は、厳選した素材を用いた最高級品です」
ミツキ
「お客様になら、それが分かっていただけると思っていたのですが……」
予約客B
「か……買う!」
ミツキ
「本当ですか?」
予約客B
「当然だ。キャンセルと言ったのは……ほんの冗談だな!」
ミツキ
「まあ。お客様は冗談がお上手ですね。すっかり騙されてしまいました」
予約客B
「あはは……。そう?」
ミツキ
「お買い上げありがとうございます」
相手はすぐに家からお金を持ってきて、料金を支払った。
ヨークが相手に計算箱を手渡し、売買は終わった。
男は満足げに、家の中へと帰っていった。
ヨーク
「……すげえな」
ヨークとリホだけなら、計算箱を売ることは出来なかっただろう。
ヨークはミツキの機転に感心していた。
ヨーク
「もし冒険者を止めても、商人としてやっていけるんじゃないか?」
ミツキ
「……まさか」
ミツキ
「私、こういう商談事とか嫌いですから」
ヨーク
「けど、上手かったぞ」
ミツキ
「それは……」
ミツキは口ごもった。
ミツキ
「あなたの……ために……」
ヨーク
「え? なんだって?」
ミツキ
「……仲間のためで無ければ、やりませんから」
ヨーク
「え? 恥ずい」
ミツキ
「だから言いたく無かったんですよ!?」




